2011/12/18 - 2011/12/18
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旅猫さん
二日目は、真田氏所縁の松代を歩く。松代を訪れる前に、一駅手前の金井山駅で降り、真田信之の墓と霊屋がある大鋒寺などを見て回る。松代は、真田昌幸の嫡男真田信之を初代とする松代藩10万石の城下町である。今回は、5時間掛けてのんびり歩いて来た。
(2024.01.03 投稿)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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翌朝、長野駅前の気温は氷点下3度。長野市より北では雪が降っているらしい。今日は、一日寒そうである。
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まずは、長野電鉄の長野駅から7時13分発の電車で須坂駅へと向かう。乗り込んだ電車は、つい最近まで東急田園都市線などで使われていた車両であった。
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須坂駅からは、7時54分発の屋代線に乗り換え、松代駅のひとつ手前の金井山駅へと向かった。その車両は、地下鉄日比谷線で使われていたものであった。六本木に先祖の墓があるので、この車両には、子供の頃から乗っていたので、嬉しい再会である。そして、金井山駅には8時12分に到着した。狭いホームに小さな待合所があるだけで、駅前は舗装されていない駐車場であった。
※屋代線は、現在、廃線となっています。 -
駅にあった案内板を頭に入れて歩き始めると、民家の庭先に、信州柴阿弥陀堂という御堂が建っていた。その御堂は、吉池彦四郎重行という武士により、先祖である吉池上総介重次が親鸞聖人より授かった真筆『十字名号』を本尊として開基されたものだそうだ。川中島の合戦の際には、武田信玄公も武運長久を祈ったとのこと。その御堂が建つ家は、吉池氏の子孫らしい。
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市街地を抜けると千曲川の河川敷へと出た。そこに、川中島の合戦で討死した武田信玄の軍師山本勘助の墓がある。その墓は、松代藩家老鎌原重栄と原正盛により、信玄公所縁の信州柴阿弥陀堂の境内であったこの地に移されたもので、千曲川の改修により、阿弥陀堂は移転したが、墓だけが残ったそうだ。墓の前には、NHKの大河ドラマ『風林火山』で勘助を演じた内野聖陽さん手植えの松もあった。
山本勘助(道鬼)墓 名所・史跡
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墓の前から川のほうへ歩いて行くと、そこは、川中島の合戦の際、海津城を出た武田軍が渡った広瀬の渡しがあった場所である。
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堤防の外側には、松代藩初代藩主真田信之の死後に建てられた大鋒寺がある。そこは、信之の隠居所があった場所であり、その書院跡には、信之の霊屋が建てられていた。
大鋒寺 寺・神社・教会
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大鋒寺の境内には、真田信之の墓もあった。その場所は、亡くなった信之の遺骸を荼毘に付した場所だそうだ。その宝篋印塔には、真田六文銭が刻まれていた。
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大鋒寺を後にして、駅へと戻る。途中で、玉ねぎを干している民家を見かけた。陽の光を浴びて、甘そうである。
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その先に、柴神社と言う社があった。地元の神様らしいので、遅ればせながら、お邪魔した挨拶をした。
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駅へ戻ると次の電車まで時間があったので、駅の反対側にある金井池へ行ってみることにした。金井池は、真田信之が舟遊びをしたという場所である。しかし、場所が分からず迷ってしまい、地元の方に尋ねてようやく辿り着けた。思ったよりも小さな池で、脇を長野電鉄屋代線が走っている。池に面した小高い山には、金井山城があったそうだ。
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9時43分発の電車で、隣の松代駅へと向かう。5分で到着した松代駅のホームからは、松代藩真田家の居城であった松代城跡が見えた。
旧松代駅 名所・史跡
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松代駅は、とても趣のある駅であった。随所に、古き良き駅の名残りがある。そして、木造の駅舎は、旅人を温かく迎えてくれる。
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その駅舎は、大正11年(1922)の開業時に建てられたもの。昨日訪れた新村駅も、9月に訪れた由利高原鉄道の子吉駅も大正時代に建てられたものだが、両者が惜しくも建て替えられる運命の中、この松代駅は、現役のままその使命を終えることになった。松代の人たちにとっては、鉄道が開通してから廃線となるまで、終始この駅舎が街の顔だったので、ある意味幸せだったのかもしれない。
