2011/05/04 - 2011/05/04
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belleduneさん
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ちょうど安田邸を訪ねた日が5月4日だったので、旧安田邸の節句の飾りが床の間に飾られていました。
そこで節句に関して− 端午の節句は、今のように男子の誕生と成長を祝う行事ではありませんでした。
日本には、元々田植え前に身を清め、豊作を祈願する農耕儀礼があり、五月五日の災禍祓いの儀式は広く行なわれていたそうです。菖蒲や蓬のように強い香りの植物は、邪気を祓い、延命に有効と信じられ、屋根に葺きかけたり、他の香料と混ぜて、五色の糸を使った魔除けの薬玉を作り、柱や御簾に掛けていました。平安時代までは、特に男子のお祝いということではありませんでしたが、鎌倉時代に武士が台頭すると、菖蒲を尚武に掛けて武具や甲冑を飾りました。江戸時代、徳川幕府が五節句を公儀の祝日と定め、特に端午の節句は武家の跡継ぎとなる男子誕生を祝うことから重視されてきました。
一般庶民も町人の経済力の増大に従って、端午の節句が盛んになっていったということだそうです。
関東大震災でも、大戦でも戦火を免れた珍しい大正時代の建物です。
大正8年に普請道楽と言われた藤田好三郎氏が清水組に依頼して建築した和洋折衷の木造瓦葺き2階建ての住宅です。
大正時代の近代建築:江戸たてもの園 -1 http://4travel.jp/traveler/adoredune/album/10416738/
-2:http://4travel.jp/traveler/adoredune/album/10417118/
-3:http://4travel.jp/traveler/adoredune/album/10418268
山本亭:http://4travel.jp/traveler/adoredune/album/10536514
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現在の門。豊島園の創始者、旧三十八銀行神戸支配人等を勤めた藤田好三郎氏の依頼で清水組が大正8年に建築した住宅は、東西に細長い約455坪の敷地に、木造瓦葺きの2階建て(建坪650平方メートル)です。
しかし、ここが手狭になったため、中野に3千坪の邸宅を建て移り住んだということです。その後、安田善四郎氏が大正12年に買い取りました。 -
昔の藤田好三郎の表札が掛る門 − 財団法人日本ナショナルトラスト保護資産による絵葉書から
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門を入るとブナ科椎の木であるスジダイの大木が目に入ってきます。
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玄関正面 − 財団法人日本ナショナルトラスト保護資産による絵葉書より
玄関前に人が多かったため、この写真を使いました。 -
玄関は、大きな靴脱ぎ石と板敷きの式台があり、天井は杉柾目板の格天井、建具は漆塗りです。
式台と6畳間の寄付の間に、舞良戸(まらいど)と呼ばれる板戸4枚と障子2枚があり、武家屋敷の格式ある玄関の名残をとどめています。 -
寄付の襖は、創建当時からのもので、藤田家の家紋である「下がり藤」が金泥や胡粉で刷られているそうです。
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玄関脇には当時のままの電話室があります。
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屋敷の全体図
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藤田好三郎邸そのままを残す1階の応接間 − 財団法人日本ナショナルトラスト保護資産の絵葉書より
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天井の漆喰は、落とし塗という技法で造られました。
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石膏の花飾りは寒天型を用いて造られています。
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暖炉の上には藤田邸当時そのままの絵画が填め込まれています。
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暖炉は藤田邸当時からガス式。
周囲は大理石となっています。 -
暖炉上部の左には梟が彫られています。
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右は猿が彫刻されています。
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暖炉脇にはカウチ。装飾窓は膠硝子。
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結霜模様の膠硝子の入った飾り窓
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指物師の優れた技が施された家具は胡桃の木で、鳥の彫刻が施されています。
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藤田家の家具
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応接間にある2対の火鉢
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横下の取っ手を引くと、予備の墨が入っています。
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蓄音機は大正末期のアメリカビクター社製。扉を開けると音が大きくなり、閉めると小さくなるという音量調節方法だった。
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絨毯はアキスミンスター織りで復元してあるそうです。
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欄間には型板硝子を使用。
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応接間の外の廊下部分はサンルームとして使われていました。
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3月11日の東関東大震災当時は、閉館だったため、ガラス戸は鍵が掛けてあり、雨戸も閉めてあったので、そのガラス戸も割れなかったそうです。
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レコードケースは鉄製でした。
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庭からの旧安田邸
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1階の残月の間の床の間横の書院。
今は端午の節句で、鯉が飾ってありますが、下の写真のように、嘗て炉が切られていましたが、現在は閉じられています。 -
京間寸法でゆったりと造られた残月の間は、表千家の残月亭を元にして建てられました。
