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ようやく笠間城(かさまじょう、茨城県笠間市笠間)を訪問する機会を得ました。早朝に特急で上野駅を発ち、友部駅で水戸線に乗換え2つ目が笠間駅です。笠間市は茨城県のほぼ中央に位置し四方を山に囲まれた盆地で、信仰の町としてまたは多くの史蹟を持つ関東の小京都といわれる町です。<br /><br />駅前から直線の大通り(参道?)を20分程歩きますと日本三大稲荷神社のひとつである笠間稲荷神社にたどり、そこを右折しますと城跡に至る登り坂コースに入ります。<br /><br /> 歴史的には13世紀初期、下野守護の宇都宮氏の命により一族笠間氏が当地に進出、佐白山に現在の笠間城を築城、以降約400年近く宇都宮氏一門として当地を支配したそうです。 <br /><br />天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原攻略では宗家の宇都宮氏は秀吉方についたのに対し、笠間綱家は北条氏政、氏直親子に通じていたため小田原城開城後秀吉の命のもと宇都宮国網の攻撃を受け笠間氏は滅亡となります。笠間氏滅亡ごは蒲生氏、松平氏、浅野氏等が入れ替り1747年牧野氏入封から廃藩に至るまで牧野氏代々の居城となっています。<br /><br /> 地勢的には佐白山の地形を巧みに利用した曲輪、空掘と土塁、石垣、天守台などによって「守りに易く、攻めるに難い」本格的近世山城であります。最大の見ごたえは天守曲輪の石垣でしょうか。関東では石垣の城郭自体が珍しく恐らく織豊系城郭の築城方法を採り入れたと思われます。<br /><br /><br />2022年2月11日追記<br /><br />笠間城パンフレットには下記の通り説明があります。<br /><br />「①【笠間城跡の立地】<br />笠間城跡は笠間市の北部、西麓に笠間盆地を見下ろす標高205mの佐白山上に立地し、複雑に入り込む浸食谷により形成される尾根を巧みに利用する山城です。旧城下町は、笠間神社を中心とした市街地になっており、往時の風情を残しています。<br /><br />②【笠間城の歴史】<br />笠間城は、宇都宮一族であり、この地域を治めた笠間時朝によって、承久元年(1219)に築城が開始され、嘉禎元年(1235)に完成したと伝えられています。この時に築城以前に祀られていた佐志能神社と正福寺の伽藍を破却・整理したといわれており、佐白山は信仰の山であったことがうかがえます。完成後は、笠間氏が歴代の城主を務めました。鎌倉時代に山城を築き居城とすることは考えにくいので、笠間城の原型が出来上がったのは、室町時代以降のことであり、戦国時代にかけて整備されたものと考えられます。<br /><br />天正18年(1590)に豊臣秀吉の小田原北条氏の征伐に際しては、笠間氏が主家宇都宮氏の行動に反して、北条方として行動したことから、宇都宮氏に攻められ、築城以後380年続いた笠間氏は滅亡し、以後は宇都宮氏家臣玉生高宗が城主を務めました。慶長3年(1598)、蒲生秀行の宇都宮移封によって、その重臣である蒲生郷成が笠間城主を務めることになりました。郷成は天守曲輪の整備を行い、城下町や江戸時代に引き継がれる登城路も整備しました。<br /><br />関ケ原の合戦後は、譜代大名の松平康重が入城し、初代笠間藩主となりました。元和8年(1622)から正保2年(1645)まで、浅野長重、長直父子が笠間藩主を務めた時に、現在の町割に引き継がれる城下町が完成し、下屋敷(現佐白山麓公園)を建設しました。永享4年(1747)に牧野氏が藩主となり、明治維新まで牧野氏がこの地を治めました。明治時代になると、笠間城は廃城となり、天守曲輪にはもともとあった佐志能神社が祀られます。<br /><br />③【笠間城の縄張り】<br />笠間城の縄張りは、江戸時代の絵図で確認することが出来ます。佐白山付近の①天守曲輪をはじめ、②本丸③二曲輪④三曲輪が展開します。天守曲輪は、蒲生郷成が整備を行い、櫓を築いたといわれています。明治時代になると、その跡地にはかつて山頂に祀られていた佐志能神社が鎮座します。本丸には御殿、八幡台櫓、宍ヶ崎櫓、城門があり、現地には城門や櫓の楚石が現存しています。また、曲輪には、白壁の堀が廻らされ、瓦が葺かれている様子が描かれています。⑤大手門周辺には、鍵型に張り出す土塁があり、更に北側には⑥的場丸(通称千人櫓)と呼ばれる曲輪がありました(現在は駐車場)。的場丸より道を挟んで北側には、江戸時代の正福寺と侍屋敷が描かれており、的場丸の西側にも侍屋敷が描かれています。正福寺と侍屋敷は、江戸時代には城郭の範疇として捉えられていないものですが、現地には堀や土塁など,城郭遺構が残っており、中世の笠間城では使用されていたものと考えられます。<br /><br />④【石垣について】<br />笠間城の特徴の一つとして、石垣を使用した城郭であることが挙げられます。近世城郭では、石垣を構築することがよく見られますが、茨木県内においては、笠間城で唯一採用されています。特に、天守曲輪に残る石垣は、高さ約4.3mであり、笠間城内でみられる中では最大の規模を有します。石垣に使用した石材は、主に花崗岩です。佐白山は、石倉に象徴されるように岩石が露岩していることから、採石に際しては、この岩石が妨げになったことが考えられます。蒲生郷成による天守曲輪の構築の中で、露岩した岩石を切り出し、石垣・石段を構築し、曲輪としての姿を造り上げた可能性が高いと推測できます。<br /><br />⑤【笠間城跡の調査について】<br />平成23年度に「笠間城跡保存整備基礎調査」の実施が予定されておりました。平成23年3月11日に発生した東日本大震災により、天守曲輪の石垣が被災しましたが、もとより計画されていた基礎調査を実施し、その結果に基づき、国指定史蹟を目指すことになりました。平成25年には「笠間城跡調査指導委員会」を設置し、26年度には天守曲輪の石垣の応急措置を施し、国史跡化へ向けた調査を開始しました。今度、航空地形調査によって作成される地形図を元に縄張調査を実施し、現地に残されている笠間城跡の構造や範囲を確認する作業を行います。また古文書調査や絵図調査の成果を踏まえて、発掘調査を実施することで、地下に眠る当時の笠間城の姿を確認します。これらの調査成果を積み重ねることにより、国指定史蹟の指定を目指します。」<br /><br />

