2010/10/06 - 2010/10/08
15位(同エリア81件中)
シュンスケさん
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2010年の国慶節の休みを利用して長年の夢だったキリマンジャロに登頂してきました。行く前に上海への視察旅行やミャンマー旅行が入り、全然トレーニングができなかったけどなんとか登り切れました。全行程80km、頂上からの朝日には涙が止まらなかったです。10月の国慶節は中国では結婚式が相次ぐ季節。今年も去年に続き旅の帰りに山東省に寄り参加してきました。
いよいよ登山もクライマックス、サミットアタック!3日間ほとんど寝られていなくて疲れが残っている身体も、4,000mを越える場所であまりよく働いていない頭も、すべてはこの日この瞬間のためにここまで来た。いざゆかん、神々が住む場所へ!
【全日程】
□9/30 CZ3332 南寧 1820 広州 1920
ET0907 広州 2130 アジスアベバ 0525 (+1day)
□10/1 ET0801 アジスアベバ 1000 ナイロビ 1200
KQ6726 ナイロビ 1800 キリマンジャロ 1900
□10/2 Climbing day 1: Moshi-Machame Gate-Machame Hut(2,900m)
□10/3 Climbing day 2: Machame Hut-Shira Camp(3,850m)
□10/4 Climbing day 3: Shira Camp-Lava Tower(4,590m)-Barranco Camp(3,950m)
□10/5 Climbing day 4: Barranco Camp-Barafu Camp(4,670m)
■10/6 Climbing day 5: Barafu Camp-Uhuru peak(5,895m)-Mweka Camp(3,100m)
■10/7 Climbing day 6: Mweka Camp-Mweka Gate-Moshi
■10/8 Moshi-ナイロビ
ET0800 ナイロビ 1800 アジスアベバ 2000
□10/9 ET0604 アジスアベバ 0030 北京 2000
SC4853 北京 2255 煙台 2355
□10/10 山東省乳山にて結婚式参加
□10/11 GS6526 青島 1750 南寧 2150
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
Climbing day 5: Barafu Camp(4,670m) -Uhuru Peak(5,895m) ? Mweka Camp(3,100m) 22km
頂上アタックの日、23:00にシュラフを抜け出し準備にとりかかる。結局この日もほとんど寝ることはできなかった。これで三日連続。それでも頂上アタックへの高揚感か不思議と高山病の症状もなく疲労もほとんど感じない。待ちに待ったアタックを前にして身体の中からエネルギーが湧き出てくるような感覚だ。
「23:00に朝食のビスケットを運ぶよ」と言っていたアシスタントガイドのNikkiは結局23:40にやってきた。こんな大事な日に、と思ったけどポレポレの国だから仕方ない。口に出すとそれがパーティの雰囲気にもつながってしまうこともあるので、ここは言いたいことをこらえて飲み込んだ。この日は頂上まで登った後さらに3,100mくらいのところまで下りる長丁場、朝ごはんはしっかり食べておかないと。
0:10にようやくパーティ全員の準備が終わり出発。今思えばここでアタック前の記念写真でも撮っておけばよかったけど、実のところそんな余裕はなかった。パーティの調子はMarcoを除いて相変わらず万全じゃない。特にMarkusは咳が出始めていて風邪の具合いが悪化しているようだ。 -
僕らは4,670mのBarafu Campからキリマンジャロ・キボ峰のMachame Routeにある外輪、5,745mのStella Pointを目指す。頂上まで登ってそこから下りてくることを考えると、登るのにあまり時間をかけすぎることはできない。
月明かりが照らす岩と砂利の道をヘッドライトを頼りにして登っていく。登り始めた時から喘息持ちのKarinのペースが上がらずに、僕らは彼女のペースに合わせてゆっくり登っていく。僕自身の体調はかなりいい。ボリビアのワイナポトシの時よりも呼吸も楽で、ほとんど息が乱れない。Marcoとの間ではジョークを交わす余裕もあるくらいだ。
登り始めて2時間弱が経った2時頃、5,000mを突破。途中5分ほどの休憩をはさんで二時間弱で300m、最初考えていたペースよりもかなり遅い。日の出は6時前後。それを考えると頂上から日の出を見るにはあと800mを4時間で登る必要がある。
どうしても頂上から日の出を見たい僕としては少し焦るけれど、ここまで一緒に登ってきたパーティの仲間と一緒に頂上に登ることほうが大切だ。2時30頃、Markusがリタイア。かなり風邪の症状が悪化しているらしく彼自身の判断でリタイアを決断したようだ。「これより高く登って動けなくなる可能性を考えるとここでリタイアするよ」咳をすることで相当量の酸素と体力が失われていく。5,000mを超えた場所でのその消耗は相当なものだったと思う。残念だけど彼の咳の具合いを考えると賢明な判断だった。
5,000mを過ぎた頃からKarinの足取りは更に重くなった。時計が3:00を指した時点で5,130m。ここ一時間で130mしか高度を稼げていないことになる。呼吸がぜいぜい言っているのが後ろを歩いている僕まで聞こえてきて、こちらが気の毒になってくるくらいだ。それでも歩みを止めないKarin、その根性はすごい。
3:30、5,200mの地点でとうとうKarinが歩けなくなった。「Liseも高山病の症状が相当ひどいから私と彼女はJohnとゆっくり頂上を目指すわ。あなたとMarkusは二人で頂上を目指して」仲間からのその言葉を聞き、僕とMarcoそしてガイドのLarahaの三人で先に頂上を目指すことになった。
Stella Pointまではおよそ550m、アタック開始時には5人のメンバーに3人のガイドがいたけれど、残っているのはもう3人。これまでのペースを取り戻すべく僕とMarcoはペースを上げて登っていく。ここまでくると僕とMarcoも会話をする余裕がない。何かを考える余裕すらない。ただ足を動かし、足を動かすために呼吸をする。
Karinたちと別れてから1時間、4:30に長めの休憩をとる。標高5,500m。1時間で300m稼いだことになる。これまでのペースの二倍。ザックを置いて岩に寄りかかると、これまで張り詰めていたものが切れたのかどっと疲れがでてきた。Marcoはまだ足取りもしっかりしているし、呼吸にも余裕があるけれど正直なところ僕には限界のペースだ。 -
そんな僕に気がついたのかLarahaがとっておきのものを出してくれた。ポットに入れた熱くて甘い紅茶。一口飲んだだけで、疲れと寒さで固まった体中の筋肉と心がほぐされていくように、体中に染み渡っていく。Larahaありがとう。なんかエネルギーが沸いてきたよ。紅茶と一緒に中国から持ってきたオレオでエネルギー補給。泣いても笑っても日の出まで1時間半。Marco、Laraha、残りの仲間の分まで登ろうぜ。
紅茶で復活したものの登り始めて10分もしないうちに言えようもない疲労感が襲ってきた。身体が重く足が進まない。そして猛烈に眠い。前を行くMarcoに遅れないよう気力を振り絞り足を進めていくけれど、ふと意識を失いそうになる。考えてみたら丸3日も眠れていないのだから当たり前だ。おい、俊介ここは気合いだ気合しかないだろ。そんなことを言い聞かせながら、何回か意識を失いそうになりながらも踏ん張りひたすら上を目指す。
そして5:30、とうとうStella Pointに到着。僕とMarcoもザックを投げるようにして下ろし、言葉にならない歓喜の言葉を叫びながら抱きあう。Marcoありがとう。Marcoがいなかったら僕も諦めていたかもしれない。一緒に登れたからここまで来れた。後ろを振り返るとちょうど月と同じ方角から空が明るみ始めていた。 -
これまで登ってきた道の向こう側から明るくなっていく空を見た瞬間、いろいろなものがこみ上げてきて思わず泣いてしまった。涙が一筋流れるとかではなくて号泣してしまった。
なぜだかはよくわからない。キリマンジャロでここまでたどり着いた達成感だけでなくて、南寧で一年ちょっと孤独に耐えながら手探りで生きてきたこれまでの苦労が思い出されたのかもしれない。涙を流したらちょっと肩の荷が楽になった気がした。 -
15分ほど休み、キリマンジャロの最高地点Uhuru Peakに向けて歩く。もう頂上の一端には来ているので、富士山に例えるとお鉢めぐりみたいなものだ。6:00過ぎに朝日がようやく顔を出した。
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横を見ると氷河が朝日に輝いてキラキラ光っていた。150年前はそのほとんどが厚い氷に覆われていたキリマンジャロの頂上も、今では部分的に氷河が残るだけになっている。
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氷河の近くを歩いていると数分置きにピシピシッと大きな音が聞こえてくる。Larahaによると、氷河が進んだり、溶ける時にこの音が聞こえてくるんだそう。このペースで氷解が進めば2020年にはキリマンジャロから氷河がなくなってしまう可能性が高いとか。今数mあるこの氷河もなくなってしまうのか。
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メルー山をバックにした氷がきれいだった。ちょうど氷河が溶けて崩れて、中の氷の層が見えている。こうして改めて見ても吸い込まれるような神秘的な色だ。
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6時43分、出発から6時間半かけてUhuru Peakに到着。よく見るこの頂上の看板の前でMarcoと一緒に記念撮影。下のほうに誰かが持ってきたのかタルチョがかけられてあった。
