2010/10/26 - 2010/10/26
5156位(同エリア7871件中)
tajiさん
10月26日
17:30 -
★ 首里城(那覇市)
沖縄県那覇市首里金城1-2
http://oki-park.jp/shurijo-park/
首里城正殿外壁の漆塗装の塗り直し作業が正殿正面南側
(御庭から向かって右側)で行われていて収録を断念。
800円で入場し、本殿、北殿を見学。
守礼門でチャイと待ち合わせだが来ず。
その後、ダブルブッキンが発覚し、地獄モードへ。
夕食は歩いて、地元の人に紹介された、松山の『居酒屋野郎・りょう次』へ。
http://www.hotpepper.jp/strJ000598605/
今回の沖縄食事で一番美味しかった。イカスミ焼きそばは絶品。ナス挟み揚げも美味しかった。
日が代わり、チャイの誕生日になり祝う。〜1時間後、ホテルへ帰る。
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
-
木曳門に向かう道にある、首里城跡記念碑
-
ここにも立派なアカギがある。
根っこがすごい -
「下之御庭(しちゃぬうなー)」
「下之御庭」とは、沖縄的表現で「下の庭」という意味。首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る前の広場で、正殿前で行われる様々な儀式の控え場であり、正殿の建築工事の際には資材置場等として使用された。現在は城内でのイベント等の際に利用されている。 -
「広福(こうふく)門」
「広福」とは、「福を行き渡らせる」という意味。「広福門(こうふくもん)」は別名「長御門(ながうじょう)」といい、第四の門である。建物そのものが門の機能をもっており、この形式も首里城の城門の特徴。
門前は城内でも眺めの良いところで、眼前にハンタン山の緑を映す龍潭(りゅうたん)の池や、沖縄県立芸術大学、沖縄県立博物館が見える。東には弁財天堂(べざいてんどう)の屋根や円覚寺の総門が続き、遠くに虎瀬山(とらずやま)や弁ヶ嶽(べんがだけ)の丘の緑が遠望できる。 -
「広福門」から「漏刻(ろうこく)門」を写す。
「漏刻」とは中国語で「水時計」という意味。ここは第三の門で、別名「かご居せ御門(うじょう)」ともいう。
当時、身分の高い役人は駕籠(かご)にのって首里城へ登城したが、高官でも国王に敬意を表し、この場所で駕籠から下りたということからそのように呼ばれている。創建は15世紀頃。 -
奉神門(ほうしんもん)
「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門。1562年には石造欄干(せきぞうらんかん)が完成したという記録があることから創建はそれ以前である。その後1754年に中国の制に倣い改修した。建物は明治末期頃に撤去されたが、1992年(平成4)に外観が復元された。現在は公園管理のための施設として利用されている。 -
有料エリアへ入る、チケット。
800円 -
正殿(せいでん)
残念ながら右部分で補修工事が行われていた。
正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物。
正殿を二層三階建てとすることや装飾化した龍柱は日中にも類例がなく、琉球独自の形式。
首里城正殿の壁等の彩色塗装には、桐油が塗られてる。
下地の一部は漆。 -
御庭(うなー)と正殿・北殿を写す。
「御庭」は首里城の中心部。正面が「正殿」、向かって右(南側)が「南殿・番所(なんでん・ばんどころ)」、左(北側)が「北殿(ほくでん)」で、これらに囲まれた中庭広場の空間を「御庭」という。
年間を通じて様々な儀式が行われた広場で、御庭には磚(せん)【敷き瓦】というタイル状のものが敷かれているが、この色違いの列は、儀式のさいに諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていた。
中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や中国皇帝の使者【冊封使(さっぽうし)】等限られた人だけが通ることを許された。 -
南殿・番所の特別展示室。
ここは撮影禁止なので入り口だけ。 -
南殿から正殿に入ると写真撮影がOKになる。
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正殿に入ると御差床(うさすか)が見えてきます。
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御差床の前には、ガラス張りで下が見え
建設当時の土台が見えるようになっています。 -
御差床(うさすか)
国王が座る玉座。
御差床後の障子戸を開くと、奥に国王専用の階段(おちょくい)があり、
国王はその階段を使って2階から御差床に出御します。 -
御差床左右の柱には龍が描かれ、
そのまわりには雲が配色されています。 -
正殿二階
正殿二階は日常的には王妃や身分の高い女官たちが使用した空間であり「大庫理(うふぐい)」と呼ばれていた。二階の「御差床」は国王の玉座として様々な儀式や祝宴が行われたところ。なお、儀式の際には床の間には香炉(こうろ)、龍の蝋燭台(ろうそくだい)、金花、雪松等が置かれ、壁には孔子像の絵が掛けられていた。部屋の上部にはかつて中国皇帝から贈られた御書(ぎょしょ)の扁額(へんがく)が幾つも掲げられていた。「中山世土(ちゅうざんせいど)」の扁額(へんがく)は古い記録をもとに再現したものである。 -
国王の椅子については、1477年〜1526年まで在位した尚真王の御後絵(肖像画)をもとに再現したもの。
2階にも1階と同じ場所に御差床があるのは極めてめずらしいと言われている。特に2階の御差床は絢爛豪華。 -
王冠
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国王印
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押してもらいたい
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北殿(ほくでん)
南殿・番所 正面 北殿はかつては北の御殿(にしのうどぅん)、議政殿(ぎせいでん)とも呼ばれていた。
創建は1506〜1521年頃とされ、記録によると1709年の首里城の大火で他の建物とともに焼失し、1712年頃再建。
通常は王府の行政施設として機能し、表15人衆(大臣)や筆者、里之子(さとぅぬし)と呼ばれる役人等が働いていた。 -
冊封式典(さっぽうしきてん)の様子
よく出来たミニチュア -
確かに、真ん中の道は国王しか通っていない
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御涼傘(うりゃんさん)
国王が外出する際や、城内外での行祭事などの行列に、荘厳さを演出する為に使われたと思われる、絹張りの大傘。
琉球国王も中国にならってこれを使った。 -
パネル展もある。
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沖縄サミットを行った時に来日した各国の首脳
結構凄いメンバーだ。この北殿で会食をした。
これらに比べると今(2010年11月)、APECで横浜に来日している
首脳は小粒に思える?
