2011/06/22 - 2011/06/22
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近鉄バッファローズさん
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6年ぶりに四泊六日ではありますが、ドイツへ行く機会に恵まれました。
以前お世話になった方々のところを訪問することと、
まだ行ったことがないところを行くことが、今回の目的です。
目的地は、ラインラントプファルツ州のMaria Laach(マリア ラーハ)と
Schloss Buerresheim(ビュレスハイム城)、Wuerzburg(ヴュルツブルグ)のResidenz(レジデンツ)、
Nuernberg(ニュルンベルグ)のDoku-zentrum(ドク−ツェントルム)、Burghausen(ブルグハウゼン)です。
6/22は、Burghausenを訪れます。
Burghausen城は、欧州で一番長い城なのですが、ガイドブックにも載ることがほとんどなく、ドイツ人もあまり知らない場所です。オーストリアとの国境にあり、町中の川向こうはオーストリアでした。
先史から既に人が定住し、1027年から1164年まではBurghausen侯が治めていたそうです。その頃には、現在の城の南端あたりに石造りの城と城壁と教会が築かれたそうです。短期間のWelfen家の統治の後、城はWittelsbachの手に渡り、南側の城の先端の麓に関所を設けたそうです。バイエルン公Otto二世は1235年に重要な関所や市場であったBurghausenを街に格上げしたそうです。ハインリヒ三世の頃、Burghausen城はBayern-Landshut公の第二の居城となったそうです。そしてハインリヒ三世はBurghausen城南端の本丸に豪華な住居を建てたそうです。また、その隣に礼拝堂も建てたそうです。14世紀中には城山にどんどん城塞が整えられていったそうです。城壁は、本丸から三の丸までが14世紀はじめまでに整えられ、1387年の記録には1km以上になる現在の城の北端までの城塞が既に出来ていたそうです。Bayern-Landshut公最盛期のHeinrich14世、Ludwig9世、Georgと言う三世代が治めた15世紀には、更に建築が進み、現在の城の外観が出来、バイエルンでも一番強力な城塞となったそうです。Landshut継承戦争(1504〜1505)の後、Bayern公国が統一されると、Burghausen城はその第二の居城としての地位を失ってしまったそうです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ミュンヘン中央駅から地下鉄でミュンヘン東駅までまず移動しました。
ミュンヘン東駅で、ここで地下鉄から国鉄のローカル線に乗り換えます。
写真は、乗り換えたMuehldorf/Oberbayern行の各駅停車です。
ミュンヘン東駅がちょっと分かりにくい構造で、何本もあるホームを横断する形で地下通路が二本走っているのですが、片方(東側)しか写真に写っているローカル線のホームへ行けないのです。何度も構内をウロウロして疲れました。皆さんはお気を付け下さい。 -
バイエルンの田舎町を走り抜けていきます。
街で一番目立つのが教会ですね。 -
Muehldorf/Oberbayernに着きました。
ここから更にBurghausen行きの各停(RB)に乗り換えます。 -
Burghausen駅に着きました。駅舎は新しいです。
ホームからそのまま地続きでバスターミナルになります。 -
Burghausenの市バスのバス停です。
1番のバスに乗ってStadtplatzで降りると旧市街の中心に着きます。
その一つ手前Ludwigsbergで降りると、Burghausen城北端の入り口が程近にあります。 -
Burghausenの地図です。
真ん中上にある赤い丸が駅です。ここから南に向けてバスで移動します。
川と湖に挟まれたところがBurghausen城です。 -
バスから撮った風景です。
バスは平日は30分に一本出ています。
土曜日は午前中は30分に一本、午後は一時間に一本になります。
日曜・祝日は、一時間に一本になります。
乗っている時間は10分弱です。 -
バスを降りたところです。本来であれば、ここより少し先がバス停なのですが、この日は催し物の準備で通行止めがありそこまでバスが行きませんでした。写真右側の奥の方にバス停の看板が小さく見えます。
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旧市街から城がちらっと見えます。
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細長いStadtplatzの広場を行くと、St.Jakob教会が見えてきました。
その隣には建てている途中のテントがあります。このためにバスが通行止めになっていました。 -
この教会の横から城へ続く道を上がっていきます。
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まずは、階段を上って行きます。両側にはウチがあります。