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松代散策を始める。まず足を運んだのは、ホームから見えていた松代城跡である。松代を訪れるのは2回目。以前来た時は、土塁ばかりが残るだけであった城跡も、今はすっかり整備され、見違えるようである。南門跡から入ると、再建された太鼓門と前橋があった。太鼓門は桝形門で、手前の橋詰門(高麗門)の後ろには櫓門がある。
松代城跡 名所・史跡
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前橋の上からは、遠くに聳える尼巌山が見えた。その山には、戦国時代、尼巌城跡があったそうである。
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太鼓門を入ると本丸跡である。当時は本丸御殿が建っていたのだが、今は何も残っていない。北西の角に、戌亥隅櫓の石垣があり、登ることが出来るようになっていた。登ってみると、千曲川の向こうに、ぼんやりと北信五岳のひとつである飯綱山が望めた。
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松代城は、武田信玄が越後の上杉謙信との戦いに備え、山本勘助に命じて築かせた海津城が前身である。本丸跡には、海津城址之碑も建っていた。本丸には、搦め手にあたる北不明門がある。
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戌亥隅櫓の石垣を外側から見る。その石垣は、松代城跡の中でも古い時代のものだそうで、野面積みのようだが、より洗練された感じがする。
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二の丸北側の土塁に沿って内濠が続いていた。濠では、カルガモのつがいが仲良く泳いでいた。
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松代城跡を後にして城下町へと向かう。屋代線の踏切を渡ると、趣のある街並みが現れた。左手には新御殿と呼ばれた真田邸、右手には旧文武学校が建ち、このあたりは江戸時代とあまり変わらないのかもしれない。
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旧文武学校は、松代藩校として、嘉永6年(1853)に建てられたもので、安政2年(1855)に開校したそうだ。ここでは、藩士に学問と武道を教え、文学所、剣術所、槍術所など、当時の建物がほぼそのまま残っていた。
写真は、文学所(右)と西序。 -
剣術所では、地元の方たちが剣術の鍛練を行っていた。冬の凛とした空気の中、漂う気迫を強く感じた。
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旧文武学校を背にして右手は、真田勘解由家の屋敷跡である。真田勘解由家は、二代藩主真田信政の長男信就を祖とする家。本来なら三代藩主の座に就くはずだが、大名家に入るのを好まなかったそうで、弟の幸道が藩主となったそうである。兄弟を暗殺してでも当主の座に就こうとした時代にあって、類稀なる人であったようだ。
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真田勘解由家の向かいには、旧白井家表門があった。白井家は、松代藩の中級武士だったそうだが、それにしては立派な門構えである。弘化3年(1846)の建築であり、平成12年に表柴町から移築されたそうだである。
旧白井家表門 名所・史跡
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真田公園の方へ歩いて行くと、旧樋口家住宅がある。真田太平記でお馴染みの樋口角兵衛から続く家である。作中では真田家の厄介者であったが、史実でもかなり狂気であったそうだ。だが、子孫はしっかりと幕末まで残り、なかなかしぶといお家柄だったようだ。母屋の中には、立派な鎧が展示されていた。
旧樋口家住宅 名所・史跡
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そこから少し戻り、象山神社へと向かう。その途中には、大きな門が建っていた。その門は、藩の重役であった馬場家の長屋門であった。江戸後期に建てられたものであるが、綺麗に整備されていた。
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象山神社へと向かう道は、水路に沿い、風情があった。
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象山神社に参拝。その社には、幕末の思想家である佐久間象山が祀られている。松代藩士の中で、最も名の知れた人物であろう。彼は、徳川慶喜に公武合体論や開国論を説くなど、国の大局の話では力を発揮したが、人間関係は苦手であったそうだ。最後は、攘夷派の志士に京都で暗殺され、その生涯を終えた。
象山神社 寺・神社・教会
