2011/04/05 - 2011/04/09
6位(同エリア40件中)
極楽人さん
シリア中部の都市ハマと、北部の大都市アレッポ。
どちらも街自体の観光というよりは、目的地へ行くための足掛かりとして立ち寄ったものです。
ハマには三泊して、古城クラック・デ・シュバリエやアパメア遺跡を訪ねました。またアレッポには一泊だけでしたが、翌日のトルコ国境越えに備えました。アラブの旅は、行きたいところに行くまでに手間と時間がかかります。
ハマから訪ねたいくつかの城や遺跡は、別の旅行記としてまとめるつもりです。
(写真はハマの水車)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
●ハマ ●●●●
4月5日 朝9時にホテルを出て、ダマスカス郊外にある『ガラージュ・ハラスター』(別名ガラージュ・ボールマン)へ向かいます。ここは北へ向かう旅の玄関口です。
9:30 入口で荷物検査のあと、中庭に並んだバス会社の窓口でチケットを購入。それを警察のオフィスに持って行きスタンプを押してもらって手続きが終了します。中庭を通り抜けてバス・ステイションへと移動します。 -
10時発の高速バスです。
ハマまでは2時間半、料金は200SP(400yen)。
ベンチで発車を待っていると、知的な雰囲気のご婦人が英語で話しかけてきました。「社会改革を目指すグループで、アレッポに行くなら話しがある」とのこと。事情は何となく推察できましたが、残念ながらお手伝いはできません。英語はできない(嘘でもない)、と逃げると今度はドイツ語で。残念ながら彼女の語彙が少なく、自分自身でイライラしていました。しばらく粘ったあと、あきらめた様子で去ってゆきました。
表面は無風でも、社会の内部で何かが起こり始めていることを実感しました。 -
バスは定刻に発車。
ガイド本に「シリアの人はバスの座席指定を守る」とありましたが、窓側の私の席には若い男性が座っていました。私は「かまわないよ」と合図して彼の通路側席へ。窓に雪を残した山並みを見ながら、写真が撮りにくいなとちょっと後悔しました。
バスは幹線道路を北上して中部のホムス(第3の都市)〜北部のアレッポ(第2の都市)へと向かいます。下車するハマはホムスのすぐ北に位置する、シリア第5の都市です。 -
ハマ市の入口に建つ、前大統領らしきモニュメント。
12:30にハマ郊外のバスターミナルに到着しました。
ここで中心街へ行くセルビスに乗り換えるところを、間違えて「ホムス行き」に乗ってしまい、戻って来るまでに2時間近くを要してしまいました。それにしても、何を聞いても「Yes,Yes」としか答えない人たちが多くて困惑しました。NO!といえるシリア人、求めています。
おかげで、この面白味のないモニュメントを何度も見ることになりました。 -
1982年、この街でムスリム同胞団が民主化を求める運動を起こしました。大統領率いる国軍は街ごと包囲して徹底的に弾圧を加え、2万人を超える市民が虐殺の犠牲になりました。多くは非戦闘員の女性と子供達だったそうです。モニュメントは、事件の沈静後に政権側が建てたものと思われます。
午後3時近く、ようやくハマの中心街に到達しました。
今は平穏で静かにみえる繁華街です。 -
予約したホテルは『時計塔』の近く。
街のシンボルの筈なのに「クロックタワー」と聞いても誰も分からず、適当に歩いているうちにたどり着きました。
都会といっても規模は大きくなく、それが幸いしました。
チェックイン後、荷物を置いて街歩きに出ます。 -
ハマ市内には、観光名所は多くありません。
街は前述の事件の折にも徹底的に破壊されて、貴重な文化財や歴史的建造物を失っています。
近年はむしろ、農業と工業の拠点都市としての比重を増しています。
写真は、ホテルに近い"名もなきモスク”の中庭です。 -
旧市街の角に立つ、これも"名もなきモスク”の高い尖塔。
なぜ、たくさんの旅行者がここを訪れるのか。
ひとつの理由は、近隣に沢山のお城や遺跡が残り「旅の基地」としてとても地の利がいいことでしょう。
少し南には交通の要衝都市ホムスがあり、シリア全土へのバス路線が東西へ、南北へと延びています。
もうひとつの理由は、アレッポと並んで街の評判がとてもいいことです。
"ハマの人はみんないい人"、とか、"アレッポは世界一親切な街"とか、旅した人の感想をたくさん目にしました。私の実感では、それはありません。他の何処とも同じ比率で親切な人がいたり、悪人や美人がいたりするだけです。
ただ、ここへ辿りつく前に不幸な経験を重ねてきた人は、多少田舎っぽいスローな雰囲気に安らぎを覚えるのかもしれません。 -
通りには、他の町と変わらないお店が並んでいます。
『シュワルマ』はアラブやトルコでよく見かけるファーストフードです。串肉のかたまりを串に刺して回しながら火であぶります。焼けたらナイフでそぎ落とし、野菜などと一緒にホブス(アラブ風パン)で包んで食べます。相場は40〜50SP(80〜100Yen)と手頃なので何度もお世話になりました。
ところが、値段を聞かずに頼んだら350SPを要求されたことがありました。(写真の店ではありません)
イッタキッラー!(アラーを畏れなさい)
この時はちゃんと言い放って、100SPだけ置いて立ち去りました。こういうのって、金額以前にガックリくるものです。
それにしても、シリアでは“外国人向けの高値”も“ボッタクリ”も、ヨルダンに比べて金額が小さくて大きな痛手にはなりません。 -
大きなナマズは、シリアの人が好んで食べる魚でしょう。
カメラを取り出したら、奥から魚屋のお兄さんが「写して、写して!」と出てきました。ナマズではなく、自分を撮れと言っています。
リクエストに応えて、パシャリ! -
路地では子供たちが、「写して、写して!」。
パシャリと撮ってモニターを見せていると、ご婦人が走り寄ってきました。「いけなかったかな」と心配していると、なんと、抱いている赤ちゃんを「写して写して!」でした。
こんな風に何枚も撮らされましたが、数枚だけ残してあとは消してしまいました。 -
公園まで来ると、ハマ名物の大型水車が目に留まりました。この地方では古代から、用水路や農地の灌漑に活用してきたものです。現在では観光用として10数基が残っています。
散歩中の、赤ちゃんを抱いた若いご夫婦に話しかけられました。写して! とは言わず、日本の大きな災害や原子力事故について穏やかに慰めの言葉をくれました。ついでに、「サッカーは強くなりましたね」とも。
そういえば、サッカーではシリアも日本も同じ“アジア・グループ"でした。こちらが「写させて!」と言いたいような、世界一いいご夫婦でした。 -
一番大きなものは直径20mを超えるそうです。
流れる川の名は『オロンテス』。
夏場は水車を利用して川に飛び込む若者もいるとか。
立派な世界遺産です。 -
三つの水車を従えた、贅沢な『アン・ノウリ・モスク』。
-
ハマでいちばんの"ビューポイント"です。
-
「昔はもっときれいだったよ。」と、ホテルのツアーでお世話になった運転手さんが見せてくれた古い絵葉書です。
少し色あせていましたが、街も橋もずっとシックで、川の水も今より澄んでいたということです。 -
夜になると、控えめな電燈色のライトアップに飾られます。
-
たまたまホテルで一緒になった日本からの新婚カップルを案内しましたが、美しさにうっとりしていました。
ここに来る前に訪れたレバノンでは、何度も不快な体験をしたようです。 -
ホテル横の時計塔もロマンティックに。
▽▼▽▼▽▼▽▼
イスラムの街では、一日5回の礼拝時間を『アザーン』で知らせます。
防災無線のように、街のあちこちに配備した拡声器から数分間,コーランの一節を読み上げる声で始まります。これが“時計代わり“です。昼間は大して気になりませんが、朝と夜はホテルのベッドで聞くことになり「安眠妨害」と悩む旅行者も多いようです。
モロッコで聞いたときは、古い石だたみの街に抑揚を抑えた低いうめき声が響き渡って、とても神秘的な気分になったものです。
ヨルダンやシリアの街で聞いたアザーンは、ちょっと印象が違いました。どちらかと言うと明るく高い声で、歌うような調子で流れます。
とりわけ、ハマのアザーンは ”細川たかし” ばりの美声の持ち主。青空を突き抜けるほどの高音が軽快な節回しで続きます。まるで、日本の民謡を聞いている感じです。
この夜も明日の朝も、そんな“細川アザーン“で終わり、始まります。
♪きた〜の〜〜っ さかばどおりには〜〜っ -
北へ行くほどイスラムの戒律がゆるくなるようです。
ダマスカスでは見つけるのが大変だった、ビールが飲める店。ハマではあちこちにあるといいます。
その一軒をホテルで教えてもらい、迷いながら路地の奥にたどり着きました。若者グループの水タバコにも参加して、アップル味をいただきました。
お薦め定食が150SP(300yen)、
ロング缶のビールが同じ150SPでした。 -
さて、宿泊したホテルは時計塔の横にあります。
『リアドホテル』(RIAD HOTEL)、バックパッカーには評判の宿を、ホームページから予約してゆきました。 -
写真を拡大すると、左側にリアドホテル、右のほうにカイロホテル(CAIRO HOTEL)の看板が見えます。この2軒が多くの旅人に「中東で最も居心地のいい宿」と評判なのです。
ハマの人気は、この二つのホテルの頑張りにも支えられているのでしょう。 -
旅行の2ヶ月ほど前、日本から同時にメールで問い合わせました。返信が早かったのはカイロ、しかし質問や希望に色刷りの回答をくれたのはリアドで、こちらに決めました。
多分、どちらも遜色ないでしょう。
広い部屋がシングル使用で26ドル/泊。シャワー、トイレ、TV、冷蔵庫にエアコン、バスコニーも付いています。
予約はシングルルーム(20ドル)でしたが、狭くて窓もなかったので替えてもらいました。 -
どちらのホテルも、単独では行きにくい観光地へのツアーを提供しています。参加者が少ないときは行く場所を減らすなどの融通を利かせて、何とか予算内で実現させようと精力的に動いてくれます。
写真はリアドホテルのロビー。中央のソファで専属の運転手さんが歓談しています。私は2つのツアーに参加し、どちらの方にもお世話になりました。 -
ランドリーサービスは、シャツやパンツをスーパーの袋一杯詰め込んで7ドル。(代金はすべてドル・ユーロ支払い可) 何処かのランドリーショップへ出すものと思っていたら、スタッフが洗って屋上に干していたので驚きました。
時期が時期なので、事前に何度かメールして街の治安を確認しました。その都度「安心していらっしゃい。」の返事で、当時としては本当だったようです。
3連泊しましたが、フレンドリーないい宿でした。 -
●アレッポ ●●●●
シリア最後の訪問地、北部の古都アレッポはこの国で2番目の大都市です。現地では街の名を『ハラブ(HALAB)=乳』と称していて、アブラハムが旅人に乳を配ったという伝承に因んでいるそうです。
古くからアジアと地中海を結ぶ交易の重要な中継点として発展してきましたが、近年はトルコやフランスの支配を受けて往時の勢いを減退させました。
街のあちこちには今でも、"繁栄の名残り"を見つけることができます。
トルコ国境に近く、私は陸路で通過するためにここへ立ち寄りました。 -
9:20 ハマのバスターミナルから大型バスで出発します。
150kmほど離れたアレッポまで約2時間の道のりで、料金は100SP(200yen)です。 -
11:20 アレッポのバスターミナル『ガラージュ・ラムーセ』に到着。街中までは9kmあります。