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Uhuru Peakからクレーターを見下ろすと溶け残った雪がポツンと残っていた。ちょっとさびしそう。スキーヤーの三浦豪太さんは30年前にこのクレーターをスキーで降りていったらしい。今ではどこにもそんなことができる場所がありそうにない。
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ここまでたどり着いた人はどこの国から来た人も、どのルートから来た人も、みんな同じ困難を乗り越えてきた同志のような感覚を共有している。そして、みんなとても晴れ晴れとしていた。
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僕もMarcoも疲れ果てていたので名残惜しい気持ちを振り払って10分ほどでUhuru Peakをあとにする。さっきまで登ってきた石と砂利に覆われた外輪山の道を一歩一歩思い出に刻むように下っていく。このあたりの様子は富士山の頂上にそっくりだ。
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30分ほどかけてStella Pointまで戻る。そこで最後になったクッキーをおなかの中に入れ、Barafu Campまで1,000mの道のりを下っていく。あれだけ辛かった道のりも下りは楽勝。砂走りの要領でサンドスキーをするみたいに駆け下りる。同じ道なんだけど、登ったときは真っ暗だったので周りを見ていないので全く別の道を歩いているみたいに楽しむことができるのはいいね。
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Mawenzi Peakを眼下に望む。この場所はアフリカで一番高いんだぜ。僕らの目線より上にはもう青空しかないんだ。
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MarcoとLarah、二人とも下りは楽しそう。それにしても空が青い。
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9:00、5時間かけて登った道を1時間半で下りきってBarafu Campに到着。ひとまずすべてをほっぽりだし、テントに入って横になる。もう体力もひざもすべてが限界!おなかすいた!
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昼過ぎ、Larahaに起こされ目が覚める。他のテントを除くとKarinだけがいた。彼女とLiseは5,600mくらいのところで朝を迎え引き帰してきたとのこと。そしてLiseの具合が悪化したのでLiseとMarkusは今日中にふもとまで下ったらしい。僕と一緒に到着したMarcoもそれを聞いて一緒に麓まで向かったようだ。Marco、お前すごすぎるよ。
からっぽになった胃袋にひさしぶりの温かいご飯を流し込み、12:30Barafu Campを出発。Karinのペースにあわせるようにゆっくりゆっくり下っていく。 -
なんかもうやるべきことはやりとげたので、お祭り気分。
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途中、こんなものを見かけた。病人やけが人はこの手押し車で麓の車が入れるところ、ヘリコプターが来られるところまでおろすらしい。
3時間かけて3,100mのMweka Campに到着。まるで口元が勝手ににやけてくるような登頂を果たした充実感と、いろいろな荷が下りたような安堵感、そして猛烈な疲労に襲われて食事をとってすぐに寝てしまった。長い一日だった。 -
Climbing day 6: Mweka Camp(3,100m) – Mweka Gate(1,800m) 10km
6日間のキリマンジャロ登山も今日が最終日。昨夜は初日以来4日ぶりにまともに眠ることができた。やっぱり高度が下がってきたからなんだろう。症状は重くなかったけど、寝られなかったってことは僕も高山病にかかっていたんだろう。
この日は半日かけてゆっくりとゲートまで下っていく。シャワーを浴びることができるのはうれしいけれど、この楽しかった時間が終わってしまうのはとっても寂しい。こうしてスタッフが用意してくれた豪華な朝ごはんを食べることができるのも今日が最後。スープから始まってソーセージにパンにフルーツ。ポーターが6日分を持ってあがってくれて、しっかり毎日こんな朝ごはんが出てくる。それって考えてみたらすごいことだよ。 -
食事の前にはこうしてボウルにお湯を入れてテントまで持ってきてくれる。この水もポーターが運んできてくれているもの。洗い終わった水はポータブル水洗トイレの水として使われて、しっかりリサイクルされる。このお湯で顔を洗うのも今日が最後なんだな。
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最後の記念にLarahaはじめポーター、コックたちと記念写真。僕の荷物を持ちながら僕より後にテントを担ぎ、僕より先に次のキャンプについてテントを建ててくれていたスタッフ。彼らがいなかったらキリマンジャロ登頂は難しかっただろうな。改めてありがとう!
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この日はゆっくりと9時に出発。昨日の頂上アタックの疲れがものすごく残っていてひどい筋肉痛。体の節々がギシギシ音を立てている感じだ。そんな身体を強引に動かして、1時間ほど下っていくとまた熱帯雨林の世界に戻ってきた。木々の木陰の道に入ったとたんに乾いていた空気が湿り気を帯びてくる。森は命の源なんだな。
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昨日までの砂と岩の世界からくるとすべてのものが美しく、いとおしく見える。登りの時に1.5割増し。特に花の色がきれいだ。こんなにあざやかだったっけ?
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とってもでかくて太い木があったので、KarinとLarahaの三人で記念撮影。幹に空洞があって、まるでトトロが中に住んでいそうな大木だった。
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出発して2時間半ほどすると、下り坂が平らになってきた。足元を見るとなにか黒いものが動いてる。近づいて見るとアリの大群。日本で見るアリの二倍くらいの大きさのアリが長い列をなして道を横断している。
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中には踏み潰されたのか死んでいるアリもたくさんいた。だけどアリたちは屍を乗り越えて黙々と前進していく。とても不思議な光景だった。
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足下にはアリ、そして頭上を見上げると猿。Larahaによるとブルーモンキーとのこと。結構人に慣れているのか、近くまで近づいてきた。日本では猿って見慣れているけれど、実はヨーロッパにはほとんど生息していない。だから欧州人はみな興奮気味にシャッターを切っていた。
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4時間ほど歩くといよいよゴールが近づいてきた。ゴールにある広場が近づくにつれ、6日間歩きとおすことができた達成感と、この楽しかった時間が終わってしまう一抹の寂しさが入り混じって複雑な気持ちになっていた。
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この6日間、ずっと行動をともにしたLaraha。Moshi近辺の村の8人兄弟に育って、人一倍頑張りやな彼。ガイドの仕方をめぐって最初の二日間はずっと議論しっぱなしだったけど、なかば八つ当たりのような僕の質問や意見にもひとつひとつしっかり答えてくれた。年下だけどアニキのようなそんなLaraha、6日間改めてありがとう。
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ゴールのMweka Gateでは昨日Markusたちと先に下りたJohnが待っていて、僕らを迎えてくれた。その後ZARAのバンに乗りホテルに戻って6日ぶりのシャワーを浴び、Marcoと一緒にMoshiの街に繰り出してドライバーおすすめのKilimanjaro Coffee Loungeでカフェタイム。
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ドイツの元軍人で10年の軍役を終えた後、今はDanzigにある大学院で学生をやっているMarco。この旅の中でまるで昔からの親友のように仲良くなった。彼はベトナム人の両親を持つ彼女がいるのだけど、キリマンジャロに誘っても着てくれなかったらしい。
ドイツにベトナム人の移民がいるのが以外だったけど、旧東独にはけっこういるんだって。知らなかったなーそれにしても頂上アタックして、その日にMoshiまで戻ってきたアンタはすごいよ。 -
夜は5人のTeam Kilimanjaroで最後のパーティ。これまで登山中は飲めなかったビールをたらふく飲んで、お互いの仕事の話や人生の話に夜中まで盛り上がった。ひと仕事をやりとげた、そんな解放感を感じた夜だった。
ニューヨークで会社経営をしているLise、高山病の症状が出ながらも翌日のプラニングの時など常にパーティのベストを尽くせるようにリーダーシップをとってくれていた。2児の母ながら会社を経営して友達とキリマンジャロまで登りきちゃう、とても50歳を過ぎているとは思えないバイタリティ。こういう風に年をとっていきたいなあ。
オスロで教師兼ヨガの先生をしているKarin。喘息を抱えながら5,500m以上まで行ったのはすごい。「もっと食べなきゃだめよ」と男三人に対していつも気遣ってくれた彼女はパーティのビッグママだった。3児の母で教師とヨガの先生をやりながら、Liseや同級生の友だちと今でも年に数回旅行に行く彼女もエネルギーの塊のような人だった。
スイスのインテリMarkus、アメリカンな英語でちょっと斜めに構えながらもジョークが好きなシャイボーイ。今はアフリカ縦断の旅の途中。フランス語、ドイツ語、英語。どれをとっても何語が母国語なのかわからない上、とても頭がいい。ヨハネスブルグまで気をつけて行ってこいよ!
