2012/02/16 - 2012/02/16
438位(同エリア655件中)
カピさん
法隆寺の五重塔にはなぜ鎌が4本ささっているのか?
他にも謎の多い法隆寺を見に斑鳩町へ行ってきました。
ボランティアガイドさんに、丁寧にご説明受ける事が出来て満喫出来ました。
ただ、法隆寺の謎はどんどん深まるばかり。
また、桜の時期にも行ってみたいです。
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参道は鎌倉時代に出来たそうです。
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1438年に出来た南大門。
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参道。平安時代に僧侶が境内に溢れた為、高貴な家柄の僧侶たちは法隆寺の境内を拡張してもらって、境内に庵を建てたそうな。
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中門。なぜ、門の真ん中に柱(真ん中が太いエンタシスの柱)が建っているのでしょうか?(諸説あり)
・悲運な最期を遂げた、聖徳太子ファミリーを滅亡においこんだ勢力にたいする、聖徳太子の怨霊を封じ込めるため
・古代中国の寺院のように、左から入って時計回りに境内をまわり、右からでてくるため
・父と母のため
・塔を参る入り口、金堂を参る入り口のため
・陰と陽
・通常中門の柱は3だが、塔と金堂とのバランスを考えて4としたため -
金剛力士像(711年)。現存して現役で門にたっている最古の像。
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ボランティアガイドさん曰く、こちらの方は目線があうのです。ちなみに、江戸時代の大修理(1523〜25)で下半身から上が塑像から木造に作りかえられたそうです。
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西園堂から五重塔を眺める。
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西円堂の鐘。有名な高浜虚子の
「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺」で
虚子がきいたのはこの鐘の音色だそう。
ちなみに、写真をとっておりませんが、西円堂は光明皇后のお母さん、橘夫人の発願でたてられた、夫人の家柄藤原家にちなんだ八角堂で、ご本尊は薬師如来像。大和盆地が一眼できる立地にあり、庶民信仰がさかんなところで、往年はお茶屋さんや、サウナ風呂や、清水の舞台まである人気スポットだったそうです。鏡を奉納して願掛けをすることもあり、戦時中はその鏡で刀がたくさん作られたそうです。 -
江戸時代、五代将軍徳川綱吉の母桂昌院によって、寄進され修復作業された寺院には桂昌院の実家の家紋が入っているそうです。ちなみに、昔は、修復作業必要な際、大奥等に秘宝をみせに行って、お金を募っていたそうです。
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窓は二段階にあくようになっています。
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この上からぶらさがっている金具で木の窓をとめていたそうです。
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西室・三経院はわりと高貴な家柄のお坊さんの宿泊場所だったそうです。
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回廊。部分的に修復跡があります。
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五重塔(710年)。内部には、それぞれ(東側から)、維摩居士が文殊菩薩に質問するシーン、仏陀入滅のシーン、お釈迦様の骨を分骨するシーン、弥勒菩薩が教えを説くシーンの塑像が配置されています。
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一階部分は裳階となり、雨天でも信者がお参りして塑像を拝見できるようになっています。
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四角い部分で祈りをささげるそうです。
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五重塔の鎌。東西南北4本ささっています。現在の鎌は堺産らしいです。
・天災除けの魔除けのため(避雷針ではなくおまじないとして)
・東西南北の豊作を祈って
掲げられているらしいです。
ちなみに、この鎌は豊作のときは上にあがってきたりするという言い伝えもあるそうです。 -
邪気。頻繁に修理を行い、その際に細工をしているので、この天の邪鬼は1607の修復の時の物であろうとのこと。(と、いうことは、豊臣秀頼よる伽藍の修復の時のものでしょうか?)
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こちらは金堂の仕柱。架空の動物の様です。
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桂昌院が寄進した灯籠。
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925年に大講堂の落雷でこの先の鐘桜も全焼したらしく、おそらく、再建前はこの灯籠が建てられているあたりも回廊だったのであろうとのこと。
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上御堂。天武天皇の息子、舎人親王の発願により建立。現在の建物は鎌倉時代のもの。伝・源頼朝の太鼓や釈迦三尊像等が安置。
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皿木。
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経蔵。鐘桜を再建(990年)する際、経蔵をまねて作ったから左右対称に似た建物になったそうです。
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再建前の回廊(三角部分の作りに注目)。
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再建後の回廊。
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金堂。特徴は卍崩しの高欄と人字形割束。
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各階の真ん中部分に、災害よけの魔除けの札がはってあります。
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金堂の裳階屋根。
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法隆寺七不思議の一つで雨だれの跡がつかないとありますが、石畳だからではないかと言われています。
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療養中の高浜虚子が奈良旅行の時に法隆寺を訪れたさいに詠んだ句の石碑は、関西俳句界中心人物でもあった俳人・松瀬青々。
この鐘の音は、西円堂の鐘の説と東大寺の鐘の説と2つあるそうだ。 -
聖霊院。鎌倉時代に聖徳太子信仰が盛んになり建てられたそうです。
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左が東室(寺僧の住居)右が妻室(寺僧の従者の住居)。奈良時代の様式で、妻室に関しては唯一現存している建物だそうです。東室は鎌倉時代に塔の南側は聖霊院に改造されたそうです。
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綱封蔵。高床式の並び蔵方式。名前は、昔、蔵を開けるためには、蔵綱所という僧侶の管理所でおこなわれていたので、「蔵綱により封じられた蔵」という意味らしい。
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細殿(右・祈祷室であろうといわれている)食堂(左)。細い建物しか建てられなかった奈良時代に奥行きを大きく取るために二棟並んで建てたという、双堂方式。
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大宝蔵院。国宝の酒買い観音(百済観音)や、伝・推古天皇の使用していたという玉虫の厨子等があります。
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ガイドさんおすすめの写真ポイント。は大宝蔵院の入り口から五重塔と金堂を眺めるいう構図です。
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大宝蔵院の露盤は五重塔の分舎利仏土の舎利塔を模写したものだそうです。有名な硝子工芸家の作品が埋め込まれているそうです。
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東大門から夢殿を見る。道が斜めになっていますが、元々の創建・法隆寺(若草伽藍)は夢殿の参道と平行な敷地だったそうです。
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夢殿。601年に聖徳太子の住居として建立された斑鳩宮跡に739年に恵心僧都が聖徳太子を忍んで建立。
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聖徳太子信仰で往年はにぎわいをみせ、この南門から昔は参拝していたそうです。門の外は宿屋さん等がたくさん並んでいたそうです。
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袴腰付鐘楼。鎌倉時代。袴腰付鐘桜の中では日本最古といわれていて、国宝。鐘桜の中の梵鐘は奈良時代の物といわれているが、『中宮寺』と刻印がされているそうです。
ちなみに、現在では、舎利殿から舎利を持ち出すときのみ鐘がならされるのだとか。 -
伝法堂。橘夫人の邸宅。
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中宮寺。聖徳太子が母親の為に東側建立した寺。(太子自身の住居を中央に西側には父の御遺願をかけてたてた斑鳩寺(法隆寺))。その後、江戸時代に後伏見天皇8世の皇孫尊智女王が住職となられて、今に至るそうです。
世界三大スマイルの如意輪観音像がいらっしゃいます。 -
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