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甲府には何度か来ていますが、武田神社を訪れたのは初めてです。<br />当時は、ほんとに広い居城であった。現在はその一部が神社になっている。<br /><br /><br />甲斐武田神社<br />http://www.takedajinja.or.jp/<br />戦国時代、武田信虎・信玄・勝頼の三代が住んだつつじが崎館(武田氏館)の跡地に、1919年(大正8)に建立された神社。祭神は信玄で、境内には重厚な造りの社殿、武田家ゆかりの武具や資料を収めた宝物殿などがある。館跡(史跡)は土塁の外側に堀が巡らされ、中世の領主の館としては規模が大きい。春は桜が美しい。<br /><br />この地は前面に甲府盆地を望み、背後に石翠寺要害山を控えた絶好の位置にあたります。<br />永正16年(1519年)晴信(信玄)の父信虎が石和川田より当地に館を移し、天正9年(1581年)信玄の子勝頼が新府に移るまでの六十三年間、甲斐の中心でした。<br />武田神社の拝殿脇には信玄公御使用井戸があります、ここが躑躅ケ崎館の中心部に掘られた井戸です。	<br />館の周囲には武田二十四将を始めとする諸将の屋敷が立ち並び、正に人は城、人は石垣、人は堀を為していた。 <br />

武田家の居城であった武田神社を詣でる

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2011/11/25 - 2011/11/25

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ムッシュ

ムッシュさん

甲府には何度か来ていますが、武田神社を訪れたのは初めてです。
当時は、ほんとに広い居城であった。現在はその一部が神社になっている。


甲斐武田神社
http://www.takedajinja.or.jp/
戦国時代、武田信虎・信玄・勝頼の三代が住んだつつじが崎館(武田氏館)の跡地に、1919年(大正8)に建立された神社。祭神は信玄で、境内には重厚な造りの社殿、武田家ゆかりの武具や資料を収めた宝物殿などがある。館跡(史跡)は土塁の外側に堀が巡らされ、中世の領主の館としては規模が大きい。春は桜が美しい。

この地は前面に甲府盆地を望み、背後に石翠寺要害山を控えた絶好の位置にあたります。
永正16年(1519年)晴信(信玄)の父信虎が石和川田より当地に館を移し、天正9年(1581年)信玄の子勝頼が新府に移るまでの六十三年間、甲斐の中心でした。
武田神社の拝殿脇には信玄公御使用井戸があります、ここが躑躅ケ崎館の中心部に掘られた井戸です。
館の周囲には武田二十四将を始めとする諸将の屋敷が立ち並び、正に人は城、人は石垣、人は堀を為していた。

  • 階段をあがり、鳥居を潜ると境内に至る。

    階段をあがり、鳥居を潜ると境内に至る。

  • 境内の参道です

    境内の参道です

  • 手水舎

    手水舎

  • 拝殿

    拝殿

  • 大手門を出た大手の外堀

    大手門を出た大手の外堀

  • 旧大手門

    旧大手門

  • 秋も深まれば、境内の銀杏、紅葉等の樹木が鮮やかに色づきます。

    秋も深まれば、境内の銀杏、紅葉等の樹木が鮮やかに色づきます。

  • 武田神社全体図

    武田神社全体図

  • 往時の武田居城を示す地図

    往時の武田居城を示す地図

  • 往時の居城を、現在の地図にあてはめたもの。現在の甲府駅北口に近い辺りまで、軍の居住区であったもよう。

    往時の居城を、現在の地図にあてはめたもの。現在の甲府駅北口に近い辺りまで、軍の居住区であったもよう。

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