2011/01/04 - 2011/01/04
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belleduneさん
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2年前に初めて浅草七福神巡りをしました。浅草はかなり距離があり、全て廻り終えた時には足が棒のようになってしまった記憶があります。昨年は谷中七福神巡りにしてみました。
さて、今年はどこにしようかと色々検索した結果、スカイツリーの見える隅田川七福神巡りにしてみました。
3年前から地下鉄銀座線の浅草駅では月に2,3回ほどボランティアをしているので、浅草界隈は詳しくなりましたが、東武線沿線、京成線沿線はまだ行ったことがなかったので、浅草駅から歩き始め、最終の多聞寺で折り返して再び浅草駅まで帰ってきました。こちらは寺院間の距離が余りなかったので、10時半過ぎに出発して、途中墨田神社へ寄り道しましたが、午後1時には多聞寺に到着しました。
百花園は今日から開園だったので、人手がまずますのようでした。初めて訪れたところばかりだったので、各所で手を清めて、お参りして来ました。
隅田川(向島)七福神巡りは、江戸後期・文化、文政年間(1804-1830)に佐原鞠塢(きくう)が開いた向島百花園に集う大田南畝、亀田鵬斎、加藤千蔭、酒井抱一らの文人によって始められました。現在墨田区の無形文化財に登録されています。
墨田川七福神に関しては諸説ありますが、元明元年(1781)頃、弘福寺布袋尊、同4年頃に白鬚神社の寿老神が大田南畝によって選ばれ、文化元年(1804)に百花園が成立した後、その他の五神が南畝を中心に同園に集う文人達によって定められたとするのが、妥当だそうです。
三囲神社 向島2−5 (恵比寿、大黒天)
弘福寺 向島5−3−2 (布袋尊)
長命寺 向島5−4−4 (弁財天)
白髭神社 東向島3−5−2 (寿老神)
向島百花園 東向島3−18−3 (福禄寿)
多聞寺 墨田5−31−13 (毘沙門天)
- 交通手段
- 徒歩
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吾妻橋にあるボート乗り場も綺麗になって輝いています。
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枕橋から見たスカイツリーです
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旧水戸藩下屋敷「水戸徳川家小梅邸」は、江戸時代、水戸藩の蔵屋敷として使われていましたが、明治維新後、一時上げ地となりました。その後下賜され、水戸徳川家当主が関東大震災で全壊するまで代々ここに住んでいました。
以後、墨田公園に取り込まれ、邸内の池(当時の汐入の池)等の遺構を活用して日本庭園とされています。この一角に堀辰雄の住居跡もあります。 -
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汐入の池
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三囲(みめぐり)神社
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三囲神社は昔、まだ田圃のなかの稲荷という意味で、「田中稲荷」と呼ばれて、お百姓さん達によって崇敬されていました。
元禄6年(1693)に酷い干ばつがあり、小梅村のお百姓さんが三囲神社に集まって雨乞いをしていました。そこへお参りに来た宝井基角がその様子を見て、次のように詠みました。「遊ふた地や 田の見めぐりの 神ならば」
その翌日雨が降ったということです。 -
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三つ穴灯籠
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三囲神社の祭神は、宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)です。
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この神社を三井家が守護守として崇め、三越の本支店に分霊を奉祀しています。
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恵比寿、大黒天がお祀りしてあります。
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老翁老嫗の石像
三囲稲荷の白狐祠を守る老夫婦がいて、祈願する人が老婆に頼み、田圃に向かって狐を呼んでもらうと、狐が現れてその願いを聞き入れ、またどこかへ姿を消したという。他の人が呼んでも決して現れなかったということです。
其角が「早稲酒や 狐呼び出す 老が許」と詠んでいる。老婆の没後、信仰者らがその徳を慕って、老夫婦の石像を建てたと伝えられています。 -
白狐祠
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老翁老區の石像の左にその白狐が祀ってあります
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三角鳥居は三井邸から移築したものです。原型は京都太秦の木島神社にあります。
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少し下から見ると三角になっています。
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明治7年に建立された三井家先祖を祀る顕名零社は、平成6年にここへ移築されました。
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江戸時代以前の墨堤は牛御前と呼ばれる牛島神社が示すように放牧や農業を営む地域でした。
江戸時代になり、三代将軍家光の頃から鷹狩りが行われ、徐々に景勝地として知られるようになりました。
