2010/08/31 - 2010/09/02
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ライオンベラーさん
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(2 http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10541922/ の続きです。)
高知城を出た後、高知駅前に特設された「高知・龍馬、ロマン社中」に向かいました。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
さあ、いよいよ詰門の上の渡り廊下を渡ります。
-
中はこんな感じでした。
左が東で、この下から登って来ました。
右は家臣の詰所になっています。
この向こうに天守閣があります。 -
左の窓から外を覗(のぞ)いてみました。
先ほどはこの下からこの門(詰門)を見ていました。 -
この廊下(ろうか)を渡りきってから、振り返りました。
この襖(ふすま)の向こうが詰所になっています。 -
イチオシ
本丸に出てきました。
きれいな天守閣です。 -
イチオシ
狭間(さま、はざま)から外を見ています。
影の様子から、南でしょうか?
2時を回ったところです。 -
高知の街が見えます。
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天守閣の中です。
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外はこんな感じです。
-
中はこんな感じです。
藩主が居住していたのは二の丸で、ここは城を訪ねてきた来客と会う、謁見(えっけん)の場所として使われていたようです。 -
ここが謁見の場で、城主は奥の上段の間に座って、来場者がこちら側に座ります。
奥の間の左は・・・ -
このような襖(ふすま)になっていて、その奥は緊急時に対応するための家来が控(ひか)える武者隠(かく)しの間になっています。
-
上段の間の後ろに回ってみました。
-
後ろはこのような通路になっています。
右が上段の間です。
そしてこの右は・・・ -
武者隠しの間です。
ここに警護の侍(さむらい)が隠れています。 -
もし謁見中、来城者が城主に襲いかかろうとすると、
「出あえ! 出あえ、出あえ、出あえ!」
などと城主が叫(さけ)び、
ここに控(ひか)えていた侍たちが、すかさずこの戸を開けて・・・ -
ここへ飛び出して来ます。
-
そしてここで、来城者との果(はた)し合いが始まります。
しかし、おそらく歴史上はここではそのようなことは、一度もなかったと思われます。 -
さらに進むと、このような石などを落すところがありました。
ここから石垣を登ってくる敵めがけて石を落します。
そうすると・・・ -
石は、来るときに見たこの穴から落ちてきます。
もし、敵がここを登ってきていると・・・ -
このように石に当たって、落下してしまいます。
しかし、おそらく歴史上はここではそのようなことは、一度もなかったと思われます。 -
こんな模型もありました。
-
築城の様子を表した模型です。
ここがこのような様子であったときは、1603年の、山内一豊(かずとよ)が入場したときと、大火の後1748年に再建されたときです。
山内一豊は徳川家康の家臣で、1600年の関ヶ原の戦いで東軍についたので、土佐(高知県)一国を与えられました。
そのとき連れてきた一豊の家臣たちには上士(じょうし)という上位の身分が与えられ、以前の領主の長宗我部(ちょうそかべ)氏の家臣たち(地元の土佐出身者たち)は郷士(ごうし)と呼ばれる下位の身分となりました。 -
天守閣(本丸)の右の部分が二の丸で、その下の手前の部分が三の丸で、このような建物が建っていたようです。
領主の住まいは二の丸でした。
幕末は、そこには山内容堂が領主として住んでいました。
容堂は参勤交代という制度のために、1年おきにここと江戸とに居住していました。 -
イチオシ
城主の山内容堂もこのようなところから龍馬たちの住む上町などを見ていたのでしょうか?
-
当時はもちろんここから見える建物はすべて、平屋か二階建てだったでしょう。
「2」の旅行記の表紙写真(http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10541922/)のような街並みが見えていたのかも知れません。
田畑なども多かったでしょう。 -
容堂は上士の居住地や郷士の居住地、その他の百姓や漁師などの領民の居住地をどのように見ていたのでしょうか?
このようにはっきりと居住地を分けておかなければ、祖先が遠方(近畿、中部地方(?))から来た人々の子孫である上士たちは、もともとの地元の武士である郷士たちの勢いに押されてしまって、逆に弱い立場に立たされてしまうという危機感を持っていたのかも知れません。 -
このような事情から、ここ高知県では、領主と領民の融合が進まずに、龍馬などの志士を生む下地ができていたと考えることができるのではないでしょうか?
