2011/10/06 - 2011/10/08
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morino296さん
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大分石仏巡りの旅、3日目、最終日です。
この日のコースは、
熊野磨崖仏→真木大堂→富貴寺→長安寺→両子寺(ふたごじ)→旧千燈寺跡→大分空港です。
国東・六郷満山は、ほとんどが仁聞菩薩の開基と伝わりますが、これだけ多くの寺院を開創するのは大変なことだったでしょうね。
また、六郷満山の衰退は、キリシタン大名の大友宗麟の焼き討ちが関係していました。
そんな中、石像の仁王像は、今なおその雄姿を残しているのです。
≪国東六郷満山の概略・・・国東天台寺院の総称≫
国東半島のほぼ中央に聳える両子山(721m)から放射状にくにさきの谷々は海岸へと広がり、約28谷を六つの里に分け、六郷と称し、この地に開かれた天台宗寺院全体を総称しして六郷満山と呼び、奈良、平安・鎌倉の昔より、宇佐八幡〈全国八幡の総本社〉の庇護と影響の下に神仏習合の独特の寺院集団と信仰が形成され、往時には半島一帯に185の寺院、洞窟、僧坊、を含めて約八百の大小の堂、また、石仏・石塔が、点在し、ほとけの里といわれる六郷満山仏教文化圏が開かれてきました。
爾来約1300年間の星霜、寺院の栄枯盛衰があれども、人々の素朴な信仰は連綿として今日まで継承され、仏像・野の石仏、石造物、諸民俗的伝承行事、そして恵まれた自然の環境の中にいにしえの素朴な息吹を感じることができます。
そしてほとんどの寺院の開基は仁聞(にんもん)菩薩、718年開創以来やがて1300年の節目を迎えます。 (両子寺のHPより)
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
JR大分駅 6:40頃
朝食の前にまだ薄暗い中、大分駅まで。
関東に比べると日暮れも遅いですが、当然、夜明けも遅いですね。 -
JR大分駅前 大友宗麟像
天正遣欧使節派遣400年を記念して1982年に建てられました。
大友宗麟( 義鎮(よししげ))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての戦国大名で、豊後を拠点に北九州を支配したキリシタン大名として知られます。
天文20年(1551)、宗麟が山口に滞在していたフランシスコ・ザビエルを招いて、豊後におけるキリスト教布教が始まり、天正6年(1557)宗麟の改宗と篤い信仰により布教が進展したそうです。
そして、来日したイエズス会の巡察師のすすめで、1582年に九州のキリシタン大名が少年使節をヨーロッパに派遣(天正遣欧使節)しました。
この宗麟の改宗が、国東半島の六郷満山の衰退に繋がったようです。 -
熊野磨崖仏への入り口(受付) 8:30頃到着(大分駅前から約1時間)
杖を持って行くように勧められます。
この杖は下りに役立つとのこと。 -
赤鬼がきづいた99段の石段の話
紀州熊野から田染に移られた権現さまは霊験あらたかで、近郷の人々はお参りするようになってから家は栄え、健康になりよく肥えていた。
その時、何処からか一匹の鬼がやってきて住み着いた。鬼はこのよく肥えた人間の肉を食べたくなったが権現さまが恐ろしくてできなかったが、どうしても食べたくなり権現さまにお願いしたら「日が暮れてから翌朝鶏が鳴くまでに下の鳥居から神殿の前まで100段の石段を造れ、そしたらお前の願いを許してやる。しかし出来なかったらお前を食い殺す。」と無理難題を申し付けられたのだが、鬼は人間が食べたい一心で石段を築き、みるみるうちに99段まで築いてしまいました。
驚いた権現さまは、100段目の石を担いだ鬼が山かげに見えた時に「コケコッコー」と鶏の鳴き声をまねられたところ、鬼は朝が明けたと思い込み「このままでは食べられてしまう」と最後の石を担いだまま逃げ出し、一里半(6Km)ほど走って石を投げだしたら石が立ったまま倒れないのでそこを立石と呼ぶようになった。
鬼はそのまま倒れて息が絶えたので、里人たちは安心して日暮が出来るようになったのは権現さまのお蔭と、岩に刻んだ大日如来さまのお加護であると朝夕感謝するようになったそうです。 -
胎蔵寺(たいぞうじ)
熊野磨崖仏の下にあり、石像仁王像が立っています。
元は六郷山寺院の一つとして天台宗の寺でしたが、天文2年(1533)浄土宗に改宗したそうです。
本尊は、木造地蔵菩薩立像で檜の一木造(像高78.7cm)。 -
