1987/08/04 - 1987/08/07
12353位(同エリア28206件中)
botaさん
台湾の同業者が面白い事やっている様なので見に行こう、私の仕事の全国グループ(と言ってもメンバーは数十人)結成十周年を記念して、真面目な視察に行く事にした。
参加者は15名ほど、夫婦や親子が数組居る。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 鉄道 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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-
空港は羽田からJALの子会社、名前は忘れたが当時は日本航空の名前では台湾へは乗り入れ出来なかったらしい。
空港到着時間は忘れたが、台北への高速道路で奇麗な夕日が見えた。
翌日は台北市内観光、私は二度目なので前に行った所ばかり、これが最後の海外旅行かも知れないと思うと、別な所へも行って見たいが一人では自信が無い(あの頃は毎年海外へ行ける様になるとはとは思いもしなかった)
夕食時メンバーを誘ったが初めての人ばかり、一日のガイド料を聞くと金額は忘れたが思ったより安い、明日はガイドを頼み別行動をしよう。 -
朝ガイドとロビーで会い、私の希望を伝える。
私の条件は、普通電車か路線バスで有名で無い何所か小さな町へ行く、ただそれだけ。
ホテルから台北駅までタクシーで、このタクシーは仕方がない。 -
景色は日本と同じような田園風景だが建物が違い、外国を走っている実感がわいてくる。
日当たりの良い斜面に小さな家のような建物が見える、あれはお墓だそうだ。 -
桃源駅に到着、希望した町より良すぎると言うと、ここからバスでもう少し奥へ行くとの事、
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地下通路で駅裏へ、通路には店が並んでいるが良い物は無い、台湾に居る事を益々実感。
駅前と違い駅裏は田舎町だ。 -
希望どおり路線バスで大渓鎮へ、バスは結構混んでいて立ったまま、道路もかなり混んで居た。
大渓鎮は結構大きな町だづ、台湾の雰囲気満点、思った以上に満足できた。 -
肉屋さんはもちろん冷蔵庫も無く氷も無い、30℃は超えているから大丈夫、余計な心配。
同業者が二軒有り、その一軒を皆に先駆け視察、このお店翌日行った台北市内の店より良い仕事していた。
ここからはタクシーでしか行けないからと、ガイド氏は私を置いて50メートルほど離れたタクシー会社へ、置いてかれたら僕お家に帰れない、一人残され自力では台北には帰れない、日本から遠く離れた外国にいて自分では何もできない事に初めて気が付く、間もなくガイド氏も乗った車が私の前へ停まる、当り前の事がすごくうれしい。
なぜ私は置いてかれたのか、この辺りのタクシーは外人連れだと四五倍の料金を吹っかけられるので、料金の交渉に行ったのだって、運転手の悪口で少し盛り上がるが、日本語で話しているから、運転手には解らない。 -
着いたのは小人国、北京紫禁城や台湾の有名な建物、日本のお城や五重塔まで有り、精巧に出来ている。入場料は子供や学生割引のほか兵隊割引が有るのが日本と違う。でもこのテーマパーク、駅からのバスは無く、タクシーか自分の車でないと来られない、金持ちしか来ないからバスは必要無いらしい、売店も金持ちは買わない台湾のお菓子は無く、日本のスナック菓子しか置いてなかった。
公園を出るとガイド氏が、ここ気に入らなかっただろうと言う、良く出来ていて素晴らしかったよと言うと、そんな事無い、今まで写真沢山写していたのにここに入ったら写していない、だって、帰って見ると料金表とお城しか写って居なかった。私には珍しい物しか写さず、見た事が有る物は写さない傾向が有り、旅行記作って居て写真が足らない事が多い。 -
それならと、一番田舎の田んぼの有る村へ連れて行ってくれ、待たせておいたタクシーの運転手がガイド氏に、他に良い所いっぱい有るのに何でこんな変な所へ連れて行く、お前はおかしいと言われるが、俺が変わり者なんだよね。
細い山道を走り小さな村に到着、古びた民家で入って行く事をためらって居る私に、この時間は農作業に出ていて誰もいないから、覗いて来いとガイド氏、恐る恐る入口を覗こうとしたらドッキリ、おばちゃんが顔を出した、ビックリしたが写真だけ写して逃げ帰る、おばちゃんごめんなさい。
ガイド氏は私のあわてた様子に大笑い、この辺りの人たちは良い人ばかりだから、そんなにあわてず、にっこり挨拶すれば良いんだって。 -
覚悟をきめて幾つかの家を覗いて見る、この家は結構お金持ちかな。
小さな家の中を覗いて見る、台所・居間・寝室の三部屋、台所と居間には入口が有るが、ドアは全面では無く、おばちゃんがいた家と同じ胸までの簡単なもの、暑い国だから普段は涼しくて良いだろうが、台風の時どうするのかな。
居間は真ん中、左が台所、右が寝室、さすがに寝室を覗くのは遠慮した。 -
この頃はもちろん、旅行記で他人に見てもらう機会が有るとは思わなかったので、見た物だけを写していたため、村の全景が分かるような写真を写して無くて、今見ると自分で見ても思い出せない所が多いので残念です。
この家はお金持ち、コンクリの三階建てで野菜を洗う場所も有る。 -
ほとんどの家の道や庭はコンクリで舗装されている。
ピーナツを干している所。 -
小さな雑貨屋の裏庭にこのようなトラックが置いて有る、この時はすごく珍しかったが、東南アジアでは良く見かける。
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帰りのタクシーでガイド氏が、ここは台湾でも所得が低い所、台湾全部がこんな所だと思ってくれるなと言うが、窓から見える家は立派な建物も多い。
初めての海外自由行動、思った以上に大成功、まだ二日目なのに、このまま日本へ帰っても良いと思うほどの満足感だった。
桃源に戻り台北行きのバスに乗る、これで台北の何所に着いても、ホテルまで一人でも帰れると思うと、緊張の糸はプツンと切れ、壊れた座りずらいシートでも、気持ち良く眠ってしまった。 -
ホテルに帰り皆と合流、幹事が調べた結構立派なレストランで夕食だったが、屋台料理も食べたかったので腹五分目で我慢、前に来た時食べた牛肉の漢方スープのラーメンが忘れられず、似たようなのを頼んだが、味は前に食べたスープの方が美味しかった。
すっぽん料理店を見つけ入って見たが、口に合わなかった。 -
三日目は今回の旅行の本命、三か所の店を見学、規模も設備も素晴らしかったが、大渓鎮のお店に勝る技術レベルでは無かったので少しガッカリだった。
この建物はガソリンスタンドです。
街を移動中、透明人間発見、靴を履いたこの人、壁に何かを書いていた。 -
夕食はやはり幹事が探したロータリー交差点に有る屋台街、かなり大きな屋台だが数年後には立ち退きになると言って居てから、今は無くなって居るだろう。
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店をぶらぶら見て居ると「それ美味しいですよ」テーブルに座った人が声を掛けてくれた、あれ日本語、美味しいと言われた春巻のような料理を買い一所のテーブルへ(写真右の男性)きれいな標準語だから日本人営業マンかと思ったら、台湾生まれの台湾人、私たちが来た時から気づいて居て、日本人はこの店ではほとんど見かけない、食べる物が好きなのだろうからと、お勧めの海鮮料理店を数件メモしてくれ、台湾の良い所を色々教えてもらったが、明日は帰る日、二日前に会いたかった。
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食後華西街観光夜市へ、商店や食べ物屋さんが並ぶ商店街。
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蛇の生き血を取る実演をしている漢方薬店、日本人にはとても手が出ない、不思議なものを売って居るお店など、観光夜市と言っても地元の人が多く、台湾のパワーを味わえる場所だ。
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最終日は午前中のフライトで羽田へ、旅行中食べる物にはかなり気を付けていたが、最後の夜をカラオケ屋さんで満喫しすぎ、暴飲暴食が祟り腹の調子が悪く、苦しい思いをしながらも、何とか家にたどり着く事が出来た。
旅行記を作って居て、写真が有る所は二十年以上たって居るのに、還暦過ぎた頭でも、鮮明に思い出す事が出来たが、他はほとんど思い出せない、写真の有りがたさをあらためて実感した。
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この旅行記へのコメント (7)
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- aty-kohhyonさん 2019/07/25 23:55:07
- 桃源駅
- 桃源駅では無く、桃園では?
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- わんぱく大将さん 2011/02/09 02:57:10
- 日本の昔のような。。。
- botaさん、今日は。ご訪問有難うございます。botaさんが台湾に行かれた時は、私もそう、20代半ばのような。。その後、私も仕事で台湾に行きましたが、なんか、昔の日本のような感じで、懐かしく思いましたよ。
お写真、気にいってます。 大将
- botaさん からの返信 2011/02/09 10:55:00
- RE: 日本の昔のような。。。
- 大将さん 書き込みありがとうございます。
> 私も仕事で台湾に行きましたが、なんか、昔の日本のような感じで、懐かしく思いましたよ。
家に居なければ仕事にならない私にとって、仕事で海外へ行ける人がうらやましくて、タイへ行き始めて12年で11回、すっかりはまって居ますが、12年前タイで無く台湾を選んで居たら、台湾へ通って居たと思います。
桜田家族会? 無知な私・・・奇麗な教会ですね、ついついカット数が増えてしまう気持ち、良く分かります。
ヨーロッパ行って見たい処、いっぱい有るけど、タイからなかなか卒業出来ず、生きてる間は無理かな。
bota
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- oguraさん 2011/02/05 20:24:10
- 24年前
- botaさん
こんばんわ!
私は何してたかな〜?と・・・
かなり前の写真編集ご苦労様でした!
台北は大都会、こんな景色はもう見られないのかな〜と深く考えさせられる写真でした。でも今はタイのマイペンライになってます。
では近場の旅行記もよろしくです!
南アルプスの雪渓など・・
- botaさん からの返信 2011/02/10 16:35:32
- RE: 24年前
- oguraさんこんにちは、返事遅くなってすみません。
旅行記って遠くで無くても良いのですよね、地元の写真で旅行記作る事は、思いつきませんでした、考えて見たいと思います。
宇都宮って結構寒いのですね、今日のNHKラジオで視聴者が−4℃と言うメッセージを読んで居ました、こちらは数日少しだけ暖かでしたが、今朝は−2℃でした。
-
- dashxさん 2011/02/04 00:39:30
- 旅の原点のような
- botaさん、こんばんは。
昔シリーズ第2弾は台湾なんですね。写真を拝見する限り、その頃の台湾
の方がアジアっぽいと言うか、私の抱いている台湾のイメージに合うよう
に思います。外国って感じがあります(笑) 今の台北って、東京や大阪と
あまり変わらなく、日本にいるような錯覚に襲われましたから。当時の
方が国としても個性も強かったような。
何気ないその国や地域の日常を切り取る文化人類学的なbotaさんの旅は
このころに始まったのでしょうか? botaさんの旅の原点を垣間見たような
気がします。ガイドさんが車の交渉に行ってしまった間は全くの異空間が
botaさんを取り巻いていた時間ですよね、多少の不安感はあるにしても
結構その瞬間を満喫されていたような気がします。
それにしても写真の色合いがいいですね〜。デジタルでは出ない何とも
言えない味わいを感じます。
多分botaさんが搭乗されたのはJAA(日本アジア航空)と思います。CAの
制服はグレーじゃなかったでしょうか?
- botaさん からの返信 2011/02/04 18:53:49
- RE: 旅の原点のような
- dashxさん今晩は。
旅行記に書くのを落としてしまったけど、今の旅の原点はこの時の経験からです。
月に初めて立った飛行士が奇麗な地球を見て、あそこへほんとに帰れるのだろうかと、心細い思いをしたのではと、あの時頭に浮かびましたが、この経験から旅はスケジュールどうりに動くのでは無く、行って見なけりゃ解らない、多少のトラブルは有っても挑戦してみようと、4トラのプロフィールを「小さなトラブル」にしました。
>今の台北って、東京や大阪とあまり変わらなく、日本にいるような錯覚に襲
>われましたから。
その思い1983年にシンガポールへ行った時感じましたが、台湾へ初めて行ったのが81年、その時に比べると、着ている物はかなり良くなり、車も新車を見かけるようになっていました。
ガイドに聞くと7年前に比べると、かなり変わったが、特に肉が食べれるように成ったと言って居ました。
> それにしても写真の色合いがいいですね〜。デジタルでは出ない何とも
> 言えない味わいを感じます。
最近のデジタルは銀塩に比べ良い所が多いけど、写真の調子はフィルムの方が滑らかだと、私も思います。
> 多分botaさんが搭乗されたのはJAA(日本アジア航空)と思います。CAの
> 制服はグレーじゃなかったでしょうか?
制服は忘れましたが、確かに日本アジア航空でした。
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