2011/05/04 - 2011/05/04
117位(同エリア379件中)
滝山氏照さん
八王子と高崎を繋ぐ八高線に乗って鉢形城(はちがたじょう、埼玉県大里郡寄居町)を訪問。高麗川(こまがわ)駅まで電車、当駅でディーゼル車に乗継ぎ、折原駅(無人駅)下車、徒歩にて城跡の深沢川側から入りました。
歴史的背景としては、15世紀に関東管領山内上杉氏の重臣長尾景春(ながお・かげはる、1443ー1514)が築城したと伝えられています。その後河越の戦いで勝利した小田原北条氏康(うじやす、1515ー1571)の四男氏邦(うじくに、1541ー1597)を養子に向かい入れ事実上の臣従関係となった国人で関東管領上杉氏家臣であった藤田康邦(ふじた・やすくに、1522~1555)の養子として入城、上杉謙信や武田信玄の侵攻に備える為大規模な改修をしました。
地勢的には北側に流れる荒川の急流と断崖、そして南側には支流の深沢川の渓谷に守られた本格的な天然要塞と言えます。その証左として武田信玄が小田原城攻略の為上州から攻め入った時、当城も攻められましたが守備が堅く途中で攻撃を断念しました。(歴史館に鉢形城と周辺についてジオラマが展示)
自分が訪問した時期は発掘調査は既に終了し城跡公園としてすっかり整備されていました。歴史館には駐車場が広く確保され、散策には十分な環境を整えています。ただ城跡公園の中央部は東西に舗装道路となって城域が分断され車両が往来している姿はいささか興ざめでした。
2023年8月31日追記
現地に建っている案内板には鉢形城について下記のごとく説明がされています。
「 鉢 形 城 跡
鉢形城は、荒川に臨んだ絶崖上に位置し、南には深沢川があって自然の要害をなしています。
文明8年(1470)に長尾景春が築城し、その後上杉家の持城として栄えました。室町末期に至り、上杉家の家老で、この地方の豪族であった藤田康邦が、北条氏康の三男氏邦を鉢形城主に迎え入れ、小田原北条氏と提携して北武蔵から上野へかけての拠点としました。
城跡は、西南旧折原村を大手口とし、東の旧鉢形村をからめ手口とします。本丸、二の丸、三の丸、秩父曲輪、諏訪曲輪等があり、西南部には侍屋敷や城下町の名前が伝えられており、寺院、神社があり、土塁、空堀が残っています。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家、利家上杉景勝、本多忠勝、真田安房守らに四方から攻撃され、三ヶ月の戦いの後、落城しました。
寄居町・埼玉県 」
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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八王子駅1番ホ-ム。この日は拝島駅で川越行に乗り換えます。
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折原(おりはら)駅下車
ディーゼル車内は4人掛けと2人掛けのシ-ト。騒がしいディーゼル音がなぜかストレスを感じさせない懐かしい気持ちです。(地方で育った自分には非電化地帯を走るディーゼル車両は日常の交通機関でした) -
折原駅を離れる高崎行ディーゼル車両
下車下のは自分の他リュックを背負いカメラを手にした若い男性です。 (下車後同じ道を歩き、とうとう鉢形城跡公園まで一緒でした。) -
折原駅
無人駅で乗車客は無。キップ回収箱がありました。箱に入れずに記念品としました。 -
鉢形城歴史観入口
15分程度歩いてとうとう着きました。裏道から入ったようで道中は案内板等は見当たりませんでした。(折原駅の次が寄居駅ですが寄居駅からはすぐ城域に着きます。) -
広々とした駐車場
自分が到着したときは9時30分前でしたので車両や訪問者は少なかったようです。 -
鉢形城とその周辺の案内図
「武蔵太郎」と異名を持つ荒川が大きく見えます。 -
イベントの案内ポスター
鉢形城の家臣団は、鉢形領内に居住する地侍層によって構成されています。地侍は地域ごとに大小の武士団に分かれており、秩父衆、小前田衆、荒川衆、猪俣衆などの「衆」として編成され、これらの「衆」を総称して「鉢形衆」と呼んでいたそうです。(パンフレットより) -
歴史館玄関
9時30分開場でしたが女性の係員は「おはようございます」と言って招き入れてくれました。2階部が玄関で入場料(大人200円)支払後は階段を使って降ります。1階が展示案内場となってます。中央部にお城と周辺の模型があります。 -
