1993/01/13 - 1993/01/18
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トンガリキさん
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学生時代に2ヶ月かけて南アジア(インド・ネパール・バングラデシュ)を旅した時の記録です。まずはカルカッタからインドの旅を始めました。
<旅の日程>
1/13 ダッカ空港泊
★1/14~18 カルカッタ
1/19~24 サールナート
1/24~27 ヴァラナシ
1/28~31 ポカラ
1/31~2/11 ヒマラヤ(アンナプルナ)トレッキング
2/11~14 ポカラ
2/15~22 カトマンドゥ
2/22~24 デリー
2/25~27 ジャイプール
2/28~3/2 アーグラー
3/2~4 デリー
3/5~7 ボンベイ
3/7~9 ジュフービーチ
3/9~12 ダッカ
3/13 帰国
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ビーマンバングラデシュ航空にて名古屋からシンガポール経由でまずはダッカを目指します。この晩はダッカ空港のロビーで親しくなった日本人と夜を明かし、翌朝の便でカルカッタに向かいます。
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安宿が数多く集まっていたサダルストリート。
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赤レンガが美しい、英領インド時代の建物であるライターズビルディング。
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カルカッタの街並み。道路を占拠して絵を描き、堂々と物乞いをしていました。
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フーグリー川に架かるハウラー橋。
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ハウラー橋。
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喧騒かまびすしいハウラー橋。黒っぽい排気ガスをまき散らす車の脇を、カルカッタ名物の人力車が走っていました。
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ハウラー橋からの風景。
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路上のお花売り。
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安宿の水シャワーがたたったのか風邪を引いてしまい、1日ホテルで横になって寝ていました。その翌日再び街歩きに出かけます。
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カルカッタではダッカ空港で知り合った日本人と行動を共にしていましたが、その内の一人が別行動中に睡眠薬強盗にやられてしまいました。デリーから来たという自称旅行者のインド人と知り合いになって、ビクトリア記念堂に行った時にそのインド人が買ったお菓子を食べてから、彼の記憶がプッツリ途絶えてしまい、目が覚めたのは翌日の病院のベッドでした。当時のインドでは珍しい話ではないと言いますが、身近な人がこのような被害にあったのを見ると、実に恐ろしかったのですが、逆に気を引き締める機会となりました。
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広場ではクリケットが行われていました。インド亜大陸では野外競技はサッカーでも野球でもなく、どこでも皆クリケットを楽しんでいます。
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白亜のビクトリア記念堂。
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カーリー寺院に向かいます。
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カーリー寺院。カーリー神はシヴァ神の妻で生贄を欲する破壊の神であるため、境内にはカーリー神に捧げるためのヤギの断頭台があり、あたりは一面血で染まっていました。
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カーリー寺院の隣は、マザーテレサが建てた「死を待つ人の家」があります。
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帰りに人力車に乗ってみました。位置も高いので眺めも良く爽快です。この時は3人で乗りましたが、人力車夫も大変だったでしょう。裸足で走っているのでなおさらです。この日の晩の夜行列車でヴァラナシに向かいます。
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