2011/10/08 - 2011/10/10
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しんちゃんさん
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わんこそば早食い競争発祥のお店「嘉司屋(かじや)」にてお昼をいただきました。盛岡のわんこそばは60杯でしたがここでは29杯、一杯の量が大きいでした。食後は宮沢賢治の生家、高村光太郎詩碑、イギリス海岸、宮沢賢治のお墓「身照寺」と花巻農学校跡地、風の又三郎群像を見学。町はゆったりした感じを受けました。しんちゃんだけがあわただしく観光していました。
- 交通手段
- 自家用車
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本場の「わんこそば」は花巻市以南では食べられないと盛岡の方に聞きました。せっかく花巻市まで来たので、今回はまっしぐらで「嘉司屋(かじや)」へ行きました。なぜここに決めたか。来る途中おばさんに「わんこそばのお店はどこにありますか」「2・3店あります」「一番好きなお店はどこですか」てな会話を経て辿り着いた訳です。じゃまっすぐじゃないじゃん。言葉のゴロ合わせでいいじゃん。
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“そば”は“茹でただけ”ですので薬味を付けます。「準備OKいつでも来い!」
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薬味
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大根おろし、すじこ&“まぐろの切り身”“いかの塩辛”も薬味です。
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“わんこそば”料金3200円は安くはないぞ!食べた“おわんの数”はマッチ棒で自分でカウント。食べるの夢中で、つい置くのを忘れてしまう。
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一杯食べる毎に箱から出します。「わぉー」29杯でお腹一杯!朝食おさえてきたんだけどな〜
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前掛け。食べ終われば記念品です。
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昭和32年、わんこそば早食い競争はこのお店で「第一回わんこそば相撲冬場所」として始まりました。現在は「わんこそば全日本大会」と呼んでいます。
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写真は第一回大会の番付表。相撲に見たてて横綱や大関と呼んでいます。
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店内カウンター。一般の定食も食べられます。お店のパンフレットでは、宮沢賢治は教師のころ生徒あるいは同僚の先生方とこのお店に良く来ていたそうです。そば好きで、農家の方にも栽培を推奨しました。臨終の月にも病床でも食べました。賢治の教え子、松田氏の思い出でです。季節により店内の雰囲気を変えます。ウエイトレスさんも質問にテキパキと答えてくれました。
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ジュディオングさんも来店。店員さんいわく「背が低く可愛かった」そうです。
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考古学者も食べに来るのか!
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昔、超有名
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「まちなかビジターセンター」前のオブジェ「銀河ステーション」と書いてあったが「花巻傘」かな?
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「まちなかビジターセンター」にて花巻市内の地図をゲット。食後は町を散策。
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何処から行こうかな?
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一番近くの「松庵寺」
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「高村光太郎」“花巻との縁”説明版
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「高村光太郎詩碑」と「餓死供養塔」案内塔
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「高村光太郎詩碑」
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ちょっと変わった「松庵寺」いや、大いに変わっているお寺であった。
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本堂入り口の上には…天女か
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「松庵寺」から東へ約150m「宮沢賢治生家」
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説明版からです【明治29年(1896)8月27日宮沢賢治は現在の花巻市豊沢4号11番地に父政次郎、母イチの長男として生を受けた。第二次大戦末期(昭和20年=1945年8月IO日)の空襲により居宅は焼失、現在の住居は戦後2回建て直されて賢治在世中の面影はない。現在は弟清六氏とその家族が住む。土蔵は空襲時、内部に火が入り屋敷内に形骸のみをとどめている。表通りに面して建つ土蔵ば隣家のものである。】
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宮沢賢治の弟さん清六氏とその家族が住んでいる家のため、見学はNG。外から見るだけです。
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隣の蔵は工事中でしたが現在『街角ミュージアム豊沢小路「蔵」』として「生家にちなんだ賢治関連の展示、又三の教室、喫茶」を運営しています。
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おしゃれなベンチ
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ゆったりとした道幅、のんびりとした雰囲気でした。
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宮沢賢治生家前のバス停留所
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イギリス海岸へ向かいます。宮沢賢治生家より北東へ1.5Km
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わかる標識
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駐車場
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駐車場は北上川の土手の中、トイレは土手の外です。
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旧北上川の図です。