常陸笠間 下野の雄宇都宮氏庶流の笠間氏が地元寺院勢力平定により佐白山頂上に築いた関東では希少の石垣を備えた『笠間城』訪問

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2011/05/17 - 2011/05/17

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滝山氏照

滝山氏照さん

ようやく笠間城(かさまじょう、茨城県笠間市笠間)を訪問する機会を得ました。早朝に特急で上野駅を発ち、友部駅で水戸線に乗換え2つ目が笠間駅です。笠間市は茨城県のほぼ中央に位置し四方を山に囲まれた盆地で、信仰の町としてまたは多くの史蹟を持つ関東の小京都といわれる町です。

駅前から直線の大通り(参道?)を20分程歩きますと日本三大稲荷神社のひとつである笠間稲荷神社にたどり、そこを右折しますと城跡に至る登り坂コースに入ります。

歴史的には13世紀初期、下野守護の宇都宮氏の命により一族笠間氏が当地に進出、佐白山に現在の笠間城を築城、以降約400年近く宇都宮氏一門として当地を支配したそうです。 

天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原攻略では宗家の宇都宮氏は秀吉方についたのに対し、笠間綱家は北条氏政、氏直親子に通じていたため小田原城開城後秀吉の命のもと宇都宮国網の攻撃を受け笠間氏は滅亡となります。笠間氏滅亡ごは蒲生氏、松平氏、浅野氏等が入れ替り1747年牧野氏入封から廃藩に至るまで牧野氏代々の居城となっています。

地勢的には佐白山の地形を巧みに利用した曲輪、空掘と土塁、石垣、天守台などによって「守りに易く、攻めるに難い」本格的近世山城であります。最大の見ごたえは天守曲輪の石垣でしょうか。関東では石垣の城郭自体が珍しく恐らく織豊系城郭の築城方法を採り入れたと思われます。


2022年2月11日追記

笠間城パンフレットには下記の通り説明があります。

「①【笠間城跡の立地】
笠間城跡は笠間市の北部、西麓に笠間盆地を見下ろす標高205mの佐白山上に立地し、複雑に入り込む浸食谷により形成される尾根を巧みに利用する山城です。旧城下町は、笠間神社を中心とした市街地になっており、往時の風情を残しています。

②【笠間城の歴史】
笠間城は、宇都宮一族であり、この地域を治めた笠間時朝によって、承久元年(1219)に築城が開始され、嘉禎元年(1235)に完成したと伝えられています。この時に築城以前に祀られていた佐志能神社と正福寺の伽藍を破却・整理したといわれており、佐白山は信仰の山であったことがうかがえます。完成後は、笠間氏が歴代の城主を務めました。鎌倉時代に山城を築き居城とすることは考えにくいので、笠間城の原型が出来上がったのは、室町時代以降のことであり、戦国時代にかけて整備されたものと考えられます。

天正18年(1590)に豊臣秀吉の小田原北条氏の征伐に際しては、笠間氏が主家宇都宮氏の行動に反して、北条方として行動したことから、宇都宮氏に攻められ、築城以後380年続いた笠間氏は滅亡し、以後は宇都宮氏家臣玉生高宗が城主を務めました。慶長3年(1598)、蒲生秀行の宇都宮移封によって、その重臣である蒲生郷成が笠間城主を務めることになりました。郷成は天守曲輪の整備を行い、城下町や江戸時代に引き継がれる登城路も整備しました。

関ケ原の合戦後は、譜代大名の松平康重が入城し、初代笠間藩主となりました。元和8年(1622)から正保2年(1645)まで、浅野長重、長直父子が笠間藩主を務めた時に、現在の町割に引き継がれる城下町が完成し、下屋敷(現佐白山麓公園)を建設しました。永享4年(1747)に牧野氏が藩主となり、明治維新まで牧野氏がこの地を治めました。明治時代になると、笠間城は廃城となり、天守曲輪にはもともとあった佐志能神社が祀られます。

③【笠間城の縄張り】
笠間城の縄張りは、江戸時代の絵図で確認することが出来ます。佐白山付近の①天守曲輪をはじめ、②本丸③二曲輪④三曲輪が展開します。天守曲輪は、蒲生郷成が整備を行い、櫓を築いたといわれています。明治時代になると、その跡地にはかつて山頂に祀られていた佐志能神社が鎮座します。本丸には御殿、八幡台櫓、宍ヶ崎櫓、城門があり、現地には城門や櫓の楚石が現存しています。また、曲輪には、白壁の堀が廻らされ、瓦が葺かれている様子が描かれています。⑤大手門周辺には、鍵型に張り出す土塁があり、更に北側には⑥的場丸(通称千人櫓)と呼ばれる曲輪がありました(現在は駐車場)。的場丸より道を挟んで北側には、江戸時代の正福寺と侍屋敷が描かれており、的場丸の西側にも侍屋敷が描かれています。正福寺と侍屋敷は、江戸時代には城郭の範疇として捉えられていないものですが、現地には堀や土塁など,城郭遺構が残っており、中世の笠間城では使用されていたものと考えられます。