荷物があるので、タクシーをつかまえます。値段を訪ねると、ホテルのある時計塔あたりまで300SP(600yen)だと言います。ちょっと高いですが、"条件付き"で乗り込みました。
乗り物が違うとはいえ、距離と値段のギャップにはいつも違和感を感じます。 -
アレッポは丘の街です。
「ホテルに着く前に、どこかの高台で景色を見せてほしい」と頼みました。
細い坂道を登って、いい場所がありました。
街一望。遠くの丘に『アレッポ城』が見えます。運転手さんが横から、あれは何、これは何と説明をしてくれます。 -
高台から10分ほどで時計塔へ。
「ガイドをしたから400SPにしてほしい」の要求は丁重にお断りしました。
時計塔の後は豪華シェラトンホテル。私の宿は左側の、下町の路地にあります。
荷物を置いて、さっそく街歩きを始めます。 -
先ず、目指すはアレッポ城。
丘の上に見え隠れしているので迷うことはありません。
ゆるい坂道を登って、15分ほどで到着します。 -
お椀を伏せたような小高い盛り土の上に、堅牢な城砦がありました。
最初の建造物は紀元前10世紀の神殿とも言われ、中世期にモンゴル帝国や十字軍など外敵の侵攻に備える中で次第に要塞化していったようです。 -
現在の姿は12世紀の改築時のもの。
城の周囲には堀が切ってあり、外部とは石造りの橋一本で繋がっています。 -
これが正面。
今は土産物屋やレストランが並ぶ広場に面しています。 -
外人旅行者の入場料は150SP(300yen)。
シリア市民の価格は別設定で、確か「15SP」と表示されていました。
こういう差は素直に許容できます。
業者や運転手が高値を吹っかけてくるのも、ある程度は仕方がないことと思っています。生活水準が高く為替も有利な国から来て、貧しい国民向けの値段を貪ってゆくだけでは"フェアじゃない"と思うからです。
ただ、その"高値"や"やり方"にはおのずと限度があり、常識の一線を越えると許せなくなります。こちらだって乏しい予算の貧乏旅行者なのですから。 -
城の内部は"ひとつの町"のようになっていて、さまざまな生活施設の跡が見られます。
ローマ風の円形劇場は健在でした。 -
でも、大半は廃墟と化しています。
小さく区切られた建物の壁だけが残っているので、ひと頃流行った"遊園地の大迷路”のように、しばしば行く手をさえぎられます。 -
城砦の縁にはところどころ展望場所が設けられて、街の四方を見下ろせるようになっていました。
-
正面を見下ろすと、こんな風。
大きなモスクの向こうは、世界一というスークが広がっているはずです。
ここで、二組の旧知の顔を見つけました。
ハマのホテルツアーで一緒だったオーストラリアのカップル。彼らはカッパドキアをめざすというので、また会うかもしれません。
もうひとりは長髪の日本青年。やはりハマのホテルですれ違いましたが、そのときは話をしていません。ここでも同じ宿なので、夕食を共にする約束をしました。 -
お城を出て、すぐ隣の大モスク『ジャミア・ザカリーエ』へ。
多くのモスクと同様に、元はキリスト教会だったのを7世紀に改造したものです。入場は無料で、異教徒の"侵入"にも寛容です。 -
その前の通りに残る街並み。
この地を通るキャラバン隊が宿泊した施設が、今は商店や倉庫として利用されています。 -
こちらは別の大通りに残る家並み。
シリアの他の街では見なかった、シックな木造りの家々です。 -
モスクの横から、スークが伸びています。
この日は金曜日(イスラムの休日)なので、お休みにしている店もありましたが・・・ -
食料品や日常品のお店は開いていました。
アレッポのスークは"屋根付き"です。
中は薄暗く、昼間から電燈が欠かせません。 -
石鹸屋さん。
有名な『アレッポ石鹸』は、オリーブオイルと月桂樹オイルを三昼夜釜で炊いて作られるそうで、香料や添加物は一切含まれません。全身から髪の毛までこれひとつで洗えることで、日本でも人気があります。
お土産に、と思いましたが、ちょっと重過ぎます。
