2011/08/18 - 2011/08/18
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ぺこにゃんさん
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北池,南池という二つの池に季節を映し,優美にして繊細な庭園美を楽しめる仙洞御所。
仙洞とは,俗界を離れた清浄の地で仙人が住む場所を意味しており,実際には退位した天皇(上皇)の住まいを意味しています。
訪れたのは夏の陽射しが照りつける日。
ガイド案内による参観ですので,良い構図で写真を撮るのは難しかったですが,なんとか頑張ってみました。
説明が多いですが,写真だけでも見ていただき,仙洞御所の庭園美を知ってもらえれば幸いです。
■仙洞御所・大宮御所の歴史
仙洞御所とは,皇位を退かれた天皇(上皇,院などといわれる)の御所である。後水尾上皇の御所として江戸時代初期の寛永7年(西暦1630年)に完成した。それと同時にその北に接して東福門院(後水尾上皇の皇后,将軍徳川秀忠の娘和子)の女院御所も建てられた。
古くは内裏のように一定の場所にあったわけでもなく,また必ず置かれたわけでもないが,後水尾上皇以来現在の地すなわち京都御所の東南に定まった。後水尾上皇が御存命の間に三度焼失し,その都度再建されてきたが,以後,零元,中御門,桜町,後桜町,光格の五代の上皇の仙洞御所として使用された。
嘉永7年(1854年)の大火で京都御所とともに焼失したのを最後に,ちょうどその時上皇も女院もおられなかったこともあり造営されないままとなった。そのため,現在の仙洞御所には,醒花亭,又新亭の二つの茶室以外に御殿等の建物は全くなく,東側いっぱいに南北に展開する雄大な庭園が往時の面影を残しているだけである。築地塀は安政2年(1855年),京都御所と共に建造されたものである。
大宮御所とは,皇太后の御所をいう。現在,築地塀内北西隅にある大宮御所は,慶応3年(1867年)に英照皇太后(孝明天皇の女御)のために女院御所の跡に造営されたものである。英照皇太后が東京に移られた後は,御常御殿のみを残して整理され,現在に伝えられている。
庭園は,仙洞御所の作事奉行であった小堀遠州が寛永7年(1630年)の御所の完成に引き続いて作庭したもので,古図によれば仙洞・女院御所とも石積みの直線的な岸辺を有する斬新な感覚の広大な池をもっていたようである。
しかし,改修拡張等により遠州当時の遺構は南池東岸の一部にわずかに認められるにすぎない。延享3~4年(1746~1747年)にかけて女院御所の庭園(北池)と仙洞御所の庭園(南池)が掘割(ほり)でつながれた。
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京都の御所と離宮,第二弾は仙洞御所です。
夏の太陽が降り注ぐ,京都御苑にやってきました。
仙洞御所は広い京都御苑の東南,築地塀の中にあります。 -
仙洞御所の表門は西側の築地塀の中ほどにありますが,参観は大宮御所表門から入ります。
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表門を入ると玉砂利の敷き詰められた広場が広がり,奥に大宮御所の常御殿御車寄が見えます。
開放感があって,いいですよね。
皇宮警察の目が光っていますので,広場をうろつくことはできません。
定刻までは参観者休所(エアコン付)でおとなしく待ちましょう。 -
仙洞御所は幕府が後水尾天皇の在位中にその退位に備えて,作業奉行・小堀遠州に命じて造営したものです。
大宮御所は仙洞御所と同時に建造された,後水尾上皇の皇后である東福門院の女院御所です。
北側に大宮御所,南側に仙洞御所があり,それぞれ北池,南池を中心とした独立した庭園を持っていましたが,1664年に後水尾上皇による大改造が行われ,北池と南池をセットにした池泉回遊式大庭園に造り上げられました。
度重なる火災により御殿は残っておらず,現在は掘割により一体化された北池と南池を中心とする庭園のみが残っています。 -
定刻になるとガイドさんが来られますので,後をついて行きます。
まずは大宮御所の常御殿御車寄から案内されます。
■大宮御所-常御殿御車寄
向唐破風屋根をいただいた常御殿御車寄,その背後には銅板の切妻屋根が二重に雁行しています。 -
アップで撮影しました。
天皇家ゆかりの菊花紋の意匠が施されているのがわかります。 -
御車寄の前を塀沿いに進むと小門があり,常御殿南庭へ導かれます。
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■大宮御所-常御殿
大宮御所は,東福門院の御所として造営されました。
その後,歴代皇后の女院御所として用いられましたが,嘉永7年(1854年)に焼失。
現存する大宮御所は,慶応3年(1867年)に英照皇太后(孝明天皇皇后)の御所として新たに造営されたもので,常御殿・車寄,御文庫,庭園があります。 -
大政奉還に伴い,皇太后が東京に移られてからは女院御所の役割を終えましたが,大正時代に内部を洋風に改装し,現在は行幸啓にご使用されています。
外からは内部の様子を窺い知ることはできませんが,ガラス戸にカーテンと洋風になっているのがわかります。 -
■大宮御所-南庭
常御殿から庭に下りる階段脇には,左に紅梅,右に白梅が植えられています(2枚上の写真のほうがわかりやすい)。
また,写真のように少し離れたところに松があります。 -
さらには振り返った南の築地塀側に呉竹の植え込みが築かれています。
このように松・竹・梅が植えられていることから,「松竹梅の庭」と呼ばれています。 -
■潜り門
ここまで長くなりましたが,東の築地塀に開かれた潜り門の先を潜ると,いよいよ仙洞御所の庭園です。 -
■北池
潜り門を抜けると,眼前に北池が大きく広がります。
北池は,もともと大宮御所の庭園でしたが,延享4年(1747年)に仙洞御所の南池と掘割で結ばれて一つの庭園となりました。
東山を借景としており,かつては如意岳の大文字を見ることができたそうです。 -
手前の木はイチョウです。
足元に葉と実が落ちていました。 -
水際に立ち,その眺めを楽しみました。
北池に浮かぶ鷺島。
自然石を大胆に並べた護岸が特徴的です。 -
周囲にはカエデやイチョウが植えられており,秋になると趣深い光景となります。
話はそれますが,一番人気は紅葉シーズンで,競争率がはね上がります。
仙洞御所の参観は2回/日で,修学院離宮の5回/日,桂離宮の6回/日と比較して少ないのです。
もう少し回数を増やしてくれないかな… -
北池で特に目立つゴヨウマツ。
15mぐらいあるそうです。 -
■舟着
池の南西隅にある舟着。
後世に造られたものですが,都人が舟遊びに興じた姿が目に浮かびます。
池からの眺めはまた別の風情があるのでしょうね。 -
では,苑路に沿って北池を時計周りに歩いて行きます。
青紅葉が汀を飾っています。 -
池の北西隅にある阿古瀬淵に架かる石橋を渡ります。
■六枚橋
阿古瀬淵に架かる石橋は六枚橋と呼ばれ,長さ1m90cm,幅1m余りの切石を6枚並べ反りを持たせた優雅な橋です。 -
■阿古瀬淵(あこせがふち)
庭園造営以前の湧泉跡と考えられています。
平安時代には,この周辺に紀貫之の邸があったといわれています。
「あこせ」の名の由来は,貫之の幼名・阿古久曾にちなんだとも,当地に住んでいた尼御前の名にちなんだともいわれます。
晩春の山吹が咲く光景は「仙洞十景」の一つです。
仙洞十景の残りについては後ほど… -
■紀氏遺蹟石碑
阿古瀬淵の北の高みに,椿に囲まれるように紀氏遺蹟石碑が建っています。
(このあたりは説明もなく軽くスルーされました) -
私がオススメしたいのは池の汀です。
池の汀は芝生になっており,ゆるやかな曲線を描いています。
北池はもともと皇太后の庭だったためか,女性らしい優美さを感じ取れます。
(写真奥に見えるのは,六枚橋と阿古瀬淵) -
ここで仙洞十景について説明しておきます。
延享4年(1747)に桜町上皇が,歌人・冷泉為村に命じて,四季折々の仙洞御所の見所を撰したものです。
・醒花亭の桜 醒花亭の池の西岸に春を告げる桜花
・古池の山吹 阿古瀬淵に晩春に咲く一重の山吹
・寿山の早苗 寿山御茶屋からの御田の早苗・田植え風景
・釣殿の飛蛍 中島にあった釣殿から見る蛍
・悠然台の月 悠然台から見る東山の名月
・滝殿の紅葉 中島にあった滝殿から見る紅葉
