1994/12/28 - 1994/12/30
466位(同エリア1700件中)
ひらしまさん
古代からずっと砂漠に立つ巨大なピラミッドを自分の目で見てみたかった。特別な日に朝日が一番奥まで差し込むよう設計されているというアブシンベル神殿に入ってみたかった。
夏に予定したイタリアが催行人員不足で流れた後、冬ならエジプトにしようと十月初めに申し込んだ日本旅行が催行中止になってしまった。冬もやっぱり縁がなかったかと、ほとんどあきらめながら三つまたかけて申し込んだ近ツー、JTB、日通旅行が今度は全部OKになる。
その中から、観光客を狙うテロの危険を考えてバス移動の少ない、そして飛行時間の少ないヨーロッパ経由の日通旅行「マインド」を選んだ。もっともその後、航空会社がエジプト航空に変更になり、一日目は機内泊というエジプト旅行の定番コースになってしまったのだったが。
機内持ち込み用のキャリーバッグを買ったり、スーツケースや湯沸かし器、ドライヤーを借りたりと準備を整え、しかしエジプト関係の本はあまり読めないまま、出発の日を迎えた。
(十数年前に書いた旅行記なので、今読むと違うなと思うところもありますが、それも含めて当時感じたこととして載せてみます。表紙〜2枚目の写真はいずれもカイロの考古学博物館の展示物です)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
第1日。集合時刻の午後2時の20分前に、成田の「マインド」受付に着き、名簿に名前や住所を書く。なんと前の二人の住所が勤務地の市なのに驚き、なんとなく親近感がわく。たばこを吸いますかと聞かれて、できたら禁煙席をと頼む。
しばらくして声がかかり、参加者がなんとなく輪のように集まった。約二十人。年齢は様々で、カップルが多い感じがする。添乗員のAさんは、四十代後半くらいの男性。身振り手振りで話すところがいかにも外国慣れしているように見える。
現地でのスケジュールの変更が話される。ホテルは五つ星中心だが、二泊するシアグ・ピラミッドだけはお湯が出ないなどのトラブルは覚悟してほしいと釘を差される。航空券が配られ、禁煙席だったので大喜びした。
午後4時、いよいよ18時間のながーい空の旅が始まった。
バンコク経由のエジプト航空機。窓側から妻、ぼく、そして若い女性二人連れのうちの一人。もう一人とは前後の席に分かれてしまい、ちょっと気の毒だ。それに18時間を過ごすには隣は女性同士のほうがいいだろうと、妻と席を交替する。
まずは読みかけの朝刊の続きを読む。妻は「ブルーガイド・ワールド」でアラビア語の数字を覚えている。我々の使う「アラビア数字」とアラビア語の数字とは違うのだから驚きだ。これが読めなくてはお金も使えない。
隣の女性は二冊もガイドブックを持ってきていた。なんとなくおしゃべりも始まり、そのBさんから「地球の歩き方」を借り、自由時間の半日でアレキサンドリアへ行くことが可能かどうか調べる。妻がクレオパトラの地に行きたがっていたからだが、カイロから片道3時間。とても無理とあきらめた。
機内での最初の食事は、魚を選んだらうなぎだった。しかも、もう食べられないかと思ったご飯もついていて感激だった。バンコクに着く前にもう一回食事。タイ人らしいスチュワーデスに食事はこれで最後ですかと聞いたら、笑って、まだまだたくさん出ますと答えてくれた。
成田を出て7時間後、バンコク空港に着いた。バンコク時間で9時。出発まで1時間半あり、空港に降りる。添乗員のAさんからは特に指示もなく、ロビーに向かって人波の中を妻と共に歩いているうち、Aさんは見えなくなった。
トランジットロビーと表示されたところにいれば間違いないだろうと、売店をのぞいて時間をつぶしていて、出発30分前になった。「マインド」の皆さんは現れないけれど時間だからと、出てきた廊下を元に戻った。
ところが、出てきた扉はしまっていて入れない。ガラスの向こうには飛行機に戻る人の列が見えるのに。もう一つの扉に急いだが、やはり開かない。係員の英語はほとんどわからないが、UPSTAIRSだけが聞きとれた。でも、階段なんかどこにもない!