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花巻市ホームページからの説明です。【「イギリス海岸」は、国指定名勝「イーハトーブの風景地」の一つです。 北上川と支流猿ヶ石川の合流点から南にかけての北上川西岸に、イギリスのドーバー海峡に面した白亜の海岸を連想させる泥岩層が露出することにちなみ、宮沢賢治が「イギリス海岸」と名付けました。 現在は、北上川水系のダム整備による河川管理が進みましたので、北上川の水位が特に下がった時期だけ泥岩層が露出します。…続く…
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…続きです…宮沢賢治は、日本の代表的な詩人・童話作家として花巻が誇る人物で、明治29年(1896年)8月27日に花巻で生まれ、昭和8年(1933年)9月21日に37歳のとき花巻で没しましたが、大正10年(1921年)12月(25歳)から大正15年(1926年)3月(29歳)までの約4年3か月の間、稗貫郡立稗貫農学校(大正12年(1923年)4月1日、郡制廃止に伴い岩手県立花巻農学校となる。)の教員を勤めていました。…続く…
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…続きです…文学作品「イギリス海岸」は、稗貫(花巻)農学校の夏休みの農場実習の合間に、宮沢賢治が生徒たちを引率して町の人たちの水浴場となっていた「イギリス海岸」を訪れ、校長先生と一緒に北上川で泳いだり、動物の足跡や炭化した胡桃の化石を発見した際の、生徒たちや町民や自然との心の交流の経験を基に書かれたようです。 この「イギリス海岸」のイメージは、宮沢賢治の短編作品「イギリス海岸」や、幾篇かの詩や童話に登場するほか、長編作品「銀河鉄道の夜」にも「プリオシン海岸」の名で登場するばかりではなく、「イギリス海岸の歌」という曲まで自ら作詞作曲していますので、ここが宮沢賢治の創作活動に重要な影響を及ぼした場所であったことが分かります。】
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上流。説明版からです。【賢台はこの場所を好んでいました。夏の夜空に南北に流れる天の川と地上を流れる北上の間を小ざくてたよりない軽便鉄道が橋を渡って行きました。そんな光景から、不な名作「銀河鉄道の夜」が生まれました。】
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民間無料休憩所
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説明版からです。 【北上川が渇水するとこの付近に泥岩層が現れます。白く見える様子を、賢治はイギリスドーバー海峡の白亜の崖になぞらえて、「イギリス海岸」と名付けました。農学校数教諭の賢治と生徒らの交流を描いた作品「イギリス海岸」や、「銀河鉄道の夜」のプリオシン海岸の場面などから、ここが賢治の創作活動と世界観に大きく影響を与えた場所であることが分かります。】
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北上川に合流しようとする猿ヶ石川。鮭が泳いでいました。
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説明版からです。 【ここは、猿ヶ石化川が合流する西岸で水が引くと白い泥岩が露出します。それがイギリスのドーバー海峡に似ていることから、賢治はイギリス海岸と名付けました。第三紀の頃は海の渚だったと推定され、賢治は修羅の渚と詩っています。】
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説明版が無いと“ただの川”でした。
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宮沢賢治はこの場所でバタグルミの化石を発見しました。
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いいね、この感じ
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宮沢賢治のお墓参りです。
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「身照寺」お寺はすぐに分かったが、駐車場探しが難しかった。
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お寺を一周して檀家でも無いのに、お寺の駐車場に堂々と止めました。お寺は寛容、民百姓(たみひゃくしょう)に優しい!
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「身照寺」北西の角にあります。花束がすごい。
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写真右が宮澤家のお墓、左が賢治の供養塔です。
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「風の又三郎」の群像です。 説明版からです。【「ぎんどろ公園」この公園は、花巻農学校(現県立花巻農業高等学校)の跡地で、宮沢賢治は教師として3年間ここで教えました。 賢治は、理想郷としての岩手県を「イーハトーブ」と呼びましたが、公園全体がそんな岩手の大地をイメージしております。 公園内には、賢治が好み公園の名称となったギンドロの木、「早春」の碑や「風の又三郎」の群像などがあります。昭和5ワ年6月開設 面積11,000】
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花巻観光お勧めガイドbutakko1105さんのHPからです。【賢治が教鞭をとった花巻農業高校の跡地にあるのがぎんどろ公園。「ぎんどろ」とは泥の木のことらしいです。敷地内に風の又三郎群像があります。私の従兄弟や知り合いには花農卒業者が多いです(とってもいい奴ばかりです)。「どっどど どどうど どどうど どどう」でいう有名な風の又三郎の石碑もいいですが、個人的には詩碑「高原」の「鹿踊りだじゃい」が好きですね〜 近くに花巻市図書館があります。花巻市若葉町3-16 花巻駅から徒歩25分・車で7分(タクシー約900円) 花巻南ICから車で5分 駐車場有】HPは「http://kenji-hanamaki.com/」です。
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「風の又三郎」の群像脇。この像のあるぎんどろ公園、花巻市文化会館の入り口で「風の又三郎の群像はどこにありますか」年の頃40から50の奥様に聞きましたが。分かりませんとの答えでした。興味がないのかな。
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説明版からです。【「A RESTING MAN(休息する人)」チョイ クンファ(韓国) CHOI,KEUM−HWA(KOREA) イーハトーブ日韓芸術祭彫刻シンポジウム作品 IHATOV JAPAN-KOREA ART FESTIVAL SYMPOSIUM 2002.6.30 寄贈 イーハトーブ日韓芸術祭実行委員会】
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トイレ
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右上の蛙(かえる)さんはアクセント?
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花巻市文化会館の銅像。説明版からです。【「母と子の像」優しく時には厳しくわが子を諭す母の眼差し、寄添うてうなずく子の姿、これこそ人間愛の発露であり教育の源であります。 明日の花巻の担い手である青少年の健やかな成長を願う花巻の母たちが中むとなり、永遠に母と子のよりどころとするため、広く市民の協力を得て文化会館の建設を機に建立したものです。 建立年月日 昭和五十丁年八月八日 製作者 松村外次郎 花巻市教育委員会 母と子の橡建立実行委員会】花巻見学終了_次は山形県酒田市だ!
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