2011/06/11 - 2011/06/11
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ころっつさん
高速道路の土・休日上限千円がいよいよ今月19日に終わる…ということで、梅雨の中でしたが、大学時代に山口に住んでいたナビゲーターの案内で山口市内を観光し、秋吉台を通り過ぎ、萩市内まで足を延ばしました。第2弾の秋吉台~萩市内編です。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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大雨の予報だったのに、山口市内を午後2時過ぎに出て、萩に向かう途中に立ち寄った秋吉台ではすっかり晴天に。梅雨前線は予報以上に南下してしまったようです。
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秋吉台は輝くような緑の季節。台地を縦貫するスカイラインの長者ヶ森の駐車場からの眺めです。
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長者ヶ森からしばらくスカイラインを北に走るとあるのが地獄台です。地獄台は谷を挟んだカルスト地形の丘陵に広がる石灰岩群があたかも針のように見え、地獄の様子…ということから名付けられた名称です。
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秋吉台は日本3大カルスト地形の中でも最も有名な場所で、すぐれた自然美であることから、国の特別天然記念物にも指定されいます。
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石灰岩が針のようにも、羊の群れのようにも見えます。
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これは以前来た時の晩秋のカルスト台地。南側に位置する円形の秋吉台展望台からの眺めです。
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これも晩秋の頃−すすきが一面に広がる風景です。
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秋吉台から山口県を日本海側に出て、明治維新の発信地・長州藩の藩庁が置かれていた萩に到着です。
萩にはこれまで2度ほど来たことがあるので、今回は3度目の訪問となります。まず向かったのは、拝観時間が午後5時までとなっている歴代長州藩主の菩提寺である東光寺です。 -
拝観料を支払い、境内に入ったところにある山門の前で記念撮影。
東光寺は市街地の東側の山裾にあり、歴代藩主のうち奇数代の当主と夫人・家臣の菩提寺となっています。ちなみに偶数代藩主は、市街地西側の山裾にある大照院が菩提寺となっています。 -
国の重要文化財にも指定されている本殿です。
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こちらは以前訪れた紅葉の頃の写真です。
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東光寺の見所は本堂の裏手にある藩主・毛利家の廟所です。
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廟所入口の門をくぐると、緩やかな上り坂の石畳の参道が続いています。
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紅葉の時期の頃の様子です。この廟所は国の史跡にも指定されています。
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墓所の上から参道を振り返ります。
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正面には歴代藩主とその正室の立派な石造りの墓標が立ち並んでいます。ちなみに長州藩の初代は関ヶ原の戦いの西軍の総大将・毛利輝元の子、秀就となっています。輝元は敗将の責任を負わされて隠居させられたのですね…。
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墓の周囲には、藩主ゆかりの家臣や側室などの墓もあり、厳かな雰囲気の中、500基あまりの石灯籠が立ち並んでいます。
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東光寺を後に、そのすぐ近くにある松陰神社に参詣しました。その名のとおり、明治維新の多くの志士を育成し、安政の大獄で処刑された松下村塾の主宰であった吉田松陰を祀った神社です。
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明治後期に塾生であった伊藤博文らの運動によって創祀された神社で、境内には「明治維新胎動之地」の石碑も立っています。
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日本史を専攻していなった私でも吉田松陰と歴史で名を残す松下村塾の塾生の何人かは知っています。境内には修復された当時の塾の建物が残っています。
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松下村塾の講義室には、伊藤博文、久坂玄瑞、山県有朋などここで学んだ志士達の写真も飾られています。
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本殿近くには、松陰自身が植樹した木立も残っており、境内には松下村塾の遺構のほか、松陰の偉業を顕彰した施設もあります。
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松陰神社の本殿です。
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境内には笠の形をした短冊のようなものが木に掛かっていました。
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次は萩市街を形成する三角州の先端にある藍場川沿いのまちなみに向かいます。到着するまでは狭い道ですが、近くに無料の観光用駐車場があります。藍場川は、江戸時代中期に萩城下町に水路を確保するために造成された人工の河川です。
川沿いの屋敷は下級武士が住んでいた場所で、観賞用の庭や生活用水として利用するため一部の屋敷では、水路が屋敷の内部に引き込まれています。 -
川沿いには風情のある屋敷が並んでおり、後に首相となった桂太郎の旧居もあります。川には鯉も泳いでいます。
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桂太郎旧居の庭園です。ここのほかにも藍場川沿いの屋敷には、市が寄贈を受け公開している旧湯川家住宅などもあります。
