![この旅行記は、太平洋沿いを車で北上して<br />どこかの山に登ろうという気ままな旅行計画の記録です。<br /><br />この旅行を思い立った理由は色々あるのですが、一つ挙げるとすれば<br />それは、頭の中のモヤモヤを解消するためです(^^ゞ<br /><br />そこで、「どこか遠くへ行きなさい。仕事が小さく見えてきて、<br />もっと全体がよく眺められるようになります。<br />不調和やアンバランスがもっとよく見えてきます」という<br />レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉に従いました。<br /><br />また、この旅行記では旅行内容と直接的には関係の無い<br />コメントが書いてある部分がありますので、ご了承頂ければと思います。<br /><br />それでは、どうぞご覧下さい。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/64/08/650x_10640888.jpg?updated_at=1329388799)
2011/10/28 - 2011/10/31
789位(同エリア925件中)
貴木さん
この旅行記は、太平洋沿いを車で北上して
どこかの山に登ろうという気ままな旅行計画の記録です。
この旅行を思い立った理由は色々あるのですが、一つ挙げるとすれば
それは、頭の中のモヤモヤを解消するためです(^^ゞ
そこで、「どこか遠くへ行きなさい。仕事が小さく見えてきて、
もっと全体がよく眺められるようになります。
不調和やアンバランスがもっとよく見えてきます」という
レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉に従いました。
また、この旅行記では旅行内容と直接的には関係の無い
コメントが書いてある部分がありますので、ご了承頂ければと思います。
それでは、どうぞご覧下さい。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
125号線をずっと太平洋へ向かって走行した。
途中にあった、「セブンイレブン つくば小和田店」で写真撮影。
左側に見える山は、左が筑波山で右が女体山。 -
125号線→354号線を使って太平洋に行こうとしたが
北浦の橋が震災の影響で封鎖されていたため、354号線を戻り
2号線→18号線→182号線→51号線を経由して、ようやく大竹海岸に到着。
テレビなどでは、ちょくちょく海が見られるが、実際に見るのは久しぶりだ。
どこまでも広がる海、海水の冷たさに感激した。 -
51号線を北上している途中、「ゆにろーず 旭店」にて遅め(15時過ぎ)の昼食をとる。
店内は、左側がゲームセンター、右側がラーメン店となっていた。
食券を購入して店員に渡し席に着く。 -
ラーメンの味は、まあまあといったところであった。
お店を出て車に乗り、iPhoneでマップを確認してから出発。
北上中に、じゃらんのアプリを使ってホテルを予約した。 -
「東横イン 水戸駅南口」に宿泊し、近くの飲食店で購入したビールを飲んだ。
しかし、こんな立派なホテルに少額の料金で泊まれるなんて、改めて感動する。
聖書や内観に関する書籍が置いてあったが、そういった団体が資金面でフォローしているのだろうか? -
翌朝。
車に乗り込み、水戸駅の西側にある千波湖(せんばこ)に向かった。
晴天の下、マラソン大会と思われるイベントが開かれていた。 -
折角なので、近くにあった茨城県近代美術館に立ち寄ったところ菱田春草の「落葉」や横山大観の作品などが展示されていた。
他にもオーギュスト・ロダンの彫刻「三つの影」が展示されており、とても迫力のある作品であった。
その後、51号線→6号線を使って再び北上した。 -
この旅行を思い立った理由である「頭の中のモヤモヤの解消」を考える上での糸口として、有名な解剖学者の養老孟司氏が、自著「唯脳論(ゆいのうろん)」の中で使った「脳化社会」という言葉がある。
なかなか難しい内容であったが、「唯脳論 [ちくま学芸文庫]」の中から、「脳化社会」の説明としてP248の一文を以下に引用する。
建築物であれ、道路であれ、街路樹であれ、室内の種々の設備であれ、すべてはヒトの脳が作り出し、あるいは配置したものである。人工物以外のものは、そこから排除される。ここでは、脳はもっぱら脳の産物に囲まれ、オトギの国に暮らす。 -
そのような社会では何が問題になると言うのだろうか?
その説明を、P249の一文から以下に引用する。
社会は暗黙のうちに脳化を目指す。そこではなにが起こるか。「身体性」の抑圧である。 -
「ホテルセレクトイン いわき駅前」に宿泊し、その翌日には49号線を使って猪苗代湖に到着。
この近くのペンションに、2011年の暮れに出頭した平田信容疑者が潜伏していたそうだが、平田信は良心を教団に預け、それを利用された犠牲者だったのではないかとも思った。
だからといって、犯罪に加担した罪が許されるものではないが。 -
49号線→115号線→459号線を使って五色沼に向かう途中で撮影。
-
僕が小さかった頃は、遊びの多様化が進み始め、カブトムシやクワガタを探す日もあれば、ファミコンで遊ぶ日もあった。
それが今では、昆虫と触れ合う環境は身近には無くなり、生活は人工物にあふれ、そしてネットの無い生活は考えられないものとなっている。
この滔々と変化していく時代の中に生きているという事自体は、喜ぶべきであると前向きに考えよう。 -
残っていた自然の中で生きていた記憶と、それが無くなった社会で生きている記憶の二つを持っているから、それが頭の中をモヤモヤとさせている、と思うのは考え過ぎだろうか?