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境内には、佐久間象山の騎馬像が立っていた。評価がやや低い佐久間象山だが、弟子には、勝海舟、坂本竜馬、河井継之助、山本覚馬など、幕末に活躍した人物が多いのは、やはり、その思想に先を見つめるものがあったのだろう。それにしても、多くの人材が幕末に失われたのは、非常に嘆かわしい。尊王攘夷派の短慮が、この国のその後に影を落とした。
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象山神社の隣には、佐久間象山宅跡がある。京都で暗殺された後、屋敷は藩に取り上げられたそうだ。当時を偲ばせるものは、井戸のみであった。
佐久間象山宅跡 名所・史跡
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象山神社から南へ歩いて行くと、山寺常山邸に辿り着いた。山寺常山は、佐久間象山、鎌原桐山と並び、松代三山と称えられた人物である。常山は、八代藩主真田幸貫の信頼を得、寺社奉行、郡奉行などを務めたそうである。長屋門の前を水路が流れ、城下町の風情を感じる場所であった。
山寺常山邸 名所・史跡
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さらに歩いて行くと、右側に寺が見えてきた。その山門に、六文銭の幕が掛かっていたので、真田氏所縁の寺と分かり立ち寄ることにする。その寺は、恵明禅寺という名で、創建は延宝5年(1677)である。開基は、三代藩主真田幸道だそうだ。片隅に、宇和島藩主伊達宗利の息女で、幸道の正室であった豊姫の墓所と霊屋があった。ちなみに、山門は創建当時のものだそうである。
恵明寺 寺・神社・教会
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境内に、杏の古木があった。その樹は、豊姫が宇和島から持参したと云う鉢植えの杏の三代目だそうだ。善光寺平で杏が広く栽培されるようになったのは、この杏が始りだと云われているそうである。そう聞くと、杏好きとしては、とてもありがたいものに見えて来る。
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恵明禅寺の近くにある松代象山地下壕を探していると、とても長閑な風景に出会った。
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結局20分ほど迷い、ようやく入口を見つけた。松代象山地下壕は、太平洋戦争末期に、軍部が本土決戦のために密かに造っていたもの。象山の地下に碁盤目状の地下道が掘られ、その総延長は5,800m以上にも及ぶ。そのうち500m余りが見学できるようになっていた。
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中へ入ってすぐ、目の前に光る眼が見えた。何と、猫であった。こんな暗い場所にいるとは、さすが夜行性だけのことはある。
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照明は一応あるが、かなり暗く、湿気もある。観光客の多い季節ではないので、中で出会ったのは二組だけであった。奥のほうではずっと独りだったので、かなり不気味であった。
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地下道には、トロッコの枕木の跡がくっきりと残っている。ここは、昭和20年から時が止まっているのかもしれない。
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松代象山地下壕から道筋を変えて戻る。その途中で訪れたのは、旧横田家住宅である。そこは、郡奉行を勤めた中級武士の住宅で、母屋、表門、庭園、菜園などが、ほぼそのままの形で残っている貴重な例である。庭よりも畑の方が広いことから、江戸時代後期の武士の暮らしがよく分かる。
旧横田家住宅 名所・史跡
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母屋を庭の方から眺めると、茅葺屋根がとても美しかった。
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そこから東へと歩いて行くと、大英寺と言う寺があった。山門が立派なので立ち寄ってみると、その門と本堂は、真田信之の正室小松姫の霊屋として、寛永元年(1624)に建てられたもので、後に、この寺の本堂と山門に代用されたものだそうだ。どちらも長野県宝に指定されている。
大英寺 寺・神社・教会
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大英寺の東にあった大林寺にも立ち寄る。真田昌幸の妻である寒松院の発願により、上田に建てられた大輪寺が、真田家の松代移封の際に改称されたそうだ。墓地には、寒松院のほか、松代三山の鎌原桐山と山寺常山が眠っている。
大林寺 寺・神社・教会
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さらに歩いて行くと、立派な門構えの屋敷があった。旧前島家住宅であった。前島家は、上田以来、代々真田家に仕えていた武士で、この屋敷地は、松代移封の際に拝領したものだそうだ。主屋は、宝暦9年(1759)に建てられたもので、こちらも長野県宝に指定されている。
旧前島家住宅 名所・史跡
