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伊達政宗公ゆかりの大崎市岩出山。<br /><br />自宅から日帰りで行ける距離ですが、改めて行く機会もないうちにこの度の大地震。<br /><br />現存する日本最古の学問所である有備館は倒壊してしまいました。

大崎・登米へ 興学の志は潰えず

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2011/09/10 - 2011/09/10

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倫清堂

倫清堂さん

伊達政宗公ゆかりの大崎市岩出山。

自宅から日帰りで行ける距離ですが、改めて行く機会もないうちにこの度の大地震。

現存する日本最古の学問所である有備館は倒壊してしまいました。

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  • 有備館は伊達家2代宗敏公によって仮居館として建てられ、その後3代敏親公が岩出山家臣子弟のための学問所を開きました。<br /><br />庭園とともに国の史跡・名勝に指定されており、どのくらいの被害を受けているのか、おそるおそる入場したのでした。

    有備館は伊達家2代宗敏公によって仮居館として建てられ、その後3代敏親公が岩出山家臣子弟のための学問所を開きました。

    庭園とともに国の史跡・名勝に指定されており、どのくらいの被害を受けているのか、おそるおそる入場したのでした。

    旧有備館 名所・史跡

  • 写真で見るかつての有備館は、庭園の池に茅葺の凛々しい姿を写していますが、今はその屋根が建物全体を潰してしまい、こんもりとした山のような格好でブルーシートに覆われていました。<br /><br />庭園もあちこちに地割れだ生じているらしく、立ち入ることができるのはごく一部となっています。<br /><br />震度6強の激しい揺れに、300年以上前に建てられた木造建築は耐えることができませんでした。<br /><br />しかし幸い、倒壊によって負傷した方はいなかったとのことです。<br /><br />復元まではかなりの時間がかかるとのことですが、なるべく元の建材などを利用して、極限まで同じ姿を取り戻してくれることを願います。

    写真で見るかつての有備館は、庭園の池に茅葺の凛々しい姿を写していますが、今はその屋根が建物全体を潰してしまい、こんもりとした山のような格好でブルーシートに覆われていました。

    庭園もあちこちに地割れだ生じているらしく、立ち入ることができるのはごく一部となっています。

    震度6強の激しい揺れに、300年以上前に建てられた木造建築は耐えることができませんでした。

    しかし幸い、倒壊によって負傷した方はいなかったとのことです。

    復元まではかなりの時間がかかるとのことですが、なるべく元の建材などを利用して、極限まで同じ姿を取り戻してくれることを願います。

  • 有備館を管理されている方の話によると、すぐそこに見える岩出山城の崖も何カ所か崩れたそうです。<br /><br />有備館の見学を終え、その岩出山城へ登ることにしました。<br /><br />岩出山は、伊達氏以前に治めていた大崎氏の時代には岩手沢と呼ばれていました。<br /><br />豊臣秀吉公の奥州仕置によって岩手沢には木村氏が入りましたが、検地や刀狩りを強行したことで領民の蜂起が起こり、それへの関与が疑われた伊達政宗公が、故郷の米沢からここ岩手沢へ移封されたのでした。<br /><br />政宗公は戦国武将の中でも極めて人気の高い人物ですが、その所縁の土地であるにもかかわらず、管理が行き届いていない印象を受けました。<br /><br />復興は、生活立て直しも大切ですが、それよりも先に歴史の重みを実感することから始めなければならないと思います。

    有備館を管理されている方の話によると、すぐそこに見える岩出山城の崖も何カ所か崩れたそうです。

    有備館の見学を終え、その岩出山城へ登ることにしました。

    岩出山は、伊達氏以前に治めていた大崎氏の時代には岩手沢と呼ばれていました。

    豊臣秀吉公の奥州仕置によって岩手沢には木村氏が入りましたが、検地や刀狩りを強行したことで領民の蜂起が起こり、それへの関与が疑われた伊達政宗公が、故郷の米沢からここ岩手沢へ移封されたのでした。

    政宗公は戦国武将の中でも極めて人気の高い人物ですが、その所縁の土地であるにもかかわらず、管理が行き届いていない印象を受けました。

    復興は、生活立て直しも大切ですが、それよりも先に歴史の重みを実感することから始めなければならないと思います。

    城山公園 公園・植物園

  • 駐車場の脇にはSLが展示されています。<br /><br />かつて陸羽東線で活躍していた車体とのこと。

    駐車場の脇にはSLが展示されています。

    かつて陸羽東線で活躍していた車体とのこと。

  • 最初の予定では岩出山だけ見学して帰るつもりでしたが、ふと油麩丼を食べたいと思い、登米市まで足を伸ばすことにしました。<br /><br />大崎から東へ向かい、伊豆沼の辺りを通って約1時間。<br /><br />急な思いつきなので下調べはもちろんなく、携帯電話で得られる情報だけを頼りに油麩丼を出してくれる店を探し、何軒かに電話で確認してようやく食べられる店を見つけました。<br /><br />登米は平成の大合併で市に昇格した街で、油麩丼が食べられるのは旧市街の方です。<br /><br />いわゆるB級グルメですが、もっと大々的に宣伝してもよいと思えるほど、この味は好きです。

