2011/08/27 - 2011/08/28
650位(同エリア782件中)
倫清堂さん
土曜日の仕事は午前中で終わり、午後からドライブに行きたくなりました。
翌日の日曜は何も予定がないので、もし宿が取れれば1泊してもよいとの考えでしたが、計画は全く立てず文字通り行き当たりばったりの旅となります。
昼食もとらずに出発し、東北自動車道を北上。
距離も位置も中途半端でなかなか行くことのできないでいた遠野に向かいます。
しかしここで事故による通行止めの情報が入って来ました。
20キロも渋滞しているとのことなので、サービスエリアに入り昼食をとろうとしますが、みな考えることは同じらしくどこも大混雑。
ひとつ手前のインターチェンジで降りようと思いましたが、そこも大渋滞が起きていました。
その時、通行止めが解除したとの情報が入り、行ってしまえと意を決して進むと、まだ解消されていない渋滞にはまってしまいました。
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今まであまり経験したことがありませんでしたが、自然渋滞と違い通行止めによる渋滞は、車が全く進まなくなってしまいます。
ここで1時間近く時間をロスしてしまいましたが、進み始めてからは快調で、北上江釣子インターから一般道を通り、遠野に入ることができました。
遠野は柳田国男の『遠野物語』で描かれる民話の里として有名ですが、どこに何があるのかも調べずに来たため、まずは目立つ神社に参拝してみることにしました。
地図によると駒形神社らしいですが、神職の方は誰もおらず、由緒が書かれた看板なども一切ありません。
あとで調べたところ、『遠野物語拾遺』の14・15話に書かれていることが分かりました。 -
次に向かったのは岩手・遠野伝承館。
地図で見つけ、遠野の見どころを教えてもらうつもりで向かったのですが、実際に着いてみると、入場料を支払って見学する様式の保存施設のようです。 -
内部は、遠野地方のかつての農家の生活様式を再現したもので、国の重要文化財に指定される旧菊池家住宅や、遠野物語の話者である佐々木喜善記念館などがあります。
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特に印象的だったのが御蚕神堂、オシラ堂とも呼ばれています。
ここには「オシラサマ」と呼ばれる神様がたくさん置かれています。
一体一体は、顔が書かれた木の棒に布をかぶせたもので、その布にはそれぞれ願い事が書かれていますが、これは現在の観光地化してからのされ方でしょう。
『遠野物語』69話には、オシラサマの由来が書かれています。
昔々、ある百姓の娘が、飼い馬を愛して夫婦になってしまいました。
百姓の父はこれを知り、娘に知られないように馬を連れ出して桑の木に吊るし、殺してしまいました。
それを知った娘は、死んだ馬にすがりついて泣き叫んだため、父は怒って馬の首を切り落とすと、娘は馬の首に乗って天に昇ったという話です。
この馬がオシラサマとして信仰されるようになったのでした。 -
伝承館で集めた情報によると、まずすぐ道路を隔てたカッパ淵は見ておきたいと思いました。
カッパ淵は常堅寺の裏にある小川のことで、赤い顔の河童が住んでいるとのことです。 -
イチオシ
『遠野物語』の58話には、水浴びをさせるために小川に連れて来た馬が、カッパによって水の中に引き込まれる話が書かれています。
遠野の中では人気のある場所らしく、家族連れや外国人の姿も多く見られました。
小川には、カッパをつかまえるためのキュウリが吊るされていましたが、この日残念ながら河童は捕まえられなかったようです。カッパ淵 自然・景勝地
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だんだん日没も近くなり、この度はどこまで続けようか考えなければならなくなってきました。
伝承館で聞いた情報を頼りに向かったのは山口の水車。
昔のままの水車小屋は、ヒエ・アワなどの脱穀のために昼夜をおかず音をたてて回っていたものです。 -
時間さえ気にしなければ電気に頼らなくても生きて生ける、それを水車は訴えているようでした。
しかし現代人は時間を気にしなければ生きていけない悲しい生き物です。 -
このまま帰るのもさびしいので、思いきって青森まで行ってみようと宿泊できる施設を探してみると、八戸で格安のホテルに空きがあるのが見つかりました。
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ふと見かけた標識に五百羅漢と書かれていたので、立ち寄ってみようと思いましたが、山道を歩かなければならないので途中で断念。
八戸のホテルに着いたのは19時過ぎとなりました。 -
恐山まではかなり遠い道のりとなるため、早めにホテルをチェックアウトしました。
一人孤独なドライブ。
下北半島に無数にそびえる風力発電の風車を初めて見ましたが、その巨大さに圧倒されるというより、むしろ気味の悪さを感じました。
むつ市に入り、恐山へ向かう山道にさしかかると、頭痛がして来ました。
前に一度来た時も、同じように体調が悪くなった記憶があります。 -
霊的な現象というより、地磁気の強い力を感じているのかも知れません。
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入山料を払い、境内に入って強い硫黄のにおいを感じた瞬間、頭痛は最もひどくなり、吐き気さえ覚えてしまったのでした。
恐山 自然・景勝地
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恐山は慈覚大師円仁貞観4年に開かれました。
今年は山寺立石寺にも参拝しましたが、こちらも円仁による開基で、東北から関東にかけて彼が開いたお寺は数多く存在します。
円仁は唐で修業をしている時に見た夢で、東方を行くこと30余日の所に霊山があるので、そこで地蔵尊を一体彫るようにと告げられたのでした。
帰国後、ようやくたどり着いたこの地が夢のお告げと全く同じであったため、地蔵尊を彫って本尊として納めたのでした。 -
宇曾利湖を8つの山がまるで八葉の蓮華のように囲んでおり、地獄を表わす108の形象が見られます。
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硫黄が湧き出る岩肌はまるで地獄のようで、特徴のある岩にはそれぞれ「血の池地獄」や「金掘地獄」など地獄の名前が付けられています。
それに対し宇曾利湖の砂浜は、宝石のような青さの湖との色彩の対比がこの世のものとは思えないほど美しく、極楽になぞらえられています。
あちこちに墓石・地蔵・卒塔婆などが立てられており、死者を供養するための参拝者が多く目指してやって来ていることがわかります。 -
まだ観光客もほとんどいない時間だったため、この地獄と極楽をめぐる霊場に、自分一人だけがぽつんと残されたような奇妙な感覚にとらわれました。
若くして死んだ友人や、最後に感謝の言葉をかけられずに死んだ知人など、もうこの世にいない人がひょっこり岩陰から現れてもおかしくない、憂世とは全く違う次元の世界がそこにはありました。 -
死者の国が地下にあるというのは、古事記に書かれる黄泉の国のイメージが人々の間に広まってからのことで、それまでの原始的なイメージは、死んだら山へ行くというものだったそうです。
今回の震災で亡くなった多くの方の魂も、永遠の安らぎの場所へと旅立って行ったことでしょう。 -
イチオシ
宇曾利湖の極楽浜は、みごとな眺めでした。
この景色を見ただけでも、遠く仙台から車で来た甲斐があったというものです。
本当に気まぐれでここまで来てしまいましたが、不思議な充実感がありました。
次にここに来るには何年後か分かりません。
しかし、死んだ人に対して謝らなくても済むように、生きている間に感謝することを心がけようと思いました。
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