2011/05/08 - 2011/05/08
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frau.himmelさん
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待望の「青の塔」に行きました。
日本で一人さびしく留守をしている夫に早速Cメールを送りました。
「さっき青の塔の女性番人さんに逢ったわよ。彼女もあなたにヨロシクって!」。
しばらくして夫から
「何のことやらワカラン。」…。
私の文章力では100文字で詳細な理由なんて無理です。
帰ってからの土産話にとっておきましょう。
実は出発前、BSテレビで「古城街道水紀行」を二人で見たのです。
その中で、ネッカー川沿いの素晴らしい景観もさることながら、とても興味ある話題を取り上げていました。
バート・ヴィンプフェンのシンボルである「青の塔」の女性番人さんのことでした。
夫とそれを見ていた私は、
「ここ行きたい!。この女性と逢ってこようかしら、日本でテレビで見たわよ!って…」
と言ったはずなんですけど、夫は忘れてしまっていたんですね。
◇◆
ところで今回の表紙、青の塔には全く関係ありません。
街の入口で見つけた看板なんですが、「アリガトー」って読めませんか?
(追記)
この旅行記を作成するにあたり、ベームさん、ハッピーねこさん、piachanさんの旅行記を参考にさせていただきました。またハッピーねこさんには地図でもお世話になりました。
どうもありがとうございました。
-
エーベルバッハ駅で1時間近く待ちましたが、フリーマーケット帰りのオバアチャンにお相手をしていただき時間潰しが出来ました。
列車は古城街道沿いを走っています。
沿線にはいくつか古城も見えてきます。 -
バート・ヴィンプフェンに行くにはここで乗り換えです。
Bad Friedrichshall Jagstfeld バート・フリードリヒスハル・ヤクストフェルト。
おお、何て長ったらしい名前…。
でもここは乗り換えの重要な駅のようです。
何本も線路がありましたし、貨物列車も通っていました。 -
ここで35分も待ち時間があるのです。
仕方がないので駅をウロウロ…。
駅の構内に描かれていた絵、何か歴史的由来がありそう…。 -
街中に出るわけも行かず…、時刻表をボーっと眺めていると驚くことに気がつきました。
時刻表を見てください。
私は13時18分のSinsheim行きに乗ります、何と21分にはもうバート・ヴィンプフェンに到着するのです。
35分も知らない土地でジーっと待って、たった3分で到着…? -
やることもないので、車掌さんが列車を開けてくれるのを待ち構えて1番に乗り込みます。
ジンスハイム行き…。
ジンスハイムには航空機博物館がありますね。
ハイデルベルクに抜けるアウトバーン上からよく見えます。 -
列車が走り出したと思ったら、はい、バート・ヴィンプフェンに到着です。
たった3分間では、景色も楽しめません。
石造りの小さな駅舎。
この隣に観光案内所があるはずなのですが、今日は日曜日なのでクローズしています。 -
駅前の案内板を頼りに、右の緩やかな坂道を登り始めます。
右手は城壁が続いています。
あそこにアーチ状の石門が見えます。 -
古い石の門、Unteres Stadttor 下の市門と訳するのでしょうか。
この街には石器時代後期ごろから人が住み始め、起源前450年ごろにはケルト人が山を壁で囲んだという記述もあるそうですから、ここもその頃造られたのでしょうか。 -
左手はずっと木組みの家が奥まで続いています。
カラフルに彩られた木組みの家の街並、私が写した写真では100分の1もお伝えできませんが、とてもきれいなのです。
カメラの調子が良かったらなーと残念で堪りません。 -
何気なく上を見ていて目に入った看板。
私には「アリガトー」と見えました。