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しばらく行くと、石畳の坂道に変わりました。
奥には城が見えます。 -
二の丸に続いてます。
見えるのは、見張り塔とStephanstor塔です。 -
ふと麓を振り返ると、Salzach川と旧市街が見渡せます。
川の向こうは、オーストリア領です。 -
Stephans門をくぐりました。
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その奥の壁には、処刑されるキリストの姿が描かれています。
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その横には、城壁を巡る通路が見えます。
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いよいよ城壁内へと進みます。青空が気持ちいいです。
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城壁内に入ってから振り返ってみました。
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見晴らしのいいところに出ると、左手には本丸(1.Hof)が見えます。
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少し歩くと木製の橋があります。
橋を渡ったところには1480〜90年に作られた本丸への入り口があります。 -
橋の下は空堀になっています。
門の上は門番の住居になっています。 -
下を見ると、St.Jakob教会がよく見えます。
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門を入ると壁面に城の案内があります。
ここには本丸の地図とその紹介がされています。
本丸は4/1〜9/30までは8:30〜18:00、
10/1〜3/31までは8:30〜16:30が開いています。
ここは回廊や空堀で囲まれ、天守閣や門、城壁で更にその守りは強化され、ここには公爵一族とその廷臣が暮らしていたそうです。今は博物館の切符売り場になっている建物の二階は「Duernitz」と呼ばれる暖房付きのダイニング兼リビングがあったそうです。 -
Inneres Burgtorです。
16世紀頃に描かれたフレスコ画と時計、落とし格子の跡があります。 -
「Kemenate」と言う女性達が集った建物だそうです。
13世紀に建てられ、公爵夫人とその従者が住んだそうです。
今は市立博物館になっています。
私が行った日は残念ながら閉まっていました。 -
「Duernitz」と「Kemenate」を結ぶ渡り廊下です。
1523年のWilhelm4世とJakobaea von Baden妃の結婚を記念して両家の紋章が描かれています。 -
元「Duernitz」で、現在は博物館事務所になっている建物です。
チケット売り場もここの中にあります。
州立城博物館
入場料 4.50ユーロ
開館時間
4月〜9月 9:00〜18:00
10月〜3月 10:00〜16:00
Burghausen市博物館
3月15日〜4月、10月〜11月1日 10:00〜16:00
5月〜9月 9:00〜18:00
11月2日〜3月14日 閉館 -
チケット売り場へ行くと、Burghausen城の模型の写真がありました。
1574年頃の様子だそうです。 -
これを模式図にしたものです。
③の赤色で塗られたのが、この建物です。 -
渡り廊下をくぐり、州立博物館へ向かいます。
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その途中にある「Schatzkammer」(=宝物庫)と呼ばれるところです。
Georg公の頃に建て替えられ、金貨が納められていたそうです。
その奥に見える階段が、州立城博物館の入り口になります。
中は自由に写真が撮れますが、フラッシュは禁止です。
かつてのPalasが博物館になっています。 -
階段を上ると小さな部屋におばちゃんが何人かいて、博物館の中の周り方を説明してくれます。
入ってすぐの部屋は、エントランスホールです。 -
公爵の小部屋と呼ばれる部屋にあったテーブルと椅子です
公爵の小部屋は、中世後期の木製天井で覆われ、ゴシック風の出窓があります。この部屋は暖炉によって暖房をされていたそうです。 -
公爵の寝室です。
この部屋の主要な家具は写真にもある寝台です。天蓋、カーテン、絹のベッドカバー等から出来ているそうです。羽布団や藁の入った座布団、掛け布団、クッションなどで保温していたそうです。 -
公爵の大部屋と呼ばれる部屋にあったテーブルと椅子です
公爵の部屋では一番大きな部屋だそうです。しっかりしたカシ材の柱は後期ゴシック期のものだそうです。この部屋には、Bayern-Landshut公のHeinrich、Ludwig、Georgの三賢公がしばしば滞在したそうです。Bayern-Landhut公は三賢公期に最盛期を迎えたそうです。 -
この机でものを書いたのでしょうか?
