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東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある全真言宗の総本山、根本道場であり、東寺真言宗総本山の寺院。「教王護国寺」とも呼ばれる。山号は八幡山。本尊は薬師如来。<br /><br />東寺は平安京鎮護のための寺院として計画された後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。<br /><br />何度かの火災を経て、東寺には創建当時の建物は残っていないが、南大門・金堂・講堂・食堂(じきどう)が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままである。<br /><br />金堂<br />国宝。東寺の中心堂宇で、諸堂塔のうちもっとも早く建設が始められ、東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)までには完成していたと推定される。現存の建物は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の寄進によって再建したもので、奉行として片桐且元が任にあたった。入母屋造本瓦葺きで、外観からは二重に見えるが一重裳階(もこし)付きである。建築様式は和様と大仏様(天竺様)が併用され、貫や挿肘木を多用して高い天井を支える点に大仏様の特色が見られる。<br />内部は広大な空間の中に本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されている。<br /><br />講堂<br />重要文化財。金堂の背後(北)に建つ。天長2年(825年)空海により着工、承和2年(835年)頃完成した。当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆による火災で焼失し、室町時代の延徳3年(1491年)に再建されたのが現存する講堂である。単層入母屋造で純和様である。金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来を中心とした密教尊を安置する。すなわち、須弥壇中央には大日如来を中心とする五体の如来像(五仏、五智如来)、向かって右(東方)には金剛波羅密多菩薩を中心とする五体の菩薩像(五大菩薩)、向かって左(西方)には不動明王を中心とした五体の明王像(五大明王)が安置されている。また、須弥壇の東西端にはそれぞれ梵天・帝釈天像、須弥壇の四隅には四天王像が安置されている。以上、全部で21体の彫像が整然と安置され、羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)を構成している。これら諸仏は、日本最古の本格的な密教彫像であり、全体の構想は空海によるものとされる。21体の仏像のうち、五仏(重要文化財に指定)のすべてと五大菩薩の中尊像は室町時代から江戸時代の補作であるが、残りの15体は講堂創建時の像で、平安時代前期を代表する密教彫像として国宝に指定されている。<br /><br /> 五重塔<br />国宝。東寺のみならず京都のシンボルとなっている塔である。高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇る。天長3年(826年)空海により、創建着手にはじまるが、実際の創建は空海没後の9世紀末であった。雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられたものである。初重内部の壁や柱には両界曼荼羅や真言八祖像を描き、須弥壇には心柱を中心にして金剛界四仏像と八大菩薩像を安置する。<br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />東寺については・・<br />http://www.toji.or.jp/<br />

京都錦秋11 東寺=教王護国寺 空海の教え伝えて ☆旅の終わりに

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2011/11/26 - 2011/11/26

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マキタン2

マキタン2さん

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある全真言宗の総本山、根本道場であり、東寺真言宗総本山の寺院。「教王護国寺」とも呼ばれる。山号は八幡山。本尊は薬師如来。

東寺は平安京鎮護のための寺院として計画された後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。

何度かの火災を経て、東寺には創建当時の建物は残っていないが、南大門・金堂・講堂・食堂(じきどう)が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままである。

金堂
国宝。東寺の中心堂宇で、諸堂塔のうちもっとも早く建設が始められ、東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)までには完成していたと推定される。現存の建物は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の寄進によって再建したもので、奉行として片桐且元が任にあたった。入母屋造本瓦葺きで、外観からは二重に見えるが一重裳階(もこし)付きである。建築様式は和様と大仏様(天竺様)が併用され、貫や挿肘木を多用して高い天井を支える点に大仏様の特色が見られる。
内部は広大な空間の中に本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されている。

講堂
重要文化財。金堂の背後(北)に建つ。天長2年(825年)空海により着工、承和2年(835年)頃完成した。当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆による火災で焼失し、室町時代の延徳3年(1491年)に再建されたのが現存する講堂である。単層入母屋造で純和様である。金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来を中心とした密教尊を安置する。すなわち、須弥壇中央には大日如来を中心とする五体の如来像(五仏、五智如来)、向かって右(東方)には金剛波羅密多菩薩を中心とする五体の菩薩像(五大菩薩)、向かって左(西方)には不動明王を中心とした五体の明王像(五大明王)が安置されている。また、須弥壇の東西端にはそれぞれ梵天・帝釈天像、須弥壇の四隅には四天王像が安置されている。以上、全部で21体の彫像が整然と安置され、羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)を構成している。これら諸仏は、日本最古の本格的な密教彫像であり、全体の構想は空海によるものとされる。21体の仏像のうち、五仏(重要文化財に指定)のすべてと五大菩薩の中尊像は室町時代から江戸時代の補作であるが、残りの15体は講堂創建時の像で、平安時代前期を代表する密教彫像として国宝に指定されている。

五重塔
国宝。東寺のみならず京都のシンボルとなっている塔である。高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇る。天長3年(826年)空海により、創建着手にはじまるが、実際の創建は空海没後の9世紀末であった。雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられたものである。初重内部の壁や柱には両界曼荼羅や真言八祖像を描き、須弥壇には心柱を中心にして金剛界四仏像と八大菩薩像を安置する。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

東寺については・・
http://www.toji.or.jp/

同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
新幹線
旅行の手配内容
個別手配

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