あの大震災が起きて2ヶ月も経たないのに、後ろ髪を引かれる思いで出発した今回の旅立ちでした。
旅をしている間中そのことは頭から離れませんでしたが、旅先でいろいろ温かい声をかけていただきました。
まさに今の私の気持ち、「アリガトー」です。 -
ハウプト通りに入ります。
このブルーの木組み家、とても存在感があります。
12世紀ごろから残るという旧市街のカラフルに彩られた木組みの家々…、本当にきれいです。 -
ところどころ磨り減ったこの石畳の道も、何百年と歴史を刻んできたんだなーと、感慨深い思いで歩きます。
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ここにも素晴らしいワイン色の木組みの建物が…。
-
壁に掲げてあった歴史書きには、1450年に建てられたゴシック様式の木組み建築とあります。
-
中央広場にやってきました。
歴史的な木組み建築がずらーっと並んでいる可愛い広場です。
ここは第二次世界大戦でも殆ど被害をうけなかったそうですから、昔ながらの街並みが残っているのですね。 -
観光客の姿や、自転車に乗っている家族連れ、オープンテラスでは大勢の人々がビールを飲んでいます。
みんな日曜日の午後のひと時を思い思いに楽しんでいます。 -
広場といえばお決まりの泉ですね。
この広場にはライオンの噴水があります。
16世紀に造られたもので、わしが鍵を口にくわえている市の紋章の盾を持っています。 -
広場の周りはかわいい木組みの家、家、家。
車さえなかったら、中世の世界に迷い込んだ気持ちになるかもしれません。 -
こちらにはメルヘンの世界に彩りを添える尖塔を持つ教会も見えます。
-
もう少し進んでみましょう。
観光客もみんな幸せそうな顔をして歩いています。
このメルヘンチックな街を訪れると、みんなこんなステキな笑顔になれるのでしょうか。 -
このレストランもステキ!。
後で寄りましょう。 -
マルクト広場にやってきました。
何かお祭りでもあるのでしょうか、美しく花で飾られた噴水があります。 -
市庁舎です。
入口には4つの紋章がはめ込んであります。
この紋章は、12世紀からのこの街の歴史の推移を表しています。
間違っているかもしれませんが私なりに調べてみました。 -
左:12世紀、神聖ローマ帝国に皇帝を輩出していたシュタウンフェン家がこの町に居城を築きます。
右:14世紀になると、シュタウフェン家は衰え、領主の支配から独立し自分達で街の自治を目指す帝国自由都市という形態に変わります。
この紋章、鷲が鍵をくわえているデザインは、自分達が街の鍵を握っていると言うことを表したものだそうです。
中央広場のライオン像もこの紋章を抱えていましたね。 -
右:1803年ー1951年。
30年戦争で衰退した街はその後荒廃し続けていきました。
1802年には帝国自由都市の資格をも剥奪され、1803年からヘッセン=ダルムシュタット伯領となりました。
この街は第二次世界大戦でも殆ど被害を受けなかったそうです。
左:1952年よりバーデン=ヴュルテンベルク州の行政に組み込まれ、現在に至っています。 -
市庁舎の前には13世紀にロマン様式で建てられた福音派市教会があります。
後の1520年には後期ゴシック様式のホール式教会に改築されました。 -
右側のピンク色の壁が市庁舎です。
ここから見えるあの塔は、この町のシンボル、「青の塔」。
そちらに行って見ましょう -
青の塔からこの辺一帯は、皇帝を輩出したシュタウフェン家により、13世紀に建てられた皇帝の宮廷に由来する歴史ある建造物が目白押しです。
この古い家もその頃造られたものだと思います。
テレビで木組みの家の工程を見ることができる家があると言っていましたが、あれがそうなのでしょうか? -
ここに1200年ごろの皇帝居城を示す見取り図があります。
拡大してみましたが見えるでしょうか?
