2012/02/04 - 2012/02/04
372位(同エリア421件中)
ちゃおさん
旧北上川河口に位置する石巻がいつ頃から町として形成されてきたのか定かに知らないが、少なくとも奈良時代の後半、この先の金華山で金が掘り出された以降は、この河口付近も集落を整えていったに違いない。この少し先、塩竃の辺り、今の多賀城市に陸奥国府が置かれたのは8世紀前半だから、その頃までのこの辺りは蝦夷(アイヌ人)の暮す鄙びた農漁村であったに違いない。
先の漫画館から500m程川を遡った辺りに由緒あり気な小公園があって、その中程に神社が建っている。住吉公園の中にある大嶋神社だ。通称、住吉神社と呼ばれている。創建は定かではないが、相当古く、この神社の前には、石巻の名前の謂われとなった巻石の小さな小島があり、芭蕉も松島の後、この場所を訪問していた。句は詠まなかったものの、曽良の記述に「袖の渡し」の記載があるが、今その小島の松も先の大地震とその後の津波に、無惨に根元から倒されていた。
震災からほぼ10カ月、この小島の松も巻石も震災当時の惨状をそのままの形で留めているのは、市の行政の意図があるのかも知れない。それとは対照的に腰程の高さの新装なった堤防は、真っ直ぐ川上に伸びていて、そこには昨夜来から降っている粉雪が既に20cm程の高さに積もっている。
東京とは違った北国の寒さは川の水を凍らせ、一部氷状となっている。湖とか池が凍ることは関東でもあるが、流れている川が凍るのは余程か外気が寒いに違いない。その氷の塊は、一部崩壊し、水中に没している以前の堤防の上を漂っている。こうした形で震災の跡を留め、人々にいつまでも教訓として記憶させるは、一つの後世への引き継ぎになるのかも知れない。
凍った川面を石巻大橋の上から眺め、牧山にかかる二つのトンネルを通り抜け、石巻外港、大きく津波にさらわれた外海の港の惨状を見に向かった。
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