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久しぶりの京都1泊小旅行。<br /><br />今回の宿泊は京都御所の近くだったのですが、その時に周囲を歩いていて見かけたお寺です。<br />

京都御所周辺の寺社めぐり① 「行願寺 革堂」

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2012/02/10 - 2012/02/10

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みにくま

みにくまさん

久しぶりの京都1泊小旅行。

今回の宿泊は京都御所の近くだったのですが、その時に周囲を歩いていて見かけたお寺です。

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  • 行願寺 革堂<br /><br />京都御所から一本筋をずらして平行に歩いていたら目の前に大きな建物が現れました。<br />京都ではそれほど珍しいことではありませんが、やはり圧倒されます。<br />

    行願寺 革堂

    京都御所から一本筋をずらして平行に歩いていたら目の前に大きな建物が現れました。
    京都ではそれほど珍しいことではありませんが、やはり圧倒されます。

  • 行願寺 革堂<br /><br />門は開かれていました。<br />今までにまだ入ったことのないお寺なので、中を少し拝観していきます。<br />

    行願寺 革堂

    門は開かれていました。
    今までにまだ入ったことのないお寺なので、中を少し拝観していきます。

  • 行願寺 革堂<br /><br />行願寺(ぎょうがんじ)は、京都府京都市中京区にある天台宗の寺院。山号は霊ゆう山(「ゆう」の漢字は「鹿」の下に「匕」)。本尊は千手観音。<br /><br />通称、革堂(こうどう

    行願寺 革堂

    行願寺(ぎょうがんじ)は、京都府京都市中京区にある天台宗の寺院。山号は霊ゆう山(「ゆう」の漢字は「鹿」の下に「匕」)。本尊は千手観音。

    通称、革堂(こうどう

  • 行願寺 革堂<br /><br />◎ 本堂 1815年 京都市指定有形文化財<br /><br />★ トップ写真 ★<br /><br />屋根の写真を撮っただけですが、日本建築の美というか、重厚さが伝わるかなーと思って。<br /><br />

    行願寺 革堂

    ◎ 本堂 1815年 京都市指定有形文化財

    ★ トップ写真 ★

    屋根の写真を撮っただけですが、日本建築の美というか、重厚さが伝わるかなーと思って。

  • 行願寺 革堂<br /><br />『百錬抄』、『日本紀略』等によれば、行願寺は寛弘元年(1004年)、行円が一条小川の一条北辺堂跡に創建したものである。<br />一条北辺堂については、『日本紀略』永祚元年(989年)8月13日条に「一条北辺堂舎倒壊」とあり、行願寺の創建以前から存在したことが裏づけられる。

    行願寺 革堂

    『百錬抄』、『日本紀略』等によれば、行願寺は寛弘元年(1004年)、行円が一条小川の一条北辺堂跡に創建したものである。
    一条北辺堂については、『日本紀略』永祚元年(989年)8月13日条に「一条北辺堂舎倒壊」とあり、行願寺の創建以前から存在したことが裏づけられる。

  • 行願寺 革堂<br /><br />行円は仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その腹から子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟って仏門に入ったという。行円はその鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖、皮聖人などと呼ばれ、寺の名も革堂と呼ばれた。行円の生没年は未詳だが、比叡山の横川(よかわ)出身の聖と推定されている。藤原道長の息の藤原顕信は寛弘9年(1012年)、行円のもとで剃髪出家している。<br /><br />寺は豊臣秀吉による都市計画のため、天正18年(1590年)に寺町荒神口(現・上京区、京都御苑東側)に移転。宝永5年(1708年)の大火の後、寺町荒神口の旧地からやや南に下がった現在地に移転した。<br /><br />

    行願寺 革堂

    行円は仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その腹から子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟って仏門に入ったという。行円はその鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖、皮聖人などと呼ばれ、寺の名も革堂と呼ばれた。行円の生没年は未詳だが、比叡山の横川(よかわ)出身の聖と推定されている。藤原道長の息の藤原顕信は寛弘9年(1012年)、行円のもとで剃髪出家している。

    寺は豊臣秀吉による都市計画のため、天正18年(1590年)に寺町荒神口(現・上京区、京都御苑東側)に移転。宝永5年(1708年)の大火の後、寺町荒神口の旧地からやや南に下がった現在地に移転した。

  • 行願寺 革堂<br /><br />◎ 鐘楼 1804年 京都市指定有形文化財<br />

    行願寺 革堂

    ◎ 鐘楼 1804年 京都市指定有形文化財

  • 行願寺 革堂<br /><br />◎ 幽霊絵馬伝説<br /><br />江戸時代の末頃、行願寺の近くにあった質屋に奉公していたお文という子守女は、聞き慣れた御詠歌を子守歌がわりに口ずさみ、子供まで御詠歌を覚えてしまった。熱心な法華信者であった質屋の主人はこれを見とがめ、お文を折檻し、死なせてしまう。あわてた主人はお文の遺体を土蔵に隠し、知らぬふりをしていた。お文の両親が行願寺で通夜を営んでいたところ、彼女の幽霊が現れ、事の次第を語ったので、真相が明らかになり、質屋の主人は捕らえられたというものである。絵馬にはお文の遺愛の手鏡がはめこまれている。<br />

    行願寺 革堂

    ◎ 幽霊絵馬伝説

    江戸時代の末頃、行願寺の近くにあった質屋に奉公していたお文という子守女は、聞き慣れた御詠歌を子守歌がわりに口ずさみ、子供まで御詠歌を覚えてしまった。熱心な法華信者であった質屋の主人はこれを見とがめ、お文を折檻し、死なせてしまう。あわてた主人はお文の遺体を土蔵に隠し、知らぬふりをしていた。お文の両親が行願寺で通夜を営んでいたところ、彼女の幽霊が現れ、事の次第を語ったので、真相が明らかになり、質屋の主人は捕らえられたというものである。絵馬にはお文の遺愛の手鏡がはめこまれている。

  • 行願寺 革堂<br /><br />◎ 都七福神(寿老人)<br /><br />ここの七福神さんは、都七福神の一つに数えられています。<br />

    行願寺 革堂

    ◎ 都七福神(寿老人)

    ここの七福神さんは、都七福神の一つに数えられています。

  • 行願寺 革堂<br /><br />◎ 都七福神<br /><br />・ えびす神社  京都ゑびす神社  えびす <br />・ 松ヶ崎大黒天  妙円寺  大黒天 <br />・ 毘沙門堂  東寺  毘沙門天 <br />・ 弁天堂  六波羅蜜寺  弁財天 <br />・ 赤山さん  赤山禅院  福禄寿 <br />⇒ 革堂  行願寺  寿老人 <br />・ 天王殿  萬福寺  布袋尊<br />

    行願寺 革堂

    ◎ 都七福神

    ・ えびす神社  京都ゑびす神社  えびす
    ・ 松ヶ崎大黒天  妙円寺  大黒天
    ・ 毘沙門堂  東寺  毘沙門天
    ・ 弁天堂  六波羅蜜寺  弁財天
    ・ 赤山さん  赤山禅院  福禄寿
    ⇒ 革堂  行願寺  寿老人
    ・ 天王殿  萬福寺  布袋尊

  • 行願寺 革堂<br />

    行願寺 革堂

  • 行願寺 革堂<br /><br />それほど大きいお寺ではないので、ほんの10分程度で観光は終わり。<br /><br /><br />◎ おしまい<br />

    行願寺 革堂

    それほど大きいお寺ではないので、ほんの10分程度で観光は終わり。


    ◎ おしまい

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