
2011/06/19 - 2011/06/19
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annakさん
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2011年6月高速道路1000円最終日。
早朝津和野を楽しんだのち、萩に向かった。
城下町として素敵に残る街並み、毛利家の菩提寺が残る街、
江戸幕府開幕から耐えてきて、一気に日本の変革期において多くの偉人を排出した町。
日本海に面し海産物が美味しい町。伝統のある萩焼。
いくらでもイメージが膨らんでいく。
そして萩と言えば会社の同期入社のNさんの故郷である。
彼の育った街ってどんなところだろうか?
そんな萩の街を一度歩いてみたいと思った。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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まずは道の駅で情報を入手。
池にも関わらず海の魚が住むという不思議スポット明神池へ -
へ〜え
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こんな魚が混泳しているそうな・・・
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池ですよね。
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どう見ても池です。でも鯛が泳いでいるのが見えます。(笑)
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萩藩主毛利家の菩提寺・東光寺へ
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さすが毛利家の菩提寺です。
大きなお寺さんですね。 -
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威風堂々と
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雰囲気満点です。
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毛利家墓所へ
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毛利家36万石は関ヶ原以降歴史の表舞台に登場するのは長州藩として維新の時になるが、それまでじっと萩でチャンスを待っていたことになる。
それにしても20万石以上の大藩は22藩あるが御三家を除く19藩の内16藩が外様であるという事実も面白いものだ。 -
ここ東光寺には奇数藩主の墓石があり、偶数藩主の墓石は大照院にあるそうです。
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あまり事前情報を持たずに訪問した東光寺でしたが、新しい発見がありました。
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そして萩と言えば吉田松陰でしょう。
松陰神社へ。 -
松下村塾です。
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なるほど
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こんな小さな私塾から
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こんなにも多くの偉人達が巣立ったのです。
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そして吉田松陰を祀る松陰神社。
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ここの御神体は門下生に送った松陰先生の手紙だとタクシーのガイドさんが仰っているのを盗み聞き(笑)
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珍しいおみくじです。
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良いですねこれ、松陰先生の格言付きです。
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では城下町を歩いてみましょう。
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まずは久保田家住宅へ
久保田家は、初代庄七が江戸時代後期に近江から萩に移って呉服商を開き、2代目の庄次郎から酒造業に転じたと伝えられます。以来明治30年代まで造り酒屋「あらたま酒店」を営業 していました。明治時代には、来萩した名士の宿所としてもしばしば利用されています。
意匠・構造・技術に優れるとともに、酒造業で繁栄した往時の状況もよく伝え、「国指定史跡萩城城下町」を構成する極めて重要な建物です。
(ガイドまる写し) -
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丁度萩焼とのコラボ・・・
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こんな器で食すれば・・美味しいでしょうね。
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いい雰囲気でした久保田家住宅
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さあ先に進みましょう
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女房殿の眼の色が・・・
萩焼がいたるところに・・・・
決してお高いものではありませんがannak家も一つお買い上げ。 -
暖簾も素敵ですね
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ネ・・・
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いい感じのお店があります。
HANAというお店。
あれれお気に入りの花さんの御出身地は確か萩でしたよね(笑) -
さらに歩き
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木戸孝允旧宅へ
孝允は天保4年(1833)、藩医和田昌景の長男として江戸屋横丁に生まれ、幼名を小五郎といいました。8歳の時に大組士桂孝古の養子となり、のち藩主から木戸姓を賜りました。
吉田松陰に兵学を学び、尊攘・討幕運動に奔走。慶応2年(1866)長州藩の代表として薩長同盟を締結し、西郷隆盛・大久保利通と共に維新の三傑と称されました。
維新後は、新政府の指導者として版籍奉還や廃藩置県等を推進、中央集権国家の樹立に尽力しました。岩倉使節団の欧米視察には全権副使として参加。明治10年(1877)西南戦争に際し、明治天皇の側近として京都で事変処理に当たりました。同年病没、享年45歳。
(ガイドまる写し) -
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これが7〜8歳の子供の書????
びっくりですね。 -
さらに・・・
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青木周弼旧宅へ
天保9年(1838)に藩医となり、藩の医師養成機関である萩南苑医学所 (嘉永3年好生館と改称)の設立に尽力し、蘭学教授となり多くの弟子を教育しました。嘉永2年(1849)に弟の研蔵を種痘法伝習のため長崎に遊学させ、初めて藩内で種痘を実施しました。その後、13代藩主毛利敬親の信任を得て、嘉永4年侍医となりました。幼少の頃に高杉晋作は天然痘にかかりましたが、周弼が治療にあたり、一命をとりとめたというエピソードがあります。
(ガイドまる写し) -
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良い街並みです。
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菊屋家住宅へ
萩藩の御用達を勤めた豪商菊屋家の住宅で、その屋敷は幕府巡見使の宿として本陣にあてられた。
屋敷地には数多くの蔵や付属屋が建てられているが、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5棟が国の重要文化財に指定されている。この住宅は、主屋が極めて古く、全国的にみても最古に属する大型の町家としてその価値は極めて高い。菊屋家に伝わる500点余りの美術品、民具、古書籍等が常設展示されており、往時の御用商人の暮らしぶりが偲ばれる。
(ガイドまる写し) -
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幾つかの宝物を拝見し
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素敵なお庭です。
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さらに進めば
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高杉晋作誕生地へ
高杉晋作は、萩藩大組士高杉小忠太の長男として天保10年(1839)に生まれ、安政4年(1857)に松下村塾に通い始めました。松陰からは「有識の士」として将来を嘱望され、松陰の死を乗り越え、江戸修行や自ら試撃行と称した東北修行の旅で松陰の師である佐久間象山らとの出逢い成長していきました。
(ガイドまる写し) -
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そしてどんどんに歩きましょう
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おっ・・・
鍵曲です。これが見たかったannakです。
会社同期入社のNさんの実家は確かこの近くのはずです。
そうか彼はこのようなところで育ったのか。 -
萩と言えば夏ミカンです。
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口羽家住宅へ
永代家老に次ぐ家柄の萩藩寄組士口羽家の住宅です。萩城下に残る上級武士の屋敷としては古く、かつ全国的にも比較的数の少ない武家屋敷の一遺例として貴重です。主屋と表門が国の重要文化財に指定されています。
主屋は18世紀末から19世紀初め頃に建てられたものと思われ、切妻造り桟瓦葺きで、入母屋造りの突出部を付けています。表門は、白壁となまこ壁のコントラストが美しく、萩に現存するものとしては最も雄大な規模を有する長屋門で、入母屋造り本瓦葺きです。江戸藩邸の門を拝領して萩に移築したものと伝えられています。
(ガイドまる写し) -
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口羽家住宅から望む日本海
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萩城跡指月公園へ
残念ながらそろそろ帰路に就かねばならない時間になったのと、
少しばかり疲れ、雨もきつくなり、ここまできたことで良しとしよう。 -
てな訳で萩城跡指月公園は入口までとしました。
一日で駆け足の津和野・萩でしたが新しい発見がたくさんあり
満足度の高い旅になりました。 -
ナビで自宅に帰ると入力したら、山口IC経由とでた。
本当にこれがベスト?と疑ったが、まあいいや
瑠璃光寺に寄り道してやれとばかりにお立ち寄り。
素敵な紫陽花がありました。
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