パリ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
パリを訪れた回数はもう思い出すことはできない。学生時代にユーレイルパスを持ってヨーロッパを巡った時も、また新婚旅行の時も、基点、終点はパリだった。フランスでのプロジェクトのため語学留学したのもパリであり、海外出張のたびに滞在した。初めてパリを訪れた時の、フランス人の外国人に対する冷淡さは衝撃だった。英語で尋ねても無視されることが普通だった。その時から、フランス語をマスターすることを心に誓ったものだ。まずはフランス語で「英語を話しますか?」を覚えて、少しずつフランス人の心の中に入って行くことに努めた。<br /><br />パリの魅力は圧倒的であり、惚れこんでしまった結果、どんなあばたもえくぼに見えてしまう。町のどのアングルも絵になる、町の至るところに英雄たちの足跡が残っている。ナポレオンも、ユーゴーも、ゴッホも、ユトリロも、ワーグナーも、カラヤンも、ヒットラーでさえ…、どの作家、音楽家、哲人、政治家もパリの魅力のとりこになった。私もできることならパリで死にたいものだ。<br /><br />パリ出張中のとある12月の週末、サン・ラザール駅を基点にオペラ座、ルーヴル宮殿、チュイルリー公園、コンコルド広場の観覧車、そしてオランジュリー美術館を散策した。<br /><br />サン・ラザール駅からオペラまで徒歩10分ほどの距離である。この駅はルアン、ルアーブルなどノルマンディー地方への拠点であり、一昔前はイギリスへ向かう拠点でもあった。モーリス・ルブランの書いたアルセーヌ・ルパンの小説にはしばしば登場し、イギリスに帰国するシャーロック・ホームズを見送る場面もこの駅である。<br /><br />オペラ座はいうまでもなく観光客のメッカであり、ショッピング、オペラ鑑賞、あらゆる国から人々を引き付ける。1862年、新オペラ劇場の設計コンペが行われ、171の応募の中からシャルル・ガルニエの案が採択された。1874年12月に工事を終え、1875年1月5日に落成式が行われた。この劇場は設計者の名から「オペラ・ガルニエ」と呼ばれる。着工から完成までの十数年間のフランスには、1867年のメキシコ出兵の失敗、1870年の普仏戦争の敗戦とナポレオン3世の亡命(翌年没)、1871年のパリ・コミューンと第三共和制の発足などの大事件が多く、新劇場の工事はたびたび中断されたと言う。<br /><br />外観および内装はネオ・バロック様式の典型であり、たくさんの彫刻と、華美な装飾が豪華絢爛、また建材には当時、最新の素材とされていた鉄を使用した。これによって、巨大な空間を作り出すことに成功、2167の座席が5階に配分されており、観客収容規模では当時最大の劇場であった。1964年には劇場の天井画はシャガールの作品が飾られて、モダンな印象を与える。<br /><br />1989年にはバスティーユ広場に新しい大オペラ劇場としてオペラ・バスティーユが完成し、以来オペラ・ガルニエでは、バレエと小規模オペラ、管弦楽コンサートを中心としてすみ分けがされている。<br /><br />この日の夜は、最近読売日本交響楽団のシェフとなったカンブルランの指揮で、ベートーヴェンの唯一のオペラ「フィデリオ」が上演され、注目のドイツ人テノールの期待の星、ヨナス・カウフマンの登場が話題となった。初めて聴くカウフマンは豊かな声量、表現力、容姿も素晴らしい。しかし、フランス人カンブルランの解釈は小生の好みではなく、コンピュータ制御の牢獄にレオノーレが侵入する斬新な演出には、失望の方が大きかった。また、間奏には珍しくレオノーレ序曲第2番が演奏された。<br /><br />時間的には前後するが、オペラ座からルーヴル美術館の入り口のガラスのピラミッドを通り過ぎて、カルーゼルの凱旋門、チュイルリー公園を眺めながら、コンコルド広場の観覧車に向かった。観覧車からは、エジプトから贈られた高さ23mのルクソール神殿のオベリスクや、シャルル・ドゴール広場の凱旋門、遠くはモンマルトルのサクレ・クール寺院、エッフェル塔など、パリのスカイラインを一望することができる。<br /><br />散策の最後は、オランジュリー美術館、ここは印象派を中心にルノワール、ドラン、セザンヌ、マチスなど、オルセー美術館に次ぐ規模を誇っている。マネの大作「睡蓮」は円形の一室を取り囲むように展示され壮観である。私の好きなシスレーの作品も多数展示されている。<br /><br />

クリスマスのパリNo.2 : オペラ座でカウフマン主演の「フィデリオ」を観る(改訂版)

10いいね!