・茅葺の時雨 時雨に濡れけぶる芝御茶屋
・止々斎の雪 又新亭敷地にあった止々斎から眺める雪景色
・鑑水の夕照 南池の東岸にあった鑑水亭から見る夕映え
・神祠の夜灯 苑路より見渡す林間に瞬く鎮守社の灯火
幾つかはすでに現存せず,また参観ルートから外れているものもあります。
現在見ることができるものについてはその都度コメントしていきます。 -
■鎮守社
苑路の左手(北側)に鎮守社の小高い丘が見えてきます。
伊勢神宮を始め,上賀茂神社・下鴨神社,石清水八幡や春日神社の神々が祀られています。
仙洞十景の一つ「神祠の夜灯」はこの鎮守社の灯火です。 -
鎮守社からさらに東へと苑路を進むと,中島(鷺島)に架かる土橋にさしかかります。
■土橋(束橋)
反りを持たせた端の中央を一体の橋脚で支え,橋脚と橋桁を楔で留めた形がで刀の柄に似ていることから束橋と呼ばれていました。
中島を鷺島と名付けたので,鷺の立つ一本足になぞらえ,鷺橋とも呼ばれるそうです。 -
もっとわかりやすい写真を撮っていないかと撮った写真をあさっていたらありました。
入り口から北池越しに撮った土橋です(まだわかりにくい?)
何でもかんでも写真に撮ってみるものです。 -
土橋を渡って中島へ。
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■石橋
中島から東岸へ渡るところには,長さ5m,幅と厚さが共に50cmの切石を二本ずつ食い違いに並べた石橋がかかっています。
元は土橋であったのが,大正3年に三条白川橋の石材を転用して架け替えられました。
手すりのない橋は気を付けないといけません。
特に写真撮影に夢中になっていると池の中へポチャンと落ちてしまいます。 -
石橋の手前に百日紅の花が綺麗に咲いていたのですが,写真を撮れず。
またまた探してみると,北池越しに撮った写真がありました。
石橋は見えませんが,百日紅のピンクが鮮やかです。 -
■非蔵人淵
石橋の北側の淵は非蔵人淵と呼ばれていました。
「むかし非蔵人の官人なにがし,恋路のあやまちありて,ここへ入水せし也。よってこの名を得たりといひ伝ふる」 -
■雌滝
東岸の苑路が西へと曲がる足元に滝があります。
「そぞろ流し」といわれるさらさらとした流れで,雌滝と呼ばれています。
「えっ?これが滝?」と思わずいってしまいそうな小さな滝ですが,平地であるこの辺りで落差を稼ぐのは難しいのです。 -
雌滝あたりから西側を見ると,入ってきた潜り門がちょうど正面に見えました。
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■鷺の森
雌滝の後ろの苑路を西へと進みます。
この一帯は鷺の森と呼ばれており,樹木の間から北池を眺められます。 -
苑路は左にゆるやかにカーブし,紅葉橋が見えてきます。
■紅葉橋
紅葉橋は北池と南池を結ぶ掘割に架けられています。
もとは板橋でしたが,大正3年に現在のような土橋に架け替えられました。
太い丸竹の手すりが洒落ています。 -
紅葉橋から見た掘割(北池側)。
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■紅葉山
紅葉橋を渡ると紅葉山に分け入ります。
山を覆う苔の緑が,楓の緑と調和しています。
紅葉橋,紅葉山と,名前が示すように紅葉に彩られる景色は見事でしょう。
でも,紅葉の見頃となる11月末はなかなか抽選に当たらないです… -
紅葉山を出たところが,南池の北東になります。
ここからは南池を周遊します。 -
■南池
南池には,ほぼ中央に南北に並んで二つの中島が浮かんでいます。
中島と三つの橋が東西両岸をつないでいるため,南池はこのラインで北側と南側の別々の池があるように見えます。
北池と合わせて,北から「真」「行」「草」の池と呼ばれています。
書道でいう楷書,行書,草書と同じです。 -
こちらは南池北側。
「行」の池です。 -
■八つ橋と洲浜と南池
苑路を南へ少し歩くと,八つ橋,洲浜が見えてきます。 -
■八つ橋
南池西岸と中島を結ぶ八つ橋は,仙洞御所を代表する景観の一つです。
稲妻形のつなぎ橋で英語では"zigzag bridge"と表記されています。
「伊勢物語」の三河八つ橋の八枚板橋に由来します。 -
■洲浜
南池西岸に広がる洲浜。
壮大な海辺の景色を取り込んでいます。
京都御所の御庭池や桂離宮にも洲浜はありますが,仙洞御所の洲浜が最大の規模です。 -
敷き詰められた白灰石の楕円形の平たい石は,小田原藩主・大久保忠真が小田原から取り寄せました。
石一つにつき米一升を与えて集めさせたと伝わり,「一升石」と呼ばれてます。 -
八つ橋を渡ります。
元は木橋でしたが,明治になって石橋に架け替えられました。
そのときに橋の西半分に下り藤,東半分に上り藤が植えられました。
藤が咲く初夏の頃は圧巻です。 -
イチオシ
御影石の重厚かつシンプルなデザイン。
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八つ橋から南池(南側)を望みます。
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八つ橋から南池(北側)を望みます。
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八つ橋を渡った先が中島です。
二つある中島のうち,北側にある中島にはかつて滝殿と呼ばれる小亭がありました。
その名残でしょうか,草屋形の燈籠が据えられています。 -
滝殿跡からの南池(北側)の眺めです。
紅葉山から紅葉橋,雄滝,出島にかけての眺望に優れています。
特に秋の風情が好まれ,仙洞十景に「滝殿の紅葉」として選ばれています。 -
一方,南側の中島にはかつて釣殿が建てられていました。
釣殿跡にある水戸家(黄門様)から献上されたといわれる寒水石(茨城産の大理石)製の三脚雪見燈籠が目を引きます。
蛍の飛び交う庭園を舟遊びに興じた様は,「釣殿の飛蛍」として仙洞十景に選ばれています。 -
八つ橋〜中島から眺めた景色を詳しく紹介します。
■紅葉橋
これは先ほど渡ってきた紅葉橋。
紅葉橋は掘割に架かっており,橋の向こうは北池です。 -
■雄滝と草紙洗の石
出島の西側の付根部分に雄滝の滝口があります。
滝口の南側(写真右側)の平たい石は草紙洗の石と呼ばれています。 -
■雄滝
水落石に大きな一枚の平石を立てて布落ちとし,脇には水落石よりも丈の高い碧石の縦石を添えて,視覚的に落差を強調しています(上の写真のほうがわかりやすい)。
また,参観ルートに入っていないですが,雄滝の上流には鵲橋(かささぎばし)と呼ばれる橋があります。
七夕の夜,牽牛星が織女星の年の一度の逢瀬のために,鵲に天の川に橋を架けさせるという中国の鵲橋の故事に由来します。 -
■草紙洗の石
雄滝の右手にある三畳敷ほどの平らな石は「草紙洗の石」と呼ばれる石で,六歌仙の一人,歌人・小野小町の伝説が伝わっています。
宮中歌合で小野小町と争うことになった六歌仙の一人,大伴黒伴は,歌合前夜,小町邸に忍び込み,小町の詠んだ歌を万葉の草紙に写して,当日万葉の古歌だと訴えました。
草紙を見た小野小町は不自然さを見抜き,草紙を洗ったところ,文字は消えて証が立ったといいます。
草紙を洗った場所がこの草紙洗の石だったという話です。 -
■出島
草紙洗の石から南東に向かって広がる出島
(一番左の石が草紙洗の石,その隣が烏帽子石) -
出島西側は自然石と切石が交互に組み合わせた護岸の石組みが連なっています。
こうすることで出島の汀の曲線が引き立っています。 -
■土佐橋
出島の東側から東岸には土佐橋と呼ばれる平橋が架かっています。
土佐の山内家から献上されたものです。 -
土佐橋からの苑路は南池東岸へと通じますが,その曲がり角に「御腰掛石」という名の石があります。
その下方の池畔には一直線に切石を積んだ護岸があります。
改修で大きく変貌した庭園において,作庭当初の意匠が現在も残る部分で,作事奉行・小堀遠州の作風をうかがわせる貴重な遺構です。 -
出島,土佐橋,御腰掛石,切石護岸を眺めて。
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中島から反橋を渡り,南池東岸へ。
反橋を渡ったところには,滝殿・釣殿と同時代に鑑水亭と呼ばれる建物がありました。
ここから眺める夕日の景色は「鑑水の夕照」として仙洞十景の一つに選ばれています。 -
■葭島(よしじま)