顔がひきつってきた。さっきいたロビーまで走って戻る。乗換えの受付らしいカウンターに妻が尋ねるが、妻も焦っているので言葉が出てこない。
「ナリタへ行くのか」と聞かれ、あわててトランジットカードを見せたら、ロビーの奥の階段を教えてくれた。みんなはこの階段を上がって上のロビーにいたのだ。
上の階に駆け上がり、だれもいない廊下を走った。空港の係員のいるところを通るたびに「急げ」というジェスチャーをされる。息を切らして飛行機に飛び込むと、Aさんが待っていて「よかったね」と言われた。ほっとした。
そういえば成田だって到着階と出発階は違う。でも気がつかなかったのだ。これが、この旅行の最初のトラブルだった。
バンコクを立って、三度目の食事の後、持参のアイマスクと耳栓で睡眠の態勢にはいる。耳栓をしてもあのごう音は変わらなかったけれどすぐに寝てしまった。 -
第2日。夜中にふと目が覚めて、窓の外を見て驚いた。眼下に夜景が広がっている。夜景といっても街の夜景ではなく、宇宙基地を思わせるような不思議な光のプロムナードだ。
ここはどこなのだろうか。時計を見るとエジプト時間で午前1時。ではあれはきっと石油基地。ここはイラン上空かなあなどと思っていると、機内のテレビ画面に現在位置が表示された。ペルシャ湾の入り口だった。
午前3時、カイロ空港に到着。バスでロビーに着くと、各団体ごとに集まっているが、わが添乗員のAさんの姿はまだ見えない。隣の席だったBさんたちも、Aさんを探して回っている。そのうちに次のバスでAさんが着いて、入り口付近で説明を始めた。
急いで、奥のほうに行っていたBさんたちを呼び寄せると、彼女たちが「奥にまだ4人います」とAさんに伝えた。ところが、Aさんは意に介さず、説明を続ける。これには驚いた。
遅れて輪に加わったその4人家族のお父さんが怒ったのは、だから当然だった。考えてみれば、バンコク空港で置き去りにされそうになった僕たちも怒ってもよかったのだと、この時になって思った。先行きが不安になってきた。
現地の旅行社トラフコのバスで、未明のカイロ市内を抜け、ギザのシアグホテルに向かう。車内でのAさんの話は、土産物屋に案内しても買うかどうかは自由だから後で高かったとか言わないでほしいといった、予防線を張る話が多かった。
ホテルは、荷物を置いてロビーで休むだけで部屋には入れないはずだったが、交渉の結果部屋で仮眠できることになった。部屋のカーペットにはお菓子のくずが散らばったままだったが、どんな部屋でもありがたかった。眠るほどの時間はなかったが、ゆっくりお風呂に入ることができた。 -
夜明け前、コーランが聞こえてきた。この日から滞在中毎日聞くことになるのだが、拡声器を通して聞こえてくる雑音混じりの声には違和感を覚えた。
夜が明けてくると、ホテルの前のサッカラ街道は、人を大勢積んだトラックやロバの引く車、民族衣装ガラベーヤで歩く人たちなどで活気に満ちてきた。
七時半、朝食のレストランへ行く。朝食はコンチネンタルのはずだったのに、ブッフェである。このホテルだけかなと思っていたら、旅行中ずっとそうだった。
テーブルは8人掛け。前に座った同年輩のカップルは、ご夫婦だと思っていたらそれぞれ一人で参加した人だった。
参加者名簿はできるだけ早くコピーして配るという話だったが、ずっと行動を共にしながら名前も知らないという不思議な関係がこの後も続くことになる。
八時半、バスでカイロ市内に向かう。この日から同行することになった現地ガイドは、ドーダさんというカイロ大学日本語科出身の女性だった。
大学を出て3年というからまだ若いのだが、地味な茶色のベールを被り、もっと年上に見える。驚くほど上手な日本語を話す。 -
考古学博物館に入る前に、ヒルトンホテルでドルからエジプト通貨に両替する。30ドルが101.67エジプトポンド。1ポンドが30円くらいだ。ガイドブックでは日本円は両替できないとあったのでドルを多めに持ってきたのだが、円でも大丈夫だった。