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いよよ萩観光のメインとなる城下町のまちなみに向かいます。
中国地方十ヶ国の大大名から、関ヶ原の戦い後、防長2国に減封された毛利家は新しい居城地として防府・山口・萩の3か所を候補地として幕府に伺いを出しましたが、戦略的に重要性のない日本海側の寒村であった萩に築城することを命じられました。
見所の城下町は城の東側に広がる中級武士が住んでいた場所で、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているまちなみ・横丁が広がっています。 -
電柱もない風情ある武家屋敷街が続いています。
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維新の三傑・木戸孝允の旧居が建っています。城下町まちなみの一番東にある南北に貫く江戸屋横丁に面しています。
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萩は焼物の産地としても有名です。豊臣秀吉の朝鮮出兵で毛利軍が連れ帰った陶工が創始したのが今に伝わるもので、使うほど茶器の色合いが変わってくるのが特徴です。
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菊屋家住宅は萩藩の御用商人として活躍した豪商の屋敷で、国の重要文化財にも指定されています。
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菊屋家住宅の周辺には道路の両側に風情のある建物が立ち並んでいます。幕末には山口に藩庁が移転したことから、江戸時代からの古い町割が今に残っています。
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続いて菊屋の名前にちなんだ菊屋横丁を下って行きます。白いなまこ壁の屋敷が美しいです。
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もう6時前なので歩いている観光客もほとんどいません。
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以前訪れた時の秋空の菊屋横丁。
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白壁の土塀が続くまちなみ。
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萩を象徴する植物、夏みかんの木々が土塀から顔をのぞかせています。
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閉門となっていますが日中は公開されている住宅は、奇兵隊を結成したことから人気がある高杉晋作の生誕地。若くして維新を見ずして逝去しましたが、維新に向けて目覚ましい活躍をした人物です。
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以前に訪れた時のもの。萩のまち歩きは何度訪れても楽しいです。
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横丁で見つけた土産物屋の飾り窓に並ぶかわいい焼物の小物。
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菊屋横丁は、日本の道100選にも選ばれている悠久の歴史をたたずまる由緒ある道です。
かつて長州藩では江戸時代を通じて、徳川政権への復讐が極秘の国是となっており、年賀のあいさつでは家老が藩主に「今年はいかがいたしましょう(倒幕の機はいかに)」とうかがいを立て、藩主が「まだ早い」と答えるのが習わしだったとも伝わっています。こうした土壌が明治維新を生んでいったのでしょうね。 -
城下町巡りを終え、萩の地ビール「ちょんまげ」を購入し、その場でいただきました。地ビール特有の焦げたような濃い独特の味がします。
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今回は訪れていませんが、以前の来訪時には萩城跡に行きました。城の建物は取り壊されて残っていませんが、かつては五層の天守がそびえており、日本海沿いにある指月山を縄張りにした堅牢な城郭を持つ城だったようです。
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萩城の入口にある毛利輝元の銅像です。藩祖の父として、萩移封後も形式上は隠居しながら、藩の政務に活躍しました。
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新堀川より城側が城内となっており、向こうにある石造の平安橋が城下町と城を結ぶ一番古い橋でした。
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平安橋を渡った城下町側の平安古も国の伝建地区に指定されています。むき出しの長い土壁が続いています。
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城下町に多い鍵曲。非常時の戦略上の配慮からわざと見通しの悪い形状にしています。萩の早巡りを終え、再び山口市内に戻りました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- annakさん 2011/07/05 00:32:09
- 一週間違いでした
- ころっつさん今晩は、annakです。
萩、山口の旅記楽しく拝見させていただきました。
萩の町を楽しまれた様子が手に取るように分かる
素敵な旅記だと思います。(とても楽しそうです)
あれれ・・・ちょうど一週間違い・・・
annak夫婦は6月19日(高速割引最終日)に津和野〜萩に行ってきました。
ちょっとびっくりですね。
萩は素敵な町ですね、annakは初訪でした。
あまり事前情報なく訪れましたので、見落としもありましたが
満足度の高い街並みでした。
また頑張ってアップします。
annak
- ころっつさん からの返信 2011/07/07 12:41:48
- RE: 一週間違いでした
- annakさん、こんにちは。
今日は久しぶりに梅雨らしいお天気となりました。
高速千円が終了間際だったので、どこか遠くに…ということで選んだのが山口でした。楽しそうですか?そうですね…山口はあまり行ったことがなかったので、結構楽しめました。
私の訪問の一週間後に行かれたのですね。またアップされた旅行記を見せていただきます。萩は3度目でしたが、もっともっとゆっくりと歩いてめぐってみたいまちだなあ…と思いました。
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