①は青の塔、②石の家、③皇帝の広間だった柱、
④宮廷礼拝堂、⑤赤の塔、⑥城の入口シュタウフェン門 です。 -
古い家の先にある大きな石造りの家は「(Steinhaus)石の家」、見取り図の②です。
現在は歴史博物館になっています。 -
上を見上げます。
ドイツ最大のロマネスク様式の住居と言われているこの建物は、シュタウフェン家の女王が居住していたそうです。 -
石の家の前には六角柱のモニュメントがあります。
六面それぞれに歴史的事柄が刻まれていました。
誰かが1面ずつ写真に撮っていたので私も真似して撮りました(笑)。 -
結局それを訳するのが面倒で…、でも1枚だけ…。
面白いことが判りました。
歴代のここを居城にした神聖ローマ皇帝たちです。
よく歴史に出てくるバルバロッサ(赤ひげ王)がこのカイザープファルツ(皇帝の居城)を造ったんですって。
そのほか、ハインリッヒ6世、フリードリヒ2世、ハインリッヒ7世などの名前が刻んであります。
神聖ローマ帝国には決まった首都がなかったんだそうです。
そこで皇帝は帝国内の拠点を転々と移動しながら領土を統治していたそうです。
このバートヴィンプフェンは皇帝が滞在した城、カイザープファルツを要する街(カイザープラッツ)だったのですね。 -
宮廷礼拝堂④です。
中に入ろうと思いましたが、入口で入場料を徴収していたのでやめました(笑)。
お腹も空いているし…。 -
その代わり無料で入れるここ、かっての宮廷大広間の跡にやってきました(見取り図③)。
見にくい写真でよくお分かりにならないと思いますが、それぞれに意匠を凝らされた石の柱があります。
ここはかつての宮廷大広間だったところですが、今はその建物はなく、北側の壁とこのアーチ(列柱)が残されているのみです。 -
この1つ1つに異なった模様が施されている柱は、最も美しいロマネスク建築に数えられています。
その素晴らしいアーチの間からネッカー川を眺めます。
お天気に恵まれ、素晴らしいネッカー川が臨めました。 -
さて、お昼をいただくもの忘れて街歩きに夢中になっていましたが、もう2時を過ぎました。
いい加減お腹も空いているはずです。
広場のレストランに行きましょう。 -
皇帝の居城から、一般市民階級の住居だった木組みの家の方に移動します。
再び中央広場の方に降りて…。
木組みの家ってちょっと傾いて見えません?
もっとも私の写真の撮り方も悪いけど…。 -
のどが渇いていたので今日はビールにします。
こんなかわいいラベルのビール。
◇◆
途中で北ドイツから旅行しているご夫妻と合席になりました。
こちらの人は皆さん、「ウーアラウブ(休暇)か?」って聞くんですね。
でも、日本にはドイツ式の「ウーアラウブ」がないので、何と答えていいのかいつも困ります。
最近は、「年金受給者(レントネリン)で毎日ウーアラウブです。」と答えるようにしています。 -
店員さんが注文を聞きに来たので、「何か食べるもの出来る?」って聞いたらもう時間的にダメだって。
北ドイツのご主人が自分のケーキを指差しながら、
「ここのケーキいけるよ、店内のショーケースから好きなものを選んできたら?」
って進めてくれました。
ホントにあんまり甘くなくて美味しかったです。
◆◇
さて、北ドイツの方に私が日本から来たと言うと、やはり話題は地震のこと、ツナミのこと、そしてフクシマのこと。
たぶん大変でしたねーって労ってくださったと、何となく理解はできます。でも、悲しきかな私のドイツ語力では、せいぜい「ダンケシェーン」としか言えなくて…。
このように親切な方には、もっともっと心から「ありがとう!」ってお礼を言いたいし、出来ることなら状況も説明したい。もどかしいです。
旅行前に夫から言われました。
ドイツに行ったらきっと大地震や原子力の話が出るよ、その時に答えられるように単語くらい覚えていきなさいって。
でも、単語を覚えても答えられなければ同じですね。
もう少しドイツ語を勉強して、ちゃんとお礼を言えるようにならないとダメだなって心から思いました。 -
さて、北ドイツのご夫婦とお別れして、いよいよ青の塔に行きましょう。
街を歩いているとどこからでも見えるこの「青の塔」。
他の宮廷建築物と同じく1200年ごろ建てられ、19世紀まで監視塔として使われてきました。 -
高さ58メートルもあり、650年もの間街の安全を見守ってきた見張りの塔です。
ここにテレビでみた女性番人さんが住んでいるのです。
今はいらっしゃるかしら?
塔の入口には、ちゃんと開いているって書いてありますね。 -
入口にいらっしゃると思っていたのに、中に入ると細い木製の螺旋階段がずーっと上まで続いています。
えっ、ここ登らなければ番人さんに逢えないの?
内部は塔の歴史などを展示してあります。
これは1984年にこの塔が火事になったときの写真です。
細い急な階段をフーフー言いながら登ります。 -
-
やっと番人さんのいる窓口に着きました。
この方です。
テレビより若く見えます。
「こんにちは。日本のテレビで見て、お会いしたくて来たんですよ。」って言ったら
「えっ私に、日本から…?」と嬉しそう。
実は夫も一緒にテレビを見ていたので、「夫もよろしくって言ってました」と言おうと思ったけど、ドイツ語で「よろしく」って言葉が分かりません(泣)。
仕方なく
「夫もあなたにお会いしたいと言っていました」って言っちゃったんです。 -
これは昔の塔の先端の飾りでしょうか。
◇◆
彼女の名前はブランカ・クノーデルさん。
現在はこういった塔に番人が住んでいるのは珍しいそうです。
ブランカさんの一族は、昔からこの街に住んでいた家系。
彼女も13年前からこの街に帰ってきてここの番人をしているそうです。 -
塔に登るのは大変だからって思ったけど、ここまできたらあと少しだから上まで登りましょう。
彼女から入場券を買おうしたら、間が悪いことに小銭が少ししかない。
仕方がないので20ユーロ札を出したら、「いいわよ、いいわよ。」ってただで展望台に上がらせてくれました。
ブランカさんありがとう。
展望台からの景色は息をのむようです。
メルヘンの世界のような赤い屋根の連なり、そしてネッカー川のきれいなブルー、やっぱりここに登ってよかったー。 -
街の景色も素晴らしい。
今通ってきた路地が手に取るように見えます。
手前の大きな屋根は市庁舎。その向こうは2本の尖塔を持つ福音派市教会です。 -
ブランカさんはテレビでこう言っていました。
「この塔の上から景色を見て、春・夏・秋・冬の四季を感じることができて幸せ。」だって。
そうでしょうね。この素晴らしい景色、毎日眺めてもあきませんね。 -
別な角度から眺めます。
手前の屋根が石の家、奥の四角い塔は「赤の塔」です。
◆◇
後日分かったのですが、日曜日の正午にはこの塔の四方から、街に向けてラッパ音楽の演奏をするんですって。
今日は日曜日、あー悔しいー。
エーベルバッハを先にしなければ演奏を聴くことが出来たのに…。 -
ネッカー川の方向を眺めます。
◇◆
そして、テレビで彼女はこうも言っていました。
彼女の一番の楽しみは、仕事が終わった後、この塔の上で景色を眺めながら、ワインを楽しむことですって。
うらやましいー! -
青の塔の名前の由来となった青い色の屋根を見上げます。
-
ブランカさんに別れを言って、下に降ります。
ブランカさん「今度はご主人と一緒にいらっしゃいねー」って言ってくれました。
そこで、冒頭の夫へのCメールになったんです。
ところでここにあるブランコみたいなもの、何かわかります?。
これもテレビでやっていました。
下から買い物をしたブランカさんが荷物をこの板の上に乗せて…、おもむろに上に上がって手前の滑車を巻き上げると、あら不思議、荷物が上に上がって来ました。
実は、手動エレベーターなのです。 -
上から下を見ます。
キャーこんな高いところまで登ってきたの…?
登りより下りが辛い私、ゆっくりゆっくり降りましょう。 -
もう一度青の塔に別れを告げて…。
壁の横に突起物が見えますが、これはベームさんの旅行記によるとおトイレなんですって。
私もグムンデンで調べたことがありましたが、中世の頃、ヨーロッパにはトイレはありませんでした。
外の植え込みかどこかで用をたすか、おまるで用をたしていました。
その後内容物は、外に向かってばしゃっと捨てていたそうです。
これはそれに比べると少し進化したもの?
塔の内側からお尻を突き出し、直接下に落としていたんだとか…。 -
青の塔の横の路地を入ると、出窓の素晴らしい建物が見えます。
Elsaesser House -
水色の木組がとってもきれいな家ですねー。
-
Steinhausgasseの坂道を降りてきたようです。
この街は雰囲気のいい通りがどこそこにあります。
緩やかに斜めに上っていく路、家の間を縫う小さな階段、あちこちと歩いてすっかり楽しくなってしまいました。 -
美しい木組みの家は街を歩くだけで気分を楽しくさせてくれます。
もう私はどこを歩いているのかわかりません。 -
あらっ、ここはさっきの水色の家かしら?
