![まだまだお正月気分の6日は小寒とあって、早朝はかなり冷え込みましたが、陽が上るに連れて段々と穏やかな日和となっていきました。<br />今まで東京にいながら、高尾山には登ったことがなかったので、行ってみることにしました。<br />ネットでみると色んなコースがありそうなので、とにかく山頂で決めようと出掛けました。<br />山頂はかなり混んでいて、富士山も雲で半分隠れていたので、城山方面へ。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/53/52/650x_10535287.jpg?updated_at=1294625383)
2011/01/06 - 2011/01/06
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belleduneさん
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まだまだお正月気分の6日は小寒とあって、早朝はかなり冷え込みましたが、陽が上るに連れて段々と穏やかな日和となっていきました。
今まで東京にいながら、高尾山には登ったことがなかったので、行ってみることにしました。
ネットでみると色んなコースがありそうなので、とにかく山頂で決めようと出掛けました。
山頂はかなり混んでいて、富士山も雲で半分隠れていたので、城山方面へ。
- 交通手段
- 私鉄
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新宿から京王線で高雄まで来るのとJRを使うのでは、随分料金が違うんですね。JRは高いですよね。
行きはJRで、帰りは丁度準急が来たので、京王線を使いました。
京王線の高雄口駅から2、3分歩くと、ケーブルの清滝駅があります。
ケーブルカーもみじ号です。約31度の傾斜角度は日本一だそうで、つかまっていないと倒れてしまいます。 -
ケーブルを降りて、薬王院へ行く道には多くの句碑が建っていました。
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薬王院への参道はここで二叉に分かれます。
左は男坂、右は女坂。
左の男坂には一〇八の石段があるので、体力のない方は右へ。 -
北原白秋の句碑がありました。
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四天王門
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右の薬王院へは帰りにお参りすることにして左へ行きました。
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福徳弁財天が祀ってあったので、ちょっとお参りすることに
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この弁天洞は、腰を屈めて行かないと頭を打つけてしまいます。
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15分ほどで山頂に着きました。相模原方面の眺望です。
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山頂はかなり混んでいて、まだお昼御飯には早いので、少し歩くことにしました。
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まず5号路の山頂ループコースへ
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こんな感じの道で余り面白くなかったので、城山のほうへ行く道へ。
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陣馬山コースは富士山が見える方向です。
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この休憩所の向こうに富士見台がありましたが、あまりよく見えませんでした。
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方向を示す立て札が沢山あり、迷うことはありません。私は一丁平へ行きます。
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この辺りまで来るとあまり人がいないので、静かに散策できます。
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ここで、大垂水峠か城山かどちらへ行こうかと考えている時、大垂水峠方面から戻って来た方がいらっしゃったので、お訊きしました。で、まず一丁平へ進み、時間があれば大垂水峠へ行ってみることにしました。
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一丁平で持って来たお握りを頂きました。こういうところで食べると、何でも美味しいですね。
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富士山が肉眼ではっきり見えました。逆光なので写真ではあまりよく見えないと思いますが。初めての高尾山から富士山が見れて幸せです。
今年は幸先が良いかも! -
城山方面です。
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小仏峠へ
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富士山がよく見えましたが、逆光だったため、残念ながら写真では見えませんね。
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城山到着。
皆さん富士山を見ながら、茶店で食事をなさっています。 -
陣場山までは高雄山から5時間コースとネットで出ていたので、今日はここで戻り、大垂水峠方面へ行ってみます。
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久し振りに見た霜柱です。
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帰りには、ちょっと雲が出ていて富士山も少しだけ見えました。
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白樺の木が1本青空に映えて綺麗です
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ここから一丁平へは戻らずに、大垂水峠へ。
この道を行く人は殆どいないらしく誰とも出会いませんでした。 -
午後になると日陰は少し寒くなってきます。
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この道は車が通れる整備がしてあり、大分歩いて行ったのですが、雲が増えて来て、寒くなったので、峠まで行かずに途中で休憩して戻りました。
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高尾山頂へ戻ります。
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車の通らないこういう道が良いですね。
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やっと山頂に戻って来ました。
朝11時頃に来た時と同じ山頂から相模原方面を撮ってみました。
今は午後3時前です。 -
行きは薬王院を通らないで、裏道を行ったので、帰りにお参りします。
まず薬王院有喜寺不動堂です。 -
飯縄権現堂
三間四面のお堂に廻り縁を付け、組物、彫刻などに、彩色が施され、江戸時代中期の社殿建築として、優れた技術が現れているそうです。 -
鮮やかな色使いです。
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鱈の建立は、天平16年(744)に行基が勅令を奉じて、本尊薬師如来を安置したことに始まるとされていますが、後の永和年間(1375〜1379)に沙門俊源が飯縄の神を安置して中興し、これによって高尾山の信仰が広められたと言われています。
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権現堂の本殿は、享保14年(1729)が建立され、拝殿、幣殿が宝暦3年(1753)に再建されました。文化2年(1805)の修理の際、独立していた本殿と幣殿が連結されて権現造りと形式になりました。
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権現堂の左隣には、福徳稲荷がありました。
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手前は、飯縄大権現です。
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その横に、天狗社があり、大きな下駄が祀ってありました。多分天狗の履いていた高下駄でしょうか。
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権現堂から石段を下りて、大本堂へ
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薬王院大本堂です。
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行基の像
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薬王院大師堂
延宝5年(1677)薬師堂が炎上した際に、類焼し、その後江戸中期に再建されたと推定される。 -
天狗の団扇を売っていました。災いを追い払うという。
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仁王門を下りてきました。
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これは、四天王門の四天王の一つ、広目天です。
軸と筆を手に持ち、澄んだ眼差しで、広く見る目でしっかりと大きな社会を守ります。 -
多聞天は、宝塔槍を手に持ち、素直に耳を傾ける。福徳たちまち集まって、豊かな社会を守ります。
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増長天は、剣を手にして、勇ましく、無数の鬼を懲らしめる。奢れる心を打ちのめし、安らかな社会を守ります。
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持国天は、鎧、兜に身をかため、鋭い独銛を光らせる。心の悪魔を打ち砕き、清らかな社会を守ります。
こんな四天王がいつもいれば、心強いですね!
失業者が増える一方の世の中、何とか景気が回復しますように。 -
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