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「於大の方」は徳川家康の生母です。<br />その生涯を見ていくと、戦国時代に生きた女性像が浮かび上がってきます。<br /> あくまでも、「於大の方」にちなんだ場所にこだわって、その足跡をたどってみます。<br /> そのために、尾張・三河・京都・江戸と、巡ることになります。<br /> 年代を追っての編集になりますので、時期がとびとびになっていますが、ご了承ください。<br /> 歴史ものとなると、ちょっととっ付きにくいかなと思いますが、チャレンジしてみます。<br /> 自分の身近なところにも歴史があるんですね・・・気がつかないだけかもしれません。

「於大の方」物語1 (生誕~竹千代:徳川家康の誕生まで)

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2011/06/14 - 2011/06/20

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fernando

fernandoさん

「於大の方」は徳川家康の生母です。
その生涯を見ていくと、戦国時代に生きた女性像が浮かび上がってきます。
 あくまでも、「於大の方」にちなんだ場所にこだわって、その足跡をたどってみます。
 そのために、尾張・三河・京都・江戸と、巡ることになります。
 年代を追っての編集になりますので、時期がとびとびになっていますが、ご了承ください。
 歴史ものとなると、ちょっととっ付きにくいかなと思いますが、チャレンジしてみます。
 自分の身近なところにも歴史があるんですね・・・気がつかないだけかもしれません。

交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • 於大は1528年に緒川城で生まれました。<br />父は緒川城主水野忠政。<br />母は於富の方。

    於大は1528年に緒川城で生まれました。
    父は緒川城主水野忠政。
    母は於富の方。

  • 緒川城址。<br />愛知県知多郡東浦町緒川にあります。

    緒川城址。
    愛知県知多郡東浦町緒川にあります。

  • 今は土塁の一部が残っているだけです。<br />地名として、古城(フジロ)・羽城(ハジョ)・屋敷三区(ヤシキサンク)が残っています。

    今は土塁の一部が残っているだけです。
    地名として、古城(フジロ)・羽城(ハジョ)・屋敷三区(ヤシキサンク)が残っています。

  • 水野一族は1533年(天文2年)刈谷城を新築しました。<br />この城は、衣ヶ浦に突き出た台地に位置し、西は海に臨む背水の堅城で、衣ヶ浦の海上交通を支配する戦略的にも優れた城でした。<br />写真は刈谷城絵図。

    水野一族は1533年(天文2年)刈谷城を新築しました。
    この城は、衣ヶ浦に突き出た台地に位置し、西は海に臨む背水の堅城で、衣ヶ浦の海上交通を支配する戦略的にも優れた城でした。
    写真は刈谷城絵図。

  • 刈谷から緒川方面。<br />緒川城の対岸の地にあります。<br />絵図によると、この辺りは海であったはずです。

    刈谷から緒川方面。
    緒川城の対岸の地にあります。
    絵図によると、この辺りは海であったはずです。

  • 刈谷城に入ります。<br />海岸からの道であったろうか?

    刈谷城に入ります。
    海岸からの道であったろうか?