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道を北へと変えて長国寺へと向かう。途中の道筋には、趣のある街並みも僅かに残っている。それにしても、松代城下には寺が多い。佐久間象山の菩提寺である蓮乗寺や、真田幸隆の義父である海野棟綱の菩提寺である願行寺などもあった。
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そして、しばらく歩くと、真田家の菩提寺である長国寺に着いた。その本堂の屋根には、真田六文銭が付けられている。松代には、屋根の天辺に六文銭を掲げた寺がいくつかあった。
長国寺 寺・神社・教会
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本堂の屋根に、よく見ると変わった飾りが載っていた。その意匠は、真田家の家紋のひとつである『結び雁金』である。
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その本堂裏手には、開山堂があった。元は、三代藩主真田幸道の霊屋として建てられたもので、明治5年の火災の後に、開山堂として移されたそうだ。建立されたのは、享保12年(1727)である。
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庫裡で拝観をお願いし、本堂裏手の奥にある真田信之霊屋を案内していただいた。その霊屋は、万治3年(1660)に建立されたもので、明治の大火でも焼失を免れた貴重な建物である。
真田信之霊屋 名所・史跡
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建物には見事な細工が施してあったが、中でも、霊屋正面の破風に彫られた鶴は、かの左甚五郎の作だそうだ。現存する江戸初期の大名の霊屋として、これほどの装飾が施してあるのは、ここだけではないだろうか。伊達政宗の霊屋が現存していれば別格だが、あちらは復元したものなので、この霊屋のほうが貴重であるのは間違いない。
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隣には、四代藩主真田信弘の霊屋もあった。こちらは、元文元年(1736)に建立されたものだそうだ。明治初期までは、先の幸道霊屋のほか、二代真田信政と幸道の生母松寿院の霊屋もあったが、ともに移築され、松寿院の霊屋のほうは焼失してしまったそうである。5棟が建ち並ぶ光景は、見事であったことだろう。
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真田信之の霊屋と比べると彫刻などは質素であるが、それでも見事なものである。当時の大名家の威勢を物語るものだ。
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霊屋の裏手には、真田家歴代の墓所もあったが、こちらは修復工事中で立ち入りが出来なかった。
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そろそろ松代散策もお仕舞いである。駅へと戻り始めると、本殿が濠に囲まれた神社があった。祝神社と言う社であった。本殿も拝殿も国の登録有形文化財で、文化9年(1812)に建立されたものだそうだ。地元では、産土神として親しまれているそうである。
祝神社 寺・神社・教会
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最後に旧松代藩鐘楼を見ようと思ったのだが、残念ながら修復工事中であった。その近くに、松代藩の筆頭家老格であった矢沢家の表門があった。城門のような構えの門は、寛政4年(1792)に建てられたものだそうだ。矢沢家は、武田信玄に仕えた真田幸隆の実弟矢沢頼綱とその子頼康の活躍により、幕末まで松代藩での最高の家格を保てたと言えるだろう。
矢沢家の表門 名所・史跡
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まだ時間があったので、真田邸の方へと歩いて行く。すると、右手に立派な冠木門が見えて来た。その屋敷は、代々松代藩の次席家老を務めた小山田家のものであった。小山田家は、武田信玄に仕えた小山田備中守の子孫と云われてるが、近年では、その一族ではないかと言う説もあるらしい。
小山田家住宅 名所・史跡
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小山田家のすぐ南側に、恩田木工邸跡と言う場所があった。そこには、恩田木工邸跡民親の像が立っていた。彼は、江戸中期の松代藩家老で、藩の財政再建に尽力したそうである。
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新御殿と呼ばれた真田邸は、小山田家の少し先にあった。時間が無かったのでゆっくりとは見学出来なかったが、まさに屋敷と言った感じの佇まいで見応えがあった。建てられたのは元治元年(1864)で、松代城跡で唯一現存する建物だそうだ。
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真田宝物館にも少し立ち寄った後、松代駅へと戻った。ホームへ出ると、もう夕暮れ時である。この駅に電車が来るのも、あと僅かである。旅情と郷愁を感じさせてくれる木造の駅舎は、廃線となった後はどうなるのだろうか。それにしても、寂しい限りである。