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各部屋には、絵画が展示されています。
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宮廷長官の部屋と呼ばれています。
この部屋は18世紀にエントランスから分離されたそうです。後期ゴシック様式の天井で覆われているそうです。また1500年頃の高価な家具が備え付けられているそうです。宮廷長官として有名なのが、1474年から1502年頃まで勤めたHans Erban von Wildenbergだそうです。城代として、公爵が不在の時は代理を務めたそうです。また、城の運営や会計も掌握していたそうで、当時はコック長から門番まで最大100人も居たそうです。 -
Woehr湖側の部屋には、城の礼拝堂にちなむマリア像や絵画がありました。
城には、Heinrich13世の作った聖エリザベス礼拝堂と、Georg公が作ったHedwig礼拝堂が備え付けられているそうです。 -
二階へ移動します
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二階は、バイエルン州立絵画館となっています。
15世紀頃、後期ゴシック期の絵画が展示されているそうです。特に宗教画が多く展示されているそうです。また、肖像画も多くあるそうです。 -
キリスト生誕時に東方の三博士が訪問したときの絵です。
15世紀頃の絵画だそうです。 -
聖ベネディクトの埋葬、と題されていました
ベネディクト派の創始者です。 -
聖クララと聖エリザベートと題されています
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キリストの洗礼と題されています
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捕らえられたキリスト、と題されています
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エジプトへの避難、と題されています
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斜めですみません。光の関係です。
聖カタリナの殉教、と題されています。 -
ここからはしばらくキリスト磔の一連の絵画になります
キリストが捕縛された図です。 -
キリストが拷問を受けているようです
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キリストが頭に棘の冠を嵌められている図です
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キリストが十字架を背負って磔場へ向かっている図です
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磔の刑に処されたキリストです
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十字架から下ろされるキリストです
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埋葬されるキリストの図です
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そして、最後に復活するキリストの図です。
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更に上の階へ向かいます
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3階は歴史を描いた17世紀頃の絵画の部屋になっています
ミュンヘンの宮廷画家Hans Werlはバイエルン公爵家の歴史に残る出来事を描いた10枚の絵画を描いたそうですが、そのうち6枚がここに展示されているそうです。
この絵画は1258年のバイエルン公Ludwigとボヘミア王オタカルのMuehldorf am Innでの戦いを描いたものだそうです。 -
1314年にフランクフルトでバイエルン公Ludwigがドイツ王へ選出されたところを描いているそうです
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1440年に、バイエルン公Albrecht三世がボヘミア王位を拒絶した図です
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1322年に起こったバイエルン公Ludwigとハプスブルグ家のFriedrich美公の間のAmpfingの戦いの図です
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Bayern-Straubing公Johannが1408年にマーストリヒトを包囲した図です
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また、歩兵の傭兵を描いた壁掛け絨毯画も展示されています。
16世紀頃のライン川上流地方を放浪していた織物職人が作ったものだそうです。花とオレンジ、山と城が描かれているのがこの時期のライン川上流地方の織物職人特有の様式だそうです。 -
鼓笛隊の姿も描かれています
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騎兵に従う歩兵の姿も描かれています
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そして、屋上へ出ます
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このドアから上がってきました
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火薬塔の方角を眺めました
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Woehr湖です。Salzach川とWoehr湖に挟まれ、天然の要害となっています。
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城の一番先端(最南端)です。船の舳先みたいです。
