2011/09/25 - 2011/10/02
80位(同エリア104件中)
macoさん
滞在2日目。この日はアンマンから北東の都市、ザルカへと向かう。特にこれという予定や計画など持ち合わせなていなかったため、マヘルの仕事に同行することになった。彼と彼のパパさんと2人の仕事の関係者である、あるアラブ人と僕という運びになった。関係者氏の少々くたびれたシビックに乗り込み一路、ザルカにあるという会社の倉庫へ1時間ほどのドライブとなった。首都アンマンの鳴り響くクラクションを後に市外へ出ると太陽と空と砂漠であった。
ザルカに近づくにつれ空気が変わってきた。はて、何故あろうか。理由は軍事施設であった。会社の倉庫とは即ち、軍の倉庫を借りているものらしい。およそ一般の観光客はまず来ることはないだろうスポットではある。通された部屋の調度品から何かしらの階級についているだろう軍人と握手を交わし、暖かい紅茶を頂きソファに腰掛け商談か、世間話か、アラビア語での会話に耳を傾ける。言葉のイントネーションからスペイン語に近いものを感じた。歴史を遡ればイベリア半島は長くイスラムの支配下にあったのだから、言語に影響を与えたというのは十分に考えられる。
倉庫を見学し、はじめとは違う部屋に通されまた別の軍人さんと握手を交わし、街のスーパーで市場調査だろうか、またまた別の軍人さんと握手を交わし、また別の施設でまたまたまた別の軍人さんと握手を交わすこととなたった。僕はただの民間人であるというのに。延々、アラビア語での会話のためか瞼が重くなる。
「時差ぼけだね」
パパさんがにこやかに言った。時差ぼけの感覚などなかったがこれがそうなのか。
アンマンのパパさん宅に戻り遅めの昼食を頂き、暇を待て余していたのでママさんから携帯を借り近くのモールへ買い物でもしようかと出かけみた。食品売り場に釘付けとなり、一通りウインドウショッピングを済ませたあと、カフェへふらりと立ち寄った。スパイスの効いたアラブコーヒー、これがとても美味い。店のテレビでサッカーを見ていると携帯が鳴り、パパさん、ママさん、マヘルが会社の事務所に向かうとのことなので相変わらず予定を持ち合わせていない僕も付いていくことにした。市内を車でしばらく走ると、建物の造りが違ってきた。アンマン市内でもダウンタウンや僕が転がり込んで泊まらせてもらっている地区は建物に違いがあり、造り自体は白を基調としたものだが前者は壁が黄色く汚れ、後者は色はそれほど汚れてはいなく綺麗であった。しかし、この地区は建物自体は白く綺麗であるが何処か街そのものが寂しく感じられた。ここら一帯は新しく開発された場所であるらしくイラク戦争から逃れてきたイラク人が投資を行った街であるとママさんが説明してくれた。
事務所にて倉庫の片付けを手伝い、せっかくなので観れるものは観ておこうとメインストリートを案内してもらった。そこは珍しく、歩行者天国になっておりZARAやスターバックスなどが店舗を構え、ファストフード店も洒落たものになっていた。
「ヨルダンの銀座ですね」
と、パパさんがいった。なるほど、確かに高級感は感じる。しかし街にダウンタウンのような活気がない。それは普通のヨルダン人の生活感とのギャップであった。ヨルダンの75%以上の人が平均月収5万円以下で生計を立てているためにこの街の商品はひどく高いのだ。ゆえに何処か寂しさを感じさせる街になってしまったのだろう。夕食はマンサフと呼ばれる料理を頂いた。ヨルダン風炊き込みご飯といったところで鶏肉と米とが一緒に炊き込まれていて味もとても良くヨルダン人にならってヨーグルトをかけて食べたところこれもまた美味かった。
3日目の朝は曇っていた。昨晩に砂嵐が来たためだという。砂嵐の到来とともにこの国の季節も移り変わるのだという。この日の午前中は言ってしまえば会社の新人研修といった趣であった。マヘルと一緒に立ち寄ったところと言えば、郵便局に、商工会議所、銀行、何処かのオフィスといった有様である。商工会議所では待ち時間の間にはコーヒーが振舞われた。客にお茶やコーヒーを振舞うのはアラブの習慣である。こうした良い習慣も近頃は減ってきてしまっているという。もっとも場合によってはただの社交辞令と化すのだが。
午後の予定はもちろん立っておらず取り敢えずアンマンから近くの観光地へ向かおうということになり、マヘルとともに市内のバスターミナルへと向かうがちょうどバスが出たばかりであった。日本だと当たり前のことであるがタイムテーブルなど存在せず乗り遅れたら次をひたすら待つばかりとなる。時計は3時をゆうに越えていてこのまま次のバスを待ってもろくに観光もせずとんぼ返りとなってしまう可能性がありやむなく引き返すことに。
しかしながら、僕としては道中を市内バスで移動したことが少なからず楽しめたことであった。その国の人々が生活の足に利用するものを利用する。こうした経験はその国をより理解するために必要だと思う。降りる際にドアに足を挟まれる経験など無用であるが。自分のドン臭さを異国の地で披露するなど。
夕食は鶏肉のオーブン焼きを頂いた。この時に初めて食事の写真をとっていないことに気付き写真を平らげる前に1枚撮らせてもらった。しかし、アラブ料理の美味いことといったら。この晩、マヘルの家に訪問者がやってきた。彼の名前はアーメル。コーサカス系のヨルダン人であり、日本語が堪能であり、この旅のハイライトであるワディ・ラムとぺトラ観光の同行者でもある。
この晩はこの国ではじめてアルコールを飲んだ。3人でビールを飲み、遅くまでヨルダンを含む近代史の話で盛り上がり心地よく眠りに付く事が出来た。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- エティハド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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