  • ここをくぐっていくとお城の中に出る。

    ここをくぐっていくとお城の中に出る。

  • お城の中です。

    お城の中です。

  • 本丸跡。

    本丸跡。

  • 1533年、於大も父とともに刈谷城に移りました。<br />於大6歳の時です。

    1533年、於大も父とともに刈谷城に移りました。
    於大6歳の時です。

  • 現在は亀城公園として整備されている。

    現在は亀城公園として整備されている。

  • 刈谷城は亀城とも呼ばれます。<br />現在の住所は愛知県刈谷市城町です。

    刈谷城は亀城とも呼ばれます。
    現在の住所は愛知県刈谷市城町です。

  • 刈谷市郷土資料館。<br />大手門跡に行く途中にある。<br />旧小学校を再利用している。

    刈谷市郷土資料館。
    大手門跡に行く途中にある。
    旧小学校を再利用している。

  • 「於大の方」が、育った地として親しまれている。

    「於大の方」が、育った地として親しまれている。

  • 刈谷城大手門跡。<br />ただ石碑が建っているだけでした。<br />

    刈谷城大手門跡。
    ただ石碑が建っているだけでした。

  • 1541年、於大は岡崎城主の松平広忠に嫁ぎました。<br />

    1541年、於大は岡崎城主の松平広忠に嫁ぎました。

    岡崎城 名所・史跡

  • 於大14歳、広忠16歳でした。

    於大14歳、広忠16歳でした。

  • 松平家は今川方でした。<br /><br />写真は岡崎城の中。

    松平家は今川方でした。

    写真は岡崎城の中。

  • 一方、水野家は時には軍事的に織田方に協力していたので、いわゆる政略結婚だったのです。<br /><br />写真は岡崎城の中。

    一方、水野家は時には軍事的に織田方に協力していたので、いわゆる政略結婚だったのです。

    写真は岡崎城の中。

  • 岡崎城は愛知県岡崎市康生町にあります。

    岡崎城は愛知県岡崎市康生町にあります。

  • 鳳来寺。<br /><br />愛知県新城市にあります。

    鳳来寺。

    愛知県新城市にあります。

  • 戦国乱世に強い男子が授かりますようにと「峯の薬師」に祈願されたという。

    戦国乱世に強い男子が授かりますようにと「峯の薬師」に祈願されたという。

  • 峯の薬師

    峯の薬師

  • 案内板には「松平広忠夫妻」と記してある。

    案内板には「松平広忠夫妻」と記してある。

  • この鳳来寺へは表参道から1425段の石段を登るのが、正式ですが、近くまで車で来れます。<br />また一帯が、ハイキングコースになっています。

    この鳳来寺へは表参道から1425段の石段を登るのが、正式ですが、近くまで車で来れます。
    また一帯が、ハイキングコースになっています。

  • 話はちょっとそれますが、この鳳来寺山に「東照宮」があります。

    話はちょっとそれますが、この鳳来寺山に「東照宮」があります。

  • 三代将軍家光公が発願されたとある。

    三代将軍家光公が発願されたとある。

  • 日光東照宮が有名であるが、日本三大東照宮の一つと言われている。

    日光東照宮が有名であるが、日本三大東照宮の一つと言われている。

  • そして、1542年、於大は岡崎城内にて男子を出産しました。<br />於大15歳。

    そして、1542年、於大は岡崎城内にて男子を出産しました。
    於大15歳。

  • お城からこの坂を下ったところにある。

    お城からこの坂を下ったところにある。

  • 竹千代(後の徳川家康)の誕生です。

    竹千代(後の徳川家康)の誕生です。

  • 待望の嫡子の誕生で岡崎は沸きかえったとのこと。

    待望の嫡子の誕生で岡崎は沸きかえったとのこと。

  • 翌1543年安産の祈願をした薬師如来を本尊として「大泉寺」を創建しました。<br />大泉寺は愛知県岡崎市中町にあります。

    翌1543年安産の祈願をした薬師如来を本尊として「大泉寺」を創建しました。
    大泉寺は愛知県岡崎市中町にあります。

  • 天文12年の西暦が違うのでは?<br />それと、家康の誕生年が天文12年?

    天文12年の西暦が違うのでは?
    それと、家康の誕生年が天文12年?

  • 於大の方の生誕地が「本刈谷」になっている。<br />「緒川城」の間違いです。

    於大の方の生誕地が「本刈谷」になっている。
    「緒川城」の間違いです。

  • 最近買ったGPS。<br />撮った場所が後で分かります。<br />次にカメラを買い替える時は、GPS機能付きにしようと思います。<br /><br />参考 「於大の方と水野氏」(東浦町教育委員会)

    最近買ったGPS。
    撮った場所が後で分かります。
    次にカメラを買い替える時は、GPS機能付きにしようと思います。

    参考 「於大の方と水野氏」(東浦町教育委員会)

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この旅行記へのコメント (2)

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  • bettyさん 2011/06/23 18:57:54
    興味津々で拝見
    FERNANDOさん、はじめまして♪

    「お於大の方」と題を見てすぐに拝見いたしました(^^)

    戦国時代の武将が好きで「大河ドラマ」などを好んで見ており、
    最近の「お江」もテレビだけでなく本も読みました。

    それがきっかけで「徳川家康」を読むようになったのです。

    たまたま家に26巻あり、今8巻目ぐらいですが、どうでもいいところは
    斜めに読んだりしてます(^_^;)

    その中で「お於大の方様」のことが詳しく書かれており、
    凛として素晴らしい人だと思いながら読みました。

    離縁されて、つぎの嫁ぎ先へ行っても人質となった竹千代を気遣い、
    陰ながら支えていました。

    本を読み終えたら徳川家康所縁の場所へ行ってみたいと思って
    おります。

    とりあえず岡崎城かしら(*^_^*)

    でも、26巻までは遠い話ですので、FERNANNDOさんの旅行記の場所へ
    いつか行ってみようよ思います♪


    betty

    fernando

    fernandoさん からの返信 2011/06/23 22:44:32
    歴史物は初めてです
    >bettyさん 見ていただいてありがとうございます。

    歴史の旅行記は初めてです。

    それというのも、時代考証をしっかりしないといけないという頭があって、なかなか踏み切れないのと、いまさらという感じがあったからです。

    しかし「於大の方」に関しては、徳川家康の母でありながら、その存在感は薄いのでは?と感じたのがきっかけです。

    あくまで旅行記として感じていただければと思います。

    全部でその5までを予定しております。

    出かけるなら、とりあえずは、於大の方出生地である、東浦町へおいでください。

    Fernando



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