棚ぼた森は別だが、、。 -
売店に売っていた、琉球漆の盆。
装飾が綺麗。 -
「右掖門(うえきもん)」からほぼ直線で約160メートルの石畳道が続いている。
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「右掖門(うえきもん)」は眼下に見える歓会門(かんかいもん)、久慶門(きゅうけいもん)から淑順門(しゅくじゅんもん)へ直接通じている門
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久慶門(きゅうけいもん)
「久慶門(きゅうけいもん)」は別名「ほこり御門(うじょう)」ともいう。歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、ここは通用門で主に女性が利用したといわれている。国王が寺院を参詣(さんけい)したり、浦添から以北の地方へ行幸(ぎょこう)するとき等に使用した門であった。創建は1477〜1526年【尚真王代(しょうしんおう)】といわれ、1983年(昭和58)に復元された。
順路の関係から現在は出口専用になっているが、往時は日常的に人々が出入していた門である。 -
久慶門(きゅうけいもん)と城壁
夕日に照らされ美しい -
歓会門(かんかいもん)
首里城の城郭(じょうかく)内へ入る第一の正門で、「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味である。往時、首里城へは中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」が招かれたが、こうした人々を歓迎するという意味でこの名が付けられた。
首里城は外郭(外側城郭)と内郭(内側城郭)により二重に囲まれているが、ここは外郭の最初の門で、別名「あまえ御門(あまえうじょう)」ともいう。「あまえ」とは琉球の古語で、「喜ばしいこと」を意味する。 -
歓会門(かんかいもん)のシーサー
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園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
琉球石灰岩で造られた建造物で、国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所である。形は門になっているが人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」ともいうべき場所である。
門の上部に掛けられている扁額(へんがく)の内容から1519年(尚真王(しょうしんおう)代)に建てられたことが判明している。八重山の竹富島出身の西塘(にしとう)という役人が築造したものと伝えられる。
琉球の石造建造物の代表的なものであり、1933年(昭和8)国宝に指定されたが、沖縄戦で一部破壊され、1957年(昭和32)復元された。現在、国指定重要文化財となっている。また2000年(平成12)には世界遺産へ登録された。
これ一つで首里城とは別の世界遺産。凄い。 -
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)から
歓会門(かんかいもん)を写す。 -
守礼門(しゅれいもん)
「守礼(しゅれい)」は「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には「守■之邦(しゅれいのくに)」と書かれている。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味。首里城は石垣と城門の多い城であるが、中でもデザイン上バランスがとれ、エレガントな雰囲気のある代表的な門がこの「守礼門」である。中国風の牌楼(ぱいろう)という形式で建立されている。 -
首里城での多数の城門や建築物には「公式の名称」の他に「別名」が付けられている。それらの呼び名から往時の琉球人の詩的な感覚が読みとれる。守礼門は古くは「首里門(しゅりもん)」ともいわれたが、庶民は愛称として「上の綾門(いいのあやじょう」と呼んだ。「上の方にある美しい門」という意味である。
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1527〜55年(第二尚氏4代目尚清王(しょうせいおう)代)にはじめて建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定されたが沖縄戦で破壊された。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたもので、その後今日まで沖縄を象徴する観光施設として利用されている。
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2000年の記念紙幣2,000円の絵柄にもなっている。
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首里杜館(すいむいかん)
「首里杜館」は首里城公園のインフォメーション・センター -
首里城の全体図
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こんな、沖縄限定ガチャガチャがある
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おまけ、、、
歯にノリを付けて笑うチャイ。
犯罪者だよ、これじゃ -
この日はチャイの誕生日。
急遽、コンビニでケーキを買い祝う。
お店の客も一緒に祝ってもらう。
これで驚きの32才。
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この旅行記へのコメント (1)
-
- クラウザーさん 2010/11/15 09:30:31
- お見事!です
- tajiさん
お邪魔します。
首里城の見事な解説に
さんしん、いえ感心いたしました。
これで、今度沖縄行ったときに訪れてみようと思います。
何回も沖縄行ってるんですが、首里城は?
って行くたび催促されるんですが、、
「まだ早い」って言って行った事ないんですよ〜。
これでGOサインを頂きましたので、機会があったら行ってみます〜
それにしても、32歳のチャイさん。
素晴らしい!良い味ですね。
失礼いたしました。
クラウザー
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