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城とSalzach川の間には旧市街が広がります。
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あとでこの旧市街も歩きます
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表紙と同じ写真です。
一キロ先の城の端っこまで見渡せます。 -
二の丸以降をアップにしてみました
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右の建物は、チケットを買った建物です。
左に見切れている建物は、Kemenateと言う公爵夫人達が住んだところです。 -
十字架が見えます。この下が礼拝堂のようです。
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城内の聖Elisabeth礼拝堂です。
Niederbayern公Heinrich13世が創建したそうです。聖Elisabethの名はHeinrich13世の后の叔母からに因んだものだそうです。 -
城壁と建物の間の通路を行きます。
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城壁にある銃眼からSalzach川が見えます
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ぐるっと回って、城の東側に来ました。
写真左手から下へ下りる階段があります。 -
火薬塔を目指します
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階段を下りていきます。
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途中から階段の様子が変わります
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結構長い距離を歩かなければなりません
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Woehrの塔です。
ワイン畑の塔とも言われ、中世後期の凝灰岩で作られた塔で、本丸から火薬塔まで続く城壁の津中に作られました。 -
塔を抜けると、Woehr湖に着きました。
天然のプールのようになっていて、有料で遊泳できるようです。 -
湖の遊泳場へ行くのとは違う通路を通ります。
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狭い通路を歩いて行きます。
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途中には、塔があります。内部から写真を撮ってみました。
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かなり火薬塔に近づいてきました
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最後に木々の間を抜けながら山稜へ上がっていきます
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いよいよ火薬塔の麓へ着きました。
ところが、塔の中へ入れる、と思っていたら、全然入るところがありません。 -
仕方なく、城壁の上に何とかよじ登り、城の写真を撮りました。
城壁越しの本丸です。 -
城の全景を見渡せないかと、火薬塔から離れてみます。
遠くから見た火薬塔です。 -
しばらく歩くと、原っぱから城が見渡せました。
でも、一枚の写真には収められませんでした。
この写真は、二の丸手前までが収まっています。 -
こちらは、二の丸と本丸です。
肉眼では、全部見渡せたんですが。 -
再び火薬塔へ戻る途中には、ユダヤ人墓地がありました。
-
再び火薬塔です。また元の本丸へ帰ります。
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また、来た道を帰ります。
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本丸へ戻る階段の途中の風景です。
ワイン畑もあります。
Burghausenは一枚の旅行記にまとめようと思っていましたが、思ったよりも長くなってしまいました。
なので、このあとは「2011年久々のドイツ四泊六日間滞在記 その九」へと続きます‥‥
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この旅行記へのコメント (2)
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- utamiumiuさん 2011/10/17 13:44:16
- 2011年久々のドイツ四泊六日間滞在記 その八 拝見いたしました
- 城フェチの私としてはたまらないお写真ばかりでした。
一人でとぼとぼ歩いてみたいですね。
城壁に登ることはできないでしょうけれど。
- 近鉄バッファローズさん からの返信 2011/10/17 21:55:29
- 投票の御礼
- utamiumiuさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
この度は、早速拙旅行記を拝見頂き有り難う御座います。
また、拙旅行記にご投票賜り誠に有り難う御座います。
Burghausen城は、城好きには堪らないと思います。
Neuschwanstein城のようにきらびやかな城ではありませんが、
川と池に挟まれた尾根に続く1000mを超える城塞は他では見ることが出来ず、
欧州一というのは嘘ではない、と感動しました。
私は一人でドンドコ歩いていました(時間がなかったので急ぎ足で)。
結構長距離を歩きましたので、疲れました。
尾根の上の城壁自体はあまり高くありませんが、
尾根が急な斜面で囲まれているので、城は堅牢です。
城壁の内側からは、簡単に周りの風景が撮ることができました。
城の下にある城下町が、とてもよく見えました。
かなり不便な場所にはありますが、日本人も皆無なので、
是非ともいらっしゃる価値があろうかと思います。
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