柱や長押は栂材、床柱は北山杉の絞り丸太、壁は聚楽土、天井は幅広の竿縁天井です。畳表はセトナミという井草で編まれ、本口表を使用して修復してあります。 -
現在の書院脇の障子上にも綺麗な花の透かし彫りが設えてあります。
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木彫りの真鯉と緋鯉です。
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江戸時代中期までは、五月飾りは屋外の外飾りでしたが、次第に内庭や縁側に飾るような小型のものになり、遂には座敷に飾る内飾りとなりました。
残月床の中央に金小札朱糸縅大鎧(きんこざねあかいとおどしおおよろい)を据え、背景に陣幕を巡らせ、黒壇枠の座敷織を立て、左右に矢屏風、陣羽織、弓矢、太刀を飾ってあります。
一段下がって、左右に木製盾を置き、その間に法螺貝、軍扇、陣太鼓、陣笠、軍配を並べます。
一番下には、三方と瓶子を供え、一番前に壁代と呼ばれる間仕切りの絹布を掛け、鯉幟と吹流しを立てます。
鎧、幟、盾、陣笠には安田家の家紋「七つ輪違い紋」が付いています。 -
残月の間にある照明器具も当時のもので、2本の枝に2羽の鳥が停まっているデザインになっています。
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アップで見るとその細かい仕事が良く分かります。
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この部屋の襖の取っ手も素晴らしいものです。
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残月の間の外にある広い縁側
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その天井部分
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廊下の灯りも当時のままに
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1階・残月の間の次の間に当たるこの4畳ほどの下には、旧安田邸の頃に造った庭の防空壕に続く階段があるという。
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次の部屋は家族の茶の間で、襖を開けると水屋があり、桐の引き戸に鉄線の花、左に梅の枝が墨絵で描かれています。
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茶の間は人が映るため撮りませんでした。茶の間から客間方向を見ています。
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茶の間の西側に踏込み床があり、床柱は赤松で、格式ばらないような仕上げとなっています。
南側には猫間障子があります。人が多く、写真はありません。 -
茶の間から廊下に出たところにある照明。
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台所にある食器棚は仕切りとして使われています。
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食器棚の裏側も十分にゆとりがある通路になっています。
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台所は旧安田邸になってから鈴木式高等炊事台というシステムキッチンになりました。明り取りの硝子屋根は藤田邸創建当時からのものです。
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藤田家お抱えのコックさん。上の写真を比べると、どこを改造したのかが良く分かります。
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アイランド方式のキッチンですね。
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キングのガスオーブンですよ!
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キッチンの大部分が床下収納になっています。
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2階へ上がる階段の踊り場から
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2階の階段から直ぐの和室は、中へ入れません。
西側の障子の外には、折れ戸式雨戸があります。 -
東壁面には、土壁の上に板を填め、竹釘を打った織部床が設けられた略式の床の間になっています。
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障子は雪見障子で上部は固定されています。襖は雲母の型押しで、松原が描かれているそうです。
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襖横にある障子から部屋の中を見たところ。
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その向かいにある水屋。
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天井は網代となっています。
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廊下の照明
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12畳半の客間は庭に面しています。桜の時期には枝垂桜が見事です。
床の間は、一間半の木床で畳敷きとなっています。床の天井は、和紙が貼ってあります。畳は備後表の中次表という最高級品です。 -
床の間横の違い棚の透かし彫り
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床の間から障子前の書院方向を見ています。ちょっとしたところに細かい普請の技が見られます。
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1畳の書院も入れません。
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客間外の縁側から書院を見ています。
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12畳半の客間に続く8畳の客間の照明器具も当時のままだそうです。
3月11日の大震災で、どれか一つの照明器具が壊れたそうですが、直ぐに修復されたそうです。 -
枝垂れ桜も今は葉桜になってその緑が目に眩し輝いていました。
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廊下から階段へと続く踊り場にある欄間の透かし彫り
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一方通行になっている下り階段横のガラス戸も一部分が透けていて外が見えるようになっています。
ちょっと良いアイディアです。
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