反橋から南を見るともう一つの中島,葭島が見えます。
蓬莱島と呼ばれていましたが,かつては周囲に蘆(あし,別名ヨシ)が茂っていたため,この名で呼ばれるようになりました。
葭島の向こうに見える建物は醒花亭(せいかてい)です。 -
■舟着
南池の舟着場。
木々に隠れるように,一艘の舟がとまっていました。 -
東岸の苑路を南へと進んで行きます。
手前の島は葭島。 -
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■悠然台
東岸を歩いていると,築山の中へと入っていく飛び石があります。
この奥を登りつめると,悠然台と称する物見の小亭があったところに出ます(参観コースには入っていません)。
仙洞御所でもっとも高いところで,北は修学院,南は伏見・八幡・山崎の辺りまで望むことができたそうです。
夏には祇園祭の山鉾巡行の鉾も見えたとか。 -
■醒花亭(せいかてい)
南池のほとりに柿葺きの茶室・醒花亭があります。
仙洞・大宮御所で最も古い建物です。
手前には織部燈籠(キリシタン燈籠)が見えます。 -
■醒花亭
東側の入り口の上に醒花亭の名の元になった唐の詩人・李白の詩が掲げられています。
「夜来月下臥醒花影」(右から二行目の真ん中に「醒花」の文字) -
■醒花亭
醒花亭は南池を見通せる眺めの良い場所です。
右手前に葭島,左手奥に八つ橋。 -
■醒花亭
醒花亭東の苔庭には,日月燈籠と銭型のつくばいがあります。 -
イチオシ
■桜の馬場
醒花亭の前方(北)に広がる,州浜沿いの真っ直ぐな道は「桜の馬場」と呼ばれています。
醒花亭前から八ツ橋までは桜が植栽されており,「醒花亭の桜」は仙洞十景の一つに選ばれています。 -
■栄螺山(さざえやま)
醒花亭の西に小さな丘があります。
サザエの貝を伏せたような形をしていることから栄螺山の名があります。
古墳跡と伝えられています。 -
■御冷し(おひやし)
栄螺山の西にある古墳のような深い穴。
御冷しと呼ばれる氷の保存蔵跡です。
要するに氷室ですね。
深さ4m,縦7.35m,横3.75m,地面を二段に掘り下げて,周囲を石垣で補強しています。 -
御冷しから北側を望みました。
左手奥に柿本社があります。 -
■柿本社
南池の西にある小さな社は歌人・柿本人麻呂を祀る柿本社です。
度重なる御所・仙洞御所の火災を憂えた霊元上皇が御所の守り神として勧請しました。
火災と柿本人麻呂のつながりがよくわかりませんが,「人麻呂=火止まろ」なんて説も… -
柿本社を東に行くと南池西側へと出てきます。
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岩島で羽を休めてた一匹の鷺。
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桜の馬場・北側から醒花亭を眺めます。
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洲浜の一升石をアップで撮影。
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八つ橋の向こう側に小さく雄滝が見えます。
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イチオシ
八つ橋の西岸を過ぎ,紅葉山からの道と合うところを左へと,紅葉山を右手に見ながら進みます。
苑路のゆるやかな曲線がとても優美で私のお気に入りの場所です。 -
■蘇鉄山
苑路が右に曲がるところにあるのが蘇鉄山。
蘇鉄も少なく,山というにはちょっと寂しいです。 -
蘇鉄山前から来た道を振り返りました。
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■又新亭(ゆうしんてい)
蘇鉄山を少し北に行くと,又新亭という茶室があります。
最初に入ってきた潜り門の脇にあり,これで庭園を一巡してきたことになります。 -
もとは霊元上皇が宝永六年(1709年)に修学院離宮の上御茶屋にあった止々斎(ししさい)が建っていました。
その後,火災で失われ,現在ある又新亭は明治17年(1884年)に今出川御門内の近衛邸らあった茶室を移したものです。