あんまりステキな家が多いので、ぐるぐる回っていたら迷ってしまったようです。 -
ここのお家のフジの花がきれいー。
フジって日本の花だと思ったらこちらでもよく見かけました。 -
道が分からなくなった私は、観光客の後について坂道を降ります。
正面にシュタウフェン門の見覚えのある姿が見えてきました。 -
この階段を下りてきました。
あらっ、これさっきの水色の家? -
こんなお花いっぱいのガッセ(横丁)を抜けて…。
-
展望台のようなところに出ました。
ここは城壁の東の端になります。
左の石の建造物は「赤の塔」です。
右端に見える小さな塔はニュルンベルク小塔。
17世紀に起きた30年戦争でバート・ヴィンプフェンの人口は減少し壊滅状態になりました。その時ニュルンベルクが経済援助をしてくれたおかげで街は救われたそうです。
この塔は感謝の印として「ニュルンベルクの小塔」と名付けられました…、とさ。 -
この階段を登って…。
-
塔の壁には「赤の塔」と。
城の西の「青の塔」に対して、城の東側に建てられたこの地方特産の赤い砂岩でできた塔です。
ここも青の塔と同じく1200年に造られました。 -
赤の塔を城門の下から見上げます。
-
広場の木の陰に隠れている塔はニュルンベルク塔
-
反対側には「青の塔」が見えます。
青の塔はこの街のどこからでも見えるシンボルマークです。 -
これ、椅子? 楽しそう〜!
車の座席を利用して造られたものでしょうか。 -
ステキな路地を入って…。
-
シュタウフェン家の居城への入り口だったシュタウフェン門をくぐって…。
駅に戻りました。 -
さて、乗り継ぎ乗り継ぎでフランクフルトに帰ります。
沿線の駅には古城街道を表す(Bergstr)という言葉が駅名の後に続きます。
ここはヘッペンハイム(Bergstr)駅。 -
そしてここは、ビッケンバッハ(Bergstr)。
今日は小さな街を訪ねたせいかいろんな駅で乗り継ぎをしました。
(行き)フランクフルト→マンハイム→エーベルバッハ(観光)、
エーベルバッハ→バート・フリードリヒスハル・ヤクストフェルト→バート・ヴィンプフェン(観光)
(帰り)バート・ヴィンプフェン→ハイルブロン→ハイデルベルク→フランクフルト
ジャーマンレイルパスを持っているから出来ることだと思いました。
結局フランクフルトには今日も夜9時ごろ着きました。
明日はフランクフルトでゆっくり1日過ごします。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 近鉄バッファローズさん 2011/09/26 22:08:14
- それぞれの視点で
- frau.himmelさん、こんばんは。
近鉄バッファローズです。
他の方のBad Wimpfenの旅行記もいくつか拝見しておりますが、
私の趣味的には、frau.himmelさんの旅行記が合ってるように思います。
Bad Wimpfenと言えば、やはり初期の神聖ローマ皇帝家(Hohenstaufen家)が
居城とした場所ですから。ただ、当時の神聖ローマ皇帝は定住せず、
frau.himmelさんのおっしゃるように領内を点々としていた訳ですが。
私が以前お世話になった方の住む街の近くにHohenstaufen家に
ゆかりの地があったので、それまではよく知らなかったのですが、
Hohenstaufen家に親近感を覚えるようになりました。
有名なFriedlich Barbarossa(赤髭王)もこの家の出身ですよね。
あと、釈迦に説法でしょうが、「Alligator」はアリゲーターですね。
おっしゃるように「アリガトウ」に読めます。
いつかHohenstaufen家ゆかりのBad Wimpfenも訪れてみたいです。
何かの御参考になれば幸甚です。
- frau.himmelさん からの返信 2011/09/27 20:36:16
- RE: それぞれの視点で
- 近鉄バッファローズさん こんばんは。
バート・ヴィンプフェンの旅行記見てくださってありがとうございます。
> 他の方のBad Wimpfenの旅行記もいくつか拝見しておりますが、
> 私の趣味的には、frau.himmelさんの旅行記が合ってるように思います。
バファローズさんにそんなに言っていただくなんて光栄です。
> Bad Wimpfenと言えば、やはり初期の神聖ローマ皇帝家(Hohenstaufen家)が
> 居城とした場所ですから。ただ、当時の神聖ローマ皇帝は定住せず、
> frau.himmelさんのおっしゃるように領内を点々としていた訳ですが。
> 私が以前お世話になった方の住む街の近くにHohenstaufen家に
> ゆかりの地があったので、それまではよく知らなかったのですが、
> Hohenstaufen家に親近感を覚えるようになりました。
> 有名なFriedlich Barbarossa(赤髭王)もこの家の出身ですよね。
そうなんですね。シュタウフェン家がバート・ヴィンプフェンの皇帝居城を造ったことは分かっておりましたが、それがバルバロッサだったとは…。
私も今回の旅行記を書くにあたり、自分の写真でそれを発見して驚いています。
石の家の前にあった六角柱のモニュメント、それにバルバロッサ フリードリヒ1世と見えたので調べていたら、あの城はもともと彼が造ったものでした。
いろんなことが分かってくるとホントに面白いですね。
> あと、釈迦に説法でしょうが、「Alligator」はアリゲーターですね。
> おっしゃるように「アリガトウ」に読めます。
そうですよね−。最近どうしてもドイツ語読みになってしまって…。
異郷の地で、日本語の「アリガトー」って見えた時はすごく嬉しかったんです。
それまでずーっと一人で、日本語に飢えていたんでしょうか(笑)。
ぜひ、バート・ヴィンプフェン いらっしてください。お気に召すと思います。
himmel
-
- maki5963さん 2011/09/26 15:54:22
- 青の搭の番人
- frau.himmelさん、こんにちわ。
はじめまして、になるでしょうか?
とても興味深い旅行記をたびたび拝見させていただいています。詳しく調べては書いてくださっているのに感嘆し、ありがたく参考にさせていただいています。
私は年々ものぐさになっていると自覚著しいのですが、気力を振り絞り(おおげさでなくこんな感じでやっと計画する昨今)今初夏の南ドイツに行くことができました。南ドイツは何度か行ってるのに8割がた自力で鉄道旅をしたことがなく、行ってない所や思い残した所を巡る旅をしました。
そのうちの一つがバートブンプフェンで、私も同じBSを見て顔を知った搭の番人に会いました。いいなぁ、と何度も見直していましたので、「日本のテレビで見てあなたを知っている、何度も見ました」というと、「ねぇねぇ、この人テレビで私を見たんだって!」(多分そんな感じ?)と嬉しそうに奥にいた人に話してました。写真はとらなかったので懐かしいです。
しばらくいた搭の上は誰も来なかったので暇だったのでしょう、帰りは窓口には見えずそのまま降りてきました。うろうろしてるうち、お昼になりテレビのようにトランペットが聞こえました。
いい町でしたね。
maki
- frau.himmelさん からの返信 2011/09/27 20:15:45
- RE: 青の搭の番人
- maki5963さん、こんばんは。
メッセージありがとうございます。
> はじめまして、になるでしょうか?
私はずーっと前からmakiさんのことはよーく存じ上げていました。
ドイツ旅行記のカリスマのような方だと思っておりました。
私なんぞひよっこ(齢はかなりいってますが、4トラベルのひよっこという意味です)が、おいそれと近寄れないような方だと…。
前から旅行記拝見させていただいてましたので、足跡はどこそこで残しているかと思います。
> とても興味深い旅行記をたびたび拝見させていただいています。詳しく調べては書いてくださっているのに感嘆し、ありがたく参考にさせていただいています。
そんな方からそういう風に言っていただけるなんて恥ずかしい限りです。
ありがとうございます。
この夏、makiさんもバートヴィンプフェンにいらっしゃったのですね。
私のあとに行かれたんですね。そして、塔の女番人とお会いになり、「日本でテレビで見たわよ」って仰ったのですね。
きっと、その番人さん、日本では私有名人なんだ…、と思ったことでしょうね(笑)。
でも、バート・ヴィンプフェン、ステキな街でしたね。
正午のトランペット演奏をお聞きになったんですって?
あのステキな街を散策していると、どこからともなく聞こえてくるトランペットの演奏…、わぁー 考えただけで絵になります。
羨ましいー!
> 私は年々ものぐさになっていると自覚著しいのですが、気力を振り絞り(おおげさでなくこんな感じでやっと計画する昨今)
私はmakiさん、まだお若い方かと思っていましたが、もしかして私と同じくらい?
私はアラカンはかなり前にすぎ、四捨五入すると70です。もしもっとお若かかったらごめんなさい。
どうかこれからもよろしくお願いいたします。
南ドイツの旅行記楽しみにしています。
himmel
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