養老氏は、「脳化社会」を打ち破るには、生身の自然体験が処方箋になると語ったそうだ。
そうして僕は、この旅行へと出かけることにした。 -
五色沼に到着。
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色とりどりの鯉たちが、気持ち良さそうに泳いでいた。
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燃えるような色で紅葉している。
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水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)の句碑。
「水漬きつゝ新樹の楊ましろなり」と書いてある。
楊(やなぎ)とは、春に花開いたコゴメヤナギを見たのだろうか? -
五色沼の近くにある諸橋近代美術館には、サルバドール・ダリの多くの作品やマルク・シャガールの「黄色と赤の花束」、パブロ・ピカソの「戦士」などが展示されていた。
中でも圧倒されたのは、ダリが描いた、縦3m x 横4mほどの大きさを誇る絵画「テトゥアンの大会戦」だ。
随所にダリの人生に因んだ数字も描かれていて、遊び心と力強さと夫人との絆が感じられる作品であった。 -
その後、「磐梯桧原湖畔ホテル」に宿泊。
iPhoneの電波がきていなかったが、そんな環境が解放的でもあった。
作者の名前は分からないが、敷地内には彫刻が何点かあった。 -
翌朝には霧が発生していたが、霧が晴れてきた時に撮影した一枚。
手前の湖が桧原湖(ひばらこ)で、左側の山が恐らく櫛ヶ峰で、右側の山がこれから登ろうとしている磐梯山。
あの山の頂上まで行くんだと思うと胸が躍る。 -
八方台登山口は有料道路(磐梯山ゴールドライン)の中にあるが、無料解放されていた。
いざ、登ろうとすると祠を見つける。
「熊とか出ませんように」と身の安全を祈った。 -
しばらく行くと、朽ち果てた建物を見つける。
周辺には、強い硫黄臭が漂っていた。
地面に目をやると、水たまりからブクブクとガスが発生していた。 -
登山中に沼(湖?)が見えたが、なんて名前なんだろう?
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約7ヶ月前、この地を襲った東日本大震災に思いを巡らす。
大震災による現地の被害や復興の状況は、テレビなどのメディアを介して日々伝えられている。
被災者の方の様々な感情も、選別され加工され二次的に伝えられる現代の社会。 -
被災地の映像を見ていると、人の苦痛というものを共有しづらくなっている、と思う時がある。
その苦痛は、どこで感じる事が出来るのか?
脳に痛覚は無いので、痛みを感じられるのは身体を通した脳なのだろう。 -
そう考えると、「身体性」を取り戻す事が大事であると思えるし、また、「脳化社会」を打ち破るには、生身の自然体験が処方箋になるという言葉にも得心がいく。
本当に人の痛みが分かる人間とは何だろうか?
それは、「脳化社会」に浸ること無く、その「身体性」を意識して生きている人間なのではないかと思う。 -
「身体性」を取り戻したら、あとは心の問題だ。
頂上には、一体何があるのだろうかと期待して歩を進める。
だが、頂上に近づくにつれ、天候は徐々に悪くなっていった。 -
久しく見ていなかったミミズとの邂逅を果たす。
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山小屋の「弘法清水小屋」に到着。
ここまでは、1時間20分ほどで辿り着いた。
山小屋の中で食べた、日清のカップヌードルや温かい飲み物が、いつもより美味しかった。 -
天候は相変わらずであったが、20分ほど休憩した後に装備を整え出発。
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この世の光景ではないような、異質な感覚に囚われながらも頂上を目指す。
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山小屋を出てから25分ほどして、やっと頂上が見えてきた。
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頂上には祠があった。
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標高は1819mとあるが、八方台の標高は1194mらしいので、高低差は625mってところか。
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何故、温泉のマークが記されているのだろう?
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ひとしきり、あちこちを見回った。
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しばらく頂上に座り込んだ。
頂上に辿り着いた筈なのだが、達成感・充実感などといったものは感じなかった。
ただ、身体が疲れただけだった。 -
天を仰ぐと、そこには頭の中のモヤモヤが具象化したような、分厚い雲が空を遮っていた。
雲がなければ、山頂からの素晴らしい景色が拝めた事だろう。
だけど、雲が晴れる気配は一向に無かった。 -
疲弊した身体にムチを打ち、下山を開始する。
達成感や充実感などといったものは無かったが、不思議と落ち着いた気持ちだった。
それが無い事が分かって満足したのだろう。 -
イチオシ
考えてみれば、それは大きな変化でもある。
頭の中のモヤモヤしたものが晴れたとは言い難いけど、
この行動は無駄ではなかったと感じる。
これからも、身体を使って能動的に行動する事を心がけたいと思う。
時間の都合上、それほど北上は出来なかったけど
また機会があれば旅行に行きたい。
早く暖かくなって、雪が溶けてくれないかな。
下山していた時に撮った写真が、
登っている時に撮った写真よりも、心なしか良く撮れていた。
この一枚が、より良い変化を予感させた。
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