2011/05/29 - 2011/05/30
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こまちゃんさん
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5月28日の夜も、いつものように遅くまで起きていた。
そして翌日に入って、またまた3時、4時、・・・。
さて、そろそろ寝ようかな〜と思った時、この時間ではあり得ない事に、下の部屋から呼鈴が鳴った。
勘が働いて事態を察したが、時間は4時少し過ぎ。。。
先日のように、河内長野の病院から電話が入ったのだ。
「心拍数が危険な状態なので来て欲しい」
との事。
急いで出掛ける準備!
こまは5分で出発準備OK!
高齢者の2人は、準備が遅い。
でも、準備は、単に出掛けるだけではダメと言う事で、もう観念した場合の準備も必要だと言う事になり、宿泊の用意もし始めると、時間はドンドン過ぎて行き、結局家を出たのは5時前になった。
しかも今は「土砂降り」。目一杯しこたま、ドバドバに雨が降っている中、車を飛ばして向かうが、こんな時間なので1時間で付けるとは思うのだが、果たして伯母さんの様態に余裕があるのだろうか・・・
結果的には旅立った伯母さん。
葬儀屋が隣という立地なので手配は早かったが、如何せん大雨が祟って、何をするにも面倒がつきまとった。
その様子を、記録としてここに残しておく事にした。
-
病院には6時前に着いた。
関係していると思われるナースが、病室ではない所へ我々を案内する。
先導してくれればよいものを、行き止まりになる度に、「関係者以外立ち入り禁止」のドアを突っ切れと、後ろの方から支持するだけだった。
そして、非常口のようなドアのある所の脇にある部屋へ入れと言うので、そっとドアを開けた。
いつも世話をしてくれている女性が先に来てくれていた。
でも、伯母さんの身体は既に冷たく、顔にかけられた白い花柄の布が痛々しかった。 -
死亡時刻は5月29日5時丁度。
女性が駆けつけてくれたのは4時半だったそうだが、その時既に心停止だったそうだ。
彼女曰く、「もっと先に危険状態になっていた筈」。
総合的に見て、頼りない病院だと言う事で、昨日彼女から、「病院を変える準備をしたい」と相談を受けていた矢先だった。 -
「葬儀は地味でよいから」と、本人からは言われていたが、地味に済ますにも段取りが判らない。
なので、面倒を見ててくれた彼女が互助会に入っていたので、そのベルコシティーホールに任せる事にした。
彼女は、早くにお母さんを亡くしたと言う事で、洋裁の先生だった伯母さんを、母のように慕ってくれていた方だ。なので、その思いもあった為、せめて・・・と思って、ましな事が出来るように、途中で掛け金も上げて呉れていたそうだ。
お陰で、200万弱程かかる費用が、会員割引や会員特典も伴って、互助会費の積み立てが満期ではなかったものの、積立期間分の費用を使って差し引くと、123万少々で収まった。 -
病院から直接会場では、故人が余りにも不憫なので、一旦故人の家に帰る。
そこでお通夜の時間まで安置して貰い、その間に、ベルコの方達と段取りの打ち合わせ。(費用やコースも含めて)
故人がいつもお世話になっていたお寺から和尚さんがやって来て、枕経を上げて呉れた。
今夜のお通夜もこちらにお世話になる。
眠さを堪えて、葬儀に出る為に不足したモノを買いだしに出かけたりした。
近所の方々が訪れて見舞ってくれる。
ベルコが迎えに来るまでの間、こまは車で仮眠を取った。
この後のハードスケジュールを乗り切る為にも、必要な休息だった。
何せ、喪主がオトンなので、そのサポートで振り回されるのだから・・・。
伯母さんが会場へ向かう前に、伯母さんの写真を探していると、伯母さんの、そしてオトンともう一人の大和田にいる伯母さんの、3人のお母さんの写真が出てきた。
奇しくも、葬儀が決まった明日は、そのお母さん(こまのお婆さん)の命日だった。 -
お通夜の準備が進む会場。
この隣が控え室。
先程、「おくりびと」が湯灌を行っていた。
皆で伯母さんの顔を拭いて上げた。
夜の7時からお通夜。
粛々と行われ、身内だけで軽く夕食。
夕食は、別室に設けられたテーブルで摂る。
明日の葬儀も、火葬中に昼食があり、そこで会席が持たれる。 -
お通夜が始まる。
身内が居ない伯母さんは、洋裁の時の生徒さん繋がりで知人は多め。
でも、土砂降りが祟ってこの事を知る人も少なく、実際に送りに来て戴けるのは明日になるだろう。 -
伯母さんが贔屓にしていた真教寺の住職。
そこの息子さんが来てのお経。 -
親族の焼香が済み、続いて友人参拝者達のご焼香。
8時頃になって終了し、明日の段取りを軽く打ち合わせ。
夕食を戴きながら故人を偲ぶ。
みんなと別れてから、教の宿泊をお名さんの家にしていたこま達は、伯母さんをここに取り残すのは良くないので、最初は半分がここの控え室で泊まる事にしていたが、3組しかない布団に、伯母さんの家から2枚掛け布団を持参し、座布団と布団を敷き並べ、半ば雑魚寝状態にした。
