香住・余部旅行記(ブログ) 一覧に戻る
昨年、1912年3月に供用開始された余部橋梁は98年目に鉄橋からコンクリート橋になった。昨年6月、その鉄橋最後の姿を撮影しにやって来てその後8月に新橋の供用が開始され直ぐに訪問したかったがその機会に恵まれず1年以上経った今年8月最後の土曜日に訪問となった。我が家に8月20日にやって来た新しい車の最初の遠出になった。<br />ちなみのこの日、大阪市内は激しい夕立に見舞われ時間当たりの降水量を更新したとの事だった。<br />

鉄橋から生まれ変わった余部橋梁へ

21いいね!

2011/08/27 - 2011/08/27

85位(同エリア290件中)

2

27

ぶうちゃん

ぶうちゃんさん

昨年、1912年3月に供用開始された余部橋梁は98年目に鉄橋からコンクリート橋になった。昨年6月、その鉄橋最後の姿を撮影しにやって来てその後8月に新橋の供用が開始され直ぐに訪問したかったがその機会に恵まれず1年以上経った今年8月最後の土曜日に訪問となった。我が家に8月20日にやって来た新しい車の最初の遠出になった。
ちなみのこの日、大阪市内は激しい夕立に見舞われ時間当たりの降水量を更新したとの事だった。

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車

PR

  • 大阪から舞鶴道から北近畿豊岡自動車道を経由して余部へ。<br />途中のPA氷上で昼食のため一休み。<br />いい天気でした。しかし、この日の夕方、大阪は天候が急変して激しい夕立に見舞われたそうです。

    大阪から舞鶴道から北近畿豊岡自動車道を経由して余部へ。
    途中のPA氷上で昼食のため一休み。
    いい天気でした。しかし、この日の夕方、大阪は天候が急変して激しい夕立に見舞われたそうです。

  • 妻がオーダーした「たまごかけご飯」

    妻がオーダーした「たまごかけご飯」

  • 私は「唐揚定食」ちょっと食べ過ぎてしまいました。

    私は「唐揚定食」ちょっと食べ過ぎてしまいました。

  • 到着して見上げると列車が通過していました。コンクリート橋になって列車の通過音は小さくなったのではないでしょうか?

    到着して見上げると列車が通過していました。コンクリート橋になって列車の通過音は小さくなったのではないでしょうか?

  • 駐車場前にある案内看板と橋です。

    駐車場前にある案内看板と橋です。

  • 旧橋の一部は展望台にするという話がある為か残されています。

    旧橋の一部は展望台にするという話がある為か残されています。

  • 旧橋に平行して建設されたため、トンネルのある鎧駅(京都側)は橋がS字になっています。

    旧橋に平行して建設されたため、トンネルのある鎧駅(京都側)は橋がS字になっています。

  • 旧橋と新橋を見上げてみました。

    旧橋と新橋を見上げてみました。

  • 急な坂道を登って余部駅に向かいます。

    急な坂道を登って余部駅に向かいます。

  • 橋の下の集落です。

    橋の下の集落です。

  • 余部駅から鎧駅方向を見たところです。

    余部駅から鎧駅方向を見たところです。

  • 今回は橋をくぐって撮影ポイントに向かいました。

    今回は橋をくぐって撮影ポイントに向かいました。

  • 100年の重みを感じます。

    100年の重みを感じます。

  • 撮影ポイントです。足元はしっかりとしていました。

    撮影ポイントです。足元はしっかりとしていました。

  • 撮影ポイントにはこのような掲示が有ります。

    撮影ポイントにはこのような掲示が有ります。

  • これが新橋梁です。トンネルがあるため鎧駅側の橋がS字になっているのが解かります。

    これが新橋梁です。トンネルがあるため鎧駅側の橋がS字になっているのが解かります。

  • この橋梁は海岸線に建設されています。直ぐ下には集落が有ります。

    この橋梁は海岸線に建設されています。直ぐ下には集落が有ります。

  • 撮影ポイントはこんな感じになっています。

    撮影ポイントはこんな感じになっています。

  • 余部駅を出発した列車が橋を通過しています。

    余部駅を出発した列車が橋を通過しています。

  • 列車は無事通過。トンネルに消えて行きました。1986年12月28日に発生した列車転落で犠牲になった人を祀る慰霊碑が見えます。

    列車は無事通過。トンネルに消えて行きました。1986年12月28日に発生した列車転落で犠牲になった人を祀る慰霊碑が見えます。

  • 撮影ポイントから見た景色です。

    撮影ポイントから見た景色です。

  • 下に降りて来て駐車場のある公園の景色です。

    下に降りて来て駐車場のある公園の景色です。

  • 下に降りて来て駐車場のある公園から見た橋脚です。

    下に降りて来て駐車場のある公園から見た橋脚です。

  • 下に降りて来て駐車場のある公園から見た余部駅方向の景色です。<br />新橋になり列車運行規制風速30m/S(以前は20m/S)で運休本数が以前に比べ少なくなったとの事です。新余部橋梁は、2010年度土木学会田中賞作品賞を受賞したそうです。味のある旧橋梁が無くなり残念な気もしますが実際に利用したり、近隣に住んでいる人々に安心感が与えられているのは何よりのことです。

    下に降りて来て駐車場のある公園から見た余部駅方向の景色です。
    新橋になり列車運行規制風速30m/S(以前は20m/S)で運休本数が以前に比べ少なくなったとの事です。新余部橋梁は、2010年度土木学会田中賞作品賞を受賞したそうです。味のある旧橋梁が無くなり残念な気もしますが実際に利用したり、近隣に住んでいる人々に安心感が与えられているのは何よりのことです。

この旅行記のタグ

21いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

  • たらよろさん 2011/09/12 20:59:57
    気になっていました・・・
    こんばんは〜ぶうちゃん様。

    餘部鉄橋、こんな感じに今はなっているんだ。。。
    私も赤い鉄橋のうちに一度は見ておきたいと
    見に行ったのが3年位前。
    その後、解体され、新しい橋に変わってからはまだその姿を見たことがありませんでした。

    やっぱり趣は全然変わっちゃいましたね。
    安全性の面などから仕方ないことだったのでしょうが、
    地元の方からすると苦渋の選択もあったのでしょうね。

    やっぱりちょっとだけ寂しいものがありますね。。。。。

    赤かった頃が懐かしいな、、、と思ってしまう自分が居ます。

      たらよろ

    ぶうちゃん

    ぶうちゃんさん からの返信 2011/09/12 22:47:46
    RE: 気になっていました・・・
    こんばんは

    コンクリート橋になり味わいがなくなったと私の周りにいる人の多くは言っています。私も味わいとか風情とかと言う点では同感です。

    ただこの橋ができた百年前の土木技術や予算の問題で、自然の風雪の激しい所に鉄道を敷設せざるを得なかったわけで、そういう意味でいうと、老朽化したところで、もっと自然の影響を受けないところに、トンネルを掘るとか、鉄道を迂回させることを考えなかったのかなあと、素朴に思いました。
    あんなに高いところをしかも風雪にさらされて、人の住む上に列車を通す意味が正直理解できないと思う自分もいます。

    昔、青い空をバックに赤い余部鉄橋とそこを通過する赤い気動車と青い客車がまるで空を走る、銀河鉄道の様に思えた事が忘れられず、今でもその景色を夢見ています。(もう見れませんけど)
    仰るとおり、そこの住む人たちの安全と、風情が両立しない場合も有るのでしょうね。

ぶうちゃんさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP