2011/12/02 - 2011/12/08
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アルデバランさん
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「富士山2度登るバカ」と言いますが、夏目漱石は留学時の経験をもとにして書いた短編小説「倫敦塔」の冒頭で、
『塔の見物は一度に限る』と言ってます。
退屈だという意味ではなく、『一度で得た記憶を二返目に打壊わすのは惜しい、三たび目に拭い去るのはもっと残念だ。』ということです。
我輩は2度目ですが一度で得た経験はかなり忘れたのでまた訪れてみましょう。
もっとも、漱石の場合はだいぶ下調べして楽しみにしていたのか倫敦についてから3日目に訪れましたが、我々は2日目です。
案内役は経験豊富なM先生夫妻にお願いしました。
英国の歴史を煎じ詰めれば、倫敦塔の歴史だということですが行ってみましょう…
大まかな日程
・12月2日 午後:ロンドン着 夜:大英博物館
・12月3日 午前:ホワイトホール 午後:ロンドン塔、stポール大聖堂、大英図書館
・12月4日 午前:グリニッチ 午後:コートルード、ウオレスコレクション
・12月5日 オックスフォード、ブレナム宮殿
・12月6日 コッツウオルズ巡り
・12月7日 コッツウオルズ巡り、M先生宅訪問
・12月8日 午前:キューガーデン 午後:ウインザー城 帰国
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
12時にセント・マーチン・イン・ザ・フィールズ教会で落ち合って、早速昼食にします。
-
ナショナル・ギャラリーの1階にもいい店がありますが、今回は教会の地下にそのまま降ります。
-
宿で朝飯のシリアルとパンを腹一杯に詰め込んだので、あまり入りません。
でも、ボリューム満点の本日のスープとプディング… -
クリプトなんで、床はコンクリのスラブだけではなく、こんな物の上を歩きます。
-
50分ほど時間を掛けて昼食を楽しんだ後、近くのチャリング・クロス駅まで歩きます。
駅の前にあるこの塔チャリング・クロスは日本橋と同じように、ここを基点に方角と距離が表される、ロンドンの中心です。
昔この塔は、先ほど散歩したホワイトホールのチャールズ1世騎馬像の所にあったそうです。 -
チャリング・クロス駅の横を通ってテムズ川沿いにあるエンバンクメント駅に向かい、地下鉄でロンドン塔へ行きます。
-
ロンドン塔に近いタワー・ヒル駅に着きました。ロンドン塔を左手、現在建築中のレンゾ・ピアノの「ザ・シャード」を正面に見ながらチケット売り場に向かいます。
この辺りはタワー・ヒルの名が示すようにロンドン塔より一段高くなっており、塔に幽閉された罪人の処刑場としてあまたの血が流れた場所です。
見物の見晴らしもよかったんでしょうね… -
ロンドンはローマ皇帝クラウディウスのブリタニア侵攻の際に蛇行する川沿いのこの地の重要性を見越してここに砦を築いたのが始まりです。
ローマ人は鼻が利いて伝統的に場所の見極めが上手かったから…。なんせ彼らの鼻はローマンノーズだから…
そして、このテムズ川に沿って建つタワー・オブ・ロンドンは1066年のムッシュ・ウイリアムがロンドン防衛のために要塞を築いたのが始まりです。 -
そんなことを思いながらテクテク歩いてチケット売り場に着きました。
-
た、高い!
博物館とかはタダになったけど王室財産の方は財政難なのでしょうねきっと。ガッチリ取ります… -
右奥にはテムズ川のタワーブリッジの塔も見えます!