そして一緒にピークに登頂したMarco、同い年ということもあり仕事からプライベートまで一番よく話をしたなあ。また今度一緒に山に登りに行こうぜ。 -
タンザニア最後の日、ナイロビまでのバスに乗るため、この日は朝5時に起きる。昨夜は12時過ぎまで騒いでいたので、さすがに起きるのがきつい。おまけにひどい二日酔い・・・楽しい夜のあとには必ずそのツケが来るものだ。
予約していたriverside社のピックアップは時間通りにホテルにやってきた。アフリカ、とくにブラックアフリカは時間にいい加減というイメージがあったけど、モシに着いたその日のキリマンジャロ空港でのピックアップをのぞけば、今回の旅行ではどれも時間に正確だった。このシャトルも40USDでホテルまで迎えに来てくれて、そこからナイロビの空港までダイレクトに送ってくれるのはとても便利。
ホテルを時間通り朝6時に出発。これでキリマンジャロともお別れだ。最後に見た朝焼けを浴びた姿も美しかったなあ。キリマンジャロ、楽しい時間をありがとう! -
僕らをホテルでピックアップした車はアルーシャ(Arusha)の街のターミナルに向かい、そこでマイクロバスに乗り換える。乗り換えの時間が少しあったので道を歩くと、街路樹が鮮やかな花を咲かせていた。ナイロビでもこの紫色の花を見たけれど、すごく印象的な色だった。こんな街路樹、アジアにはないよね。
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アルーシャからケニアの国境までは一本道をまっすぐ北上して一時間ちょっと。 道の両側には乾いたサバンナが広がっていて、時々そこに住んでいるマサイたちにすれ違う。
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道はところどころ未舗装で、僕らの乗ったマイクロバスは乾いた埃を巻き上げながら国境へと向かっていく。対向車が来るとあたり一面真っ白になってしまうのだけど、ドライバーは速度を落とすことなく進んでいく。これ、ちょっと怖い。
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車が巻き上げる埃で道の両側のサバンナは真っ白。ちょっと不思議な風景だ。
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国境を超えると、ケニア側に同じriverside社のバスが数台待っていて、ナイロビ市内と空港行きに乗客は分かれて乗る。とっても便利。ケニア側の道はタンザニアとは違ってすべて舗装されていて快適なドライブ。こんなところはケニアとタンザニアの国力の差が出ているなあ。バスはトラブルもなく順調に14時にはナイロビ空港に到着。オーバーヒートとかパンクとか、いろいろ覚悟していたんだけどあっけないくらいスムーズだった。
ナイロビの空港に無料wifiがあったので、たまっていた仕事のメールを処理する。中国は休みだけど、日本は通常通り仕事をやっているので容赦なくメールがたまっていた。帰りももちろんエチオピア航空。相変わらず機内放送のアムハラ語アナウンスと、セーフティガイドのCGがとてもシュールで気になって思わず写真撮っちゃった。エチオピアの母語アムハラ語、小人が踊っているようにしか見ないのは僕だけだろうか。
この後はナイロビからアジスアベバで北京行きに乗り換えて、一路中国に戻り結婚式に参加です。
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この旅行記へのコメント (2)
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- がおちんさん 2011/05/01 10:42:18
- 極限の状態で見た空
- ほとんど寝ることもできず、やっとたどり着いたStella Point。感動が伝わってきました。限界の先に現れた夜明けの空を見て、これまでの苦労が浄化されたのでしょう。キリマンジャロで流した涙は、その証ですね。
それにしても、こんな短いスケジュールでアフリカの高山に登ってしまうとは驚くばかりです。シュンスケさんは強靭な体力の持ち主なんですね。
がおちん
- シュンスケさん からの返信 2011/10/03 03:53:21
- RE: 極限の状態で見た空
- がおちんさん
すっかり4travelほったらかしにしていてすみません・・・涙なんて流すつもりでなかったんですけど、知らず知らず流れていました。
体力に関しては、学生の頃に山小屋でアルバイトをしたりしていましたが、今では衰えるばかりです。今年はそれにあがらうべくフルマラソンに挑戦する予定です。体力は追いつかなくてもなんとか精神力で乗り切ります!
シュンスケ
> ほとんど寝ることもできず、やっとたどり着いたStella Point。感動が伝
わってきました。限界の先に現れた夜明けの空を見て、これまでの苦労が浄化されたのでしょう。キリマンジャロで流した涙は、その証ですね。
>
> それにしても、こんな短いスケジュールでアフリカの高山に登ってしまうとは驚くばかりです。シュンスケさんは強靭な体力の持ち主なんですね。
>
>
> がおちん
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