2011/08/13 - 2011/08/18
143位(同エリア259件中)
きっちーさん
平頂山事件の現場へようやく訪れることが出来て感慨深くもありますが、ここ撫順にはもうひとつミーハー的な心持ちで見学したい場所がありました。
それが、撫順戦犯管理所ーっ!
へっへっへっ。
あの、ベルナルド・ベルトルッチ監督の名作☆『ラスト・エンペラー』の舞台となった場所ですよーん。
映画の中では、満州国崩壊と共に拘束された溥儀が、この撫順戦犯管理所で自分の半生を告白するシーンに登場します。
映画『ラスト・エンペラー』は、故宮博物院(紫禁城)を数週間貸切りぃ~の、驚愕ロケ大敢行だったそうですけど。
撫順戦犯管理所は、実在の場所を使ったのか、それともセットだったのか気になります。
チェックしてくるぜ☆
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
タクシーがまったく走っていない撫順平頂山惨案記念館の正門前で、移動手段を考えていると、運良くタクシーで乗りつけてきた人が!
らっき!!
入れ違いに乗車させていただいて、まずは『西露天砿参観台』を観に行こうとしたのですが・・。
撫順平頂山惨案記念館から、タクシーで15分。
メーター料金、15元(約180円)。
驚愕の絶景が一望できるという、西露天砿参観台へ到着してみたら、周辺部がちょうど大工事中。
なかには入れるそうなんですけど〜。
これでタクシーを降りちゃうと、工事中のため観光客はゼロだし、もうあとタクシーつかまんなさそうだったので、入り口ゲートだけ見て行き先変更。
「え?開いてるけど観なくていいの?」
タクシーの運転手さん、ちょっと驚いてます。
「ドイブーチー。ウォーシャンチュイ、撫順戦犯管理所」
「オーケイ」
五分刈りにグラデーションのグラサン、無口な日焼けした横顔にゴツイ二の腕の運転手さんは、見た感じゴルゴっぽいのですが、グラサン外すとめっちゃ子犬系つぶらな瞳で、運転も丁寧・・・かなりイイ人そうです。←ギャップに弱い
ほどなくして、なんだか重苦しいカラーの建物が見えてきました。 -
お、ここだ、ここだ。
「また、こんなところで。タクシー大丈夫なの?」
やたら帰りの足を心配するママ上のご心配も、撫順は瀋陽ほど頻繁にタクシーの行き来が無いので理解できます。
しからば!
「え〜、請問一下。能不能、ニィ、等等、我們回来?・・」
つたない中国語で、100元払うのでここで1時間半ほど待っていてもらえないかと、ゴルゴさん(仮名)に尋ねます。
「オーケイ、オーケイ」
うんうんと頷いて、すぐそばの商店の駐車場で待機してくれるという、ゴルゴ運転手さん。
このゴルゴさんはかなり誠実な人柄で、約束の100元とは別に、帰りの撫順南站までのタクシー代は払うと申し出たのですが、「不要、不要」と断わり100元だけ受け取ると、無料で駅前まで送ってくださいました。
やっぱ強面の見かけに騙されちゃアカンね。
優しい人だ! -
駐車スペースに移動していくゴルゴさんを見送り、いよいよ中へ〜。
正門のわきでチケットを購入して、まずは案内図をチェック。
撫順戦犯管理所は1950年に創立され、同年7月から1975年3月まで、982名の日本戦犯・中国最後の皇帝溥儀をはじめとする偽満州国戦犯71名・国民党蒋介石集団戦犯354名を拘禁・改造していたそう。
1986年に中国国務院に批准し、内外に公開されましたー。
うおいっ!
『改造』ってナニゴト?! -
あとで展示室をまわると、『改造』という日本語訳は語弊があるようでした。
ロボみたいだし。
どっちかっちゃ、罪認作業とか思想教育のほうが、語呂的に近いように思うぞ?