-
容堂は1年おきに江戸に居住していたわけですが、江戸ではどのように過ごしていたのでしょうか?
当時の江戸は人口が100万人ほどだったようですが、それでも世界一か、少なくともベスト3には入っていたようです。
江戸では、幕府末期の将軍たちや井伊直弼(なおすけ)なのどの重臣、その他、諸藩の大名たちとそれなりの付き合いをしていたと思われます。
諸藩の中でも土佐藩は雄藩(ゆうはん)の一つと称されることから、容堂は江戸においても相応の発言権などがあったと思われます。 -
一介(いっかい)の郷士だった龍馬が、当時の幕府の中心人物たちと対等に交渉できるまでに至(いた)った要因のひとつとして、このような土佐藩主、山内容堂の立場なんかも大きく関係していたのでしょう。
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この広場が二の丸で、当時は容堂はここにあった建物に住んでいたようです。
来るときはここからこの天守閣の写真を撮りました。
先ほどから同行の元同僚は、ボランティアの解説者にいろいろなことを尋(たず)ねて説明してもらっています。
私もその説明に耳を傾けたり、ときどき口をはさんだりしながら、これらの写真を撮りました。 -
さあ、そろそろ降りることにしましょう。
時刻は3時半になろうとしています。 -
途中、このような模型も展示してあります。
捕鯨(ほげい)の様子です。
日本は伝統的にこのように捕鯨していましたが、それを野蛮(やばん)な文化と見る国も多いようです。
私たちが中国の広州などで犬を食するのに対して驚くような感情なのでしょうか? -
イヌを食べるのに抵抗がない人たちもさすがにサルとなると抵抗があると思われます。
チンパンジーなどの霊長類となるとさらに抵抗があるでしょう。
クジラは姿こそはヒトとは大きく異なっているけど、感情のようなものはイヌやサル、さらにはチンパンジーなどにも近いのかも知れません。
それは今後、研究が進むと次第に明らかになってくるでしょう。 -
だいぶ降りてきました。
右の石垣の上が二の丸で、そに向こうに来るときに見た詰門があります。 -
4時になりました。
-
山内一豊の像がありました。
一豊は尾張(おわり)の国でいろいろな領主に使えながら成長し、その後織田信長に使え、秀吉の中国攻めにも加わっています。
1600年の関ヶ原の戦いでは東軍についたため、勝利した家康に土佐の国を与えられました。
昨日、安芸市の歴史民俗資料館で見た槍(やり)が頬(ほほ)に刺さっていたのはこの一豊です。
1573年の朝倉氏との戦いでの出来事でした。 -
そして、この一豊が(中部や近畿地方から?)連れてきた家臣たちの子孫が、上士と呼ばれる人たちで、一豊がここに入るまでの領主、長宗我部(ちょうそかべ)氏の家臣たちの子孫が郷士と呼ばれる人たちでした。
龍馬の祖先(明智光秀の家臣の子孫?)は、江戸時代中ごろまでは商人の身分だったけど、坂本家として分家するときに、金を払ってこの郷士の身分になったようです。
4時をまわりました。
展示館などはもう閉まってしまいます。
急いで駅前に特設された『高知・龍馬ろまん社中』に向かいました。 -
『ろまん社中』の中にこのようなコーナーがあったので、衣装を着てこの写真を撮りました。
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こんなセットもありました。
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わざわざ建物の外に出て、この写真を撮りました。
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土産(みやげ)物売り場ではこのような鰹節(かつおぶし)の土産をかいました。
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売り子のアルバイトの子たちと記念撮影です。
このあと駅前の海鮮料理のチェーン店で、ノンアルコールビールを飲みながら食事をしました。
そして、高知を後にしました。 -
瀬戸大橋の途中の与島のパーキングで休憩しました。
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パーキングを出るときは、本州方面に進まなければなりません。
間違えばまた四国に戻ってしまいます。
時刻は9時半です。
遅くなりそうですが、なんとか今日中に家に帰れそうです。
最初意気込んでいたほどたくさんの所を周ることはできませんでした。
でもほとんど何も知らなかった土佐の志士たちのことをそれなりにも知ることができました。
今回もいい旅になりました。
さあ、明日からまた仕事です。
帰ったらゆっくり休むことにしましょう。
(完)
※ 次回の旅は京都です。(http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10555901/)
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