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JR中央線三鷹駅南口からバス10分、下車後しばらく歩きますと調布市との境に幕末に新選組局長として活躍した近藤勇(こんどう・ いさみ、1834~1868)生家跡を訪問しました。<br /><br />近藤勇は天保5年(1834)多摩郡上石原村辻の宮川九次郎の三男(幼名宮川勝五郎)として生まれます。そして15歳で天然理心流(てんねんりしんりゅう)の近藤周助に入門、翌年に理心流の目録を得て周助の養子となり近藤姓を名乗る事になります。<br /><br />当時、宮川家の屋敷は、人見街道と小金井に通じる辻にあり、面積約7,000m2、建物は母屋165m2の他蔵屋敷など数棟、木々や竹が茂っていたといいます。<br /><br />昭和18年の戦争中に調布飛行場に隣接しているため取り壊され、現在は屋敷の東南隅に勇が産湯に使った井戸が残るのみですが、生家跡を市史跡として保存しています。(調布市HP)<br /><br /><br />また近隣の龍源寺には近藤勇の墓があります。<br /><br />龍源寺は、天保元年(1644)に武蔵府中高安寺第4世家山東伝が開創したといわれています。開基は三鷹市の大沢村周辺をひらいた箕輪将監です。<br />門前には近藤勇の像があり、本堂手前には左右になった樹齢300年と推定される大銀杏があり、本堂の裏手の墓地には東京都指定旧跡の近藤勇の墓があります。(調布市HP)<br /><br />自分は近藤勇という歴史上有名な人物が東京都多摩地区にいた事は漠然と承知していました。例えば幕末に於ける将軍家茂が上洛の際、警護の為に編成された浪人組の一員として随行、やがて京都壬生(みぶ)を拠点にして京都を見廻る新選組の局長であるとの認識でした。<br /><br />今回の生家訪問では生まれてから浪人組に入るまでの経緯を知る事ができました。即ち「天然理心流の免許取得」がキーワードで剣術を通じて後の土方歳三(日野・石田村在)を知る契機となり新選組展開に繋がったと思いす。<br /><br />自分としては新しい秩序の流れに抵抗し、凋落の一途をたどる幕府体制を支える近藤勇の終始変わらない姿勢の拠り所は何なのか知りたいところです。

武蔵調布 めまぐるしい幕末の歴史を彩った天然理心流の使い手で新撰組局長として活躍し徳川将軍家を支えた『近藤勇生家』散策

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2011/12/10 - 2011/12/10

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR中央線三鷹駅南口からバス10分、下車後しばらく歩きますと調布市との境に幕末に新選組局長として活躍した近藤勇(こんどう・ いさみ、1834~1868)生家跡を訪問しました。

近藤勇は天保5年(1834)多摩郡上石原村辻の宮川九次郎の三男(幼名宮川勝五郎)として生まれます。そして15歳で天然理心流(てんねんりしんりゅう)の近藤周助に入門、翌年に理心流の目録を得て周助の養子となり近藤姓を名乗る事になります。

当時、宮川家の屋敷は、人見街道と小金井に通じる辻にあり、面積約7,000m2、建物は母屋165m2の他蔵屋敷など数棟、木々や竹が茂っていたといいます。

昭和18年の戦争中に調布飛行場に隣接しているため取り壊され、現在は屋敷の東南隅に勇が産湯に使った井戸が残るのみですが、生家跡を市史跡として保存しています。(調布市HP)


また近隣の龍源寺には近藤勇の墓があります。

龍源寺は、天保元年(1644)に武蔵府中高安寺第4世家山東伝が開創したといわれています。開基は三鷹市の大沢村周辺をひらいた箕輪将監です。
門前には近藤勇の像があり、本堂手前には左右になった樹齢300年と推定される大銀杏があり、本堂の裏手の墓地には東京都指定旧跡の近藤勇の墓があります。(調布市HP)

自分は近藤勇という歴史上有名な人物が東京都多摩地区にいた事は漠然と承知していました。例えば幕末に於ける将軍家茂が上洛の際、警護の為に編成された浪人組の一員として随行、やがて京都壬生(みぶ)を拠点にして京都を見廻る新選組の局長であるとの認識でした。

今回の生家訪問では生まれてから浪人組に入るまでの経緯を知る事ができました。即ち「天然理心流の免許取得」がキーワードで剣術を通じて後の土方歳三(日野・石田村在)を知る契機となり新選組展開に繋がったと思いす。

自分としては新しい秩序の流れに抵抗し、凋落の一途をたどる幕府体制を支える近藤勇の終始変わらない姿勢の拠り所は何なのか知りたいところです。

交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩

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  • 近藤勇生家周辺地図<br /><br />生家は調布市との境界にあります。また生家に行く途中に龍源寺があり近藤勇の墓が紹介されています。

    近藤勇生家周辺地図

    生家は調布市との境界にあります。また生家に行く途中に龍源寺があり近藤勇の墓が紹介されています。

  • 野川(のがわ)<br /><br />野川は武蔵野を南北に流れる代表的な川です。御狩野川を渡りしばらく歩きますと、右側に広い敷地の野川公園が視野に入ります。

    野川(のがわ)

    野川は武蔵野を南北に流れる代表的な川です。御狩野川を渡りしばらく歩きますと、右側に広い敷地の野川公園が視野に入ります。

  • 龍源寺正門<br /><br />上石原村「宗門人別五人組帳」によりますと、宮川家は龍源寺の檀家でありましたので勇のゆかりの寺として勇や宮川家に関する記録が残されています。<br /><br /><br /><br /><br />

    龍源寺正門

    上石原村「宗門人別五人組帳」によりますと、宮川家は龍源寺の檀家でありましたので勇のゆかりの寺として勇や宮川家に関する記録が残されています。




  • 近藤勇と天然理心流石碑<br /><br />天然理心流の目録を得て近藤周助の養子となった近藤勇は文久元年(1861)、武蔵府中大国魂神社にて第四代目襲名の野試合を行ったそうです。

    近藤勇と天然理心流石碑

    天然理心流の目録を得て近藤周助の養子となった近藤勇は文久元年(1861)、武蔵府中大国魂神社にて第四代目襲名の野試合を行ったそうです。

  • 史跡近藤勇墓所の石碑

    史跡近藤勇墓所の石碑

  • 近藤勇胸像

    近藤勇胸像

  • 近藤勇胸像近影

    近藤勇胸像近影

  • 龍源寺・本堂<br /><br />宮川家は当寺の檀家であり勇にとってもゆかりの寺です。

    龍源寺・本堂

    宮川家は当寺の檀家であり勇にとってもゆかりの寺です。

  • 龍源寺本堂・全景

    龍源寺本堂・全景

  • 樹齢300年大銀杏<br /><br />本殿横から大銀杏(2本)を望みます。

    樹齢300年大銀杏

    本殿横から大銀杏(2本)を望みます。

  • 近藤勇の墓全景<br /><br />勇の甥、宮川勇五郎は板橋の刑場で首のない勇の遺体を掘り起こし、上石原村の生家近くにある龍源寺に埋葬しました。

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    近藤勇の墓全景

    勇の甥、宮川勇五郎は板橋の刑場で首のない勇の遺体を掘り起こし、上石原村の生家近くにある龍源寺に埋葬しました。

  • 説明板<br /><br />慶応4年(明治元年)4月25日、板橋宿で処刑されました。享年35歳。法名は貫天院殿純義誠忠大居士です。

    説明板

    慶応4年(明治元年)4月25日、板橋宿で処刑されました。享年35歳。法名は貫天院殿純義誠忠大居士です。

  • 近藤勇辞世石碑

    近藤勇辞世石碑

  • 近藤家墓<br /><br />右が勇で左が甥の勇五郎の墓です。

    近藤家墓

    右が勇で左が甥の勇五郎の墓です。

  • 近藤家墓<br /><br />勇の娘と結婚した勇五郎やその息子久太郎も眠っています。左端に久太郎・彦助の名前が確認されます。

    近藤家墓

    勇の娘と結婚した勇五郎やその息子久太郎も眠っています。左端に久太郎・彦助の名前が確認されます。

  • 野川公園交差点<br /><br />野川公園は武蔵野の面影を残す公園です。前身は国際基督教大学のゴルフ場だったそうで、周辺の神代植物公園・武蔵野公園・多磨霊園などの緑地を含めた構想の下に昭和55年に開園しています。

    野川公園交差点

    野川公園は武蔵野の面影を残す公園です。前身は国際基督教大学のゴルフ場だったそうで、周辺の神代植物公園・武蔵野公園・多磨霊園などの緑地を含めた構想の下に昭和55年に開園しています。

  • 近藤神社<br /><br />徳川将軍家の為に忠誠心を貫いた近藤勇を尊び、昭和初期に東京一円の有志達によって生家跡に建立されました。

    近藤神社

    徳川将軍家の為に忠誠心を貫いた近藤勇を尊び、昭和初期に東京一円の有志達によって生家跡に建立されました。

  • 説明文

    説明文

  • 近藤勇生家跡<br /><br />現在の跡地は屋敷の東南部に位置し、昭和18年に家が取り壊されるまで使用していた井戸を残すのみであります。

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    近藤勇生家跡

    現在の跡地は屋敷の東南部に位置し、昭和18年に家が取り壊されるまで使用していた井戸を残すのみであります。

  • 近藤勇生家跡・説明板(近景)

    近藤勇生家跡・説明板(近景)

  • 近藤勇生家跡・標柱

    近藤勇生家跡・標柱

  • 近藤勇説明板<br /><br />

    近藤勇説明板

  • 近藤勇説明拡大<br /><br />宮川家の復元図と屋敷<br /><br />

    近藤勇説明拡大

    宮川家の復元図と屋敷

  • 近藤勇産湯の井戸<br /><br />残された唯一の井戸です。

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    近藤勇産湯の井戸

    残された唯一の井戸です。

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この旅行記へのコメント (1)

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  • 吉備津彦さん 2012/02/25 21:22:23
    近藤勇の髑髏の稽古着が好きです。
     どこで死んでも良い覚悟の稽古着にあやかって私も髑髏グッツをつい買ってしまいます。

     関東へ行くことがあれば土方邸とともに是非訪れたいと思います。

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