2011/07/17 - 2011/07/17
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Ungsteinさん
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萩の散策旅行記。
前編、後編の2回に分けて紹介します。
前編(この旅行記)は、萩城跡・指月公園(しづきこうえん)、堀内(ほりうち)エリアです。
萩城跡・指月公園は、萩城天守閣跡や花江茶亭(はなのえさてい)など。
また、堀内は近世城下町の武家屋敷の地割りを残す土塀の連なる街並みを保存している「堀内地区伝統的建造物郡保存地区」を散策しました。
なお、後編は城下町エリア、平安古(ひやこ)エリア、藍場川界隈、松本エリア(松下村塾など)です。
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城下町あたり
瓦土塀が崩れかかっていました。
歴史の積み重ねを感じます。
こんな雰囲気の道を歩くのが好きです。 -
瓦を立てたようにして並べた瓦土塀
瓦をこんな風に使うのは、強度を保つためでしょうか、瓦の有効利用でしょうか。
ご存知の方がいれば教えてほしいです。 -
旧益田家物見矢倉(きゅう ますだけ ものみやぐら)
「堀内地区伝統的建造物郡保存地区」の北東の端にあります。
永代家老の益田氏の長屋の一部で、物見を兼ねていたとのことです。 -
旧益田家物見矢倉を正面から見たところ
格子窓から物見していたことが、わかります。
これなら、物見の中から見られても気づきません^^; -
旧繁沢家長屋門(きゅう しげさわけ ながやもん)
桟瓦葺切妻造、梁間4.9m、桁行33.5m!
長いぞ!
当主の繁沢就充は、藩要職として活躍したという。 -
旧周布家長屋門(きゅう すうけ ながやもん)
周布家萩屋敷の表門です。
平屋建本瓦葺きL字型の建物で、江戸中期の代表的な武家屋敷長屋の様式を残しています。 -
私の萩の風景のイメージにピッタリの道
散策の目的は、こういったところをのんびり歩くこと。 -
指月小橋からみた日本海方面
萩八景遊覧船が走っています。 -
指月山(しづきやま)
標高143mの山で、麓に萩城(指月城)跡があります。 -
銃眼土塀(じゅうがん どべい)
菊ヶ浜に面している二の丸跡に復元されています。
海から攻めてくる敵に対して、銃を撃ったのでしょう。
四角い穴をのぞいてみたら、敵ではなくて、海水浴の人たちが見えました^^ -
志都岐山神社(しづきやま じんじゃ)
萩城跡、指月公園内にある神社で、萩藩の歴代藩主が祀られています。 -
旧福原家書院(きゅう ふくはらけ しょいん)
旧三の丸にあった萩藩の永代家老福原家の書院。
明治15年に志都岐神社の社務所として現在地に移築したものです。 -
旧福原家書院
当時の重臣の住居を知るうえでの貴重な建物とのことです。 -
花江茶亭(はなえ ちゃてい)
この茶亭は指月公園内にあり、13代藩主敬親別邸にあった茅葺の茶室。
ここで茶会と称して、維新の密議が交わされたようです。
ここなら密会も気づきにくいでしょう。
藩主敬親の命日の毎月17日には、茶会が開かれているとのことです。 -
萩城天守閣跡
高いところに登りがたがる性格の私、石段をみたら登ります。 -
天守閣跡から、背後の指月山が見えます。
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萩城天守閣跡
萩城は、慶長9年(1604)に毛利輝元が築城。
指月山麓に築城されたことから、別名指月城とも呼ばれています。
明治7年、天守閣などの建物はすべて解体され、現在は石垣の一部と堀の一部が残っているのみ。 -
天守閣跡からみた堀
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旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(きゅう あさ もうりけ はぎやしき ながや)
厚狭毛利家は、毛利元就の5男である元秋を始祖とする一門。
萩屋敷は、広大な敷地があったが、主屋などは維新後に解体され、この長屋のみが残っています。
現存する萩の武家屋敷の中では最大で、国の重要文化財に指定。
外観は立派! -
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋内
絵のような感じだったのでしょう。 -
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋内の仲間の部屋
当時は、炭火を囲んで何を話していたのでしょう? -
白い土塀が続く道
いい光景です。 -
旧毛利家別邸表門
建築年代は明治。
屋根の両側に鯱の原型といわれる鴟尾(しび)を乗せています。
鴟尾(しび)は、見えるでしょうか? -
桃色のキョウチクトウが咲いていた白壁の道
う〜ん、なんともいい雰囲気。 -
問田益田氏旧宅土塀(といだ ますだし きゅうたく どべい)
永代家老益田家の分家筋にあたる問田益田氏旧宅の土塀です。
この土塀は、231.7mとべらぼうに長い!!