2007/12/06 - 2007/12/11

7311位(同エリア16720件中)

2

24

ハンク

ハンクさん

パリを訪れた回数はもう思い出すことはできない。学生時代にユーレイルパスを持ってヨーロッパを巡った時も、また新婚旅行の時も、基点、終点はパリだった。フランスでのプロジェクトのため語学留学したのもパリであり、海外出張のたびに滞在した。初めてパリを訪れた時の、フランス人の外国人に対する冷淡さは衝撃だった。英語で尋ねても無視されることが普通だった。その時から、フランス語をマスターすることを心に誓ったものだ。まずはフランス語で「英語を話しますか?」を覚えて、少しずつフランス人の心の中に入って行くことに努めた。

パリの魅力は圧倒的であり、惚れこんでしまった結果、どんなあばたもえくぼに見えてしまう。町のどのアングルも絵になる、町の至るところに英雄たちの足跡が残っている。ナポレオンも、ユーゴーも、ゴッホも、ユトリロも、ワーグナーも、カラヤンも、ヒットラーでさえ…、どの作家、音楽家、哲人、政治家もパリの魅力のとりこになった。私もできることならパリで死にたいものだ。

パリ出張中のとある12月の週末、サン・ラザール駅を基点にオペラ座、ルーヴル宮殿、チュイルリー公園、コンコルド広場の観覧車、そしてオランジュリー美術館を散策した。

サン・ラザール駅からオペラまで徒歩10分ほどの距離である。この駅はルアン、ルアーブルなどノルマンディー地方への拠点であり、一昔前はイギリスへ向かう拠点でもあった。モーリス・ルブランの書いたアルセーヌ・ルパンの小説にはしばしば登場し、イギリスに帰国するシャーロック・ホームズを見送る場面もこの駅である。

オペラ座はいうまでもなく観光客のメッカであり、ショッピング、オペラ鑑賞、あらゆる国から人々を引き付ける。1862年、新オペラ劇場の設計コンペが行われ、171の応募の中からシャルル・ガルニエの案が採択された。1874年12月に工事を終え、1875年1月5日に落成式が行われた。この劇場は設計者の名から「オペラ・ガルニエ」と呼ばれる。着工から完成までの十数年間のフランスには、1867年のメキシコ出兵の失敗、1870年の普仏戦争の敗戦とナポレオン3世の亡命(翌年没)、1871年のパリ・コミューンと第三共和制の発足などの大事件が多く、新劇場の工事はたびたび中断されたと言う。

外観および内装はネオ・バロック様式の典型であり、たくさんの彫刻と、華美な装飾が豪華絢爛、また建材には当時、最新の素材とされていた鉄を使用した。これによって、巨大な空間を作り出すことに成功、2167の座席が5階に配分されており、観客収容規模では当時最大の劇場であった。1964年には劇場の天井画はシャガールの作品が飾られて、モダンな印象を与える。

1989年にはバスティーユ広場に新しい大オペラ劇場としてオペラ・バスティーユが完成し、以来オペラ・ガルニエでは、バレエと小規模オペラ、管弦楽コンサートを中心としてすみ分けがされている。

この日の夜は、最近読売日本交響楽団のシェフとなったカンブルランの指揮で、ベートーヴェンの唯一のオペラ「フィデリオ」が上演され、注目のドイツ人テノールの期待の星、ヨナス・カウフマンの登場が話題となった。初めて聴くカウフマンは豊かな声量、表現力、容姿も素晴らしい。しかし、フランス人カンブルランの解釈は小生の好みではなく、コンピュータ制御の牢獄にレオノーレが侵入する斬新な演出には、失望の方が大きかった。また、間奏には珍しくレオノーレ序曲第2番が演奏された。

時間的には前後するが、オペラ座からルーヴル美術館の入り口のガラスのピラミッドを通り過ぎて、カルーゼルの凱旋門、チュイルリー公園を眺めながら、コンコルド広場の観覧車に向かった。観覧車からは、エジプトから贈られた高さ23mのルクソール神殿のオベリスクや、シャルル・ドゴール広場の凱旋門、遠くはモンマルトルのサクレ・クール寺院、エッフェル塔など、パリのスカイラインを一望することができる。

散策の最後は、オランジュリー美術館、ここは印象派を中心にルノワール、ドラン、セザンヌ、マチスなど、オルセー美術館に次ぐ規模を誇っている。マネの大作「睡蓮」は円形の一室を取り囲むように展示され壮観である。私の好きなシスレーの作品も多数展示されている。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー 飛行機
航空会社
フィンランド航空
旅行の手配内容
個別手配
  • 今回の散策の起点はサン・ラザール駅、オペラまで徒歩10分ほどの距離である、ルアン、ルアーブルなどノルマンディー地方への拠点であり、一昔前はイギリスへ向かう拠点でもあった

    今回の散策の起点はサン・ラザール駅、オペラまで徒歩10分ほどの距離である、ルアン、ルアーブルなどノルマンディー地方への拠点であり、一昔前はイギリスへ向かう拠点でもあった

  • 昼のオペラ座、オペラ・ガルニエ、設計者はシャルル・ガルニエである

    昼のオペラ座、オペラ・ガルニエ、設計者はシャルル・ガルニエである

  • 夜のオペラ座、ライトアップされて一際華やかである

    イチオシ

    夜のオペラ座、ライトアップされて一際華やかである

  • ガルニエ・オペラの緞帳

    ガルニエ・オペラの緞帳

  • ガルニエ・オペラのオーケストラ・ピット この日の演目はベートーヴェン「フィデリオ」

    ガルニエ・オペラのオーケストラ・ピット この日の演目はベートーヴェン「フィデリオ」

  • 劇場の天井画はマルク・シャガールの作

    劇場の天井画はマルク・シャガールの作

  • ルーヴル宮殿の側面

    ルーヴル宮殿の側面

  • ルーヴル宮殿のファサード

    ルーヴル宮殿のファサード

  • ルーヴル美術館の入り口のガラスのピラミッド

    ルーヴル美術館の入り口のガラスのピラミッド

  • ルーヴル美術館の入り口のガラスのピラミッド

    ルーヴル美術館の入り口のガラスのピラミッド

  • ルーヴル宮殿の中庭にあるカルーゼルの凱旋門

    ルーヴル宮殿の中庭にあるカルーゼルの凱旋門

  • エジプトから贈られたルクソール神殿のオベリスク、高さ23m

    エジプトから贈られたルクソール神殿のオベリスク、高さ23m

  • コンコルド広場に設置された観覧車

    コンコルド広場に設置された観覧車

  • 観覧車からオベリスクと凱旋門を望む

    観覧車からオベリスクと凱旋門を望む

  • 観覧車からオベリスクと凱旋門を望む

    観覧車からオベリスクと凱旋門を望む

  • 観覧車からモンマルトルのサクレ・クール寺院を望む

    観覧車からモンマルトルのサクレ・クール寺院を望む

  • 観覧車からチュイルリー公園とルーヴル宮殿を望む

    観覧車からチュイルリー公園とルーヴル宮殿を望む

  • 観覧車からルーヴル宮殿を望む

    観覧車からルーヴル宮殿を望む

  • 観覧車からエッフェル塔を望む

    観覧車からエッフェル塔を望む

  • 観覧車からエッフェル塔とセーヌ川を望む

    観覧車からエッフェル塔とセーヌ川を望む

  • 観覧車の近景

    観覧車の近景

  • オランジュリー美術館のモネ「睡蓮」

    オランジュリー美術館のモネ「睡蓮」

  • オランジュリー美術館のモネ「睡蓮」

    オランジュリー美術館のモネ「睡蓮」

  • オランジュリー美術館のシスレーの風景画

    オランジュリー美術館のシスレーの風景画

この旅行記のタグ

関連タグ

10いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (2)

開く

閉じる

ハンクさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フランスで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
フランス最安 1円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

フランスの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP