2007/12/25 - 2007/12/30
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Giraudさん
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ローマ市内の遺跡巡り、今回で2回目。
犬も歩けば遺跡に当たる、という感じなので、移動はほとんど徒歩。
疲れましたが、充実した旅でした。
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チルコ・マッシモから眺めるパラティーノの丘。
遺跡が西日に映えます。 -
サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ教会
San Giorgio in Velabro
ここはローマ建国神話で、ロムルスとレムスが狼に乳を与えられた場所。左側にアルジェンターリの門がくっついています。 -
サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ教会の内部。
小さな教会なのに意外に奥行きがあると思ったら、祭壇に向かって建物の幅を狭め、遠近法で錯覚させているのでした。天井の格子模様に注目。 -
アルジェンターリの門
ARCVS ARGENTARIORVM
皇帝セプティミウス・セウェルス(在位193年〜211年)に当時の富裕なアルゲンタリウム(argentarium、両替商つまり銀行家)が捧げた門。サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ教会の付属物のように見えますが、教会は7世紀の建立ですので、門のほうがずっと古い遺跡です。 -
アルジェンターリの門の内側(右)。
セプティミウス・セウェルスと皇后ユリア・ドムナの像。 -
アルジェンターリの門の内側(左)。
セプティミウス・セウェルスの二人の息子が彫られていたはずですが、長男カラカラはのちに弟ゲタを抹殺して彫像も破壊したため、現在では一人しか残っていません。 -
ヤヌスの四面門
ARCVS IANVS QUADRIFRONS
コンスタンティヌス大帝(在位307年〜337年)時代の建造。交差点に立っていた門ですが、後世は建物の土台にされていました。名称は後世に付けられたもので、ローマの歴史によく登場するヤヌス神殿の門(戦時にはいつも開け放たれ、平和が訪れると閉じられる)とは無関係。 -
ジョヴァンニ・パオロ・パンニーニ
『ヤヌスの四面門、ウェスタ神殿、マルクス・アウレリウスの騎馬像を含む建築遺跡』
(ルーヴル美術館)
Giovanni Paolo PANNINI
Ruines d'architecture avec l'arc de Janus, le temple de Vesta et la statue equestre de Marc-Aurele
1743年 -
フォロ・オリトリオ
FORVM HOLITORIVM
野菜や香草、オリーヴ油などが売られていた青物市場。希望の女神スペス神殿の柱が、後世のサン・ニコラ・イン・カルチェレ教会に組み込まれて残っています。 -
タルペイアの岩
RVPES TARPEIA
カピトリーノの丘にある高さ約24mの断崖。現在は周囲のほとんどに階段が整備されているカピトリーノの丘が、ローマの七つの丘で最も標高が高く、王政期には防御の固い砦として使われたということが実感できます。共和政期にはここから罪人を落として処刑しました。名前の由来は、サビーニ人との戦いのときにローマを裏切った女性タルペイアから。
ダヴィッドの絵画『サビーニの女たち』の背景にも描かれています。
http://4travel.jp/traveler/giraud/pict/13077471/ -
アラコエリ教会下のインスラの遺跡。
インスラとは、古代ローマ時代の高層住宅。 -
アラコエリ教会下のインスラの復元模型。
(ローマ文明博物館) -
オクタウィア回廊
PORTICVS OCTAVIAE
初代皇帝アウグストゥス(オクタウィアヌス)が建設、姉オクタウィアの名を冠しました。ユピテル神殿、図書館などがあった柱廊広場。皇帝の凱旋行進の出発点としても使われました。 -
マルケルス劇場
THEATRVM MARCELLI
首都ローマでは2番目に落成した常設の劇場。初代皇帝アウグストゥスが建設、早逝した甥(姉オクタウィアの息子)マルケルスの名を冠しました。
復元模型はこちら
http://4travel.jp/traveler/giraud/pict/13546396/ -
マルケルス劇場とアポロ・ソシアヌス神殿の柱。
演劇が神事であったギリシアと違い、低俗なものとみなされていたローマでは、劇場の建設には神殿を併設することが多かったようです。 -
テヴェレ河畔に残る二つの神殿。
円形神殿(通称ウェスタ神殿)は、実際には勝利者ヘラクレスを祀った神殿、長方形の神殿(通称フォルトゥーナ神殿※このときは修復中)は、港の守護神ポルトゥヌスのための神殿といわれます。ともに紀元前2世紀頃からある、ローマでも古い神殿遺跡。中世には教会(サンタ・マリア・デル・ソーレ教会、サンタ・マリア・エジツィアカ教会)に組み込まれていたため損壊を免れ、近代になって教会部分を取り壊し遺跡として復元されました。 -
ティベリーナ島
INSVLA TIBERINA
船が座礁してできたという伝説があるテヴェレ川の中洲。前3世紀から医療神アエスクラピウスの神殿があり、現在でも病院があります。川の名前は古代ラテン語のティベリス(tiberis)が、現代イタリア語ではテヴェレ(tevere)と、B→Vに発音が変化していますが、島の名前は昔のまま。
手前左はポンテ・ロット(壊れ橋)。
奥右のファブリキウス橋は、古代ローマ時代から現役。 -
クロアカ・マクシマの出口。
CLOACA MAXIMA
紀元前600年頃にエトルリア人の技術で造られたとされる排水溝で、もともとは用水路のように露出していたのを、のちに蓋をして地下水路にしました。谷間の湿地帯だったフォロ・ロマーノは、これのおかげで公共広場として整備されました。暗殺された暴君エラガバルスや殉教した聖人セバスティアヌスは、遺体を埋葬されずにクロアカ・マクシマに流されたそうです。
排水溝として現在でも機能しています。 -
サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会
Santa Maria in Trastevere