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15時57分の電車で松代駅を離れ、終点の屋代駅で下車。この駅に降り立つのは、三度目である。ホームにある待合室は、とても年季が入っていて良い感じである。だが、このホームもこれで見納めである。
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隣接するしなの鉄道のホームで列車を待つ。そこから、長野電鉄屋代線の屋代駅が良く見える。木造の跨線橋にトタン屋根。時が止まったかのような佇まいに、温か味を感じる。
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16時32分発の小諸行に乗車。途中の上田駅で降り、最後は17時03分発の『あさま540号』に乗り換え、この旅を締め括った。上田は、松代に移封されるまで、真田家の本拠地であったところ。旅の最後に相応しい場所であった。そして、今回の旅では、鉄路の旅情とローカル線の風情を満喫した旅でもあった。
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この旅行記へのコメント (6)
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- 吉備津彦さん 2012/04/01 10:29:14
- 私も行きました。
- 幸村は兄信幸が真田の家名を存続してくれているので大坂夏の陣で思い切り死花を咲かせることができたのだと思います。
http://4travel.jp/traveler/masterhiro/album/10336493/
- 旅猫さん からの返信 2012/04/01 21:04:28
- RE: 私も行きました。
- 吉備津彦さん、こんばんは。
書き込みありがとうございます。
真田氏といえば、NHKの真田太平記が記憶に残ります。
真田信之は、戦国武将として後世に名が残った父・昌幸や弟・信繁の陰に隠れたような感じですが、家名を残すために、困難な時代を乗り切った名君だと思います。
旅猫
-
- hot chocolateさん 2012/02/11 22:13:15
- 真田ゆかりの町♪
- 旅猫さま、こんばんは〜
松代は真田家ゆかりの町ですね。
実は真田好き♪
大分前に、海津城に行きましたが、その時はこんなに整備されてなかったような・・・
軍師の山本勘助の築城といわれていますね。
関ヶ原の戦いの後、真田信之の居城となって、松代藩の城下町・・・
さすが真田昌幸は策士ですね、関ヶ原の戦いでは、嫡男信之は家康の味方をして、
真田の家名を後世に伝え、(信之の妻は本田忠勝の娘ですよね)
自分と信繁は西軍に加勢をして、華々しく戦い、散って、その名を残した。
(華々しく散って、後世に名を残したのは信繁の方かも・・・)
その旅行の時、生島足島神社に立ち寄りました。
今から400年も前の古文書が残っていて、川中島での決戦を前に武田信玄が必勝を祈った「願文」や
家臣団に忠誠を誓わせた「起請文」、また、真田昌幸、信之父子の「朱印状」など数多くありました。
昔の武将の真筆や血判が生々しかったです。
あ、自分の旅のことばかり書いてすみません。(汗)
あぁ、また六文銭の城下町に行きたくなりました。
hot choco
- 旅猫さん からの返信 2012/02/15 19:32:33
- RE: 真田ゆかりの町♪
- hot chocolateさん、こんばんは!
いつもありがとうございます。
hot chocoさんは、真田好きだったのですね!
それも、かなり歴史にお詳しいご様子。
私も歴史はかなり好きです。
特に、平安後期から戦国時代中期までがお気に入り。
海津城跡は、以前近くを通った時は整備前でした。
すっかり綺麗になりましたが、なかなか良い感じですよ。
勘助のお墓にも立ち寄れて満足です。
真田は幸隆、昌幸と策士として有名な家ですが、長篠で討死した信綱、昌輝をはじめ、信繁など、勇将も多いですよね。
NHKの『真田太平記』は面白かったです。
生島足島神社ですか!
一度訪れたいと思っていた神社です。
やっぱり血判とか生々しかったですか。
ん〜、やっぱり行ってみたいなぁ。
上田にも一緒に立ち寄って。
旅猫
-
- たらよろさん 2012/02/04 13:20:50
- 凛とした空気感
- こんにちは、旅猫さん。
剣道シーンがズバリ合う静けさですね。
体育館の凛とした空気感が心地いい。。。
雪がこの時は無いのね〜って思ったけれど、今は大雪に囲まれているのかな?
ところで、私は長野県には何度もいったことがあるのですが、
松本や諏訪、軽井沢などの南側ばかりで、
長野市に行ったことがありません。
今年は上高地に立ち寄って、長野市に行ってみたいなぁ、、と思ってます。
あっ、でも賑やかな夏ですが(笑)
たらよろ
- 旅猫さん からの返信 2012/02/06 22:14:42
- RE: 凛とした空気感
- たらよろさん、こんばんは。
いつもありがとうございます!
剣道のシーンは、松代藩の藩校・文武学校の剣術所です。
地元の方が、剣術の稽古中でした。
静かなのに、とても気迫を感じました。
松代辺りはあまり積もらないみたいですよ。
まあ、今年は積もっているかもしれませんけど(笑)
長野市は、善光寺さんがありますよね。
戸隠が近いので、お蕎麦でもいかがですか?
ちなみに、上高地は松本が玄関口ですよ!
旅猫
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