④【石垣について】
笠間城の特徴の一つとして、石垣を使用した城郭であることが挙げられます。近世城郭では、石垣を構築することがよく見られますが、茨木県内においては、笠間城で唯一採用されています。特に、天守曲輪に残る石垣は、高さ約4.3mであり、笠間城内でみられる中では最大の規模を有します。石垣に使用した石材は、主に花崗岩です。佐白山は、石倉に象徴されるように岩石が露岩していることから、採石に際しては、この岩石が妨げになったことが考えられます。蒲生郷成による天守曲輪の構築の中で、露岩した岩石を切り出し、石垣・石段を構築し、曲輪としての姿を造り上げた可能性が高いと推測できます。

⑤【笠間城跡の調査について】
平成23年度に「笠間城跡保存整備基礎調査」の実施が予定されておりました。平成23年3月11日に発生した東日本大震災により、天守曲輪の石垣が被災しましたが、もとより計画されていた基礎調査を実施し、その結果に基づき、国指定史蹟を目指すことになりました。平成25年には「笠間城跡調査指導委員会」を設置し、26年度には天守曲輪の石垣の応急措置を施し、国史跡化へ向けた調査を開始しました。今度、航空地形調査によって作成される地形図を元に縄張調査を実施し、現地に残されている笠間城跡の構造や範囲を確認する作業を行います。また古文書調査や絵図調査の成果を踏まえて、発掘調査を実施することで、地下に眠る当時の笠間城の姿を確認します。これらの調査成果を積み重ねることにより、国指定史蹟の指定を目指します。」

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JR特急 JRローカル 徒歩
  •  JR上野駅<br />                                                                                                             <br /> 8:30上野駅発特急フレッシュひたち9号勝田行に乗車します。<br /><br />

    JR上野駅

    8:30上野駅発特急フレッシュひたち9号勝田行に乗車します。

  • JR上野駅ホーム<br />                                         落着いた彩りの特急車両が14両編成で入線してきます。

    JR上野駅ホーム
                                             落着いた彩りの特急車両が14両編成で入線してきます。

  • JR上野駅ホーム<br />                                       反対側ホ-ムにも特急車両が到着し、折り返し運転準備中。

    JR上野駅ホーム
                                           反対側ホ-ムにも特急車両が到着し、折り返し運転準備中。

  • JR上野駅ホーム<br />                                      乗車入口には偕楽園のデザインが貼り付けられて旅情を誘います。

    JR上野駅ホーム
                                          乗車入口には偕楽園のデザインが貼り付けられて旅情を誘います。

  • 特急フレッシュひたち9号車内<br />                                      自由席を利用しますが早朝の為かかなりの空席が目立ちます。

    特急フレッシュひたち9号車内
                                          自由席を利用しますが早朝の為かかなりの空席が目立ちます。

  • JR友部駅ホーム<br />                                       水戸線小山行きを待ちます。

    JR友部駅ホーム
                                           水戸線小山行きを待ちます。

  • JR友部駅風景<br /><br />水戸線は単線の為車両の交換が必要で「いわき」行が到着。

    JR友部駅風景

    水戸線は単線の為車両の交換が必要で「いわき」行が到着。

  • JR友部駅ホーム<br />                                            次に水戸方面から「小山」行が入線。

    JR友部駅ホーム
                                                次に水戸方面から「小山」行が入線。

  • JR水戸線笠間駅ホーム<br />                                           笠間駅下車、小山行車両を見送る。

    JR水戸線笠間駅ホーム
                                               笠間駅下車、小山行車両を見送る。

  • JR笠間駅ホーム<br />                                        ホ-ムから改札口を臨む                                     (注:水戸線昼間は1時間に1本しか通りません。 又、バスも本数が極めて少なく当てになりません。自分は帰路は城跡から駅まで約40分かかりました)

    JR笠間駅ホーム
                                            ホ-ムから改札口を臨む                                     (注:水戸線昼間は1時間に1本しか通りません。 又、バスも本数が極めて少なく当てになりません。自分は帰路は城跡から駅まで約40分かかりました)