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博物館ではドーダさんの説明で、ツタンカーメンの墓の出土品を中心に見た。
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黄金のマスクやアヌビス像の美しさに、暗さに苦労しながら写真を撮り続けた。でも、広い博物館の中で見られたのはほんの一部だった。
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最後の自由時間は二人で回ったが、小遣い稼ぎなのだろうか警備員が手招きしてフラッシュOKと言うのにはあきれた。もし機会があれば、一日かけてじっくり見たい場所だった。
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次はムハンマド・アリ・モスク。十字軍を破った勇者サラディーンが築いた城塞の中にそびえる19世紀建築のモスク。青い空に2本の尖塔“ミナレット”が鮮やかだ。
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モスクの中は、靴を脱ぎ、車座になってドーダさんの説明を聞く。偶像崇拝を排し、メッカの方角を示す目印の前で繰り返し礼拝する人々。なんでも神様にしてしまった古代エジプトの人たちとは実に対照的だ。
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シタデルから見下ろすカイロの街、ピラミッドまで見えたのはめったにないことだそうだ。
長かった見学を終え、ギザのレストランに向かう。
市内の渋滞はひどい。信号はほとんど無視される。クラクションは鳴りっぱなしで、でこぼこの車ばかりだ。でも交通事故のけが人は少ないという。妻はすっかり車酔いしてしまった。その後は、バスに酔わないよう必ず前の席に座るようにした。
レストランではまず水を注文する。1.5リットルで4ポンド。120円だ。インドのナンみたいなパンが妻は気に入ったらしい。揚げ物が多いが海老がおいしかった。
Aさんが、先進国だったイスラム国家が後進国になってしまっているのは宗教と政治を分離できないからだと批判を展開するのに対し、ドーダさんは弁護に努めていた。
午後は自由行動のはずだったが、土産物屋回り。最初のパピルス専門店では、ドーダさんの後輩という若者がパピルス作りの実演。カイロ大学の日本語科を出ても生かせる職が少ないという、以前読んだ新聞記事を思い出した。
見応えのある絵はかなり高い。妻と一緒にじっくり見比べて、「死者の書」のような絵を一枚買った。31ドル。
次はいわば総合土産物屋。銀細工、金細工、大理石製品などが広いフロアに並ぶ。ここは見るだけ。
シアグホテルに戻り、夕食まで休憩。ピラミッド・ビュー側の部屋に変更するはずだったができなかったと、Aさんから電話があった。彼にしては珍しく素直に謝ったので、こちらも快く了解。
夕食もブッフェだが、紅茶はいかがですかと言われて頼んだら別料金だったので、朝食ではただなのにと意外だった。でも、3ポンド、90円。これならガストより安いから、まっいいかと、みんなで笑った。
部屋に帰って、持参の紅茶を飲もうと湯沸かし器をセットする。ところが全然沸かない。電圧を220ボルトに変えるのを忘れたため、ブレーカーが働いてしまったらしい。取扱い説明書をちゃんと持ってくればよかった。
風呂に入ろうと湯を入れると、湯が黄色い。髪を洗いたかったがあきらめた。翌朝の食卓で経験交流したところではどの部屋もそうだったようで、早朝にきれいなお湯をたっぷり使った我々は幸福な部類だったらしい。
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