    最初の予定では岩出山だけ見学して帰るつもりでしたが、ふと油麩丼を食べたいと思い、登米市まで足を伸ばすことにしました。

    大崎から東へ向かい、伊豆沼の辺りを通って約1時間。

    急な思いつきなので下調べはもちろんなく、携帯電話で得られる情報だけを頼りに油麩丼を出してくれる店を探し、何軒かに電話で確認してようやく食べられる店を見つけました。

    登米は平成の大合併で市に昇格した街で、油麩丼が食べられるのは旧市街の方です。

    いわゆるB級グルメですが、もっと大々的に宣伝してもよいと思えるほど、この味は好きです。

  • せっかくなので、すぐ目の前の警察資料館をちらりと見学。<br /><br />それから車で移動し、教育資料館を外から眺めました。<br /><br />かつて登米高等尋常小学校の校舎だった建物は、当時としてはかなり斬新なデザインです。<br /><br />以前に親に連れられて中を見学したことがあり、波打つ薄い窓ガラスが印象に残っていました。<br /><br />そのガラスも、この度の大地震で大部分が割れてしまったようです。<br /><br />有備館といい、この尋常小学校といい、仙北は教育をとても大事にしていることが分かります。<br /><br />形あるものは必ず壊れますが、教育は文化を永遠に受け継ぐことが可能です。<br /><br />自分もひとりの教育者として、東北の魂を子供たちに伝えて行きたいと思います。

    せっかくなので、すぐ目の前の警察資料館をちらりと見学。

    それから車で移動し、教育資料館を外から眺めました。

    かつて登米高等尋常小学校の校舎だった建物は、当時としてはかなり斬新なデザインです。

    以前に親に連れられて中を見学したことがあり、波打つ薄い窓ガラスが印象に残っていました。

    そのガラスも、この度の大地震で大部分が割れてしまったようです。

    有備館といい、この尋常小学校といい、仙北は教育をとても大事にしていることが分かります。

    形あるものは必ず壊れますが、教育は文化を永遠に受け継ぐことが可能です。

    自分もひとりの教育者として、東北の魂を子供たちに伝えて行きたいと思います。

    教育資料館(旧登米高等尋常小学校校舎) 美術館・博物館

  • 次に水沢県庁記念館へ。<br /><br />水沢県とは聞きなれない自治体名ですが、現在の宮城県北部と岩手県南部にわたる地域が、かつて水沢県とされていました。<br /><br />中に入ると、あちこちの壁が崩れ落ちていました。<br /><br />水沢が生んだ三偉人のひとり、齋藤實内大臣による「自力更正」の額が、これから復興のために奮起しなければならない東北に、何かを伝えようとしているように感じられました。

    次に水沢県庁記念館へ。

    水沢県とは聞きなれない自治体名ですが、現在の宮城県北部と岩手県南部にわたる地域が、かつて水沢県とされていました。

    中に入ると、あちこちの壁が崩れ落ちていました。

    水沢が生んだ三偉人のひとり、齋藤實内大臣による「自力更正」の額が、これから復興のために奮起しなければならない東北に、何かを伝えようとしているように感じられました。

    水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎) 美術館・博物館

  • 最後に津島神社に参拝。<br /><br />『風土記』にも記録が残る神社で、天平2年の御創建と伝えられます。<br /><br />豊臣秀吉公の奥州統一に従わない葛西氏の討伐を命じられた伊達政宗公が、ここ津島神社で戦勝祈願したところ、難攻不落の佐沼城を攻め落とすことができたのだそうです。<br /><br />しかし古くから伝わる古文書は、元禄年間の大火によってほとんど消失してしまいました。<br /><br />どのような大災害も、歴史を重んじる国民の力があれば乗り越えられると信じています。

    最後に津島神社に参拝。

    『風土記』にも記録が残る神社で、天平2年の御創建と伝えられます。

    豊臣秀吉公の奥州統一に従わない葛西氏の討伐を命じられた伊達政宗公が、ここ津島神社で戦勝祈願したところ、難攻不落の佐沼城を攻め落とすことができたのだそうです。

    しかし古くから伝わる古文書は、元禄年間の大火によってほとんど消失してしまいました。

    どのような大災害も、歴史を重んじる国民の力があれば乗り越えられると信じています。

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