漱石は大英博物館近くのスタンレー・ホテルから、この「塔橋」と及ぶタワーブリッジ経由でロンドン塔に来ました。
100年以上前ですが既に地下鉄は通じてましたが、「どこへ連れて行かれるかわからない」と言って右も左も分からないロンドン市内をテクテク歩いて来たのでした。
では行ってみましょう。 -
かつての堀は芝生で青々としています。
-
入口の門をくぐります。
漱石が「石油タンク」と呼んだバイワード・タワーです。 -
コスプレしてるおっさん見っけ…
-
漱石をして「罪人たちにとってテームス川は三途の川でこの門は冥府に通ずる入り口」と言わしめた逆賊門。
テムズ川から水路でつながっており、かつてここを罪人は舟に乗って入ったそうです。
ここから入った者は二度と出られないということですが、実際には釈放されて生き延びたに人々が大半だったそうです。
でも、それじゃあ面白くないよね。ガイドもここぞというばかりに大げさに説明します… -
この門は別名セント・トーマス・タワーと言います。テユーダー様式の綺麗な建物です。
カンタベリー大聖堂で暗殺されたトマス・ベケットを祀る礼拝堂があるので、そのような名前で呼ばれています。
ここは観光ポイントなのか帽子と濃紺に赤の制服のヨーマン・ウオーダー・オブ・ザ・タワー、通称「ビーフ・イーター」の名調子を大勢の人が聞いてました。
案内してくれたM先生夫人によるとここから塔に上って、ぐるっとロンドン塔の外壁を一周(1キロ)できるそうです。
一人旅だったら行きましたが、4人連れだし、時間もないしあきらめます… -
ブラッディー・タワー「血塔」をくぐると漱石が「天守のような白塔」と呼んだホワイト・タワーです。
でも、混んでるかもしれないからと先に奥にあるジュエル・タワーの「ウオータールー・バラック」に向かいます。 -
ジュエル・タワーに行く途中、左手に断頭台跡があったはず、と思って行ってみると。
タワー・グリーンの真ん中にそれはありました。以前はこんな立派な物ではなくて、剽軽な人が首を差し出せるような石碑だったのですが…
ヘンリー8世に処刑されたアン・ブーリンやキャサリン・ハワードもさることながら、漱石が倫敦塔で取り上げたのはドラロッシ描くところの「レディ・ジェーン・グレーの処刑」です。
『「わが夫ギルドフォード・ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く。肩を揺り越した一握りの髪が軽くうねりを打つ。坊さんは何も言わずにいる…』 -
漱石曰く『白塔を出てボーシャン塔に行く。途中に分捕りの大砲が並べてある…』
まさか、これらじゃあないよね。
一番向こうのはなんか不似合いですよね、祝砲用ですか? -
運の良いことにガラガラで空いてました、ジュエル・タワーの「ウオータールー・バラック」ワーテルローの英雄ウエリントンがロンドン塔の長官時代に建てた宝物館ですので「ウオータールー」
バラックとは名ばかりの全体が金庫のような頑丈かつ厳重な警備で写真なんぞ持ってのほかです。
なんせ、中に入ると、金ぴかの大皿などの食器。挙句の果てに塩入れまでゴールド…
さらには500カラットのダイヤモンド「アフリカの星」が埋め込まれた笏やビクトリア女王の「インペリアル・ステート・クラウン」他、数々の王冠…
すいていたので王冠のところは二往復しました。
上野動物園のパンダ館のように一方通行なのです… -
数々の宝石にため息をつきながらウオータールー・バラックをでると、ヒヒが!