でも、伯母さんの古い家で寝るよりは遙かにマシで、オマケに広い浴室も使えたので、土砂降りで濡れまくった身体も綺麗になった。
布団を取りに出掛けたのは、ジジ2人を除いたババ2人とと女性1人の合計4人。
オカンは身内じゃないので関係ないが、大和田の伯母さんは実の妹だ。そこで始まったのは、
「宝探し」だった。でも、あの姿は「禿鷹」そのもの。
まだ部屋で漂っている伯母さんの、「アンタそんな、好き勝手に持って行くな!」って言う声が聞こえてくるようだった。
会場へ戻ったのは11時前だった。
ジジ2人は、全然帰ってこない禿鷹組に飽きれ顔。
その時間から風呂に入り、化粧を落として・・・女性はやる事が多いな。。。と実感。
就寝は結局12時半。
蚊取りアースも常備されているので、安心して寝られそうだったが・・・ -
ジジババが4人も居たので、遅く寝たくせに、起きる時間はやはり早い。
5時にみんな起き始め、疲れ果てたこままでも起こされてしまう。
6時までゴロゴロしていたが、面倒なので起きる事にした。
今日も相変わらずの雨。
葬儀のその前に、今日は5月30日でお婆さんの祥月命日でもあるので、お墓参りをしてくる事にした。
朝食は、昨日買い込んでいたもので適当に済ませて、ジジババは、ぬかるむお墓で何かあったら大変なので、東京から駆けつけてくれていた大和田の伯母さんの娘さんと2人で出掛けた。
8時にスケジュール確認と、故人紹介の原稿を再チェック。
細かいアレンジは、司会者の女性に一任して、葬儀開始時間の9時よりも30分早く入場した。
伯母さん、ゆっくり出来ましたか? -
8時半から、少し不足事項などを再確認したりして、9時10分前にはスタンバイ完了。
予定通り葬儀開始とあいなる。
今日も息子さんによる進行だった。 -
20分間のお経。
そしてその間にご焼香。 -
その次は、参列して下さった方々との最後のお別れ。
まわりに花や、故人に送りたい物をお桶に入れて行く。
画像は準備中の様子。 -
ドライアイスを外している所。
火葬に影響のあるものは、お棺には入れられない。 -
皆が集まって、それぞれお花を添えて行く。
何度も何度も配られるお花。
花で埋め尽くされて行く伯母さん。
伯母さんの顔は、何事もなかったかの如く静かで綺麗。
皆が口を揃えていった言葉が、「綺麗な顔。今に話しをしそうね」だった。
本当に、若返ったように見えた。
この後、とうとう最後と言う事で蓋が閉められた。
11人で火葬場へ向かう。
11時半到着。
それぞれの思いで見送った。
ペースメーカーをしているので、時間は2時間半必要なのだそうだ。
2時15分に骨上に来るまで、一旦会場へ戻って昼食を摂る。 -
料理は一番安いのを選んでも5千円以上もした。
この画像の倍程の料理が出てくるので、程々の量のものは無かったのかと思う。
食後、2時間も時間があるのでどうしようかと思ったが、話しをしていると、案外ドンドン過ぎて行くものだ。 -
再度火葬場に到着すると、呆気なく別の姿になっていた。
皆で拾って上げると、そのまま再度会場へ戻る。
次は、「繰り上げ初七日」の儀。
この時は、古株のご住職が来て呉れた。
滔々と読み上げるお経は、やはり風格があった。
全て終了後、ご住職とお離しをした際に、身内のない故人を知っているご住職から、
「お骨は49日まで預かる事が出来ますよ」
と教えられ、参拝者の皆を送り出し、控え室の片付けを済ませて全てを完了させた後、お骨を持って真教寺へ。
全員は乗れないので、親戚組4人は伯母さんの家で待っていることになった。 -
お寺は、民家の奥のひっそりとした所にあった。
しかし、旧高野街道沿いなので、昔はそれなりに尊厳のあるものだったが、その当時は小さなお寺だったようだ。
オトン曰く「昔の小さな面影がない」。
かなり立派になったようだ。 -
伯母さんをここに預けて、皆の待つおばさんの家に向かう。
昨夜、散々あさったにも係わらず、更に禿鷹行為を始めた。 -
結局、4時前に終わった葬儀だったが、河内長野を出られたのは6時半だった。
車には、大和田の分の荷物が沢山乗っていたので、おっちゃん一人に乗ってもらって、先に家へと向かった。
雨もすっかりなくなって道が順調だったので、6時15分に到着。
そこから約1時間で橋本に戻ってきた。
長い2日間が漸く終わった。
今日は早く寝よう・・・・・
あ!
オークションの落札者が居る!
直ぐに連絡してあげて、事なきを得た。
もう入金されて来たので、明日早速発送しなければ!
現実に戻ると、さっきまでの黒服騒動は何だったのか・・・と狐につままれたような感覚になった。
画像は、伯母さんの家の横で実っていた野いちご。
来年の今頃は、伯母さんの住んでいた借家は取り壊されるので、ここに新しいアパートが出来て、今有るお花も野いちごも、全て消えてしまっている事だろう。
伯母さんが亡くなった事で、長年続いた昭和初期の家屋が、また一つ消えて行く。
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