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写真は朝7時前のニューラン<br /><br />2009年5月12日(火)~5月17日(日)<br />前説<br />ベトナムの旅行記、戦争関係の書籍、開高健さんのベトナム戦記、沢木耕太郎さんの一号線を北上せよ、ホーチミン・ルート従軍記、近藤 紘一さんのベトナムの一番長い日を読み、いつしか行ってみたい国となり知人、友人の薦めもあって今回初めてのホーチミン訪問となりました。事前にサイトで調べたりして、いつも不思議に思うけれど、東南アジアに行く時は添乗員なしのパックツアーがやっぱり安くて、今回はAir Linkに頼み4泊6日にしてホテルは憧れのマジェスティックホテルにしました。マジェスティックは1925年の誕生からベトナムの混乱の歴史とともに、何度も生まれ変わり、第二次世界大戦中には日本軍の兵舎として使用され、ベトナム戦争中には海外特派員やスパイ活動の拠点として頻繁に利用されたそうです。コロニアル建築のホテルの中では代表するホテルなので一度は泊まりたいと思い決めたホテルです。ホテルに行くのが楽しみな今回の旅行、さて今回はどんな失態を私がするのか乞うご期待です。<br /><br />5月13日(水)<br />いつもですが朝6時半に起床、時差があってもどういう訳かこの時間に目が覚める、ホーチミンは初めてだけれど好奇心旺盛な親父は妻をホテルに残しひたすら街を徘徊します。まずはサイゴン川を見たくてホテルを出て道路を渡るのですが、まばらなバイクなのに途切れないから歩いて渡るのが中々難しい。何とか渡り川岸に川上に向っての散歩です。サイゴン川は東南アジア諸国の川と同じで色が茶色、そして何でも流れている。(死体は流れていなかったけれど)川岸では、何故か年寄りが体操代わりの太極拳とか、訳の分からん体操をしている。天秤棒の屋台も少しですが来ている メーリン広場まで来てから今度は川下に歩きハムギー通りまで歩く。<br />地図にはボンサイ号の桟橋があって船があると書いていたけれど船はなかった。この件については後で説明します。<br />ここから又道路を渡りニューランの場所を確認する。ここのバインミーが有名で一度は食べたいと思っていたお店です。しかしよだれを垂らしながら買うのを止めて、何故ならこれからマジェスティックの朝食があるのに食べてしまったら朝食を食べられない事態になってしまう、後ろ髪を引かれながら旧市場を見に行く。さすがに屋台も木造でトラディッショナルです。距離にして50m位なのですが一軒の大きさが幅1.8mから2.3m位なので小さなお店がひしめきあっています。売っている物は日用品から果物、野菜、フォー、バインミー、バインセオ、コピーの時計、財布、Tシャツとありとあらゆる物です。一通り見てから日本大使館の前を通りホテルに戻る。ホテルのレストランの前を通ると欧米系の宿泊客が殆どで日本人の姿が見えない。朝から日本語を聞くのは精神衛生上よろしくないです。部屋に戻り妻を起こし朝食会場に行く。会場に入り料理の種類の多さに驚く。ハム、チーズは勿論フォーもあってその場で作ってくれる。パンも種類が多く、菓子パンもあって妻は大喜び。コーヒーもエスプレッソ、カプチーノまであり満足できます。フルーツジュースは生でした、中華系のお粥、シリアル、ヨーグルト、レバーペーストと昔のヨーロッパのホテルの朝食とは全然違います。やっぱり東南アジアの朝食は良いですネ。<br />今日の予定は、午後からウエンディーツアーのホーチミンハイライトです。食事が終わって部屋で少し休み、午前中にウェンディーのオフィスに行きましたが、オフィスはシェラトンホテルの中にあり隣のオフィスはJALでした。日本人のスタッフ、桑野さん、京極さんに色々とお世話をかけたのでお礼を言い支払いを済ませウエンディーツアーに紹介して頂いた両替屋に行く。レートは187.1ドンで、5000円で935,500.00ドン、一瞬お金持ちになったけれど持っているのが大変です。ドルは100円で1.2ドルでした。<br />両替所の名前はHUNG LONG。 住所は、86 Mac Thi Buoi Street<br />ドンコイ通りとマック ティ ブオイ通りの交差点から(ベトナムハウスというレストランが角にあります)グエンフエ通りに向かって歩き、角から2軒隣りです。殆どのホテルに「ドンコイ通りを歩こうMAP」と言う日本語のガイドマップがありますので(無料)それを貰って見ると一目瞭然です。<br />朝食をメッチャ食べたものだから昼食を食べないでシェラトンホテル、モージョー(スイーツ、カフェ)で休憩、アップルジュース$4.5、パッションフラッペ$4.8、ショーケーキ$3、の税込$13.57でした。その後ホテルに戻り、午後1時になったのでロビーに移動してウエンディーツアーのガイド、フンさんとワゴン車に乗り込み まず最初に統一会堂です、ベトナム戦争終結まではベトナム共和国の大統領府及び官邸とされ使用され、1975年4月30日のベトナム戦争終結時に、サイゴン市内に突入した北ベトナム軍の戦車がこの建物のフェンスを破り突入、南ベトナムの首都サイゴンは陥落した。その際の映像は「一つの国が消滅する瞬間」として全世界に配信され有名となった。現在でも、その当時のソ連製の戦車が敷地内で展示されています。これは何度も本を読んでいて分かっている事ですが実際の物を見ると感動します。