ここ、ロンドン塔はヘンリー3世の1200年代からすでに動物園まであったというけど。
なにせ、各国からいろんな動物がプレゼントされたようで… -
『ビーフ・イーターと云うと始終牛でも食っている人のように思われるがそんなものではない。彼は倫敦塔の番人である』(漱石)
ビーフ・イーターはロンドン塔で君主の世話をしたり護衛したりする人たちのことで、正式名称「ザ・ヨーメン・ウオーダーズ・オブ・ザ・タワーオブ・ロンドン」
赤ばらと白バラのどっちがきれいかで二つに分かれて戦ったばら戦争終結後の国王ヘンリー7世が創設しました。
なんせ、内戦が終わったばかりで油断できなかったから…
でも、今は観光ガイドしてます -
そして、ホワイト・タワーに戻ってきました。
漱石曰く『白塔は塔中のもっとも古きもので昔の天守である。四方に角楼が聳えて所々にはノーマン時代の銃眼さえ見える』
銃眼?見えないですねぇ。
その代り窓は半円アーチのノルマン様式ですね。 -
ロンドン塔はイングランドの都の城塞としてウイリアム1世が1078年に築城に着手したと言われており、ノルマンコンクエスト以来10年後です。
10年間は各地の防備を固めるのに忙しかったんですね。
それまでは木造の城塞を各地に何十と造ってきたのですが、ここには本格的な石造りの城ホワイトタワーを建てました。
そして、城の周りに城壁を築くのですが、東側は残っていたローマ時代の城壁をそのまま利用しました。
それがこれです。ということは当初のロンドン塔は今の何分の1かの規模だったということです。 -
さあ、ホワイト・タワーに入ってみましょう。
南側に傾斜している所に建てられているので、南面から見ると一階に見えるところは地下です。
外につけられた木の階段を上がって1階に入ります。 -
階段の途中に石段があり何やら絵があります。
南側の階段下というと…
13歳でここに閉じ込められ、その後ようとして行方がわからなくなってしまった
エドワード5世と弟のリチャードの骨が約200年後に見つかった場所に違いありません。 -
階段の踊り場は高いので南西側がよく見えます。
左側にブラッディタワー、その右側にチューダー様式のクイーンズ・ハウスです。
さっ、中に入りましょう… -
入るとまず驚かされるのは甲冑の数々です。
人だけでなく馬まで着せられてご苦労様… -
そして、これこそが我らがヘンリー8世の堂々たる甲冑です。
こーゆーのは「つるし」なんぞないから、みなオーダーメイドなんでしょうね。
股間を覆う、ピースコッドが一際立派にできてますが、さすがヘンリー8世!、これも採寸したのですねと感心してはいけません。
マクシミリアン式甲冑と言ってドイツのマクシミリアン1世が甲冑師に命じて作らせた、鉄板の軽量化を図った実用的で画期的な甲冑で、基本的にこのような形をしているのです。
結構若いころのものでしょうね。
歳とってから、彼はぶくぶく肥ったから。 -
隣にあったのは息子のエドワード6世の甲冑です。
15歳で夭折したエドワード6世の13歳の時の甲冑だそうで、父ちゃんがドイツから甲冑師を呼びよせて作ったグリニッチの甲冑工房での製作ということです。
父ちゃんと違ってエドワード6世はひ弱で甲冑どころじゃなかったんですけどね… -
おおっと、ジェームス1世が家康の求めに応じて関ヶ原に出陣しようとした和式の甲冑…
なんてことはないですよね。
説明書きによると徳川秀忠がジェームス1世にプレゼントした父ちゃんの家康が着用した鎧。
お返しにジェームス1世は母ちゃんのスコットランド女王メアリーが着た服をプレゼント、しないか… -
こちらはチャールズ1世
先ほどのヘンリー1世のと比べるとずいぶん見劣りがします。
チャールズ1世は小さかったんですね。 -
これはオリバー・クロムウェルの剣です。
-
こちらはおなじみの肖像画が並んでますが、ハノーバー朝からの歴代君主のサーベルです。
さすがにビクトリア女王はいません。 -
ホワイト・タワー内にメリーゴーランドが!
というわけではありません。
君主の甲冑だけでなく馬の甲冑も展示されてます。 -
ロンドン塔を俯瞰できるミニチュアもありました。
-
ノルマンという文字からすると建設当時のものでしょうね。
横の消火器も?