このあと、重量制限の厳しい格安航空に乗る計画なのであきらめました。 -
スークを抜けると、反対側はこの風景。
アラブのどこでも見かけた、ゴチャゴチャの市場前でした。
スークを辿るうちに、自然にホテルのある地区に近づいていました。 -
私の安ホテルの裏手には、『バロンホテル』。アラビアのロレンスが宿泊したという歴史的なホテルです。
この後、翌日に乗るトルコ行きバスを求めて街をうろつきました。ガイド本やネット情報では「すぐ見つかる」はずの国際バスターミナルが何処かへ引っ越したらしく、更地になっていました。金曜日(休日)が裏目に出て、観光案内所も旅行会社も閉まっています。バスの行方は誰に聞いても分からず、手の打ちようがありませんでした。
こうなると、雲助セルビスかタクシーか。困ったな、と思いながら夕方、宿の“情報力”に期待して戻りました。 -
夜、長髪青年のOさんと約束の夕食に出かけました。
下町の汚れを闇が隠し、代わりに品のないネオンが彩っていました。
彼は一日前から滞在していて、前日のうちにビールが飲める店を探し当てていました。この日は、その隣の店へ。ここもビールが置いてあります。 -
彼はプロ・カメラマンをめざしてに修行中とのこと。
行く先を決めずに3週間の旅行を続けているそうです。
それを聞く前に、私は自分の撮った稚拙な写真を見せてしまいました。「いいですね」と軽く流して、話題を旅の話に戻してくれました。流石、未来のプロは度量が違います。
ビールは大瓶、1人2本ずつ飲んで料理も3〜4品。端数をチップにして二人で700SP(1,400yen)という至福の時間でした。 -
宿泊した宿について記しておきます。
名前は『スプリングフラワー・ホステル』。旅行者の間では名の知れた宿ですが、評価は「とても良い」から「多少問題がある」まで分かれています。日本から予約可能な数少ない安宿であること、トルコ国境情報の入手に期待できそうなことから決定しました。
入口は写真中央のレンガに囲まれた黒い鉄扉で、宿の名は2階付近にしか書いてありません。分かりにくいので、真向かいにある『TOURIST HOTEL』の看板を手がかりにすると便利です。 -
このホテルからの返信メールには「部屋はある」としかなくて、予約が成立したかどうかはっきりしませんでした。一応、別な宿の情報も持参しましたが、部屋は空いていました。
思いっきり古い建物ですが、リフォームで清潔になっていました。ツインのシングル使用(L字の左に第2ベッド)、トイレ・シャワー付きで650SP(1,300yen)は格安です。画期的なシャワーは洗面室の天井にあり、使用すると便座から何から水浸しになります。究極の省スペース設計した。 -
夏場は満室になることも多いようです。
あふれた人は、最上階のここで雑魚寝ができます。
一泊250SP(500yen)也。
こういう宿なのに、屋内は『全館禁煙』で、ちょっと調子が狂いました。
期待した情報提供は、「詳しいオーナーが不在」で期待はずれでした。他のスタッフは親切ですがそれ以上ではありません。トルコへ行くバスの情報が掴めないまま、とうとう最後まで姿を見せないオーナーを待つだけの結果に終わりました。 -
最上階のサロンです。
フランクフルト(独)から休暇で来ていた二人連れのご婦人と話が弾みました。フランクフルトは私も学生時代に住んでいた街です。
******
これが縁で、翌日は彼女たちの車に同乗してトルコ国境を越えることになりました。何が幸いするかわからない、本当にラッキーな展開でした。朝9時に宿を出て、お昼前にはトルコのアンタキアに到着しました。
スムーズな国境越えで、ヨルダン国境では600SP払った出国税も領収書どおりの550SP(1,100yen)でした。
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