胎蔵寺 境内の石仏
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胎蔵寺 貼り不動
境内には金ピカの不動尊と七福神が並びます。
近年、宝くじが当たると評判になったそうです。 -
胎蔵寺の右横に磨崖仏への入口(熊野権現の道)があります。
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胎蔵寺から木立の中の山道を300mほど登ります。
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鳥居があり、鬼が一夜で築いたと伝えられる自然石の乱積石段が始まります。
-
鬼が一夜で築いたと伝わる乱積みの石段
朝露に濡れた石段は滑りやすいので手すりが助かります。
上りも大変ですが、下りには杖が役立ちます。 -
熊野磨崖仏
国東を代表する見事な磨崖仏で国重文と国史跡の二重指定を受けています。
伝説では養老2年(718)宇佐八幡の化身仁聞菩薩が作ったと伝わりますが、資料では藤原時代末期の造立と推定されるそうです。
造形から不動明王像が古く、大日如来像は後に彫られたものであろうと推定されています。 -
不動明王
我々とほぼ同時に一番乗りされていたお二人と比べると不動明王の大きさが分かりやすいと思います。 -
不動明王像
高さ約8mの半立像。
右手に剣を持ち、巨大かつ勇壮な不動明王ながら、一般の不動明王らしい憤怒相はなく、口元に柔和な笑みを浮かべた愛嬌のある顔に見える不動像です。
左右両脇には高さ約3mの矜羯羅(こんがら)童子、制多迦(せいたか)童子像の痕跡が認められますが剥離崩壊がひどくよく分かりません。 -
大日如来像
高さ約6.8mの半立像。
高さ約8mの龕の中に彫り出されています。
頭部の背後に円い光背が刻まれ面相は頬張った四角い顔をされています。 -
熊野権現(奥の院)
9:10頃でしたが、「コケコッコー」の鳴き声は聞こえませんでした。
鬼の築いた石段を下り次の目的地である真木大堂へ向かいます。9:30頃出発。 -
真木大堂へ向かう道
熊野磨崖仏から真木大堂までは国道655号で約13Km。10分ほどで到着します。 -
真木大堂の手前にコスモス畑があったので臨時停車。
しばし、コスモスと戯れます。
奥の建物は、随願寺とありました。 -
真木大堂の近くのコスモス畑にて
-
真木大堂の近くのコスモス畑にて
秋晴れのそらをバックにコスモス撮影の練習です。 -
真木大堂の近くのコスモス畑にて
蜂とコスモスの花の奪い合いで撮影しました。
(ちょっと大袈裟)
約20分も臨時停車してしまいました。 -
真木大堂 10:00前に到着
真木大堂は、六郷満山65ヶ寺のうち本山本寺として36坊の霊場を有した幻の最大の寺院であった馬城山伝乗寺のこと。
養老年間(717〜23)仁聞菩薩の開基とされますが、仏像の作風からみて平安時代と推測されるそうです。
往時には広大な境内のなかに七堂伽藍を備えて隆盛を誇った大寺院だったそうですが、約700年前に火災のため焼失。
現存する9体の仏像は当時の人々の厚い信仰と守護のもとに難を免れました。
現在は、江戸時代に再建された小さな大堂と収納庫が建っているのみですが、収納庫には藤原時代の九体の仏像が安置されています。
真木大堂は、伝乗寺の各寺坊が衰退したので本尊をこの一堂に集めたもの。 -
真木大堂おパンフレット
収納庫に安置されている九体の仏像は見事なものです。
写真が撮れないので、パンフレットでご覧ください。
阿弥陀如来座像(本尊)、大威徳明王立像、不動明王と二童子像、四天王立像は重要文化財。 -
真木大堂 旧本堂
収蔵庫が出来るまでの長い間、仏像を安置してあったそうです。 -
真木大堂 旧本堂の仁王像
正面朱塗りの扉には皇室の紋章があります。
これは、鎌倉時代に蒙古軍が襲来したときに鎌倉幕府が教書を発し、これを受けて豊後守護職が六郷満山の寺院に対し異国降伏の祈祷を行うよう施行状を発したため、馬城山伝乗寺で長期にわたり異国降伏の大祈祷が行われたそうです。
その恩賞として、将軍家を経て将軍家より菊花の紋章を下賜されたものだそうです。 -
真木大堂 旧本堂の裏山に馬城山伝乗寺の大展望台があります。
相当な石段を上るようなので諦めました。 -
真木大堂 梵鐘
境内には、国東半島の石造文化財を集めた古代公園もありました。
次は、富貴寺へ向かいます。10:10頃出発。 -
元宮磨崖仏
真木大堂から国道655号を2Kmほど走った道路際で見つけたので一時停車。