それはのちほどとして〜。
まずは、ジョン・ローンv・・じゃなくて、溥儀のお部屋を見に行きましょー! -
建物の正面入り口から入ると、キレイなお姉さんがにこやかに迎え入れてくれます。
中国の人と思われたらしく、めちゃめちゃ中国語で話しかけられますが、しどろもどろに答えるのを聞いても、やっぱりニッコリ笑って英語で順路を教えてくれます。
く・・っ!
ヒアリングってむずかしい(涙)!! -
建物のおもても看板も、グレーに黒を基調にしていて、重々しい&おどろおどろしい印象ですが。
内部はパステルカラーで、やたら爽やか。
うらうら戦犯管理所〜!!みたいな威圧感が無く、おもてとは印象がまったく違います。 -
ひと昔前の学校とか保育園みたいな、色調です。
-
正面入り口から、あまり奥へ進まないうちに、溥儀の使用していたお部屋発見!
-
プレートはやっぱり重苦しいが(汗)。
側室だった李玉琴さんのお名前がありますが、書籍を読むと「李玉琴は面会日に来ていた」などという記述もあって、同房であったのかはちと不明です。 -
見た感じは、夫婦部屋っぽいなあ?
-
収容所と聞けば真っ先に、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所や西大門刑務所歴史館を連想してしまうのですが。
敷地内に、収監者を拷問や殺すためのスペースがない、この撫順戦犯管理所はそういった血なまぐささが無いぶん、不思議な印象を受けます。 -
窓にはまった鉄格子だけが、このやけに静かな館内から、容易く出られないことを思い起こさせます。
-
管理所は棟ごとに分けられているらしく、一部隔離されているゾーンもありました。
-
ウロチョロしていると、なにやら撫順戦犯管理所の歴史を紹介するコーナーへ、入ってきました。
前文を読むと、もともとは日本軍によって監獄として使用されていた建物だったそうです。
さらに読んでいくと、『かつて「鬼」であった人間が、侵略戦争に反対し、世界平和を推進する新しい人間へと再生し、ここに世界の戦犯管理の歴史における「撫順の奇跡」を創りだした』。
ここまではいいと思うのですが、最後に『日本人戦犯改造の歴史展』?
まとめのタイトルがなー。
かなりドギツイうえに、実態を隠しちゃいそうでどうかなー。
人間を『改造』なんて、ちょっと洗脳っぽく聞こえちゃうし。
現に日本へ帰国した兵士の証言を読むと、「中国で洗脳されてきた」と公安につけまわされたそうです。
実際には、戦犯を殺さずに、被害者の公演を聞いたり、軍隊内で自分がしたことを振り返らせたり。
映画『ラスト・エンペラー』のなかで溥儀がしていたように、事実を誇張せずまた隠蔽せず、戦犯管理所の職員と共に少しずつ自己反省を積み上げていった過程だったそうですが。 -
まあ、先に進みましょう。
『人道・正義・真理・和平』ですね。
漢字って、すばらしい。
音ちがっても、理解できるもんなあ〜v -
日清戦争を皮切りにした、日本による侵略戦争の流れが紹介されています。
やはり、この地では9・18事変(満州事変)がメインですね。 -
中国東北部の占領政策や満州国傀儡政権への関与、また中国農民の土地を奪い、物資略奪や強制徴収に関わった、日本人か数名紹介されています。
責任者は、けっこうイイトコ出の人が多いんですよねー。
ハルビンの侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館の展示を思い出します。
あそこで残酷な人体実験に関わった人たちも、超有名大学卒のエリートが多かった。 -
展示は、当時皇軍がおこなった市民に対する虐殺事件の紹介に移ります。
-
1945年3月か。
敗戦間際まで、こういったことがくり返されていたんですね。 -
南京大虐殺や重慶爆撃といった象徴的な事件の背後に、無数の住民被害があることを、あらためて思い知らされます。
-
まだまだ研究されていない、ちいさな農村での虐殺事件が、今後も調査されていくことを願います。
-
やった方は忘れても、やられた方は忘れないもんな。
-
当事者が生きているのとそうでないのでは、ずい分ちがうと思います。
事件そのものの生々しい「証言」も大切なんですけど、当時そこでの生活における「当たりまえ」は、現代を生きる私たちには指摘されなければわからない部分があったりします。
なので、証言とあわせて、生活背景を知ることが出来る当事者の証言を、ご本人に直接尋ねられる時間は貴重です。
地元での調査もなかなか困難ではあるかと思いますけど、少しでもおこなわれているといいな。 -
←1952年はじめに、周恩来総理の指示によって、ここ撫順戦犯管理所での運営方針が決定したそうです。
設立は1950年ですから、2年後の決定がのちの「撫順の奇跡」といわれた流れにつながっていくんですね。 -
←日本語訳。
収監された下級戦犯は、管理所で政治学習を深めるとともに、「苦しい日々を送ったことを思い出し、加害者として犯した罪を認める」という、『認罪・悔罪』教育がおこなわれました。
1950年、ソ連から引き渡された969名の日本人戦犯のうち、階級別に尉官級以下の軍人は700名あまりで、比較的下級の軍人は戦犯全体のほぼ四分の三にのぼります。(季刊『中帰連』12号2000年3月) -
撫順戦犯管理所でくらした、元日本兵の方たちが『中帰連』という季刊冊子を出しているので読んでみました。
はじめは、「中国人を殺したのは上官の命令だった」「自分は末端の兵士で、これは戦争なのだから仕方がなかった」と反発していた気持ちが、徐々に戦争犯罪の被害者や管理所職員らの働きかけによって、「戦争責任者はトップにいるが、自分にも実行責任はあるのでは?」と変化していった様子が、伝わってきます。
←管理所内では、戦犯学習委員会っていうのもあったんですね。 -
撫順戦犯管理所内は、運動場や医療設備も整えられていて、当時の様子がパネルで紹介されています。
-
←ふたたび周恩来総理登場。
彼は「戦犯問題については期限を区切るように」との指示を出していたそうです。
これをうけて、所内の認罪告発運動が展開し、1656年45名の公開裁判、同年6〜8月に1017名の日本人戦犯が起訴免除され3班にわけて釈放帰国しました。
その後、すべての戦犯が1964年3月までに釈放されていきます。 -
展示室の戦争版画。
-
腹を引き裂かれた妊婦。
以前、中国を旅していたときに、皇軍によって絵のようにお腹を切り開かれた、女性の写真を見たのを思い出します。 -
あ。
版画、日本の人の作品なんだ。 -
1956年8月に撫順戦犯管理所を釈放され帰国した方が、寄贈した版画だそうな。
-
←さきほどの1017名の釈放帰国についての詳細ですかね。
1656年3月8日、周恩来総理の指示を受け最高人民検察院は、6月21日撫順戦犯管理所内の日本人戦犯295名を釈放、7月15日296名、8月21日306名釈放帰国・・・ん?
1017-295-296-306=120
えーと、120名あまったぞ?
あ、そか。
1656年8月21日時点では、1017名が全員帰国は出来てないのか。
そうすると、残りの人数120名が1964年3月までに、徐々に釈放されていったメンバーってことでしょうか。 -
やあ、『中国帰還者連絡会(中帰連)』が展示されてんじゃん!
読んでた本の発行団体がこちらでも紹介されているのは、なんだか照れますね。 -
←中国語だと、こういう文章。
漢字だとわかりやすいなー。
エーゴはやっぱり難しい(涙)。 -
展示室の結びの言葉。
←『中日両国の関係は長い歴史を持ち、両国人民の平和友好の往来は二千年の長きにわたり続いている』
『19世紀末以来、日本は軍国主義と中国侵略の道をひた走り、特に20世紀に入り1930年から40年代には日本帝国主義は中国侵略戦争を発動し、中国人民に多大の災難をもたらしただけでなく、日本人民にも深刻な損害を与えた』 -
(撫順戦犯管理所の意義が語られたあと)
『日本と一衣帯水の関係にある中国人民として、我々は中日両国人民が世々代々にわたり友好を続けられることを心より希望し、その可能性を確信するものである』
『我々は歴史を鑑とし、平和を熱愛し、人類平和発展のすばらしい未来を共に切り開いていくであろう』 -
日本の書店を歩くと、少なからずアジア蔑視の書籍を見かけるので、このような友好と平和を強く訴えかける理想主義的な言葉を掲げられると、なにやら恥ずかしくて頬に血がのぼってしまいますが。
現実は必ずしも、友好的な関係を希有る人だけじゃないことは承知していますが、それでもいろんな国の人と平和に手を携えていきたい。 -
この気持ちは中国をはじめ、アジア諸国、ヨーロッパを旅するなかで強くなりました。
こういった展示室に掲げられた、対立せずに共存していこうとする文言もそうですけど、現地の人との触れ合いが大きいのかなー。 -
展示室をあとにし、さらに管理所内を歩きます。
おっと、お風呂場だわ。 -
浴場って、中国語だと『浴池』なんだ。
-
管理所の内装はどこも似たようなので、歩いているうちに位置がわからなくなってきます。
順路に沿って中庭のような場所へ出ます。 -
野外舞台がある!
ひょっとして、ここが映画『ラスト・エンペラー』の中庭かな?!
んー、まてよ。
映画の中には舞台はなかったよなー。 -
庭を横切って、順路はふたたび館内へ〜。
-
な!
なかに、人がおるで! -
ぎょっとして覗き込むと、マネキンでした。
-
こええよ。
リアルすぎだよ。
なんで、急に細部にこだわりだすのかしら(笑)。 -
さらに、リアル展示が続きます。
←マネキン数アップ! -
講堂ですかね。
ここを埋め尽くすマネキンがいたら、それはそれで衝撃的でしたが、そこまではやらないようです☆
ステージの赤い横断幕とかが中国っぽいかも〜。 -
また、マネキン!
ここは医務室のようです。 -
病室もあります。
戦犯たちの相部屋にくらべると、非常に窓が大きく角部屋です。
相部屋自体も明るいものでしたが、こっちのほうが天井から床近くまで窓があるので、昼間は電気も必要なさそう。 -
←これお気に入りv
スピーカーに☆マークが。
かわいい♪ -
またもや、おもてへ〜。
えらく背丈のあるひまわりが密集しています。
そういえば、溥儀は周恩来のすすめで釈放後、北京植物園の庭師をしていたそうですが、この花壇も世話しちゃったかもしれませんね! -
順路によると、つぎはあの建物か?
-
館内へ入ると、そこは先ほどとは別の展示室になっています。
おう!
周ちんの直筆みたいよ!
・・なんか、芸能人のサインみたい。
カワイイ字だな。 -
先ほどは、撫順戦犯管理所と日本人戦犯がテーマでしたが、こちらはラスト・エンペラー愛新覚羅溥儀の展示室!
-
←溥儀像。
前文で、『古今東西、人民に倒された王や皇帝の末路は悲惨で、死を免れないことがほとんどであるが、愛新覚羅溥儀は温情によって刑死することなく生涯を全うした』てなことが書かれています。
まあ、確かに庶民を痛めつけ反旗を翻された権力者の末路って、いわれてみればそうかもなー。 -
しかし、自分で生活関連の苦労をしたことのない人が、いきなりそれを全部やれというのは大変だったようで・・。
←めずらしい溥儀の裁縫写真。 -
幼い頃から皇帝の溥儀は、ここで初歩から裁縫をならったそうです!
ボタン付けとか? -
←溥儀、お洗濯中。
-
彼はもちろん洗濯などしたことがなく、石鹸もつけないわ、絞らないわで、よれよれの服になってしまったそうです。
管理所職員が、面子を潰さないように生活技術を指導したんですって。
うっ!
なんか可哀相なんですけど!! -
そういえば、『ラスト・エンペラー』でも「靴紐を自分で結びなさい」といわれて、どうしたらいいのか困惑しているシーンがありましたよね。
あれって、けっこうリアルな話なんかなー。
「写真と、見てきた溥儀部屋が違う気が・・」
と、思ったら――― -
←「役立たず」という嫌味に耐えかねて、溥儀は病気になっていました。
なので、写真のお部屋は病室です。
うわー。
なんだかなー。 -
それでも、少しずつ彼は「生活技術」をマスターしたようで。
ここまできて、初見なのに一連の写真に既視感を覚えるので、「あれれ?」と思い返すと〜。
「マネキンだ!」
ひょっとして、あのマネキンは溥儀がモデルなのかも! -
←ホンモノ溥儀は、中国医学班の学習に参加し、戦犯たちの血圧を測る係りになりました。
自分のことだけじゃなくて、ひとのことが出来るようになったのはすごいな。 -
実際に撫順戦犯管理所へ来てみると、ベルトルッチ監督の溥儀像は、そりゃジョン・ローンのがバッチいい男でしたけど、史実の人物の悲哀をよく表していたんじゃないか、と感じました。
一歩間違えれば、溥儀展示室の冒頭にあったように、断頭台の露と消えてもおかしくなかったと思うし。
管理所側の援助と、彼自身に生きる意欲がなければ、この場所ですら「皇帝の末路」であったのかも知れません。 -
おっと、そろそろ出口です。
碑がたてられています。 -
正面入り口へ折れる出口ゲートで、固まります。
むむ!
ここが一番、映画のシーンと似てるがな!
でも、門のバックにもうひとつ建物があったよなー。 -
残念ながら、公開されているスペースに、映画のロケで使われたような痕跡は発見できませんでした(涙)。
やっぱ、セットなのかな。
ジョンが触った壁を触りたかったよう・・。←ミーハー
管理所を出ると、駐車場でケータイをいじっていたゴルゴさんが、すばやく気づいて手を振ってくれます。
ママ上も、安心顔。
タクシー・チャーターは、ひとり旅だと郊外の遺跡を観にいく以外、もったいないからほとんどしないんですけど。
ママ上同伴の時はしてあげた方がよいみたいだなあ。 -
前述のように、待っていていただいたぶんとして100元をゴルゴさんに支払い、「到、撫順南站」のお願いすると、彼は追加料金を受け取らず無料で駅まで送ってくれました。
「再見!」
日焼けした太い腕をあげて去っていく強面に、ぶんぶん手を振っていたママ上が、「お腹すいた」と破願します。 -
「瀋陽へ帰るまえにゴハン食べて、デパートで琥珀があるか見てくる?」
「行く!行く!」
今日の見学予定が終了すると、ママ上がえらく元気です。
ホント中国が苦手なのね。
台湾とは、えらいテンションのちがいだな(汗)。
ガイドブックによると、ここ撫順は琥珀が名物として知られており、わりと琥珀好きのママ上は楽しみにしていました。
駅前のデパートに入ると、もうどこの国もデパートの商品配置ってかわんないっつーか。
1階に化粧品や宝飾品のコーナーがあります。
「こはく、こはく♪」
と周囲にお花をまきちらすママ上ですが、店内をぐるりとまわって肩を落とします。
「無い・・」
そう。
琥珀なんて、中国でもお洒落アイテムからは外されているらしく、まったく見当たらず。
あるのは、シルバーとかプラチナとか、若者向けのファッション・ダイヤみたいな・・。
残念だったのう、ママ上。 -
まあまあ、ゴハンにしましょうや!
デパートの上の階は、お約束のフードコートです。
最初に中国を歩いた頃は、小さな食堂なんかも多かったですが、いまはどこ行ってもおなじ規格orスタイルが浸透していて、ちょっとサビシイような、でもわかりやすくて助かるような・・。
複雑な気持ちです。 -
「アンタ、買って!」
台湾では積極的に、通じて無くても日本語で店員さんに話しかけていたママ上も、中国では尻込みします。
この差は、なんなの〜っ。
「これも、ひとつの親孝行・・」
頼まれた餃子入りヌードルと、ミネラルウォーターを、すでに席で待機しているママ上に渡し、ワタクシの甘味噌すいとんゲットv
少々、油っぽかったですが、お味はまあまあかな。
軽いので、あんま運動してない日にはちょうどいいと思われます。 -
ところで、このフードコートで、すっごい気になったお店!
←見て下さい!
隠し撮り(笑)。
なんか、某吉●家クリソツ!!
しかも、牛丼屋さんですーっ! -
まあ、他人(店?)のそら似っちゅーこともあるかもね(笑)。
あいかわらず、中国は楽しい。
食事を済ませ、デパートと通り向かいの撫順南站まえ広場にある、『撫順長距離客運站』へ歩きます。
デパートまえには、乗り合いタクシーが停まっていて、「少人数で瀋陽まで行けるよ」と運転手さんたちがさかんに呼び込みをしています。
「タクシーで行くと、いくらなのかしら」
ママ上が身を乗り出します。
ダメダメ!
呼び込みタクシーは慣れないとボッタくられるし!
公共バスで行ったほうが、タクシーにくらべたら時間はかかりますが、面倒な事態に巻き込まれないぶん安全です。
「ほら、行くよ!」
ママ上を引っ張りバスに乗ります。
今度は、時間がよかったせいか5分も待たずに、バスは瀋陽に向けて走り出します。 -
往きは、待ち時間もあったせいか、眠っていてもエラく長く感じましたが。
帰りは本当に早い。 -
気がつくと、瀋陽市内の喧騒が耳に飛び込んできます。
バスは、往きに乗った大道りの角から、通行車両の少ない一区画裏の通りで停車します。
←ここは折り返しの発着点のようで、撫順方面へ向かう通勤・通学・買い物客といったみなさんが、すでに並んでいました。 -
瀋陽へ帰ってきたものの、まだ全然明るいので、大通り周辺のショッピングモールを冷やかし、フードコートへ・・・・って、また食べたんかいっ!!!
-
食べました!(毅然)
-
ホテルへ帰る頃には、とっぷり日が暮れています。
ホテル前のマオたんは、今夜もぴっかぴかにライトアップされてます! -
あーんど!その周囲で、太極拳やソシアルダンスにいそしむ地元ピーポー。
今日は、がんばった!
あしたはもう帰国か。
早すぎーっ。
そんなあっという間の『東北王朝~⑨』最終回ですぅ~
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ちーやさん 2012/01/20 21:27:16
- はじめまして
- きっちーさま
私の旅行記へご訪問くださり、また投票もありがとうございました。
素晴らしい旅行記ですね。
韓国の独立記念館には行ったことがあります。日本人ということで何か言われたりするかなと思いましたが、何事もなく見学することができました。
撫順戦犯管理所もぜひ行ってみたいと思います。やられた方は忘れないですよ絶対に。
とても勉強になりました。
ありがとうございました。
- きっちーさん からの返信 2012/01/20 22:05:52
- こんばんは
- ちーや様
ご投票&ご感想まで頂きまして、ありがとうございます。
戦時中に使われた施設を訪ねて、実際に自分の目で使われたものなんか見るるとかなり衝撃的で、加害側である日本国籍者として、とても惨めな気持ちになります。
けれど、「許されない行為だった」という現地の人たちとおなじ共通認識ですし、「知らなかった」で済ませたくないので、観光は観光で楽しみながらも、戦時中の現地被害なんかを展示している資料館へはなるべく足を運ぶようにしています。
ちーやさんのおっしゃるとおり、日本人であると伝えても、私も現地の人に被害地域などで怖い目にあったりしたことはなく、むしろ「遠いところまで来たのだし、しっかり見て行ってほしい」と、逆に親切にされた経験の方が多いので、おっかなびっくりながらも行ってます。
日本兵によって集落住民を皆殺しにされた平頂山事件現場のすぐそばにありながら、収監した日本戦犯を殺すことなく日本へ送り返した撫順戦犯管理所は、住民感情を考えれば「たしかに奇跡かなあ」と思いました。
撫順は、近くにある大観光地にして超都心部の瀋陽に比べれば、街も人もノンビリしていて優しくて、いろいろな整備もこれからといった印象でした。
機会がありましたら、ぜひ同市内の撫順平頂山惨案記念館とあわせて行ってみてください。
ではでは☆
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