200m競争ができます。 -
土塀のある光景
土塀が特別好きだというわけではありませんが、それでもこんな光景に出会うと和みます。 -
旧福原家萩屋敷門
永代家老福原家の萩上屋敷の表門で、江戸時代中期の建物。
ほとんどの重臣の武家屋敷門には門番所がありますが、この門には門番所がなく、非常に珍しいものだそうです。 -
夏みかんと白壁
まさに萩観光の象徴的な光景。 -
口羽家住宅(くちばけじゅうたく)
永代家老に次ぐ家柄の萩藩寄組士口羽家の住宅です。
白壁となまこ壁のコントラストが綺麗な表門。
国の重要文化財に指定されています。 -
口羽家住宅敷地内
井戸があります。 -
口羽家住宅内
壁に武器が飾っていました。
ガイドさんが常駐していて、施設内の説明をしてくれます。 -
口羽家住宅の庭
庭は川に面していて、川の眺めがすばらしい。
こんな光景を見られるとは贅沢! -
口羽家住宅の庭には花も咲いていて、こんな風に川が眺められます。
橋は常盤橋。 -
ムクゲの花も咲いていました。
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旧二宮家長屋門
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堀内鍵曲(ほりうち かいまがり)
鍵曲(かいまがり)は、道を鍵の手に曲げた城下町特有の街路で、別名「追廻し筋」とも呼ばれています。 -
堀内鍵曲
今回の散策の目的のひとつが、この光景を見ることでした。
満足、満足。 -
堀内鍵曲
夏みかんと白壁
私にとって、この光景こそ“萩” -
石積みの塀や土塀のある路
電線が見えなければ、なおさらいい景観なのですが。 -
旧祖式家長屋(きゅう そしきけ ながや)
祖式家は、宇部市棯小野に領地を持っていた武士。
主計頭就好は、初代萩藩主に側近として仕えたということです。 -
旧梨羽家書院(きゅう なしばけ しょいん)
梨羽家は萩藩大組の藩士で683石余の禄を授けられていたという。
他に数棟の建物があったと思われるようですが、現在はこの書院しか残っていません。
萩には長屋門は相当数残っていますが、武家住宅の本邸は少なく、本書院は一部を欠いていますが、19世紀初頭に建築された貴重な建物です。 -
旧児玉家長屋門(きゅう こだまけ ながやもん)
建物は木造平屋建て、桁行32.67m、梁間4.59m。
屋根は桟瓦葺きで、入母屋造り。
道路沿いの外廻り壁は白壁、腰は“なまこ壁”です。 -
平安古乃総門址(ひやこ の そうもんあと)
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平安橋
この橋は萩城三の丸の3か所の総門(北・中・平安古)の一つ。
橋は玄武岩で造られており、吊り桁・定着桁を備えたゲルバー桁橋の構造を持った無橋脚の珍しい橋。
橋桁は全長60.04m、幅3.96m,堀底からの高さ2.5m。
以上、萩の散策前半でした。
萩の散策後半もありますので、よろしければどうぞ。
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