2011/05/02 - 2011/05/03
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morino296さん
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西沢渓谷に続き、甲府を散策しました。
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甲府駅には16:44到着。
駅構内にある観光案内所に立ち寄ったところ、B1グランプリで優勝した”鳥もつ煮”のミュージアムがあると聞き、訪ねて見ました。
「みなさまの縁をとりもつ隊」という団体が中心となり、見事、B1グランプリの栄冠を勝ち得えました。
http://www7b.biglobe.ne.jp/torimotsu/index.html -
甲府駅前にある手打そば 奥藤(おくとう)本店
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この奥藤本店が”甲府鳥もつ煮”発祥の店なんだそうです。
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元祖 鳥もつ煮(小500円で一人で食べるには十分です)
甲府市内の居酒屋さんでは、大体どこでも鳥もつ煮が食べられるようですが、やはり元祖で頂くことにしました。
オーダーが入ってから作るそうで、少し時間が掛かりますとのこと。
味は、甘辛く、お酒のお摘みにもピッタリです。 -
手打そばのお店ですから、やはり蕎麦は外せませんね。
(甲府名物ほうとうも食べたかったのですが次回のお楽しみに取っておきました。)
この日は、甲府市内のビジネスホテルに泊まり、翌日午前中に甲府散策をすることにしました。
時間もまだ早かったので、この後、別の居酒屋で少し飲んでホテルに戻りましたが、山歩きの疲れもあり、爆睡でした。 -
翌朝、ホテルで軽い朝食を摂り、8時前にチェックアウト、行動開始しました。
鶴舞城公園の近くにある小さなお社「庄城稲荷大明神」ですが、約800年前、甲斐源氏の祖・一条次郎忠頼が館を築き、祀ったものだそうです。 -
鶴舞城公園
甲府駅から直ぐにある甲府城跡の公園です。
武田氏滅亡後に徳川氏や豊臣系大名が甲斐を支配し、甲府城が築城されました。
豊臣政権では徳川家康を牽制する要所として、江戸時代には将軍家に最も近い親藩(甲府藩)の城でした。 -
鶴舞城公園
遊亀橋から公園に入ると、鶴の像が置かれています。 -
鶴舞城公園案内図
甲斐国は、天正10年(1582)武田家滅亡後は、織田信長・豊臣秀吉の時代を経て、天正18年(1590)豊臣秀吉の支配となり、羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政・幸長親子により治められました。
甲府城は慶長5年(1600)頃に浅野氏により完成されたと考えられるそうです。 -
稲荷曲門
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稲荷曲門
明治初年まで残っていたと思われる門で、平成11年に復元したもの。 -
庄城稲荷跡
築城以前から、一条小山の守護ともいわれている庄城稲荷があった所だそうです。
現在は、遊亀橋の東側に移転しています。 -
二重の石垣
石垣の解体調査の結果、積み直しがされていたことが分かったそうです。 -
甲府城 天守台
浅野長政父子の時代に天守があったとする説もありますが、天守が建てられていたかは不明だそうです。 -
稲荷櫓
城内の鬼門(北東)に位置することから艮(うしとら)櫓とも呼ばれ、江戸時代には武具蔵として使われていたそうです。
平成16年に復元されました。 -
天守台に上りました。
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天守台の上から南方向の眺め
天気が良ければ、正面から少し少し左に富士山が見えるそうです。 -
天守台から稲荷櫓あたりの眺め
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天守台から稲荷櫓方向(北東)の眺め
真ん中には、中央本線の電車が通過しているのが写っています。 -
天守台から北方面の眺め
甲府駅横の鶴舞跨線橋を通り、約2.5Kmで武田神社へ行けます。 -
天守台から西方向の眺め
城内にある高い塔は謝恩塔。
明治44年に山梨県内に合った皇室の山林を明治天皇から山梨県にいただいたことを記念して建てられたものです。
碑の高さは18.2m、使われている花崗岩は塩山市の旧皇室山林から切り出したものだそうです。 -
天守台にある記念碑
「明治天皇御登臨之阯」と刻まれています。 -
銅門(あかねもん)跡
天守曲輪から本丸へ通じる西側の門。
礎石は、築城当時のものだそうです。 -
内松陰門(うちまつかげもん)
明治初期までは残っていたもの。
平成11年に復元されました。
これで鶴舞城公園を後に、武田神社へ向かいます。 -
JR甲府駅北口にある藤村記念館
旧睦沢学校校舎(国重文)、明治8年巨摩郡睦沢村に建設された学校の校舎を移築復元したものです。 -
武田神社までは、バスで行くつもりでしたが、休日ダイヤのため30分以上待つため歩くことにしました。
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武田通りを北に15分ほど歩くと、山梨大学のキャンパスがあります。
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武田通りの街灯には武田家の家紋「武田菱」が飾られています。
武田通りは、北に向かい緩やかな登り坂となっています。 -
武田神社に到着です。
駅北口から歩くこと約30分。 -
武田神社
神橋を渡ります。 -
武田神社
神橋の右手の堀、藤の花も咲いています。 -