まさか… -
壁は石造りですが柱や梁、床は木造です
2階に上がると、そのホワイトタワーはいかにして建てられたかを映像で説明していました。
しばし椅子に座ってお勉強。
(実は休憩…) -
部屋の片隅につけられた木製の階段を上がりますが、それとは別に四隅の塔のうち南東側はセント・ジョンズ・チャペルですが、他の3か所の塔には石段があります。
-
ホワイトタワーが王室の居城として使われたのは中世までです。
チューダー朝時代、宿敵フランスや親戚のスペインでは君主は華麗な宮殿に居を構え、外交使節の訪問や大宴会にここロンドン塔はだいぶ見劣りするようになりました。
見栄っ張りのヘンリー8世は大司教ウルジーから取り上げたハンプトンコート宮殿やセント・ジェイムス宮殿を使用して、ロンドン塔は牢獄や単なる武器庫にしてしまいました。
このように武器のコレクションを展示して観光施設にするというアイディアは浮かばなかったようですね。 -
またまた家康です。
見事に象嵌された鐙と備前政光の命がある太刀が展示されてました。 -
さすが、武器庫だけあってこんなものもあったんですね。
展示してある品々に何の脈絡も統一性もありません… -
今度は南西側に設けられた石段上がって3階に。
-
極めつけはこれです。
鉄兜や鎧や銃を使ってこんなものを作る神経がわかりません。 -
そしてありました。
単純にして明快。
アン・ブーリンは斧ではなく特別にフランス製の剣で斬首されたというからこれじゃあないですね。 -
3階は体験コーナーもありました。拷問とか処刑の体験はできませんが…。
いかに力を必要とするか、弓をひいたりすることができます。 -
ロンドン塔は一時造幣局も兼ねてた関係からでしょうか、様々な時代のコインが展示してありました。
なにせ、ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンの娘ブラッディ・メアリーは母ちゃんの故郷スペインの18歳も年下のフェリペ2世と破格の条件で結婚したから、
銀貨の材料には困りませんでした。
スペインも借金で大変だったけど… -
次に向かったのは漱石の言う「血塔」ブラッディ・タワーです。
-
エリザベス1世の廷臣にして探検家、歴史家、軍人のウォルター・ローリー卿が幽囚の際万国史の草を記した居室が再現されてした。
漱石はなぜか見れなかったと書いてます。
オルター・ロリー卿はアメリカ植民地の開拓に力を入れ、その地は女王からヴァージニアという名称をもらいました。
そしてお土産に持ち帰ったのが、ジャガイモとタバコです…
でも、女王の女官と秘密に結婚したのが女王にばれてあえなくロンドン塔送り。 -
エリザベスの次のジェイムズ1世の時も反逆罪でここに13年の長きにわたって幽閉。
でもあらゆる層の人たちに人気があったのでわりと自由な幽閉生活で、
ジェイムス1世の皇太子ヘンリーのためにここで書いたのがこれ「万国史」(「世界史」)
期待の星ヘンリーはウォルター卿を尊敬してましたが若くして亡くなってしまい、あのチャールズ1世が後を継ぎました…
ウォルター卿はその後南米に金鉱を見つけに行きましたが、よせばいいのに「見つけられなかったらその場で首をはねてくれてもいい」なんて約束するから… -
一転してこんどはいろいろ説明書きがたくさんあります。
幽閉された主人公は誰かというと、ばら戦争末期、ヨーク家の13歳の若き王、エドワード5世と弟のリチャードの二人です。
王の座を狙う叔父のリチャード3世によってここに幽閉されたのち謎の死をとげた二人。
いったい誰が犯人なのでしょう? -
誰が下手人か投票するコーナーがあり、リチャード3世の人気たるや抜群です。
対抗馬のヘンリー7世は兄弟の姉のエリザベス・オブ・ヨークと結婚し赤バラ、白バラの喧嘩に終止符をうったし、王座を狙っていたからだということで
彼も容疑者扱いです。 -
入場してすぐに仰ぎ見た逆賊門(トレイターズ・ゲート)の上、セント・トーマス・タワーの内部です。
歴代の王のうち賢王と評判の高いエドワード1世が建てました。 -
次はウェイクフィールド・タワーです。ここはエドワード1世の父ちゃんのヘンリー3世が新しく建てた王の居室です。
ヘンリー3世はこのロンドン塔をもっとも劇的に改修したその人です。
それにしても、でっかい暖炉ですねェ。
冬はよっぽど寒かったに違いありません。 -
い、居ました!ヘンリー3世ですか?
奥さんは美人の誉れ高いエレノア・オブ・プロヴァンス!
なんせ、嫁いだとき13歳… -
あれれ?画像に移っているのはヘンリー3世ですね。
左の奥にこれが?というほど簡素な玉座も見えます。
叔父さんのリチャード獅子心王が最初に使った3頭のライオンの図柄はその後、王室の紋章に使われることになりました… -
ヘンリー3世はウエストミンスター寺院の大改修も行なったほど信仰厚き王だったので、この居室の片隅に礼拝堂まで設けました。
-
漱石は倫敦塔に行く前に出来たばかりのこのタワーブリッジの上からテームス川を眺めました。
かなり大回りしたんですね。
『壁土を溶かし込んだように見ゆるテームスの流れは波も立てず音もせず無理やり動いているかと思わゆる。
帆懸舟が一隻塔の下を行く… 伝馬の大きいのが二艘上がって来る』
見渡したところ時が止まったようにすべてのものが静かだといだということですが、
今日は帆懸舟でも伝馬でもなく高速艇のスキッパーが豪快に通過してます… -
ジョン欠地王の後を継いだヘンリー三世は13世紀半ば、このロンドン塔の改修、増築に注力しました。
すなわちホワイトタワーと周りの城壁だけでしたが、この城壁を取り払い拡張したうえで、
城郭要素の強いタワーを四方八方に配し互いに城壁で結び、さらにその外に外濠としてテムズ川の水を引き込みました。
そして、その城壁上にはこのように透明人間に鎧を着せて防備にあたらせ、呼び止めるのです。
『そこにいるのは誰か』 -
ソルトタワーは処刑者の中で最も美しいと言われる九日間女王のジェーン・グレーがビーシャムタワーとともに幽閉されていた場所で、
白衣の彼女の亡霊が現れるという場所です。きっと、ドラローシュの「レディ・ジェーン・グレー」の見すぎでしょうね。 -
そしてタワーに幽閉された人々は壁に様々なことを刻字しました。
ある者は信仰を、ある者は罪の無実を、ある者は愛する人の名前を…
漱石も言ってます。
『百代の遺恨を結晶したる無数の紀念を周囲の壁上に認むるであろう』 -
各タワーには弓をひいたり、拷問道具を手に取ったり、こうして鉄兜をかぶったりの体験コーナーがあります。
-
お、お嬢さんもへんしーん…
-
そろそろ引き上げようかとウェイクフィールド・タワーの下にやってくると、向こうに人だかりがしてました。
何かと見ると… -
最近はマシンガンなのですね…
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この旅行記へのコメント (3)
-
- わんぱく大将さん 2012/01/08 08:52:12
- ロンドン塔
- アルデバランさん
実は、実は、16年もロンドンにいて、入ったことのないロンドン塔。それも、それも、旅行業にいたのに。
大将
- アルデバランさん からの返信 2012/01/08 21:38:30
- RE: ロンドン塔
- 大将様
ロンドン塔行かなかったんですか…
静岡県人が富士山登ったことない、あるいは
京都市民が金閣寺行ったことない、とかと、おんなじですね…
ちんけな城といえばそれまでですが、「THE TUDORS」の影響もあり
良かったですよ。
それにしても、カタルニアの大便人形いいですね。
娘に見せたら大うけでした。
「欲しい」と言ってます。
人形買いにスペイン行きたい、など言い出したらどうしよう…
- わんぱく大将さん からの返信 2012/01/09 00:59:38
- RE: RE: ロンドン塔
- > 大将様
>
> ロンドン塔行かなかったんですか…
> 静岡県人が富士山登ったことない、あるいは
> 京都市民が金閣寺行ったことない、とかと、おんなじですね…
> ちんけな城といえばそれまでですが、「THE TUDORS」の影響もあり
> 良かったですよ。
>
> それにしても、カタルニアの大便人形いいですね。
> 娘に見せたら大うけでした。
> 「欲しい」と言ってます。
> 人形買いにスペイン行きたい、など言い出したらどうしよう…
アルデバランさん
人形、欲しい、と言われる便秘ぎみの方が多いようで。私が買ったのも3ユーロしたかな。
大将
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