ローマにも無数あるサンタ・マリア(聖母マリアに捧げた教会)でも最古の教会。 -
サンタ・マリア・イン・トラステヴェレの内部。
こういう初期の教会は、ローマ時代のバシリカ(公会堂)の形式を残しています。 -
内陣のモザイク。
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アルジェンティーナの聖域
Largo di Torre Argentina
ポンペイウス回廊に付設していた四つの神殿跡。20世紀になってこの一角の再開発をしようとしたところで地下から発見され、保存されることになりました。どの神を祀っていたのかは不明で、便宜的に北からA神殿、B神殿、C神殿、D神殿と呼ばれています。名前の由来は、中世からここにストラスブール(ラテン語ではArgentoratumアルジェントラトゥム)出身の司教の館があったことから。 -
アルジェンティーナの聖域は、道路から掘り下げられて外敵が来ないので、現在はネコの聖域。以前たまたま見たTV番組によると、遺跡の管理人がネコ好きで、あちこちから捨て猫を拾ってきては養っているとか。観光客からも餌がもらえるため、ネコは皆まるまると太っていました。
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ポンペイウス劇場跡
THEATRVM POMPEI
首都ローマで初めて建設された常設の劇場。カンポ・マルツィオに造られた最初の公共建築物でもありました。現在では跡形もありませんが、道路がカーブしているのは半円形の劇場の外周の名残。客席の頂上には勝利のウェヌス神殿が併設されていました。 -
サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会
Basillica di Sant'Andrea della Valle
ポンペイウス劇場の跡にあるバロック様式の教会。Valle(谷間)とは、ここが劇場の舞台、つまりいちばん低い場所だったことから。 -
パンテオン
PANTHEON -
パンテオン広場のオベリクス。
エジプトの女神イシスの神殿に使われていたもの。 -
サンタ・ソプラ・イン・ミネルヴァ教会前のオベリクス。
これもイシス神殿に使われていたもの。 -
アラ・パチス(アラ・パキス)
ARA PACIS
平和の祭壇。初代皇帝アウグストゥスが紀元前9年に建立。長い歴史でバラバラになっていましたが、各地の破片を集めて1938年から修復作業が行われました。 -
復元されたアラ・パチスの一部。。
この部分の現物はルーブル美術館に展示されていました。
http://4travel.jp/traveler/giraud/pict/13077430/ -
ポポロ広場のオベリスク。
前13世紀の古代エジプトで造られ、太陽神の神殿を飾っていたものを、女王クレオパトラのエジプトを征服した初代皇帝アウグストゥスが持ち帰り、チルコ・マッシモ(大戦車競技場)の中央分離帯に使っていました。 -
メルカート・トライアーノ
MERCATVS TRAIANI
五賢帝の三人目トラヤヌス(在位98年〜117年)が開設した市場。総数150件もの店舗が入っていて、1階は青果店や花屋、2階は油とワインの売場、3階と4階は香辛料売場、5階は倉庫と小売店、6階は鮮魚市場(水槽に入れて生きたまま売る)となっていました。 -
ネルウァのフォルム
FORVM NERVAE
メルカート・トライアーノ内に展示されていた再現図。
上は建設当時、下はローマ荒廃後。
フォーリ・インペリアーリ(諸皇帝の広場)の遺跡はほとんど道路下に埋もれているのですが、メルカート・トライアーノ内の博物館に出土品やイラストがいろいろ展示されていました。 -
アウグストゥスのフォルム
FORVM AVGVSTI
メルカート・トライアーノ内に展示されていた再現図。
初代皇帝アウグストゥスの高さ14mの巨像がありました。 -
発掘されたアウグストゥス像の指。
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フォロ・ロマーノ
FORVM ROMANVM
このときはまだ入場無料で、何度も出入りしました。
遺跡の紹介は前回の旅行記もご参照ください。
http://4travel.jp/traveler/giraud/album/10086407/ -
アウグストゥスの凱旋門
ARCVS TRIVMPHAILIS AVGVSTI
アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラの連合軍に勝利した記念に建造。
現在は土台しかありません。 -
クロアカ・マクシマ(大排水溝)への入口。
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ティトゥスの凱旋門
ARCVS TITI
ユダヤの反乱(66年〜73年)を平定した記念に建造。門の内側には、ローマ兵がユダヤの宝物である七枝の燭台メノラを掲げて行進する様子が彫られています。ニコラ・プッサンの絵画『エルサレム神殿の破壊』などにも描かれるメノラは、ローマ時代にはフォーリ・インペリアーリの平和の神殿(ウェスパシアヌスのフォルム)に展示されていましたが、西ローマ帝国末期にヴァンダルの王ガイセリックのローマ略奪(442年)で奪われて永遠に失われました。 -
マクセンティウスのバシリカ
BASILICA MAXENTIANA
現存している遺跡は高さ25mの側廊の部分だけ。中央の身廊は高さ35mもありました。柱の一本はサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂前に移設されています。現在カピトリーニ美術館の中庭にあるコンスタンティヌス大帝の有名な巨像は、ローマ時代にはここに安置されていました。
コンスタンティヌス大帝の巨像(カピトリーニ美術館)
http://4travel.jp/traveler/giraud/pict/14096436/ -
メルカート・トライアーノの夜景。
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コンスタンティヌスの凱旋門の夜景。
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コロッセオの夜景。
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