2011/03/30 - 2011/03/30
37520位(同エリア79611件中)
杏仁豆腐さん
富岡八幡宮、深川不動堂を散策し、門前茶屋で深川あさり蒸籠飯をいただいた後は、清澄通りを北に向かいました。
http://4travel.jp/traveler/19563147/album/10556034/
お寺をいくつか寄りながら、深川江戸資料館をめざします。
所々で、スカイツリーも見えます。
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法乗院、深川閻魔堂です。
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日本最大の閻魔大王座像。
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心行寺です。元和2年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立、寛永10年(1633年)現在地深川寺町に移転しました。
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旧本堂庫裡は大正12年9月関東大震災により焼失、その後昭和7年に再建された本堂庫裡も昭和20年3月戦災のため再度消失。現本堂は、奈良平安朝様式に現代風を加味して昭和42年完成しました。
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宝筺印咒塔(川口直供養塔)。
直は文化文政の頃の名妓、清元節の名人で、のちに『川口』という料亭を開きました。夫の忠七は笛の名手でした。 -
宝筺印咒塔の説明です。
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影窓院地蔵。
この石造地蔵菩薩立像は、当時に影窓院と正壽院の二つの塔頭があり、影窓院にあったので、この称号があります。結緑地蔵として縁むすび、願いごと成就の地蔵尊として参詣者で賑わいます。
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五重石塔。
元亨4年(1324年)3月24日の銘あり。
江東区に現存する最古の金石文です。 -
深川七福神福禄寿。
福禄寿は星宿の神、南十字星の化身といわれて、長寿をつかさどる人望福徳の福神です。 -
六角堂。
深川七福神の福禄寿を安置しています。 -
仙台堀川に架かる「海辺橋」です。
スカイツリーが見えます。 -
スカイツリー!
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老人福祉センターの前に滝沢馬琴生誕の地を記念するモニュメントがあります。
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『南総里見八犬伝』をかたどったものです。
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浄心寺に着きました。浄心寺は、万治元年(1658)通遠院日義の開山で、四代将軍徳川家綱の乳母三沢局の冥福のために創建されました。
スカイツリーと山門。 -
関東大震災の犠牲者を合祀した蔵魄塔があります。
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蔵魄塔は、短円柱状の墳墓に半球のドームが載っている慰霊モニュメントで、ドームには立てた右膝に両手を回しうずくまっている女性の姿態が浮き彫りになっています。
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スカイツリー!
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深川江戸資料館に着きました。
http://www.kcf.or.jp/fukagawa/ -
深川江戸資料館は、江戸時代、深川佐賀町の町並みを再現した展示室のほか、小劇場とレクホールを備えた文化施設として昭和61年にオープンしました。
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地下1階から地上2階、三層にわたる高い吹抜けの大空間に展開する江戸時代の深川の町。
深川江戸資料館は、江戸時代末期、天保年間頃の深川佐賀町の町並みを想定復元した「情景再現、生活再現展示」です。
屋根にいるのは、猫の実助(まめすけ)です。
この実助は、モデルがあります。安政6年(1859年)5月18日に死んで、深川の万徳院に葬られた黒渕、短尾の猫です。 -
町並みには、表通りの大店と白壁の土蔵、船宿のたたずまい、そして猪牙舟の浮かぶ掘割には火の見やぐらが影を落としています。一歩路地を入れば長屋が並び、そこには庶民の暮らしがあります。
時代や場所だけでなく、そこに住む人々の家族構成や職業、年齢までを細かく設定し、それぞれの暮らしぶりにあった生活用品を展示してあります。 -
深川の大店といえば、木場材木問屋、米問屋、そして干鰯・魚〆粕・魚油を扱う問屋でした。佐賀町は隅田川河口にあって大船の出入りに便が良く、小名木川の水運もありこうした大店と倉庫が並ぶ町でした。
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生活感がよく出ています。
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稲荷寿司の屋台。
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深川は小名木川をはじめ縦横に掘割がはりめぐらされる町でした。展示室の掘割は、木場と隅田川をつないでいた油堀。
猪牙船は、数人乗りで船頭は一人が通常。「江戸の足」として利用されました。 -
船宿とは、もともとは船で遊びに行く客を送り迎えするところでした。「升田屋」です。
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天麩羅の屋台。
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よしず張りの「水茶屋」は今の喫茶店。
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花見ができます。
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舂米屋土蔵。
壁面の折れ釘や入り口の鼠返しなど細かいところまで復元されています。 -
読み書き、手習い、裁縫、三味線を教える師匠の長屋。室内はもとお店のおかみさんだった人らしいたたずまいです。
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今にも、江戸の住人が出てきそうです。
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木場で働く職人らしく、大鋸や鳶口、大工道具が置かれています。箱膳は夫婦二人分、女房の化粧道具もあります。
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ゴミ溜め。
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芭蕉句碑。
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上から見た、掘割と猪牙船。
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深川江戸資料館の前には、深川めしの深川宿があります。
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霊巌寺(れいがんじ)です。
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霊厳寺は、徳川家康・秀忠・家光の信頼のあった雄誉霊巌が1624(寛永元年)年、霊岸島(現在の中央区)に創立し、大火で焼失後、1658(万治元)年現在地に移転されました。
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勢至丸さま。法然上人幼少期です。
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本堂とスカイツリー。
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江戸六地蔵の5番目のお地蔵さま。
江戸六地蔵とは1712(正徳2年)、深川の僧侶・地蔵坊正元が10年がかりで江戸中からの浄財よって、旅人と江戸市民の安全を祈願して各街道口に建立されたもの。 -
六地蔵の説明です。
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1番は品川寺(品川)、2番は東禅寺(山谷)、3番目は太宗寺(新宿)、4番目は真性寺(巣鴨)、6番目は永代寺(深川)。ただし明治時代に廃寺)のためのちに浄明院(上野)に建立されたそうです。
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松平定信公のお墓。
松平定信は、八代将軍・徳川吉宗の孫です。
「寛政の改革」を行いました。 -
松平定信公のお墓の説明。
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なんと地震で倒れてしまっています。
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大変なことになっていました。こんな所にも地震の影響が。
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六地蔵そばの大きな灯篭もこのありさま。
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桜はまだ固い蕾です。
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公衆便所も江戸情緒。
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深川江戸資料館への通りの入口です。
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清澄通りから見たスカイツリー。
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二代目中村芝翫(しかん)宅跡。
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高橋乗船場そばの雪柳。
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小名木川にかかる高橋という橋からの風景。高橋乗船場が見えます。
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スカイツリー!
スカイツリーが見えると、ついうれしくなってしまいます。 -
清澄白河駅から地下鉄に乗って帰宅しました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 旅猫さん 2011/04/12 17:56:27
- こんなところにも被害が!
- 杏仁豆腐さん、こんにちは。
松平定信公のお墓、地震で壊れてしまったのですね!
前に一度、江戸歩きの一貫で訪れましたが、
まさかこんなことになっているとは。。。
定信公も、さぞや驚かれたことでしょう!
旅猫
- 杏仁豆腐さん からの返信 2011/04/12 22:41:45
- RE: こんなところにも被害が!
- 旅猫さん、こんばんは。
松平定信公のお墓には驚きました。
年月がたっている墓石などは、危ないですね。
いまだに、余震が続く毎日で、なかなか遠出もできない日々なので、
近いところを散策しております。
一日も早く、平常生活に戻ることを願っています。
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