だってこんな小さなベトナムがフランスに勝ってアメリカに勝って、中国にも勝ってしまうのです。そんなベトナムが私は大好きです。どこかの国のようにアメリカに諂って生きているのとは大違いです。現在は南ベトナム大統領府当時のままで保存され、事実上の博物館として一般公開されているほか、建物内の一部の部屋は国際会議などで使用されています。<br />次に(サイゴン聖母大聖堂)はベトナムのホーチミン市1区にあるカトリックの大司教座大聖堂で、聖マリア大聖堂とも呼ばれています。サイゴンがフランスの植民地だった1863年から1880年にかけて赤レンガをフランスから持ってきて建設されたそうです。内部を見るのに時間が決まっていて丁度入れない時間だったので中央郵便局を見た後に内部に入る事にする。<br />中央郵便局にはホーおじさんの肖像画か飾られています、世界各国の時間を示す時計、昔のサイゴンの地図、そして英語の代書をしている有名なおじさんもまだまだ頑張っていました。建物中央には土産品が並んでいて購入する事も可能です。<br />時間になったので教会内部に移り、中を見て別段感動がありません。きっとヨーロッパでたくさん教会を見て来ているからでしょう。<br /><br />次に向かったのが戦争証跡博物館です、建物は3階建てで、屋外にはベトナム戦争で使用された戦闘機やヘリコプター、戦車が展示されていて、屋内には大砲や爆弾などの遺物、戦争の足跡をたどる貴重な記録が展示していて、枯葉剤の犠牲となった人々の写真とホルマリン漬けの赤ちゃんもある。アメリカがどれだけひどい事をしてきたか、そしてそれを正当化しようとしていた政府が気にくわん。戦争中に命を落とした戦場カメラマン、報道写真家たちについて紹介するコーナーがあり、ロバート・キャパをはじめとした世界中のカメラマンについての文が写真と共にあり、ピュリッツァー賞を受賞した沢田教一の『安全への逃避』もありました、一ノ瀬泰造の『地雷を踏んだらサヨウナラ』を紹介する文と、彼が愛用していたカメラ(ニコンF。弾丸が貫通している)の写真がありリアル過ぎて一瞬言葉が出なかったです。入ってすぐに写真を撮ったのですがそれ以上記念写真は撮れなかった、というより笑顔にはなれなかった。妻もこういう戦争関係は嫌いな方なのでこれからの旅行でリアルな所は避けようと話しました。<br /><br />人民委員会庁舎ですが、車の中からの車窓です。聖マリア教会と並んで人気の記念撮影スポットで、インドシナの植民地時代を代表する建物の前に今ではホーチミンの銅像が置かれ、歴史の皮肉を感じました。庁舎はフランス植民地時代の1901~1908年にイタリア・ルネサンス様式で建てられ、当時はアジアの国にしては贅沢すぎるとヨーロッパで論争が起きたとか。フランス占領時代は市庁舎として使用されていて、ベトナムがフランスの占領下になったのは1887年で、ラオス、カンボジアの一部を含めたいわゆるフランス領インドシナが成立し、フランスはベトナム文化や伝統を拒絶したため農民や労働者が組織化して民族運動(ベトミン)に発展しました。その中心人物がホーチミンだったのです。その後1940年にフランスがドイツに降伏するまでフランスの占領が続きましたが、ドイツが第二次世界大戦に負けたため、ホーチミンがベトナム民主共和国の独立を宣言しました。<br />次にベンタイン市場を見学、ところ狭しと品物が並び食料品あり、衣類あり、食器、鍋、釜ありとあらゆるものが高く積まれて売られている。<br />お客は多くないので客寄せの声が大きい。路上でオカマちゃんがネイルをしていてベトナムにもオカマがいるんだと驚いた。<br />食材の所では亀も売っていて何でも食べちゃうの?状態で、<br />ホーチミンハイライトはここまでで車に乗ってホテルに戻ります。料金は 20$×2 時間は3時間位です。<br />ウエンディーツアーのガイド、フンさんはとっても真面目な女性で一生懸命汗を拭き拭き、説明をしてくれました。ありがとう。<br /><br />ホテルに戻ってきてから少し休み、夕食をとる為のレジェンドホテルに向かう。マジェスティックからは歩いても遠くないと思い向かったのだが、メーリン広場で本を売る子供達に囲まれて大変でした。教訓そのⅠ、近くてもタクシーを使うべき。<br /><br />内容は、料理の数が半端じゃない。ステーキ、ローストビーフから、ロブスター、寿司、チャーハン、中華系の料理、ベトナム料理、ハモンセラーノまであり、スイーツ、フルーツ、チョコレートフォンデュと。さすがの私も全部は食べ尽くせなかった。飲み物もコップにビールが半分位になったら注ぎに来るので何杯飲んだか分からない状態でした。<br />アトリウムカフェ(レジェンドホテル) 18:00-22:00 ディナービュッフェ $35×2と税金のトータル$77.18でした。<br />支払いを終えてトイレに入ったらなんとウォシュレットのトイレでベトナムでこのトイレに遭えるなんて感動ものでした。<br />ドアボーイにタクシーを呼んでもらってタクシーの運ちゃんに料金を聞くと$2だと言いやがる、メーターを下ろしてドンで払うと言ってマジェスティックまで行くと18000ドンでした。皆さん気をつけて下さい、やっぱりサイゴンタクシーはボッタクリです。メイリンタクシーかブルータクシー、イエロータクシー、ビナサンタクシーが無難です。今日はあまりにも食べ過ぎてこのまま寝てしまう。<br /><br />

2009年5月、ホーチミン暴飲暴食の旅?②

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2009/05/13 - 2009/05/13

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グラナダ

グラナダさん

写真は朝7時前のニューラン

2009年5月12日(火)~5月17日(日)
前説
ベトナムの旅行記、戦争関係の書籍、開高健さんのベトナム戦記、沢木耕太郎さんの一号線を北上せよ、ホーチミン・ルート従軍記、近藤 紘一さんのベトナムの一番長い日を読み、いつしか行ってみたい国となり知人、友人の薦めもあって今回初めてのホーチミン訪問となりました。事前にサイトで調べたりして、いつも不思議に思うけれど、東南アジアに行く時は添乗員なしのパックツアーがやっぱり安くて、今回はAir Linkに頼み4泊6日にしてホテルは憧れのマジェスティックホテルにしました。マジェスティックは1925年の誕生からベトナムの混乱の歴史とともに、何度も生まれ変わり、第二次世界大戦中には日本軍の兵舎として使用され、ベトナム戦争中には海外特派員やスパイ活動の拠点として頻繁に利用されたそうです。コロニアル建築のホテルの中では代表するホテルなので一度は泊まりたいと思い決めたホテルです。ホテルに行くのが楽しみな今回の旅行、さて今回はどんな失態を私がするのか乞うご期待です。

5月13日(水)
いつもですが朝6時半に起床、時差があってもどういう訳かこの時間に目が覚める、ホーチミンは初めてだけれど好奇心旺盛な親父は妻をホテルに残しひたすら街を徘徊します。まずはサイゴン川を見たくてホテルを出て道路を渡るのですが、まばらなバイクなのに途切れないから歩いて渡るのが中々難しい。何とか渡り川岸に川上に向っての散歩です。サイゴン川は東南アジア諸国の川と同じで色が茶色、そして何でも流れている。(死体は流れていなかったけれど)川岸では、何故か年寄りが体操代わりの太極拳とか、訳の分からん体操をしている。天秤棒の屋台も少しですが来ている メーリン広場まで来てから今度は川下に歩きハムギー通りまで歩く。
地図にはボンサイ号の桟橋があって船があると書いていたけれど船はなかった。この件については後で説明します。
ここから又道路を渡りニューランの場所を確認する。ここのバインミーが有名で一度は食べたいと思っていたお店です。しかしよだれを垂らしながら買うのを止めて、何故ならこれからマジェスティックの朝食があるのに食べてしまったら朝食を食べられない事態になってしまう、後ろ髪を引かれながら旧市場を見に行く。さすがに屋台も木造でトラディッショナルです。距離にして50m位なのですが一軒の大きさが幅1.8mから2.3m位なので小さなお店がひしめきあっています。売っている物は日用品から果物、野菜、フォー、バインミー、バインセオ、コピーの時計、財布、Tシャツとありとあらゆる物です。一通り見てから日本大使館の前を通りホテルに戻る。ホテルのレストランの前を通ると欧米系の宿泊客が殆どで日本人の姿が見えない。朝から日本語を聞くのは精神衛生上よろしくないです。部屋に戻り妻を起こし朝食会場に行く。会場に入り料理の種類の多さに驚く。ハム、チーズは勿論フォーもあってその場で作ってくれる。パンも種類が多く、菓子パンもあって妻は大喜び。コーヒーもエスプレッソ、カプチーノまであり満足できます。フルーツジュースは生でした、中華系のお粥、シリアル、ヨーグルト、レバーペーストと昔のヨーロッパのホテルの朝食とは全然違います。やっぱり東南アジアの朝食は良いですネ。
今日の予定は、午後からウエンディーツアーのホーチミンハイライトです。食事が終わって部屋で少し休み、午前中にウェンディーのオフィスに行きましたが、オフィスはシェラトンホテルの中にあり隣のオフィスはJALでした。日本人のスタッフ、桑野さん、京極さんに色々とお世話をかけたのでお礼を言い支払いを済ませウエンディーツアーに紹介して頂いた両替屋に行く。レートは187.1ドンで、5000円で935,500.00ドン、一瞬お金持ちになったけれど持っているのが大変です。ドルは100円で1.2ドルでした。
両替所の名前はHUNG LONG。 住所は、86 Mac Thi Buoi Street
ドンコイ通りとマック ティ ブオイ通りの交差点から(ベトナムハウスというレストランが角にあります)グエンフエ通りに向かって歩き、角から2軒隣りです。殆どのホテルに「ドンコイ通りを歩こうMAP」と言う日本語のガイドマップがありますので(無料)それを貰って見ると一目瞭然です。
朝食をメッチャ食べたものだから昼食を食べないでシェラトンホテル、モージョー(スイーツ、カフェ)で休憩、アップルジュース$4.5、パッションフラッペ$4.8、ショーケーキ$3、の税込$13.57でした。その後ホテルに戻り、午後1時になったのでロビーに移動してウエンディーツアーのガイド、フンさんとワゴン車に乗り込み まず最初に統一会堂です、ベトナム戦争終結まではベトナム共和国の大統領府及び官邸とされ使用され、1975年4月30日のベトナム戦争終結時に、サイゴン市内に突入した北ベトナム軍の戦車がこの建物のフェンスを破り突入、南ベトナムの首都サイゴンは陥落した。その際の映像は「一つの国が消滅する瞬間」として全世界に配信され有名となった。現在でも、その当時のソ連製の戦車が敷地内で展示されています。これは何度も本を読んでいて分かっている事ですが実際の物を見ると感動します。だってこんな小さなベトナムがフランスに勝ってアメリカに勝って、中国にも勝ってしまうのです。そんなベトナムが私は大好きです。どこかの国のようにアメリカに諂って生きているのとは大違いです。現在は南ベトナム大統領府当時のままで保存され、事実上の博物館として一般公開されているほか、建物内の一部の部屋は国際会議などで使用されています。
次に(サイゴン聖母大聖堂)はベトナムのホーチミン市1区にあるカトリックの大司教座大聖堂で、聖マリア大聖堂とも呼ばれています。サイゴンがフランスの植民地だった1863年から1880年にかけて赤レンガをフランスから持ってきて建設されたそうです。内部を見るのに時間が決まっていて丁度入れない時間だったので中央郵便局を見た後に内部に入る事にする。
中央郵便局にはホーおじさんの肖像画か飾られています、世界各国の時間を示す時計、昔のサイゴンの地図、そして英語の代書をしている有名なおじさんもまだまだ頑張っていました。建物中央には土産品が並んでいて購入する事も可能です。
時間になったので教会内部に移り、中を見て別段感動がありません。きっとヨーロッパでたくさん教会を見て来ているからでしょう。

次に向かったのが戦争証跡博物館です、建物は3階建てで、屋外にはベトナム戦争で使用された戦闘機やヘリコプター、戦車が展示されていて、屋内には大砲や爆弾などの遺物、戦争の足跡をたどる貴重な記録が展示していて、枯葉剤の犠牲となった人々の写真とホルマリン漬けの赤ちゃんもある。アメリカがどれだけひどい事をしてきたか、そしてそれを正当化しようとしていた政府が気にくわん。戦争中に命を落とした戦場カメラマン、報道写真家たちについて紹介するコーナーがあり、ロバート・キャパをはじめとした世界中のカメラマンについての文が写真と共にあり、ピュリッツァー賞を受賞した沢田教一の『安全への逃避』もありました、一ノ瀬泰造の『地雷を踏んだらサヨウナラ』を紹介する文と、彼が愛用していたカメラ(ニコンF。弾丸が貫通している)の写真がありリアル過ぎて一瞬言葉が出なかったです。入ってすぐに写真を撮ったのですがそれ以上記念写真は撮れなかった、というより笑顔にはなれなかった。妻もこういう戦争関係は嫌いな方なのでこれからの旅行でリアルな所は避けようと話しました。

人民委員会庁舎ですが、車の中からの車窓です。聖マリア教会と並んで人気の記念撮影スポットで、インドシナの植民地時代を代表する建物の前に今ではホーチミンの銅像が置かれ、歴史の皮肉を感じました。庁舎はフランス植民地時代の1901~1908年にイタリア・ルネサンス様式で建てられ、当時はアジアの国にしては贅沢すぎるとヨーロッパで論争が起きたとか。フランス占領時代は市庁舎として使用されていて、ベトナムがフランスの占領下になったのは1887年で、ラオス、カンボジアの一部を含めたいわゆるフランス領インドシナが成立し、フランスはベトナム文化や伝統を拒絶したため農民や労働者が組織化して民族運動(ベトミン)に発展しました。その中心人物がホーチミンだったのです。その後1940年にフランスがドイツに降伏するまでフランスの占領が続きましたが、ドイツが第二次世界大戦に負けたため、ホーチミンがベトナム民主共和国の独立を宣言しました。
次にベンタイン市場を見学、ところ狭しと品物が並び食料品あり、衣類あり、食器、鍋、釜ありとあらゆるものが高く積まれて売られている。
お客は多くないので客寄せの声が大きい。路上でオカマちゃんがネイルをしていてベトナムにもオカマがいるんだと驚いた。
食材の所では亀も売っていて何でも食べちゃうの?状態で、
ホーチミンハイライトはここまでで車に乗ってホテルに戻ります。料金は 20$×2 時間は3時間位です。
ウエンディーツアーのガイド、フンさんはとっても真面目な女性で一生懸命汗を拭き拭き、説明をしてくれました。ありがとう。

ホテルに戻ってきてから少し休み、夕食をとる為のレジェンドホテルに向かう。マジェスティックからは歩いても遠くないと思い向かったのだが、メーリン広場で本を売る子供達に囲まれて大変でした。教訓そのⅠ、近くてもタクシーを使うべき。

内容は、料理の数が半端じゃない。ステーキ、ローストビーフから、ロブスター、寿司、チャーハン、中華系の料理、ベトナム料理、ハモンセラーノまであり、スイーツ、フルーツ、チョコレートフォンデュと。さすがの私も全部は食べ尽くせなかった。飲み物もコップにビールが半分位になったら注ぎに来るので何杯飲んだか分からない状態でした。
アトリウムカフェ(レジェンドホテル) 18:00-22:00 ディナービュッフェ $35×2と税金のトータル$77.18でした。
支払いを終えてトイレに入ったらなんとウォシュレットのトイレでベトナムでこのトイレに遭えるなんて感動ものでした。
ドアボーイにタクシーを呼んでもらってタクシーの運ちゃんに料金を聞くと$2だと言いやがる、メーターを下ろしてドンで払うと言ってマジェスティックまで行くと18000ドンでした。皆さん気をつけて下さい、やっぱりサイゴンタクシーはボッタクリです。メイリンタクシーかブルータクシー、イエロータクシー、ビナサンタクシーが無難です。今日はあまりにも食べ過ぎてこのまま寝てしまう。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
観光バス タクシー
航空会社
ANA
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)

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  • 最初は統一会堂です、建物はアメリカ風で好きじゃない。

    最初は統一会堂です、建物はアメリカ風で好きじゃない。

  • ベトナム戦争当時、大統領府の鉄の門を押し倒して進入したソ連製戦車。その後、南ベトナムは陥落して行く。

    ベトナム戦争当時、大統領府の鉄の門を押し倒して進入したソ連製戦車。その後、南ベトナムは陥落して行く。

  • 統一会堂から聖マリア教会方向を写す

    統一会堂から聖マリア教会方向を写す

  • サイゴン聖母大聖堂(聖マリア教会)、寝ころんで撮らないと全体が写せない。サイゴンがフランスの植民地だった1863年から1880年にかけて赤レンガをフランスから持ってきて建設されたそうです。

    サイゴン聖母大聖堂(聖マリア教会)、寝ころんで撮らないと全体が写せない。サイゴンがフランスの植民地だった1863年から1880年にかけて赤レンガをフランスから持ってきて建設されたそうです。

  • サイゴン中央郵便局(en)の横にあり、ナムキーコイギア通りを正面に、統一会堂と対面しています。

    サイゴン中央郵便局(en)の横にあり、ナムキーコイギア通りを正面に、統一会堂と対面しています。

  • サイゴンの中央郵便局は天井も高く内装も豪華で、非常に立派なものです。ホールの中央に長いテーブルがあり、そこで手紙を書けるようになっていて、英語が書けない人の代わりに代筆するおじさんは健在で頑張っていました。

    サイゴンの中央郵便局は天井も高く内装も豪華で、非常に立派なものです。ホールの中央に長いテーブルがあり、そこで手紙を書けるようになっていて、英語が書けない人の代わりに代筆するおじさんは健在で頑張っていました。

  • 建物内部、奥に飾られている絵がホーおじさんで、売店の奥にある長椅子で代筆するおじさんが頑張っていました。

    建物内部、奥に飾られている絵がホーおじさんで、売店の奥にある長椅子で代筆するおじさんが頑張っていました。

  • 昔のサイゴンの地図

    昔のサイゴンの地図

  • 昔のベトナム南部の地図

    昔のベトナム南部の地図

  • 聖マリア教会内部

    聖マリア教会内部

  • 聖マリア教会内部、ステンドグラス

    聖マリア教会内部、ステンドグラス

  • 戦争証跡博物館に入ってすぐにアメリカ軍の飛行機が。<br />A37ドラゴンフライ攻撃機だとマニアックな息子が教えてくれた

    戦争証跡博物館に入ってすぐにアメリカ軍の飛行機が。
    A37ドラゴンフライ攻撃機だとマニアックな息子が教えてくれた

  • アメリカ軍の戦車、このような武器をアメリカから持って来てもベトコンには勝てなかったアメリカ。

    アメリカ軍の戦車、このような武器をアメリカから持って来てもベトコンには勝てなかったアメリカ。

  • ベトナム戦争の遺物、F-5Eタイガー?戦闘機。ベトナム戦争ではあまり使われなかったみたいで、今航空観閲なんたらかんたらで百里基地に来ているとマニアックな息子が言っていた

    ベトナム戦争の遺物、F-5Eタイガー?戦闘機。ベトナム戦争ではあまり使われなかったみたいで、今航空観閲なんたらかんたらで百里基地に来ているとマニアックな息子が言っていた

  • アメリカ製F-5Eタイガー?戦闘機、後ろ側

    アメリカ製F-5Eタイガー?戦闘機、後ろ側

  • アメリカの置き土産のヘリコプター、撤退するのによっぽど余裕が無かったのでしょう。

    アメリカの置き土産のヘリコプター、撤退するのによっぽど余裕が無かったのでしょう。

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