2011/05/04 - 2011/05/04
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Krisflyerさん
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二日間滞在したパリを後にし、一路ロレーヌ地方のナンシーへ向かう事にしました。ナンシーを要するロレーヌ地方はポーランドを追われた王スタニスラスが義理の息子となったルイ15世より侯爵として賜った土地。
スタニスラス侯の元でロココ調の芸術を生み、さらにアールヌーボーを生んだ街がこのナンシー。パリとは異なるコンパクトな町並みが広がり、空気の流れも何かゆったりとしている。歩いて回れるサイズの街もうれしい。
このナンシーの見どころはそのスタニスラス侯によって作られた3つの広場。まさにロココ芸術の結晶とも言える3つの広場を含め、その時代の貴族の館等の見どころも残されている。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
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ナンシー等フランス東部へ向かう列車はこの東駅から出発します。特徴ある建築ですね。
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やはりTGVです。もはやこの時点で飽きてました。そしてパリを出発するとナンシーまで約2時間、どこにも停車しません。
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ナンシーの駅からスタニスラス広場へ向かって伸びるスタニスラス通り。
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●スタニスラス門 Porte Stanislas
旧市街の西の端に有る門。1761年エレによる建築。ルイ15世の彫刻がみられる。ここからスタニスラス通りがスタニスラス広場へと延びている。現在あるものは再建されたもの。 -
●スタニスラス広場 Place Stanislas
ロレーヌ公スタニスラスが義理の息子であるルイ15世を称えて作らせた広場。1751年から55年にかけて建造され、当初は国王の広場と呼ばれていた。
この広場の装飾にはスタニスラスの趣味がふんだんに反映されており、特にロココ調による装飾はまさにスタニスラスの好みそのものである。広場の大きさは104 x 124メートルで、設計はスタニスラス門と同じくエマニュエル・エレによるもの。
広場に描かれた線は十字架をモチーフにしている。 -
★市庁舎 Hotel de Ville
広場の南側に立つ建築。こちらもエレによる設計。現在は観光案内所が入っている。 -
★スタニスラス像
広場の中央に立つのがスタニスラスの像。当初ここにはルイ15世の銅像が立っていたが、フランス革命時に取り壊された。後にロレーヌ地方の知事達の寄付によりスタニスラスの像が立てられた。 -
広場の南東、南西、東、西のそれぞれ4か所にはこの様なロココ様式の鉄柵とランタンが作られている。金色による縁取りが非常に印象的である。これらは金具師ジャン・ラムールが手掛けた。
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こちらは北西方向の角にある鉄柵とランタン。同じジャン・ラムールによる設計であるが、その前に有る噴水はバウトロメイ・ギバによる設計。
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こちらも同じくギバによる噴水であるが、北東の角にあるもの。
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●エレの門(凱旋門) Arc Here
スタニラス広場と同時期に建てられた物で、ルイ15世を記念して建てられた。この門は新市街と旧市街を2つに隔てる土塁の中央に立っており、南北両方には3つのアーチ入口が有る。それぞれ両脇を柱型でかたどって有る。
ここからもう一つの広場、カリエール広場へと道が伸びている。 -
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●カリエール広場 Place de la Carriere
凱旋門のすぐ後ろ北側に広がる広場。スタニスラス広場と違い細長い広場となっており、東西両脇は並木で覆われている。その外側をそれぞれ道が走っており両脇を形を統一した建物で固めてある。 -
そもそも16世紀に旧市街を拡張する時に立てられたものであるが、スタニスラス広場と同じ頃に整備された。広場の南北には同じようにロココ調の鉄柵とランタンの装飾がみられる。
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広場の四隅の角にはこの様な彫刻がみられる。
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東西両サイドを固める建築の玄関には紋章が入ったものも有る。
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ここの広場は南北に非常に長いので、中央部にも出入り口が取り付けられているが、その入口の両脇を固めるかのように立つ彫刻。
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●司令官の館 Palais du Gouverneur
カリエール広場の北の突き当たりに立つ建物。 -
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●Hemicycle General de Gaulle
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●サン・テーブル教会 Eglise St Epvre
ナポレオン3世の寄付によって建てられたゴシック・リバイバル様式の教会。 -
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●ロレーヌ侯爵の館 Palais Ducal
1502年に建築開始。 現在残されているロレーヌ公爵の住居はGrande-Rue (high street)側のWingと、ゴシックとルネッサンス様式が融合したPorterie (玄関門)である。Duke Antoineの騎馬像も有るが、こちらはフランス革命で破戒されたのを修復したものである。
この宮殿は一度部分的に破壊され、後にBoffrandの設計により改築された。スタニスラスはここを厩舎に変更した。18世紀には火事で一部を消失し若干の設計変更により再建されている。 -
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●トルストイエ通りの大邸宅 Hodel de Haussonville
現在はホテルになっているが、元々は1528〜43年にかけての建築。中庭に見られる階段は1階(日本式の2階)がゴシック、2階がルネッサンス様式とばらばらの建築様式になっているのが、面白い。
19世紀にだまし絵が追加されたらしいが、どこに有るかわからなかった。 -
中庭の彫刻もお見逃しなく。
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●リュ・デ・ルー通りの邸宅 Hotel de Loups
18世紀の建築。持ち主はロレーヌ公で狼狩りの達人であった。門の上には2匹の向かい合う狼の座像がみられる。これに因んでこの通りは狼通りde Loupsと名付けられたらしい。 -
●デスティーユ門 Porte Destilles
1782年から84年の建築。スタニスラスの時代よりもかなり後に建てられたものである。 -
●フェラーリの邸宅 Hotel Ferrares
1717年にイタリア人建築家フェラーリによってイタリア建築を踏襲する形で建てられた。建物にはフェラーリ家の家紋であるFlorentine fleur-de-lisが入れられている。 -
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中庭には馬に寄りかかるネプチューンの像が置かれた噴水が見られる。
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クラシックなファサードの後ろには手摺をJean Lamourによってデザインされた階段が伸びている。
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階段の上の天井には空を飛ぶ鳥をイメージしたフレスコ画が残されている。こちらは必見。
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●クラッフェ門 Porte de la Craffe
14世紀末に建てられた門で、かつては町を取り囲む城壁の一部であった。15世紀末には門の両脇に塔が付け加えられ、牢獄として使用されていた。門の上にあるランタンは17世紀ものものであり、時刻を知らせる鐘も付けられている。 -
正面玄関にある十字架の紋章はロレーヌ家の家紋であり、ナンシーの戦いの勝利を称えて付けられたもの。
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●シタデル門 Porte de la Citadelle
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●コルドリエ教会 Eglise des Cordeliers
フランシスコ会による設立で、15世紀にレネ2世公の命によりナンシーの戦いの後に建てられた。礼拝堂はフィレンツェのメジチ家に触発されたものである。 -
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●アライアンス広場 Place d Alliance
比較的小さな広場。中央に噴水がある。アリアンス(同盟)の名はロレーヌ公家とフランス王家の同盟に由来する。 -
さて、旧市街の観光はこれで終わりです。ここからいよいよ南下して新市街へと向かってみます。
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