高さ3m、幅6mほどの 仏龕(ぶつがん:岸壁を堀り空けて仏像を安置したもの)をもうけ、向って右から ①毘沙門天(多聞天ともいう)、②矜羯羅童子(こんがらどうじ:不動明王の脇侍) ③不動明王(大日如来の化身) ④持国天(東方守護神) ⑤声聞形尊像(しょうもんがたそんぞう、あるいは地蔵菩薩?):六道済度の菩薩)(解説より)
制作年代は室町時代後期と推定されており、“地蔵菩薩の五躯”は後の時代の追刻であろうといわれています。 -
富貴寺(ふきじ) 10:40頃到着
養老2年(718)仁聞の開基と伝えられています。 -
富貴寺 石殿
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富貴寺 仁王門
仁王門にいらっしゃる仁王像もやはり石像です。 -
富貴寺 仁王門
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富貴寺 大堂(国宝)
仁王門を潜り石段を上がると正面にあります。
平安末期12世紀後半に創建された阿弥陀堂形式の建築で、九州最古の木造建築です。
京都の平等院の鳳凰堂、岩手の中尊寺の金色堂と並ぶ日本三大阿弥陀堂に数えられる貴重な建造物です。
内部には重文の本尊の阿弥陀如来座像と日本の四大壁画の一つに数えられている重文の壁画があります。
堂内保護のため、雨の日は中に入れないようですが、この日は拝観させてもらえました。 -
富貴寺 大堂の内部の様子
写真撮影が出来ませんので、パンフレットでご覧ください。
本尊は阿弥陀如来坐像で高さ約85cmの榧材寄木造り。
内陣後壁には浄土変相図、四壁には五十仏、四天柱には胎蔵界曼荼羅の中心部尊像が描かれていますが、退色が激しくよく見えませんでした。
(行かれた時は、懐中電灯も置かれていますのでじっくりご覧ください。) -
富貴寺 境内
境内には国東塔や板碑、笠塔婆、仁王像、梵字石などがたくさんあります。 -
富貴寺境内の笠塔婆
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富貴寺の境内
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富貴寺の境内
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富貴寺 本堂
藤原時代作の阿弥陀三尊像が安置されています。
阿弥陀如来坐像は約88cm、観世音菩薩と勢至菩薩はともに立像で約103cm。
11:00過ぎ、富貴寺を失礼し、長安寺へ向かいます。 -
長安寺 仁王像 11:25頃到着(随分、山を登ります)
長安寺は、四方絶壁の奇勝屋山の中腹にある平安朝以来の天台宗の古刹。
開基はやはり養老2年(718) 仁聞菩薩と伝えられます。
鎌倉時代には六郷山の惣山として満山百余ケ寺を統持し、学頭職として満山約一千の僧侶を統率し鎮護国家の祈願の任に当たっていました。 -
長安寺 仁王像
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長安寺
こちらにも石像があります。 -
長安寺 収蔵庫
国指定重要文化財の太郎天像と二童子立像や銅板経が安置されています。
拝観を希望する場合は、受付のブザーを押します。
奥の本堂から奥様が出て来られてこられ、収蔵庫を開けて説明をしていただけました。
我々が駐車場へ戻る時に、別の方が来られていましたので、また開けていらっしゃったかも知れません。 -
長安寺のパンフレット
収蔵庫に安置されている太郎天像、二童子立像などが載っています。
太郎天像は、天狗神を現すとされています。
天狗は修験道の守り本尊とされ、大日如来の使者である不動明王が修験極地にある者の前に現れる時に太郎天の姿をしていると考えられているそうです。 -
長安寺 本堂
11:50頃出発、次は両子寺へ向かいます。 -
両子寺(ふたごじ) 12:25頃到着
国東半島の最高峰、両子山(標高721m)の中腹にあり、養老2年(718年)に仁聞菩薩が開き、六郷満山の中では中山本寺、すなわち山岳修行の根本道場に当たります。
特に江戸期より六郷満山の総持院として全山を統括してきましたが、時代の趨勢、明治初頭の神仏分離、第二次世界大戦や自然災害・人為災難等により次第に堂宇は往時の姿を薄れてかけて来ましたが、歴代住職の懸命な精進と檀信徒の護持により、面目を保ちつつ今日に至っているそうです。 -
両子寺 受付
国東市安岐町両子1548 足曳山 両子寺 -
両子寺 鐘楼
平和の鐘、世界平和を祈念して戦後間もなく再建されたもの。
平成21年の大晦日、NHKのゆく年くる年で全国放送されたそうです。 -
両子寺 護摩堂
山岳修行の根本道場で、本尊不動尊をはじめ諸仏(観音菩薩、阿弥陀如来、毘沙門天、歓喜天など)を祀ります。
明治2年焼失後、明治25年に原型通りに再建されたそうです。 -
両子寺 大講堂
本尊は弥陀三尊で中央の阿弥陀如来像は鎌倉末期の作である。この弥陀三尊の後方に前衛画家風倉匠師が1年有余の日を費やして書いた壁画があります。 -
両子寺 鳥居を潜り、奥の院への石段が続きます。
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両子寺 奥の院へ向かう途中にある国東塔と磨崖板碑
この国東塔は塔身の首部に穴があり、塔身の下に蓮華座や反花よりなる台座があることが特徴だそうです。 -
両子寺 奥の院 本堂
建物は、弘化3年(1846)旧杵築藩主松平候の寄進によるもの。
千手観音立像、両子大権現(男・女二天童子像)、宇佐八幡神像、仁聞菩薩像を崇め祀り、不老長寿と子授け申し子祈願の霊場として広く知られているそうです。 -
両子寺 国東塔(重文)
この寺には、大小7つの国東塔があるそうです。 -
両子寺
国東半島で最も古いと言われている仁王像 -
両子寺 国東半島最大級の石像の仁王像(安岐町指定有形文化財)
山門に続く石段の両脇には、江戸時代後期、文化11年(1814)の作と伝えられる国東半島最大の石造仁王像があります。
総高245cm、像高230cmあり、見事な均整美を保ち満身の力をたくわえています。 -
両子寺 仁王像(吽形)
筋骨隆々で迫力があります。
石造仁王は全国に分布しているものの、その数は大分県が圧倒的に多く、中でも国東半島には130を超える仁王が確認されているそうです。
両子寺の仁王は、大型で容相もいかめしく、天衣や裳の表現にも優れている。
両像ともやや腹を突出し、胸骨や筋肉の表現には力強さが感じられ、国東半島を代表する仁王像である。(解説より) -
両子寺 仁王像(阿形)
仁王像に魅せられながら、両子寺を後にします。
13:30近く、時間も時間だけにお腹が空いてきました。 -
両子河原座 13:30頃
両子寺から直ぐ近くにあるお店、ここでようやく昼食となりました。 -
両子河原座でいただいた天ざるそば
天ぷらもお蕎麦も美味しかったです。
14:00頃、そろそろ最後の目的地・旧千燈寺跡へ向かいます。 -
旧千燈寺跡
カーナビと標識を頼りにやって来ましたが、どこが入口かよく分かりません。
諦めて帰ろうとしたのですが。 -
旧千燈寺跡 石門 14:42頃
慶應4年(1868)建造といわれるこの石門を見つけ行ってみることにしました。
大分空港へ戻る時間を考慮して、ここの出発は15:30をタイムリミットにしました。 -
旧千燈寺後 西行返し
細い坂道を登ると、まず西行返しと呼ばれる場所に着きます。
西行法師が諸国廻遊の折、千燈寺の和尚と問答をしようとして、ここまで来た時、小僧に出会い試しに問答をしたところ、小僧の返答が英知にとんでいたので、小僧でさえこれならとおそれをなして帰ったという伝承が残り、その名の由来となっているそうです。 -
野仏となった石仏
-
こんな山道で良いのか確信もなく、取りあえず進むことに。
-
石畳の道に出ました。
なんだか雰囲気が感じられます。 -
ようやく案内図がありました。
今残る旧千燈寺跡は明治の頃坊の1つが下山し、元の千燈寺境内に寺を建立し旧千燈寺跡といったものだそうです。 -
旧千燈寺跡
今は建物は無く、石垣を積み上げた坊跡や石畳の参道、本堂跡の前には半肉彫りの仁王が残るのみです。
千燈寺は、奈良時代の8世紀に創建された中山本寺で国東六郷山を開いた仁聞菩薩が開基したと言われており、仁聞菩薩の入寂の地とも言われています。
「西の高野山」と呼ばれていた旧千燈寺は国東六郷山の中核寺院の1つの大寺院だったそうです。 -
旧千燈寺跡 本堂跡に建つ半肉彫りの仁王像
平安末期に隆盛を極めた国東六郷山も16世紀の大友宗麟の時代に衰退していきました。
筑前、豊前の守護大名であった大友宗麟は天正6年(1578)にキリシタンの洗礼を受け熱心なキリシタンになり、キリスト教が一神教であることもあって、宗麟は国東の多くの寺々を焼討ちしたそうです。
ここにあった千燈寺も本末寺院仏閣並びに寺領千石共没収され、寺も僧も離散してしまい廃寺となったそうです。
