2011/10/29 - 2011/10/30
2630位(同エリア2996件中)
ちゃおさん
朝6時前に起き朝風呂へ行く。まだ誰も入っていない。露天風呂に浸かるが、真冬と違って外も肌寒くない。伊豆の熱海だから、真冬でも寒くはないのかも知れないが・・。温泉に浸かっていると、竹編の簀子の垣根の隙間から太陽の光が漏れてくる。丁度この旅館を下りたところが熱海湾で、太陽はその先、初島の辺りから登ってくる。そうだ、風呂なんかにゆっくり使っていないで、浜辺の朝日を見に行こう。
急いで風呂から上がり、洋服に着替え熱海の海岸まで散歩に行くことにする。熱海の町全体が坂の上に作られていて、この古屋旅館も海岸100m程上がった坂の中腹にあり、温泉下駄の音を響かせながら、細い路地をだらだら下っていくと、直ぐにも海岸道路にでる。
目の前に初島が浮かび、その横の辺りから太陽が昇ってくるところだ。右手を見ると錦ヶ浦の崖の上にお城が見える。熱海城。ここは城下町ではないので、お城など無かった筈だが、戦後、誰かが観光用に作ったのだろう。そのお城の下には熱海後楽園の大きなホテルが見える。いつか泊まったこともあったが、まだ潰れずに営業しているのだろうか・・。
左手は尾崎紅葉の「寛一お宮」で有名になった熱海の海岸。浜辺に沿って散歩する。朝早く浜辺には人の数は少ないが、それでもちらほら散歩している人の姿も見える。週末を利用しての温泉旅行。皆海外旅行ばやりだが、こうした身近な国内温泉旅行ももっと見直されてしかるべきだ。
10分も歩くと「寛一お宮」の像の前に出る。以前何回かこの像の前の国道を素通りしたことはあったが、歩いてここまでやってきて、繁々と像を見るのは初めてだ。明治は遠くなりにけり。そんな明治の昔からこの熱海は有名観光地だったのだ。だから尾崎紅葉は「金色夜叉」でここ熱海を諸説の舞台にもしている。
この像が作られたのは昭和40年代、新幹線が開通し、全国から観光客が熱海に押し寄せ、熱海が一番光り輝いていた頃のことで、あの崖の上の熱海城もこのろ建造されたと思うが、よくよくこの像を見ると、建立者は当時の熱海市長、内田滋と記銘されている。今の古屋旅館の先代の社長だ。市長もしていたのか・・。
朝日が登るのを見届け、海岸通りを通って、旅館に戻る。一頃は日曜日の朝だったら、この通りも多くの温泉客で賑わっていただろうが、歩いている人も少ない。閉店している大きなホテルもある。そう言えば、この辺りに詐欺の舞台となった岡本ホテルもあった筈だが、もう取り壊されてしまったのか・・。通りに面した大きな空き地に夏の残り雑草が生えていた。
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古屋旅館からは路地を100mも下ると熱海の海岸に出る。今丁度朝日が上がるところっだ。
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熱海の海岸には朝日が当たっている。
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今丁度雲間から朝日が上がるのが見えた。
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目の前に初島も大きく見える。
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右手錦ヶ浦の崖上の熱海城とその下の後楽園ホテル。
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寛一お宮の像に向かって歩いていると、太陽もだんだん高くなってきた。
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日曜日でも浜辺に出ている人は少ない。
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海岸通りの国道も閑散としている。
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海岸から見る熱海城。
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知恵伊豆の植えた松の1本。
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と思ったら、初代は台風で倒れ、この松は別の場所から移植されたものとのこと。
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松の横には寛一お宮の像。
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何かで良く出て来る像の形。
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海岸通りを歩き旅館に戻る。閉店してるホテルも多い。
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