  • 笠間稲荷神社入口

    笠間稲荷神社入口

  • 稲荷神社拝殿<br /><br />正月三が日の初詣は茨城県内の神社でも最高の人出で、境内は身動きがとれないほどだそうです。重厚な印象を受けました。<br />因みに御祭神は宇迦之御魂神(うかみたまのかみ)で五穀豊穣、商売繁盛、金運にご利益があるとされています。<br />

    稲荷神社拝殿

    正月三が日の初詣は茨城県内の神社でも最高の人出で、境内は身動きがとれないほどだそうです。重厚な印象を受けました。
    因みに御祭神は宇迦之御魂神(うかみたまのかみ)で五穀豊穣、商売繁盛、金運にご利益があるとされています。

  • 仲見世通<br /><br />平日のためか参拝客は家族単位程度でまだマバラでした。   

    仲見世通

    平日のためか参拝客は家族単位程度でまだマバラでした。   

  • 大石邸跡 <br /><br />忠臣蔵で有名な大石内臓助の祖父で浅野藩家老職だった大石良欽の邸宅跡です。浅野氏は赤穂転封以前は笠間藩主で、赤穂に移って57年後に討入り事件が起こります。

    大石邸跡 

    忠臣蔵で有名な大石内臓助の祖父で浅野藩家老職だった大石良欽の邸宅跡です。浅野氏は赤穂転封以前は笠間藩主で、赤穂に移って57年後に討入り事件が起こります。

  • 九ちゃんの家案内板<br /><br />「上を向いて歩こう」の坂本九が戦前に疎開のため一家で川崎から当地に移り住んだ跡地が紹介されていました。思いがけない発見でした。

    九ちゃんの家案内板

    「上を向いて歩こう」の坂本九が戦前に疎開のため一家で川崎から当地に移り住んだ跡地が紹介されていました。思いがけない発見でした。

  • 自然公園案内板。

    自然公園案内板。

  • 大黒石                                   かつてはこの佐白山には当山を支配していた僧兵と徳蔵寺僧兵とが覇権を争っていた時代があり、山頂に追い詰められた佐白山僧兵が山上の大黒石を転がし徳蔵寺僧兵に多数の死者が出て、危うく難を逃れたとの言い伝えがあります。ここまで転がってきたというお話です。

    大黒石                                   かつてはこの佐白山には当山を支配していた僧兵と徳蔵寺僧兵とが覇権を争っていた時代があり、山頂に追い詰められた佐白山僧兵が山上の大黒石を転がし徳蔵寺僧兵に多数の死者が出て、危うく難を逃れたとの言い伝えがあります。ここまで転がってきたというお話です。

  • 千人溜り跡 <br /><br />今は駐車場として利用されてます。

    千人溜り跡 

    今は駐車場として利用されてます。

  • 城跡への登り口<br /><br />駐車場の奥には「車両進入禁止」板が立てかけられてます。自分はすぐ入口だと判らず、駐車場の運転手に確認しました。

    城跡への登り口

    駐車場の奥には「車両進入禁止」板が立てかけられてます。自分はすぐ入口だと判らず、駐車場の運転手に確認しました。

  • 大手門跡の石柱<br /><br />この石柱の右側に道が続き、右側には石垣が見えます。

    大手門跡の石柱

    この石柱の右側に道が続き、右側には石垣が見えます。

  • 石垣の一部。(画面の奥は登山者用道路)

    石垣の一部。(画面の奥は登山者用道路)

  • 登城への石段<br /><br />当時の石段なんでしょうか?

    登城への石段

    当時の石段なんでしょうか?

  • 石垣<br /><br />関東ではめずらしい石垣が迎えてくれます。当該山にて採れる花こう岩を「野面積み」で積み上げています。

    石垣

    関東ではめずらしい石垣が迎えてくれます。当該山にて採れる花こう岩を「野面積み」で積み上げています。

  • 本丸跡                                   現在は広場となっており300平方メ-トルもあり、主に藩庁と藩主の住居となってたと伝えられています。

    本丸跡                                   現在は広場となっており300平方メ-トルもあり、主に藩庁と藩主の住居となってたと伝えられています。

  • 本丸跡<br /><br />3代目城主蒲生郷成(がもう・さとなり、出生不明~1614)時代に建てられましたが、明治の廃城に伴い天守と共に破却となりました。<br />郷成は会津若松藩主蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556~1595)の家老で氏郷の跡を継いだ嫡男秀行(ひでゆき、1583~1612)が慶長3年(1598)宇都宮に移封された際、3万石にて笠間城の城主となっています。

    本丸跡

    3代目城主蒲生郷成(がもう・さとなり、出生不明~1614)時代に建てられましたが、明治の廃城に伴い天守と共に破却となりました。
    郷成は会津若松藩主蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556~1595)の家老で氏郷の跡を継いだ嫡男秀行(ひでゆき、1583~1612)が慶長3年(1598)宇都宮に移封された際、3万石にて笠間城の城主となっています。

  • 天守櫓への道と案内板

    天守櫓への道と案内板

  • 笠間城跡の新設石柱

    笠間城跡の新設石柱

  • 天守櫓への石段

    天守櫓への石段

  • 佐志能神社案内板

    佐志能神社案内板

  • 「笠間城天主跡」石柱<br /><br />当天守は3代目城主の蒲生郷成時代に建てられましたが明治の廃城により破却となったそうです。

    「笠間城天主跡」石柱

    当天守は3代目城主の蒲生郷成時代に建てられましたが明治の廃城により破却となったそうです。

  • 天守櫓への石段 <br /><br />平成23年3月11日の東日本地震の影響で当城跡も積み上げられた石垣が崩れています。(笠間駅出口右に観光案内所がありまして、係りに城址への道路情報を問合せましたが、「地震で一部破損しており危険だから行かないで欲しい」との話を改めて思い出しました。)

    天守櫓への石段 

    平成23年3月11日の東日本地震の影響で当城跡も積み上げられた石垣が崩れています。(笠間駅出口右に観光案内所がありまして、係りに城址への道路情報を問合せましたが、「地震で一部破損しており危険だから行かないで欲しい」との話を改めて思い出しました。)

  • 落石注意の立札

    落石注意の立札

  • 地震による石垣倒壊<br />                                      地震の影響で大きな石が見事にえぐられ、地震による被害が内陸部まで及んでいることを改めて認識させられます。

    地震による石垣倒壊
                                          地震の影響で大きな石が見事にえぐられ、地震による被害が内陸部まで及んでいることを改めて認識させられます。

  • 巨大な石 <br /><br />どうやってここまで運んだんでしょうか。相当な人力が使われたことでしょう。

    巨大な石 

    どうやってここまで運んだんでしょうか。相当な人力が使われたことでしょう。

  • 地震による被害状況<br />                                      地震による被害を受けて危険として進入防止の縄が張られています。<br />

    地震による被害状況
                                          地震による被害を受けて危険として進入防止の縄が張られています。

  • 大震災被害跡 <br /><br />石段の左右枠の石が今回の地震により外れています。自分も登るときは慎重でした。

    大震災被害跡 

    石段の左右枠の石が今回の地震により外れています。自分も登るときは慎重でした。

  • 佐志能神社(旧天守櫓)<br /><br />破却後は遺材を使って神社を建てたのでしょうか。

    佐志能神社(旧天守櫓)

    破却後は遺材を使って神社を建てたのでしょうか。

  • 地震被害状況<br />                                           地震被害を受け、神社(旧天守櫓)を支える石垣の基礎が痛々しくえぐれていました。

    地震被害状況
                                               地震被害を受け、神社(旧天守櫓)を支える石垣の基礎が痛々しくえぐれていました。

  • 地震被害状況<br />                                      神社(旧天守櫓)への石段が崩れて今にも手前に転がりそうな印象がありました。

    地震被害状況
                                          神社(旧天守櫓)への石段が崩れて今にも手前に転がりそうな印象がありました。

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