いまや見ることはできませんが,「止々斎の雪」は仙洞十景の一つです。 -
北池に面する東側に大丸窓があります。
(丸窓といっても下側は直線になっていますが…)
数種の細竹と角材を破れ井桁に組んでいる斬新な窓です。 -
又新亭の周囲は細い丸竹を竪子に,前後交互に胴縁に結んだ四つ目垣があります。
よく見ると,竹に笹の葉を思わせるような小枝がわずかに残されています。
心憎い演出ですね。 -
■外腰掛
中門の外にある外腰掛。
片流れのこけら葺きの屋根,向かって右側の袖壁は半吹き抜け,右は竹格子の下地窓となっています。 -
又新亭前には,北池の舟着があります。
行きに遠めに見た舟着と同じです。 -
イチオシ
そしてスタート地点,北池の水際へと戻ってきました。
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しばらく北池の眺めを堪能したのち,潜り門から戻ります。
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再び大宮御所御車寄に戻ってきて,参観は終了です。
参観時間は1時間の予定ですが,45分程度で戻ってきました。
暑い夏は早めに切り上げるみたいです(私の訪れた前日には,暑さで倒れた人がいたそうです)。 -
参観者が全員出たことを確認したのち,正門は閉じられました。
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大宮・仙洞御所北側の清和院御門越しに,如意ヶ岳(大文字山)を見て,帰路につきました。
長い旅行記に最後までお付き合いくださり,有難うございました。
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この旅行記へのコメント (5)
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- 鴨川の夕立!さん 2011/09/24 21:55:26
- 仙洞御所!
- こんばんわ
いやあ 頑張ってますね!
御所関係は予約がいるのでなかなか思い切れません。
しかし制限が厳しいと思いますがいかがでしたか?
写真もよく撮れていますね!
私もやっと10月には苔寺に行こうと思っています。
by 鴨川の夕立!
- ぺこにゃんさん からの返信 2011/09/25 22:45:29
- RE: 仙洞御所!
- 鴨川の夕立!さん,こんばんは。
> こんばんわ
> いやあ 頑張ってますね!
> 御所関係は予約がいるのでなかなか思い切れません。
> しかし制限が厳しいと思いますがいかがでしたか?
> 写真もよく撮れていますね!
確かに予約は面倒なうえ,基本平日のみ,天気も読めないですから,二の足を踏むのもわかります。
それでも,写真撮影するには被写体が豊富で満足しています。
昔はいろいろと厳しかったようですが,いまは自由に撮影できますし。
> 私もやっと10月には苔寺に行こうと思っています。
ついに苔寺ですか。
前日に雨が降って,苔が潤うのがベストの状態ですね。
旅行記に楽しみにしています。
ぺこにゃん
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- 大目付さん 2011/09/18 10:08:06
- 綺麗な景色ですね〜
- 池と緑の森が綺麗ですね。
- ぺこにゃんさん からの返信 2011/09/21 00:08:51
- RE: 綺麗な景色ですね〜
- 大目付さん,こんばんは。
仙洞御所の旅行記,見ていただきありがとうございます。
夏ということもあり,緑一色の単調な写真の連続となってしまいましたが,それでも十分に楽しむことができました。
仙洞御所参観の良い季節というのは藤が咲く初夏,紅葉で染まる秋ですね。
なかなか抽選に当たるのは難しいですが,一見の価値はあると思います。
ぺこにゃん
-
- 大目付さん 2011/09/18 10:05:31
- ぺこにゃんさんお早うございます。
- ☆緑が多い景色を見ると心が癒されますね〜。
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