2010/08/31 - 2010/09/02
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ライオンベラーさん
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今、NHKで坂本竜馬を主人公にした大河ドラマが放映されているようです。
でも、今年もいろいろと忙しくて、1〜2度ちらっと見たぐらいで、その内容や出てきた俳優についてはまったく記憶にありません。
坂本竜馬については、部分的には知っていますが、その生涯をたどってみたことはまだ一度もありません。
また、小説やドラマに登場するときは、実際より面白く脚色されているはずなので、実在した竜馬とはだいぶ違っていると思われます。
実際の人物像に迫るには、できるだけ先入観をもたずに、竜馬の故郷の高知を訪ねて、当時の世相や文化をイメージしてみるのがいいのではないでしょうか?
8月の末、歴史好きの元同僚が高知に行こうと誘ってくれました。
いろいろと忙しい時期でしたが、竜馬伝について気になっていたので、これはいい機会だということで、思い切って行ってみることにしました。
私が初めて四国に渡ったのは、大学を卒業して就職浪人をしていた年でした。
ずっとずっと昔のことなので、具体的なことはほとんど覚えていませんが、淡路島から徳島県の鳴門に渡ったと思います。
今、その写真を見ると、鳴門海峡を背景にして、夢多き青年が、短パン姿で写っているので、暑い夏のことだったと思います。
そのときは生まれて初めて四国の土を踏んだときなので、とても感動していたと思います。
その翌年に無事に就職することができ、その夏に突然思い立って、一人で四国を巡りました。
JRの周遊券を使っての1泊2日の旅でした。
高知まで列車で行った後、時刻表を見ると、ものすごく時間がかかることがわかったので、レンタカーを借りることにしました。
高知から宇和島まではレンタカーで、宇和島からは列車で、松山に向かいました。
そして夕刻遅くに到着しました。
松山の街は真っ暗で、中心街と思われるところでも、ほとんどの店は閉まっていました。
電話ボックスから、電話帳を見ながら、片っ端から格安のビジネスホテルに電話をしましたが、どこもいっぱいだと言って、断られてしまいました。
ああ、こんなところで野宿をしなければならないのかと思いながら、それでもと思って、直接、近くの宿のフロントを訪ねてみると、少し高めでしたが何とか無事に泊まることができました。
その職場では、毎年全員で観光バスなどを使って1泊程度の旅行をしていました。
その旅行で、四国に渡った年もあって、そのときは徳島県の祖谷(いや)渓谷に泊まりました。
そのときの蔓(かづら)橋を渡っている写真なども残っています。
それから数年後には次の職場に配転になって、そこの同僚と二人で高松近辺を廻(めぐ)ったこともあります。
そのときは、長い長い階段を登って、金比羅山(こんぴらさん)にも参りました。
また、その後数年後には、その職場の人たち10人ほどで、ワゴン車で四国四県を周りました。
そのときは、高知の桂浜や四万十川で写真を撮っています。
四万十川では、遊覧船に乗りました。
水が透き通っているので、川底がすぐ近くにあるように見えました。
その旅行では確か、中村と松山で泊まったと思います。
宿では、カラオケで盛り上がって、とても楽しい旅でした。
その後、愛媛県に彼女ができて、遠距離恋愛をしていたこともあります。
そのときは彼女の家まで会いに行ったり、彼女がこちらに来たときは、わざわざ車で四国まで送って行ったりもしました。
それ以外にも、徳島県の市民マラソンに参加したり、瀬戸大橋から淡路島までを周遊したこともあります。
2〜3年前の正月は、車で室戸岬から高知まで走りました。
その後、岡山から高松、神戸とフェリーを乗り継いだこともあります。
高速道路の土日祝日割引が始まったときだったので、フェリーはとても空いていました。
ということで、こうして数えてみると、四国にはもう、十数回も渡っていることになります。
そしてそのうち高知を訪れたのは3度なので、今回で4度目になります。
でもそのほとんどは、ただ通過するだけだったので、街の様子は、まったく覚えていません。
そのため、今回はまったく初めての街を訪れるような気分です。
そこはどんな街で、どんな人たちと出会えるのでしょうか?
とても楽しみです。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
夕刻、車で元同僚の家を出発しました。
山陽自動車道から行けば近かったのに、なぜか中国自動車道を走ってしまいました。
岡山を通過しました。
もう、辺りは真っ暗です。
いよいよ瀬戸大橋を渡ります。 -
瀬戸大橋を渡りきって、高松自動車道から徳島自動車道、そして高知自動車道に入りました。
そのまま走り続けて四国山脈を抜け、南国SA(サービスエリア)に到着しました。
今夜はここで泊まります。 -
売店などはすべて閉まっていて、自販機だけが使えました。
外は数台の車が停まっているだけです。
少し、パンフレットなどをもらって見ていましたが、もう0時を回っているので、寝ることにしました。
いつものように車のシートを倒してフラットにしました。
今年の夏は特別暑いので、タオルケット1枚ずつで十分です。
明日はいよいよ竜馬の故郷を訪ねます。
明日が楽しみです。 -
朝です。
さあ、これから竜馬伝の舞台、土佐の国を存分に見て回ろうと思います。
わくわくします。
洗面所で顔を洗った後、車に戻りました。
そして、昨夜ここでもらっていたパンフレットを見ながら、訪れる順序を考えました。
流石(さすが)に旬(しゅん)の地域だけあって、何種類もの厚いパンフレットがありました。 -
まだ、予備知識などはほとんどなかったので、どの資料を見ても興味津々(しんしん)でした。
上の写真の正面が食堂や売店の建物で、その左側は、このような楽しそうな公園になっていました。 -
8時になって、売店が開いたので、土産(みやげを)をいくつか買いました。
テーブルの上に、買った土産を倒れないようにそっと立てて、写真を撮ってみました。
NHKの大河ドラマに合わせたイベント会場は、何か所もあったので、まず、一番西の安芸(あき)市の会場に向かうことにしました。
高知IC(インターチェンジ)を出て国道32号線を南下した後、55号線で西に向かいます。
55号線を太平洋に沿って40kmほど走って、最初の目的地、安芸(あき)市に到着しました。 -
ここは、岩崎弥太郎(やたろう)の生家があるところです。
岩崎弥太郎といっても、一般的にはそれは誰? っていう感じですが、私にとって弥太郎さんは、本当にお世話になった大恩人(おんじん)なのです。
というのは、私の父は昔、三菱系の企業でエンジニアをしていましたが、この弥太郎さんこそが、その三菱(みつびし)の創業者なのです。
つまり、この方が創ってくれた会社が、私の家の家計を支えてくれていたということになります。
当時、私たち社員の家族が皆、半強制的に、この方の映画を見に行かされたこともありました。 -
ということで、私たちにとってこの弥太郎さんという人は、英雄であり、誉(ほまれ)れであり、恩人でもありました。
もっとも父は、私が中学生の頃転職したので、それ以降は三菱とはまったく関係がなくなり、日立の製品を買っても、松下の製品を買っても、後ろめたい気持ちになることはありませんでした。
カーナビを使って、その生家に到着すると、駐車場は、このような派手な看板がありました。
普段ならここはまったくの山村で、ここにこの方の生家があっても誰もそんなものは気にも留めずに、素通りしてしまっていたのではないでしょうか・・・ -
さあ、これからいよいよ、私にとっては神様のような方の生家を訪問します。
とても緊張します。
途中に特設の土産物売り場のようなところがあったので、この道で合っているようです。
やがて、生家のようなところが見えてきました。 -
おおお、おおおおお、おおお、おおおおお、ここがそのお家のようです。
あまりの緊張に身震いしてきました。
そして同時に、父が三菱に勤めていた頃の思い出が、次から次へと浮かんできて、だんだん胸が熱くなってきました。
そして少し、目頭(めがしら)も熱くなってきました。
写真の向きは北東で、右後ろに3kmほど行けば、太平洋に出ます。 -
この人たちは、こんなところまでやって来たということは、やはり三菱に関係のある人たちなのでしょうか?
当時の岩崎家はこの30坪(つぼ)ほどの家屋だけで、周りの庭や蔵は後に弥太郎が買い足したものだそうです。
弥太郎は貧しい家に育ったと言われているけど、今、こうして見る限り、家だけでも現在の都会のマンションよりも広いので、それなりの環境で育ったと言えるのではないでしょうか?
1835年にこの家で生まれた弥太郎は、この村ではガキ大将的な存在になっていて、よく子分を率(ひき)いて、近くの妙見(みょうけん)山に登っていたようです。 -
この写真の山が妙見山です。(向きは西向き)
あの頂(いただき)には神社があって、その辺りから田畑や家々や、太平洋などが見えるそうです。
その神社の門扉(もんぴ)には、墨(すみ)で
「吾(わ)れ、志(こころざし)を得ずんば、ふたゝび此(こ)の山に登らず」
と書かれていたようです。
それは、弥太郎が19歳のとき、初めて江戸に発つときにここに登って書いたものだと言われていますが、現在は後の火事で焼失してしまっているようです。 -
この庭石は、弥太郎が日本列島の形に並べたものだと言われています。
木の向こう側の石が九州、木の左が四国、木の手前の石が紀伊半島で、右に離れて置いてあるのが佐渡島のようです。
将来に大志を抱いてこれを造ったと説明されることが多いようですが、まだペリーも来航していない時期なので、当時の幕藩体制の世の中での大志ということになるのでしょう。
少年の弥太郎がどんな大志をいだいていたのか、また、本当にそんな気持ちでこれを造ったのかどうかはわかりませんが、わざわざこんな大きな石を並べたということから、この村の生活だけではなくて、日本に関心をもっていたということは確かでしょう。 -
「土蔵の鬼瓦(おにがわら)には、岩崎家の家紋である三階菱のマークがあり、これと土佐藩主山内家の家紋の三ツ柏を組み合わせて、九十九(つくも)商会の船旗号がつくられ、ここから現在の三菱マークになったと言われています。」
と、この説明書きに書いてあります。 -
外は今でこそ庭が整備されていて、このような記念碑(ひ)が建っているけど、当時はこの庭はよその土地で、そこにはよその家が建っていたか、その家の草地か畑だったということになります。(またはこの井口(いのくち)村の共有地だったかも知れません)
-
この石碑には岩崎弥太郎生誕地と描いてあります。
-
この石碑の後ろの蔵も後に弥太郎が買い足したものなのでしょう。
弥太郎の父は、昔は最下級の侍(さむらい)だったけど、生活費を得るために、その身分を他人に売って浪人になっていました。(地下浪人)
母は医者の娘でしたが、子供の頃両親を亡くして、その後は苦労して育ちました。
弥太郎は、少年時代は一人っ子として育ちましたが、16歳のとき、弟の弥之助が生まれました。
弥太郎が19歳で東京に出るまでの3年間は、この弟、弥之助といっしょに暮らしました。 -
弥太郎は後にこの弥之助に社長の座を譲り、弥之助が三菱の二代目の社長になります。
三代目は弥太郎の息子で、四代目は弥之助の息子です。
ということは、この岩崎家は、お互いに仲が良く、厚い信頼関係が築かれていたということになります。
私の父が三菱に勤めていた頃は、家族のための車内旅行があって、毎年、十数台の観光バスを連ねて、潮干狩りとか海水浴とかに行っていました。
今、思うに、社員の家族を大切にするような三菱の社風は、この頃の岩崎家に起因していたのかも知れません。 -
生家を出た後、途中の特設のショップで弥太郎の伝記を記(しる)した本などを買って、車に戻りました。
その後、近くの旧武家屋敷跡を見学してから、安芸市立歴史民俗資料館に向かいました。 -
資料館の入り口には、このような実物大の弥太郎が立っていました。
漫画ではこのようなりりしい顔立ちに描かれていますが、写真などを見ると、もう少し人の良さそうな善良そうな人物だったようにも思えます。
でも芯(しん)はしっかりしていて、大志を抱いていたのかも知れません。
この写真は館を見学して出てきたときに撮ったものです。
土佐(高知県)は、江戸時代は関ヶ原の合戦などで手柄(てがら)を立てた、山内一豊とその子孫が治めていました。 -
この一豊の物語も昔、NHKの大河ドラマでやっていたような記憶があります。
いつかそれを見たいと思っていましたが、思うだけでまだ見ていません。
戦国時代、山内一豊が信長軍の一員として、越前(福井県)で朝倉軍と戦ったとき、敵の矢が飛んで来て、一豊の左ほほにガン、ガガッと突き刺さりました。
その矢は左頬(ほほ)から口の中を貫いて右の奥歯まで刺さっていました。
一豊は家来にそれを抜いてもらいました。
そして何と、そのときの矢がここに展示してありました。 -
歴史民俗資料館を出た後、同じ安芸市にある”こころざし社中”を訪ねました。
ここは、NHKの大河ドラマ”竜馬伝”に合わせて開設されている臨時の展示館です。
”社中”というのは、会社とか仲間の集まりというような意味のようです。
この”社中”という言葉を初めて使ったのは坂本竜馬たちで、長崎の亀山というところに”亀山社中”という会社を作っていました。
展示館の中は、岩崎弥太郎の”こころざし”をメインテーマとして、その他竜馬伝に関することがパネルなどで解説してありました。 -
”こころざし社中”の見学を終えて、次は、岩崎弥太郎の銅像を見に行くことにしました。
そこに向かっていると、丘の上を黄色い電車が走って行くのが見えました。
ここ安芸市は阪神タイガースのキャンプ地なので、それを宣伝するためにこの電車が造られた(色を塗られた?)ようです。
来るときも目撃して、写真に撮ろうと思って追いかけましたが間に合いませんでした。
今度も少し追いかけましたが、道が入り組んでいて追いつけません。 -
まただめかとあきらめかけたそのとき・・・
おお、電車が駅に停まりました。
チャンスです!
先回りして適当なところに車を止めた後、10mほどの急な土手を登って行きました。
土手の上の線路に出ました。
近年、”撮り鉄”と呼ばれる鉄道撮影マニアが増えていて、ときおり列車の運行の邪魔(じゃま)になるということがよく話題になっていました。 -
そして何とこの状況では、今私は正にその撮り鉄そのものです。
こんなところにいたら運転手さんの気を煩(わずら)わせてしまうかも知れません。
でも、ここ以外にこの電車の写真を撮るための適当な場所がありません。
少し後ろめたい気持ちのまましばらく待ってみました。
でも電車は一向に動く気配はありません。
仕方がないので、カメラをズームにして、そこからこの写真を撮って、土手を降りました。 -
実際にはこの像は、こんな感じで建っています。
その後、パンフレットの地図を見ながら車で銅像を探しました。
入り組んだ道を走りながら探しましたがなかなか見つかりません。
カーナビでそれらしいところをセットして探すと、ようやく何とか探し当てることができました。 -
大人物の銅像です。
-
立派です。
-
迫力があります。
12時半になりました。
そろそろ昼食をとらなければなりません。
でもここでは何を食べたらいいのでしょうか?
”こころざし社中”でもらったリーフレット(ちらし)の中に、たくさんのちりめん丼(どんぶり)の店を紹介した地図がありました。
どうやらこの辺りは、ちりめんじゃこの産地のようです。
ということで、昼食はちりめん丼に決まりました。 -
案内パンフの中から一番よさそうな一軒を選びました。
その店は来るときに通ってきた国道55号線沿いにありました。
そこに向かう途中にきれいな海が見えました。
太平洋です。
車を停めて降りてみました。 -
ポーズを決めてみました。
-
目的の店は、カーナビにパンフレットに載(の)っていた住所を入れて探しましたが、そこにそれらしいものはありませんでした。
確か少し手前にそれらしいところがあったなと思って戻っててみると、やはりそこがそうでした。
どうやら最近になって移転したようです。
そこは公設の市場のようなところでした。(写真)
そしてそこで、無事に目当ての丼を注文することができました。 -
ちりめん丼(生卵付)400円と、じゃこコロ(じゃこコロッケ)2個100円を注文して食べました。
どちらもとても満足できました。 -
ここ安芸(あき)市は阪神タイガースのキャンプ地なので、そのキャンプ地へ行くための案内を度々(たびたび)目にしました。
そのためここを走っていると、どうしてもそこへ立ち寄らなければならないような気持ちになって来ます。
行かないと心残りがしそうなので、行ってみることにしました。
案内表示に従って、山手の方へ登っていくと・・・
おお、練習用のドームがありました。 -
グラウンドはこの上のようです。
(先ほどのドームはこの写真の右です。)
グランドがありました。
どうやら観覧席の中に入れるようです。
さっそくそこに車を停めて、中に入ってみました。 -
この写真の右の方から入って、1塁(るい)側の観覧席を通って、ここまでやって来ました。
そしてこの後ろは・・・ -
このように、報道陣の取材用の建物があります。
この中から練習の様子を観察して、その記事がスポーツ新聞などに書かれるようです。 -
向こうに太平洋が見えます。
こんなところだと、気持ちよく練習ができるでしょう。 -
この建物に張り紙があって、何か書いてあります。
(前の写真の左側にあります。) -
どうやらここは選手用の食堂のようです。
阪神タイガースの選手たちは、練習の途中にこの中で昼食をとるようです。
おそらく歴代の有名選手たちも、皆ここで食事をしていたのでしょう。
(とそのときは思い込んでいましたが、今よく読んでみると、食堂はここではないようです。) -
これがバックネットです。
この後ろ(写真の右上)に先ほどの報道陣用の建物があります。
選手用の食堂(←と思い込んでいた)はこの写真の後ろ側です。
さあ、車に戻ることにしましょう。 -
この1塁(るい)側の観覧席を通って、戻って行きます。
時刻は1時半です。
この後、さらに西にある、中岡慎太郎(しんたろう)の生家に向かいました。
中岡慎太郎というのもよく聞く名前ですが、どんな人物で何をした人かはまったく知りません。
幸い、同行している元同僚が歴史に詳しいので、訪ねてみました。
するとどうやらこの人も、坂本竜馬とまったく同じようなことをした人だということでした。 -
10数km走った後、途中から山道になって、どんどん山の中に入って行きました。
そしてその山の中に、中岡慎太郎記念館がありました。
(この写真は慎太郎の生家で、記念館ではありません。)
かなり時間を費やして、もう夕刻になっていましたが、まだ記念館は開いていました。
そこはそれなりの広さがあって、展示物も充実していました。
こんな山の中にこのような立派なものがあるということは驚きでした。 -
記念館を出た後、中岡慎太郎の生家もまだ開いているということだったので、急いでそこに向かいました。
生家は記念館の下方、100mほどの所にありました。
この1つ前の写真がそうです。
近くにこのような銅像もありました。 -
この銅像を見る限り、慎太郎はかなり実直そうな人のようです。
でも芯(しん)は強そうで、龍馬よりもこの人の方が、融通(ゆうずう)がきかない頑固者というような感じがします。
実際の人物もこの銅像のような人だったのでしょうか? -
生家の門を潜(くぐ)りました。
江戸時代末期の家ですが、こんな家は昭和の時代にも、どこでもごく普通にありました。
(ずっと後で知りましたが、これは40数年前に復元されたものでした。)
家の中には誰もいません。
どうやら自由に見学してもいいようです。
さっそく、中に入ってみましょう。 -
家の中はこんな感じです。
-
銅像や肖像(しょうぞう)画があります。
同行の元同僚によれば、この慎太郎も龍馬と同じ業績を上げているのだから、もっと評価されてもいいのにということでした。
なぜ龍馬だけが有名になるのかと思ってあれこれ考えてみると、やはり龍馬は手紙などをみても、人間臭いところがあって、それが人を引き付ける魅力(みりょく)になっているのかも知れません。 -
土間と囲炉裏(いろり)です。
この囲炉裏を囲んで、焼き物やなべ物を食べると当時の風情が味わえそうです。
生家を出た後、高知に向かいました。
時刻は5時を回りました。 -
中岡慎太郎の生家から下って来たとき、少し妙な風景に出合いました。
今は8月の終わりなのに、もう稲刈(いねか)りが行われているようです。
少し黄色いイネや、まだ緑色のイネやらがあって・・・
あれ? まだ短いものもある・・・
おお、これはずっと昔、学校で習った”高知の二期作”ではないだろうか?
おおお、きっとそうに違いありません。
ということで、それを見たということで、車から降りて写真 -
を撮りました。
今、これを書きながら”高知の二期作”について調べてみると、昔は盛んに行われていたけど、今はほとんど行われていないようです。
そして、今は、同時期に稲刈りと田植えをする負担を避けて、刈り取った株後(かぶあと)から自然に生えてくる稲を育てているようです。
この写真の手前のがそれなのかも知れません。
なるほど、水を引いて田植えをした様子はありません。 -
その後、通ってきた国道55号線をひたすら西に走って、高知に向かいました。
どんどんどんどん走りましたが、次第に日が沈んで来ました。
予定では、今日はもう高知を出て、夜中に家に帰ることにしていました。
でも、かなり西の方まで走って、いろいろと見て周ったので、肝心(かんじん)の龍馬関係のところは、まだどこも訪れていません。
また、機会があれば来ようか、どうしようかと迷った挙句(あげく)、結局高知で泊まることにしました。 -
パンフレットに出ている適当な宿を探して、電話してみると、運よく部屋が空いているということでした。
さらにラッキーなことに、身障者用の部屋が空いているということで、格安料金で泊まれるということでした。
ようやく高知に着き、宿に到着しました。 -
十分に広くて清潔そうな部屋でした。
荷物を置いて、さっそく食事に出ました。
夜の高知は初めてです。
あしらぁは高知弁はしゃべれんが、ほれっちゃあ旅の風情ながで、てき平気やか。
(↑これは”土佐弁変換よさこい龍馬(http://www.roy.hi-ho.ne.jp/ken_jun/)”で変換しました。) -
宿は県庁の近くです。
どりあえず繁華街の方へ向かうことにしました。
まずは宿のフロントで聞いていた”ひろめ市場”に行ってみました。
なるほどここは、屋台村のような風情のところで、面白そうです。
八戸(はちのへ)や弘前(ひろさき)、函館(はこだて)なんかにもこのようなところがありましたが、ここはそれよりもずっと広くて、大勢が座れます。
それでも席はほとんどいっぱいでした。 -
それにどの店もかなり高めだったので、ここで飲むことはあきらめました。
少し歩き回って、夜の高知の雰囲気を楽しみました。
地方都市とはいっても安く飲めそうなところもたくさんありました。
何件か覗(のぞ)いて、検討した後、地元の人が行くような居酒屋風の店に入りました。
何を注文したかは覚えていませんが、心地よく酔っ払って、それなりに盛り上がって上機嫌になりました。
店を出た後、今度はほろ酔い気分で街を見て歩いた後、 -
そのままカラオケ店で、ノリノリで踊(おど)ったりしながら歌った後、宿に帰りました。
部屋は身障者用だったので、風呂なんかも車いすが入れるような仕様になっていました。
明日は、いよいよ龍馬所縁(ゆかり)の場所や展示館を周ります。
明日が楽しみです。
(2 http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10541922/ に続く)
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