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梅田から地下鉄で南方へ<br />歩いて水道記念館を見学、長柄橋を渡り、淀川旧分流施設を見学し歩いて梅田まで戻りました。<br /><br />文化財等の写真撮影<br />重要文化財                1件(2棟)<br />日本百名橋                1件<br />日本におけるDOCOMOMO150選 1件<br />登録有形文化財(建造物)  9件

南方→水道記念館→長柄橋→淀川旧分流施設→梅田

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2011/10/07 - 2011/10/07

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アレチン

アレチンさん

梅田から地下鉄で南方へ
歩いて水道記念館を見学、長柄橋を渡り、淀川旧分流施設を見学し歩いて梅田まで戻りました。

文化財等の写真撮影
重要文化財  1件(2棟)
日本百名橋  1件
日本におけるDOCOMOMO150選 1件
登録有形文化財(建造物)  9件

同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 大阪市営地下鉄御堂筋線【日本におけるDOCOMOMO150選】<br /><br />まず、御堂筋線に乗って、南方まで行きました。<br />写真は梅田駅です。<br />梅田駅で写真をとることなんてめったにありません・・・

    大阪市営地下鉄御堂筋線【日本におけるDOCOMOMO150選】

    まず、御堂筋線に乗って、南方まで行きました。
    写真は梅田駅です。
    梅田駅で写真をとることなんてめったにありません・・・

  • 水道記念館【登録有形文化財(建造物)】<br /><br />1914年に完成、1986年までポンプ場として活動、1995年に水道記念館になりました。<br /><br />

    水道記念館【登録有形文化財(建造物)】

    1914年に完成、1986年までポンプ場として活動、1995年に水道記念館になりました。

    水道記念館 美術館・博物館

  • 水道記念館<br /><br />中は無料で見学できます。<br />向かって右側は琵琶湖や淀川に生存している魚などを展示していて、天然記念物の「アユモドキ」もいます。<br />向かって左側は水道の歴史などが展示してあり、大阪の町を水を売って歩く模型などが展示されていました。<br />1590年に徳川家康が江戸に上水道を造ったそうですが、小田原の北条氏を制圧して、北条氏が水道を整備していたことに習って行ったようです。<br />神田上水、玉川上水などが整備されていきました。

    水道記念館

    中は無料で見学できます。
    向かって右側は琵琶湖や淀川に生存している魚などを展示していて、天然記念物の「アユモドキ」もいます。
    向かって左側は水道の歴史などが展示してあり、大阪の町を水を売って歩く模型などが展示されていました。
    1590年に徳川家康が江戸に上水道を造ったそうですが、小田原の北条氏を制圧して、北条氏が水道を整備していたことに習って行ったようです。
    神田上水、玉川上水などが整備されていきました。

    水道記念館 美術館・博物館

  • 長柄橋【日本百名橋】<br /><br />ひとことでいうとアーチの橋です。全長約650メートル。<br />1983年の完成まで10年掛かりの工事です。<br />まさか2日連続で淀川を歩いて渡るとは思いもしませんでした。<br />意外と徒歩で歩いている人が多くいました。

    イチオシ

    長柄橋【日本百名橋】

    ひとことでいうとアーチの橋です。全長約650メートル。
    1983年の完成まで10年掛かりの工事です。
    まさか2日連続で淀川を歩いて渡るとは思いもしませんでした。
    意外と徒歩で歩いている人が多くいました。

  • 淀川旧分流施設 眼鏡橋<br /><br />もともと利用されていた橋で、今は公演の入口のシンボル的存在に見えます。<br /><br />

    淀川旧分流施設 眼鏡橋

    もともと利用されていた橋で、今は公演の入口のシンボル的存在に見えます。

  • 淀川旧分流施設毛馬第一閘門【重要文化財】<br /><br />現在は淀川河川公園の一施設として整備されているので、見学可能です。<br />淀川は大規模な洪水が頻繁に発生していたため、明治29年から改修工事に入り、その工事の中で第一閘門と洗堰を設置しました。<br />目的は旧淀川に流れる水量の調節と船運の利便です。<br />この第一閘門は船舶が通過するために新淀川と旧淀川(大川)の水位を調整するための設備です。

    淀川旧分流施設毛馬第一閘門【重要文化財】

    現在は淀川河川公園の一施設として整備されているので、見学可能です。
    淀川は大規模な洪水が頻繁に発生していたため、明治29年から改修工事に入り、その工事の中で第一閘門と洗堰を設置しました。
    目的は旧淀川に流れる水量の調節と船運の利便です。
    この第一閘門は船舶が通過するために新淀川と旧淀川(大川)の水位を調整するための設備です。

    淀川河川公園 公園・植物園

  • 淀川旧分流施設毛馬第一閘門制水扉<br /><br />第一閘門は門から歩いて扉のとこまで近寄ることができます。<br />門をくぐるとその先には階段があり、Uターンしなくても別のスポットの見学に行くことが可能です。

    淀川旧分流施設毛馬第一閘門制水扉

    第一閘門は門から歩いて扉のとこまで近寄ることができます。
    門をくぐるとその先には階段があり、Uターンしなくても別のスポットの見学に行くことが可能です。

  • 淀川旧分流施設毛馬洗堰【重要文化財】<br /><br />普段の川の水を流すためのものです。扉は10ありましたが、残っているのは3つです。

    淀川旧分流施設毛馬洗堰【重要文化財】

    普段の川の水を流すためのものです。扉は10ありましたが、残っているのは3つです。

  • 淀川改修紀功碑<br /><br />1910年の淀川改修工事の完了記念に建てられたものです。<br />周りに毛馬の残念岩が10個程度あります。

    淀川改修紀功碑

    1910年の淀川改修工事の完了記念に建てられたものです。
    周りに毛馬の残念岩が10個程度あります。

  • 毛馬の残念岩<br /><br />江戸時代に大坂城を再建する時に伏見城から運ばれた石垣の石がその途中で運搬船から転落、その後、淀川改修工事の際に引き上げられたものとされています。

    毛馬の残念岩

    江戸時代に大坂城を再建する時に伏見城から運ばれた石垣の石がその途中で運搬船から転落、その後、淀川改修工事の際に引き上げられたものとされています。

    大阪城 名所・史跡

  • 天神橋筋商店街<br /><br />毛馬から歩いて梅田まで帰りました。<br />その間に有形登録文化財2ヶ所に立ち寄りました。<br />(個人宅なので、省略)<br /><br />途中で通った天神橋筋商店街です。

    天神橋筋商店街

    毛馬から歩いて梅田まで帰りました。
    その間に有形登録文化財2ヶ所に立ち寄りました。
    (個人宅なので、省略)

    途中で通った天神橋筋商店街です。

    天神橋筋商店街 名所・史跡

  • 歩いた距離 6.5キロ<br />歩いた時間 1時間15分

    歩いた距離 6.5キロ
    歩いた時間 1時間15分

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