武田神社 武田氏館跡(躑躅ヶ丘館跡)の解説
国指定史跡の武田氏館は、躑躅ヶ丘館とも呼ばれ、武田信玄の父・信虎が永正16年(1519)に石和からこの地に館を移したことに始まります。
その後、信玄、勝頼と武田家当主の館として使われました。 -
武田神社の狛犬
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武田神社の狛犬
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武田神社 参道
真っ直ぐに拝殿まで通じます。 -
武田神社 手水舎
手水鉢も武田菱の形をしています。 -
武田神社 手水舎に奉納されている算額
算額は、和算において、数学の問題が解けたことを神仏に感謝し、ますます勉学に励むことを祈念して奉納されたと言われます。
人の集まる神社仏閣を数学の問題の発表の場として、難問や解答を額にして奉納するものです。
数学の得意な人は、挑戦してみませんか? -
武田神社 参道の燈籠
こちらにも武田菱が使われています。 -
武田神社 拝殿
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武田神社の絵馬
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武田神社 拝殿の横にある信玄が使ったとされる井戸
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宝物館の横で見つけたフクロウ
このフクロウは、旭川の”がんま”さんの作品で、我が家にも兄弟がいるのです。
まさか、こんなところで兄弟を発見するとは思いませんでした。 -
武田神社 宝物殿
大正8年の神社創建以来、全国の武田家関係者から奉納された遺宝を展示しています。開館は昭和47年。 -
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躑躅ヶ崎館跡の解説と配置図
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躑躅ヶ崎館跡
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躑躅ヶ崎館跡
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武田神社 姫の井戸
信玄の息女誕生の際、産湯に使用された事から名付けられたそうです。
「茶の湯の井戸」ともいい、京からの賓客をもてなす茶会や、日常に茶をたてる際にも、この井戸の水を使用していたそうです。
延命長寿、万病退散のご利益があるとされており、いつでもご自由に「お水取り」が出来ます。ペットボトルも100円で売られていました。 -
武田神社 水琴窟
姫の井戸の直ぐ隣にあります。 -
武田神社 甲陽武能殿と御神木
「甲陽」は甲斐武田氏の軍学書「甲陽軍艦」より引用されたもので、「武能」は、武田氏の「武」であり能楽の「舞」と同じ音につながり、古来より武芸を嗜む者は同時に舞をも嗜み、その拍子を己の武芸に取り入れたと伝えられているすです。 -
武田神社 甲陽武能殿の五月飾り
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武田神社 甲陽武能殿で開催される薪能のポスター
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武田神社から南方向(甲府駅方向)の眺め
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武田神社から甲府駅へ向かう途中、朝日5丁目には、太宰治が昭和14年1月から8ヶ月を過ごした僑居跡があるそうです。(今回は訪ねませんでした。)
また、武田神社の例祭と境内の桜について「春昼」という作品に残しているそうです。 -
甲府駅南口にある武田信玄像
存在感があります。
武田神社から甲府駅まではバスを利用しました。 -
まだ少し時間があるので甲府駅近くを散策することにしました。
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長禅寺
天文21年(1552)亡くなった武田信玄の母、大井夫人の菩提寺で、甲府五山の筆頭にあげられる名刹です。
長禅寺が開かれた時の住職・岐秀元伯(ぎしゅうげんぱく)は、大井夫人が招いた、信玄の幼少期からの学問・政道の師で、信玄の人間形成に大きな影響を与えたといわれています。
また、信玄に、それまでの武田晴信から「機山信玄」という法号を与えたのもこの岐秀元伯です。 -
長禅寺 境内に大きな梵鐘が置かれています。
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長禅寺
ちょうど鐘楼の建設作業中でした。 -
長禅寺
建設中の鐘楼、大きく立派なものです。
どれくらいの建設費用なのでしょうか? -
長禅寺の庭
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長禅寺 境内には2つの塔が並んでいます。
伽藍は昭和20年の空襲で焼失、現在の建物はその後再建されたものです。 -
長禅寺 五重塔
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長禅寺の大門
立派な門ですね。
このすぐ前をJR中央本線が走っています。
11:10頃、この日の甲府の散策は、これで終了です。
この後、11:32発の電車で、長坂駅まで行き、友人の別荘を訪ねます。
今回の甲州の旅は、2日前に友人から遊びに来ないかと誘われて、急遽、計画したものでした。
(おしまい)
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