八代将軍吉宗の頃の植桜を期に、墨堤は花見の名所として知られていきました。当初、桜は水神社(現隅田川神社)付近に植えられていましたが、1800年代から南へと延伸していきました。桜並木が長命寺、三囲神社、枕橋まで達したのは1880年頃と言われています。 -
黄檗宗弘福寺は三百余年前、名僧鉄牛禅師によって創建されました。
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布袋尊は唐時代に実在した禅僧。常に大きな袋を持ち歩き、貧しい人に施したそうです。その無欲で心が広い人格が世人の尊崇を受け、七福神として敬われました。
真の幸福とは欲望を満たすことだけではないことを身を以って諭した有徳とされています。 -
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天台宗長命寺
三代将軍家光が墨水沿岸で鷹狩りをした際、急病になり、この寺で休息しました。境内の井戸水で薬を服用したところ、直ぐに回復したので、家光は霊感を感じ、長命水の名を捧げました。これによって以後常泉寺は長命寺に改めたそうです。 -
弁財天は天竺の水の神であったので、長命寺に祀っています。
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白髭神社
天暦5年(951年)に慈恵大師が関東に下った時、近江国比良山麓に鎮座する平鬚大名神の御分霊をここに祀ったと社伝の記録に伝えられています。 -
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白髭神社の直ぐ側に日本の近代書道に新風を吹き込んだ書道家・西川春洞、寧の住居跡(東向島3−4)があります。
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東京都立向島百花園
文化2年(1805)に骨董商の北野屋平兵衛(佐原きくうという粋人)が当時の文人墨客の協力を得て梅を多く植えたことから「新梅屋敷」として創設したのが始まりだそうです。明治以後幾度かの洪水で荒廃し、維持が困難となり、昭和14年東京市営の名勝として公開されました。 -
後ろにスカイツリーが見えます。
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福禄寿尊堂
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春の七草が植えられています。
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園内の細長い池は、夏にはハンゲショウが見られるという。
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雪中庵梅年句碑
黄昏や 又ひとり行く 雪の人
園内には、29の句碑がありますが、私はこの句が気に入りました。 -
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明治以来、毎年春の七草を皇居に献上しているそうです。
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墨田神社への鳥居
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荒川の下流、鐘ヶ淵を越えて、大きく曲がったこの地は、隅田川の落ち口(終点)で嘗て鬱蒼とした森が広がっていました。この森を人々から水神の森や浮洲の森と呼ばれていました。
昔、ここから入り江が始まり、海となっていたことから「江の口」即ち江戸の語源ともなったと言われています。
川岸にあった水神社(隅田川神社)の鎮守の森は、川を下ってきた人々には隅田川の入口の森として、また川を上ってきた人にとっては、鐘ヶ淵の難所が近いことを知らせる森として格好の目印となっていました。
戦火は免れたにも拘われず、戦後の開発で森は失われ、墨田川神社も100mほど移されて現在地に鎮座しました。 -
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墨田神社の中に、亀の形をした石が祀ってありました。
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白梅が可憐に咲いています。
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少し離れている多聞寺に到着しました。
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正面に見える山門は、江戸中期、慶安2年(1649)に造られた墨田区内最古の建造物ですが、焼失し、明和9年(1772)に再建されたそうです。
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建立当時は切妻造りの四脚門、朱塗りの瓦葺きでいsたが、享和3年(1803)の火災、安政2年(1855)の大地震で被害を受け、茅葺きにされました。
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全体に簡素な造りで、控え柱等に禅宗様手法が見られます。
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六地蔵座像
高さは150cm程で、安山岩の四石から成っています。利慶が願主となり、7年間に亘って、墨田村内の地蔵講結衆の二世安楽を願って建立されました。制作は、正徳3年(1713)が手前から4体、その隣の2体は、享保元年(1716)となっています。 -
私は、この両手で幡を持っている半座像の顔付きが気に入っています。
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見番通りから見たスカイツリー。見番とは花柳界の組合のこと。
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