小田原北条家二代目氏綱うじつな、1487~1541)の写真と説明文。
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小田原北条家三代目氏康(うじやす、1515~1571)の写真と説明文。
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小田原北条家四代目氏政(うじまさ、1538~1590)の写真と説明文。
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小田原北条家五代目氏直(うじなお、1562~1591)の写真と説明文。
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土塁。
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土塁柱標
公園の一部としてよく整備されています。 -
長手の土塁。
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要害の深沢川
水量が少なく今では流れというよりも溜まりという状況でした。往時は敵を寄せ付けないほどの深い川だったと思われます。 -
「鉢形城跡」の案内板
実は車道の際にこの案内が立っています。信号等はないので渡るのに注意が必要です。 -
荒川よりの土塁
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急涯から荒川
この日は家族連れが河川敷に来て水遊びをしていました。往時は水量も多く武田信玄も攻撃に手こずっていたのでしょう。 -
荒川断崖からの遠望
向かいの山々にも鉢形城を守る支城等あったのかもしれません。 -
発掘調査案内板
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発掘後復元した状況
戦国時代の状況を考慮すれば現地はきれいすぎて味も素っ気もない光景です。 -
復元後の建物
この光景が自分には通じません。 -
復元後の武家屋敷門。
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復元後の「石塁」
石塁は初めて見ました。 -
段差の付いた石塁
土塁ではなく石塁のしかも段差がついてるのが判ります。 -
荒川対岸の鉢形城跡
対岸(寄居側)から見る鉢形城跡ですが当時はどういう風景だったんでしょうか。自ら勝手に想像するだけです。 -
荒川を渡る橋
合理的な訪問経路としてはは寄居駅下車しこの橋を渡り、渡り切った所を右折すればすぐ到着できます。(この時間は12時過ぎで、暑くて水をガブガブ飲んでました。) -
寄居駅
JR八高線・東武東上線・秩父鉄道が利用できる交通の要地となっています。 -
寄居駅舎
JRの他東武東上線、秩父鉄道にも連絡できます。尚帰路は東武東上線で川越駅下車、西武本川越駅から国分寺駅、JR中央線から八王子駅としました。(時間は掛かりますが自分にとっては乗り降りが楽しいです。) -
花園城跡
駅前案内地図に「花園城」とあり、観光案内所で確認すると「徒歩で30-40分掛かるがまだ整備されてないのでやめたほうがいい」と言われました。せっかくだからと思って訪問挑戦しました。入口については地元の人も判然とせず善導寺のお墓の裏から上りますが尾根にたどり着くものの城跡らしき所まで行けず断念し途中で引き返しました。 -
藤田善導寺
たぶん氏邦の義父である藤田康邦に関わる藤田氏の菩提寺と思われます。 -
ハイキング案内地図
当寺を含め近隣の寺院お参りコ-スとなっているようです。 -
花園城跡攻略失再挑戦
花園城址訪問挑戦するも雑木が乱立して続行困難。断念して後日改めて挑戦する。 -
花園城跡
先に挑戦した人物が残したと思われる色テープが小枝等に結ばれていました。恐らく帰路コ-スを明らかにする為に付けたのでしょう。自分もこのテ-プに沿って引き返しますが役に立ちませんでした。 -
花園城跡風景
目印として青いリボンもあります。 -
花園城跡堀切
帰路は堀切から竪堀を直下の如く滑るように下りました。下りきると右側に小さな神社が見えて、そこから登っていく2人の姿がありました。もしや神社裏が入口かなと思いましたが再挑戦する体力すでになくやむなくあきらめました。
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