この奥にある奥の院の西の五輪塔群は仁聞の墓と言われる1000基を超える五輪塔があるそうですが、時間が掛かりそうなので諦めました。 -
旧千燈寺跡 本堂跡に立つ仁王像
「よく来たな」「また、来いよ。待ってるぜ。」
15:00過ぎ、3日間にわたる石仏巡りを終え、大分空港へ向かうことにしました。 -
15:30頃 弥生のムラ近くの田園風景
-
16:20頃 大分空港
レンタカーを返却し、楽しかった大分石仏巡りの旅も「The End」。
Oさん3日間、477Kmも運転頂き有難うございました。
Iさん、いっぱい楽しめましたね。
帰りの飛行機は、ANA200便 大分18:55発 羽田20:25。
期待以上に素晴らしい旅となりました。
大分、まだまだ見所も多く、またいつか訪ねてみたいです。
最後までお付き合いいただき有難うございました。
(おしまい)
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この旅行記へのコメント (9)
-
- ゆうこママさん 2011/10/18 23:37:26
- 国東
- 3日間にもかかわらず密度の濃い旅。
行き当たりばったりの私には真似できません。
旅行記を拝見し、あ〜ここ、また行きたい。あれえ〜しまった、ここに行くべきだった、などと独り言。
大分、もう一度行きたい場所です。
先ほど、2度クリックして同じものが書き込まれています。
お手数ですが削除してくださいませんでしょうか。
何度も細切れコメントでさらにご迷惑をお掛けしました。
これにて失礼いたします。
- morino296さん からの返信 2011/10/19 07:20:15
- RE: 国東
- 最後までお付き合いいただき有難うございました。
私たちの行程も半分は行き当たりばったりでしたよ。
先輩が、主要なコース設定をして下さり、私が資料や本を見ながら、
「ここにも寄れそうですよ」なんて追加していきました。
今回の旅で参考になったのは、
大分県高等学校教育研究会地理歴史科公民科部会編集の「
大分県の歴史散歩」という本でした。
また、大分へ行きたいですね。
morino296
-
- ゆうこママさん 2011/10/18 23:30:47
- 石積み
- 建物が無いにもかかわらず、石垣も石段もきれいに残っていますね。まるでつい最近までそこに建物があり、人々の営みがあったかのようです。
大小の石垣を無造作に積んであるようですが、崩れずに今も残るということは、よほどの石積み技術を持った人たちが築いたものなのでしょうね。
有能な技術者を確保することのできた国東の仏教文化圏の力を垣間見た気がします。
- morino296さん からの返信 2011/10/19 07:11:08
- RE: 石積み
- 本当ですね。
九州の石の文化を築くには、仰るように優秀な石工さんが沢山いたのでしょうね。
-
- ゆうこママさん 2011/10/18 23:23:35
- 古い道の匂いが
- 古い道の匂いがしますね。
この先に大寺か城があったと思わせる道。
この辺りで不安は消え、寺のあることが確信できたのでは。
緩やかにうねる道って、それだけでドラマチックです。
- morino296さん からの返信 2011/10/19 07:08:03
- RE: 古い道の匂いが
- そうなんですよ、どれくらい進めばよいのかわからず、
「え〜、どこなんだろ?」と思いながら上っていきました。
時間も気になるし、行ってみたいし で。
-
- ゆうこママさん 2011/10/18 23:18:59
- チャレンジャー
- 296さんは、チャレンジャーですね。
寺跡は本当にこの奥に・・・
-
- ゆうこママさん 2011/10/18 23:14:10
- 手すり
- こんばんは。
これっ、これです!この石段です。
歩きにくくって大変な思いをしました。
どこまでも伸びる石段のお写真を拝見し、思い出しています。
朝露に濡れていたのなら、余計に大変だったことと思います。
手すりがあってよかった、これは、私も深〜く思ったことでした。
- morino296さん からの返信 2011/10/18 23:19:59
- RE: 手すり
- ゆうこママさん
こんばんは!
いつも有難うございます。
そうですよね、この鬼が作った石段、忘れられませんね。
手すりと杖にお世話になりながら上り下りさせていただきました。
国東半島の石仏巡り、石段は覚悟が必要ですね。
morino296
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