2009/10/03 - 2009/10/08
36位(同エリア98件中)
愛吉さん
韓国三都の旅に参加しました。
三都とは、百済の都(扶余)新羅の都(慶州)朝鮮王朝の都(ソウル)です。
それぞれ日本の歴史にも登場します。
日本史を知る上からも一度は訪ねたいと思っていました。
スタートは百済の都からです。
百済は4世紀半ばに朝鮮半島西南部に建国された国で、建国当時から日本と友好関係を保ち、日本に仏教その他、大陸文化を伝えた国です。
660年新羅、唐の連合軍に破れ滅亡しました。 当時の都が扶余でした。
写真は、百済から日本に伝わった弥勒菩薩坐像のレプリカ
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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百済中興の王 武寧王陵を始めとする古墳群、宋山里古墳群の入口。
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入口の文字をクローズアップしました。
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綺麗に手入れされています。
奥の小高いとこが、武寧王陵です。 -
中に入る事が出来ます。
前にある二つの墓は、盗掘が激しく誰の墓か判りません。 -
百済の中心、扶余の鎮山、扶余山への入口の門。
百済の都城のあったこの地には、百済陥落時の、種々な悲劇が今に伝わります。 -
門の扁額
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百済陥落時の悲劇の一つが、百済の犠牲を弔う極楽宝殿の壁に画かれています。
右が馬に乗った唐と新羅の連合軍、中が燃える殿舎、左が崖から身を投げる三千人の官女。 -
三千人の官女が身を投げた崖の上に、今は百花亭が建てられています。
美しい晴れ着をまとった官女達の遺体で埋まった崖下は、あたかも花園の様であったと言い伝えられています。 -
百済の犠牲者の極楽往生を願って建てられた、極楽宝殿。
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百花亭より眺めた白馬江
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山下の船着場には、昔の形の遊覧船が客を待っています。
日本史で習った、白村江の戦は、この川の河口部で戦われました。
白村江の戦い(天智2年8月28日)
百済滅亡の2年後、日本に亡命していた百済の王子に、2万7千の援軍を与え、百済復興戦を戦ったが、唐と新羅の連合軍に敗れた。 -
国立扶余博物館
百済時代の遺物が展示されています。
内部は撮影禁止です。 -
扶余山中で見つかった石仏
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石造りのものが屋外に展示されています。
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こんな像も在りました。
日本の広隆寺にある弥勒菩薩坐像は、百済で作って日本に贈ったものです。 -
百済の古都を後にし光州へ来ました。
新しく世界遺産に登録されたコインドルを見るためです。
コインドルは、青銅器時代の墓の遺跡です。 -
草原の中に点々と巨石が横たわっています。
ここ高廠のコインドルは韓国一の規模をほこります。 -
最近開発されたばかりのようで、道を作成中でした。
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道路予定地を歩かねばなりません。
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長閑な風景です。
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近くには、当時の古代人の村が復元されていました。
これは見張り小屋です。 -
村の中です。
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作業中です。
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