2010/08/02 - 2010/08/25
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mashineさん
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楽聖が生まれた町
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フランクフルトからケルン・ボン方面へ向かう鉄道は2通りありますが、やや遠回りの、いくつもの古城を通り過ぎるライン川景勝ルートを通ることもできます。普通の観光客は船で通るライン川ですが、時間がない人は鉄道の旅もおすすめです。
写真はライン川のハイライト、ローレライ。ローレライとは「妖精の岩」という意味で、岩から水の精が美しい歌声を発して船乗りを惑わせ、船を転覆させるという伝説が残っています。実際、このあたりは急カーブですし、川底も急激に浅くなるので、昔から船乗り泣かせの難所だったみだいです。 -
ボンは1949年から1990年まで西ドイツの首都でした。ドイツ統一後も、ボンは連邦市と規定され、環境省や国防省など、いくつもの官庁がベルリンに移動せず、ある程度の中枢機能を保持し続けています。
写真はボン中央駅。本当に元首都の駅なのか、ってぐらいこじんまりとしている。 -
ボン中央駅から町の中心ミュンスター広場を結ぶ、ポスト通り。ボンは2006年ドイツW杯の際、日本代表の合宿地になっていました。大都市の喧騒とは無縁の、とても落ち着いた町です。
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ボンの名を世界中で有名にさせているひとつの理由は、ベートーベンの存在。ベートーベンはこの町に生まれ、22歳のときに当時の大御所、ハイドンに才能を見いだされてウィーンに移住するまで暮らしました。ベートーベンの父親はアル中で稼ぎは少なく、生活は大変だったみたいです。
写真はベートーベン像で、後ろに写っている建物は郵便局。ボンに郵政省が置かれているせいか、郵便局はやたら立派。 -
ベートーベンの生家。幼少時代のベートーベンは、父親から音楽の才能をあてにされ、過酷なトレーニングを受けていました。
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ミュンスター広場。右に見えるのは広場と同名の教会。朝早かったせいか、祈っている人が多かったです。
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ミュンスター広場から少し離れたところにあるマルクト広場。その名の通り、朝はマーケットが開かれています。
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ボンでもうひとつ有名なものがボン大学。過去の生徒には、フリードリッヒ・ニーチェ、ハインリッヒ・ハイネ、カール・マルクスなど錚々たる人物が名を連ねています。ボンは第二次世界大戦中、72回も空襲を受け、大学も全焼してしましました。写真の校舎は戦後建て直されたもの。
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ボン大学の学生の1/6にあたる5千人が外国からの留学生。過去には新渡戸稲造もこの大学に留学していました。早稲田大学でもドイツ留学を希望すると、この大学に送り込まれることが多いみたいです。
写真は大学内の廊下、トイレだけ拝借しました。 -
ドイツの父ライン川。ヨーロッパ屈指の国際河川で、ドイツ発展を影で支えてきました。具体的には、ドイツ南部のアルザス・ロレーヌ地方(現在はフランス領)で採掘された石炭や鉄を北部のルール工業地帯に運搬することで、ドイツの産業革命が進展しました。歴史的にも、カエサルはライン川をガリア戦争の防衛線にしていましたし、第二次大戦前は、フランスはマジノ線、ドイツはジークフリート線を建設し、有事に備えました。(ケルン・ボンあたりのいわゆるライン・ラントは、第一次大戦後のヴェルサイユ条約で非武装地域になりましたが、ヒトラーは軍隊を進駐させ、国際的緊張が高まりました。)
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