2010/10/11 - 2010/10/11
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yakkunnさん
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今回秋の連休を利用し始めて高野山に参ってきました。
と言うより観光してきましたと言う方が正しいようです。
前日
仕事を終え新幹線で大阪へ。
難波の南海電車始発駅の上に立つスイスホテルに宿泊。
1日目
高野山世界遺産切符と言う周遊券を購入。
朝9時南海難波駅より特急高野3号に乗り1時間24分で終着極楽橋駅。
モノレールに乗り換えて5分で頂上の高野山駅到着。
高野山駅から奥の院行きのバスがいくらでも出ています。
高野警察前で下車、宿泊予定の高野山温泉、宿坊・福智院に荷物をあずけて夕方まで奥の院以外を歩き回る。
最後に大門からの夕焼けを見て、夜は福智院にて温泉と精進料理を楽しむ。
2日目
朝9時30分より奥の院2時間コースのガイド(6000円)を頼み案内してもらう。
一の橋より何万と有る墓碑の解説を聞き鎌倉時代からの墓碑について学びながら奥の院御廟の地下まで案内してもらいそのあとガイドさんと別れる。
別れた後、中野橋まで比較的新しい企業の供養塔を見ながら歩き、バスで千手院橋経由し、高野山駅へと帰って行く。
帰りは特別列車「天空」に乗るのが目的で、高野山駅に午後2時には到着。
ゆっくりとケーブルからの景色を楽しみ、そのあと極楽橋駅より橋本駅まで特別列車「天空4号」からの景色を楽しむ。
自宅到着は夜8時になっていた。
初めての高野山でしたが、下調べを十分していたので効率よく1泊2日で観光できました。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
お早うございます!
今日もいい天気でラッキーです。
福智院の温泉朝風呂に入り、朝のお努めの後、精進料理の朝食です。
今日は観光協会のガイドさん(年配のおじさんです)を予約し、奥之院の墓碑を中心に観光してきます。
ガイド料金は2時間6000円の予定です。 -
宿坊は朝が早く、チェックアウトも9時でした。
9時30分にガイドさんが自家用車で迎えにきてくださいました。
荷物を福智院に預けて、いざ出発です。 -
一の橋案内所まで福智院から車で5分程でした。
多くの観光客はバスで中の橋まで来てそこから奥之院まで歩いて行きます。
これでは一の橋から中の橋までを飛ばす事になり大変もったいない。
私はガイドさんに一の橋から歩きたいと申し出たところ、ガイドさんは大賛成してくれました。 -
一の橋を渡り、まず驚いたのは巨大な石塔群です。
写真で見ていましたが写真では大きさが分かりませんでした。
予想以上に大きな石塔がうっそうとした参道の両脇に正に乱立しています。
これは一の橋を渡ってすぐ左手です。
仙台伊達家の供養塔、立派です。
よく見ると大きな石塔の周囲に小さな一般的な石塔が有ります。
これらは伊達家とは関係なく各個人の供養塔です。
このように大小の供養塔が高野山には20万〜30万有ると言われています。 -
300〜400年経ってる石塔の間に新しいのも有ります。
鶴田浩二さんの供養塔です。
先ほどの伊達家の左手です。
鶴田浩二さんは生前より高野山に信仰が深かったようです。 -
加賀前田家供養塔
5つの石を重ねて宇宙を意味する五輪塔は室町時代頃から盛んになったそうです。
この形は古い方です。
一番上の石(空輪)がまるっこいです。 -
仙台伊達家の隣は宇和島伊達家の供養塔です。
生い茂った杉の樹に包まれるように数個の五輪塔が並んでいます。
手前の小さな墓石は一般の供養塔です。
伊達家とは関係ないようです。 -
中の橋、奥之院に向かって歩いて行きます。
小さな普通の五輪の塔も多く有ります。
参道は石畳となっています。
誰かのご寄付でこの参道にすべて石が敷かれたそうです。 -
薩摩島津家供養塔ですが、後ほどまた別の薩摩島津家の供養塔が出てきます。
-
我ら岡山の池田家墓所が有りました。
岡山は真言宗も多く、高野山へは多くの人がお参りしてくるそうです。 -
隣は岡山津山の森家の供養塔です。
池田家より森家の方が立派に見えます。 -
その隣は同じく津山の森忠政供養塔です。
ガイドさんのお顔も写っています。 -
参道沿いに有る小さな五輪の塔ですが緑のこけがすばらしくきれい。
私はこんな墓石が好きです。 -
樹齢何年でしょうか?大きな杉の木の根っこです。
-
参道に面してないところ、少し脇道を入ってみました。
山口毛利家供養塔です。
400年の迫力を感じますね。 -
毛利家の近くにあった小さなお堂と五輪塔。
こけが何ときれいなことか!
こけの無い五輪塔は最近洗われているものです。
何のお堂だったかガイドさんに説明を聞いたがわからなくなった。 -
お堂脇の五輪塔がかわいいのでアップにしました。
梵字もはっきり見えます。
ご存知と思いますが、上から空輪、風輪、火輪、水輪、地輪を意味しています。
まさに宇宙を感じます。 -
毛利家供養塔の前ですが、土地が空いてます。
ここには安養院と書いた札が有ります。
すなわちこの土地は安養院が持っていますので、安養院の壇家であれば、毛利家供養塔の前に自分の墓を建てる事が出来るようです。
墓地代は見当が付きません。 -
毛利家の前に並んでいる久留米有馬家供養塔
-
有馬家墓地正面です。
赤松院墓所と書いてありますから赤松院所有の土地のようです。 -
町石
一の橋から奥之院までの参道脇にこのような町石と呼ばれる物が19個ほど有りました。
1町(109m)ごとに建てられています。
すべて鎌倉時代の物だそうです。
奥之院御廟までの一種の道しるべですが手を合わせながら礼拝していたそうです。 -
栃木県、下野の大田原家墓所
戦国武将大田原家の供養塔が仲良く並んでる様は絵になりますね。
よく見ますと五輪塔の前の花筒には高野槙が奉ってありました。
お寺さんか、関係者がお参りされたのでしょうね。
この五輪塔の一番上の空輪の石はとがった帽子のようになってます。
鎌倉、室町のものより少し新しく江戸になってからの物のようです。 -
一の橋を出て中の橋までまだ1/3位しか来ていません。
300年以上経つ石塔の間にこのような新しい供養塔も有ります。
これは江崎グリコ(株)の供養塔です。
色んな事件が有り、供養塔を建てられたのでしょうね。 -
アップにしてみました。
中央は従業員物故者と書いてあります。
従業員を大事にする会社のようです。
入り口に名刺受けと書かれたポストのような物が有ります。
お参りされた方が名刺をいれて帰られるのでしょう。
後で会社から参拝の礼状が届くのでしょう。 -
信州松本水野家と書いてあります。
お気づきのように江戸時代までは神仏集合の習慣のためお墓と鳥居が一体となっています。
石塔を比べながら歩いていましたが、鳥居も比較しながら歩いていると楽しいですよ。
ここの墓地も立派です。
大きな杉で囲まれて社の中に重量感の有る五輪塔が並び、コケの状態もきれいに融合し墓地が一体となっています。
いい雰囲気です。 -
多田(源)満仲
平安時代、源氏の粗と言われています。
さすがに石塔も古い形です。
案内の板の上に有る55の数字は高野山観光協会で借りた音声ガイドの番号の表示です。
すなわち、借りた音声ガイドの55番を押すと解説が聞けるようになっています。 -
多田満仲の石塔をアップしてみました
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周囲には有名でない石塔も数限りなく有ります
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やっと、一の橋と中の橋の中間位にやってきました。
すなわち、奥之院までまだ3/4位有ります。
頑張って行きましょう! -
武田信玄、勝頼の墓所
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アップです。
向かって左が信玄、右が子の勝頼 -
武田信玄墓地に建っているこの22町石は重要文化財の指定となっています。
ガイドさんが説明してくれています。 -
となりに姫路のお殿様も有りました。
姫路酒井家供養塔です
鳥居のコケがきれいです。 -
その隣の紀州徳川家供養塔
少し変わった供養塔です。 -
武田信玄のライバル上杉謙信の墓地は少し山手にそれた処に有ります。
行ってみましょう。 -
五輪塔の向こうに霊屋が見えてきました
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上杉謙信霊屋です。
重要文化財となっています。
武田信玄の石塔より派手です。 -
阿波、蜂須賀家墓地です
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伊達政宗の石塔ですがかなり大きいです。
でもまだまだ大きいのが有りますとガイドさんが説明。 -
参道脇にはお地蔵さんも多く有ります
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薩摩島津家の石塔です。
奥の院で多きな石塔には順番が付けられています。
これは4番目に大きいので4番石と言われています。 -
お隣は石田三成です。
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ここでもなにやらガイドさんが読んで解説しています
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お隣は明智光秀です。
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明智光秀をアップにしました。
苔むして墓石が割れているのが魅力的です。 -
この中央の2つの石塔を見てください。
今までの五輪塔とは違います。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)といいます。
鎌倉時代からこのような石塔が有り、五輪塔よりは古い形です。 -
色んな形で奈良時代から有ると言われているお地蔵さんは、唯一、地獄にでも現われて民衆を救ってくれる仏様です。
-
仲の橋近くまで来ました。
先ほどの宝篋印塔の形をした大きな石塔が有りました。
どなたの墓地か分かりません。
ご存知の方は教えてください。 -
初代市川団十郎の墓地です。
1660年生まれだそうですので江戸時代初期ですね。 -
やっと中の橋まで来ました。
奥之院までのちょうど中間位です。
ガイドさんもカミさんも元気に歩いています。 -
中の橋を渡るとすぐ汗かき地蔵が有ります。
参拝者の悩みや罪をこの地蔵が受け取り、汗として浄化させるとされています。
ここで手をあわせ、御廟へと向かいます。 -
川崎大師平間寺の墓と言うのが有りました。
ここに2つの石塔が有りますが、左のきれいに見えるのは新しい石塔では有りません。
おそらく右の石塔と同じ程度だったのでしょうが、きれいに洗われたのでしょう。
ここまできれいにせず、少しだけ洗えば良いのにと思いましたね。 -
奥之院はまだまだですが、高い杉に囲まれた参道の坂道には忘れましたが名前が付いていました。
-
この辺りに来ると企業の新しい供養塔が目立ちます。
昔は大名、今は大企業が高野山では力を持っているのでしょうね。
ここはパナソニック墓所と書いてありました。 -
これは確か、安芸浅野家墓地だったと思いますが・・・
-
このような背の高い木製の塔婆が見られます。
これはお寺さんの住職の無くなられたときに回忌ごとに立てられるようです。
これは何処のお寺の住職のものだったかなあ?? -
一番石に来ました。
高野山で一番大きな石塔です。
高さ9.5mです。
ガイドさんと比べてください。
2代将軍秀忠の二男秀長が母(秀忠の妻)のために建立したものです。 -
一番石をアップにしてみました
-
一番石のすぐ隣に千姫供養塔が有ります。
一部、台石等が崩れたままになっている。
管理しているお寺の経済力を反映しているのかも知れない。 -
なんと言った形の石塔なのでしょう。
多重塔形石塔とでも言うのでしょうか? -
こんなのが有りました。
小さな宝塔と言うのでしょうか、
捨てられたのではないと思いますが、集められて供養されているようでした。 -
ここもお寺の住職さんの墓地ですね。
和尚さんの場合は木製塔婆です。 -
有名な芭蕉句碑まで来ました
-
「父母のしきりにこひし雉子(きじ)の声」
松尾芭蕉は父、母の法事を済ませ高野山へ登ってきました。
句碑の文字は南画の大家である池大雅、
建立は1775年です。 -
3番目に大きな石塔です。
3番石と言います。
加賀前田家供養塔です。 -
高野山は色んな宗派も受け入れています。
浄土宗元祖法然は現岡山県で生まれ、高野山で修行し波乱の人生を送っています。 -
越前松平家石廟
結城秀康(徳川家康の側室の子)の石廟です。
鳥居を見てください。
右は明神鳥居
左は中山鳥居
と言われています。
下の方の横石(貫)が柱を突き抜けているかどうかの違いです。
建立する人の好みとも言われたり、抜けてない方が格が上だとも言われているそうです。 -
豊臣家の墓所に来ました。
やはり少し大きいですね。 -
豊臣家墓地
ゆったりと配置してあり、柵もされて近くに入れません。 -
中央の豊臣秀吉の墓をアップにしてみました
-
豊臣家墓地内の石塔をガイドさんが何やら読みながら説明してます。
”ねね”の石塔だったかな?? -
徳川家墓地の傍に7基の石塔が並んでいますが、ここの石塔には梵字が掘ってなく、漢字で「地水火風空」と掘ってある珍しいものです。
-
この五輪塔の傍に面白い顔をしたお地蔵様が有りました
-
無惨に倒れて壊れたままの石塔が有りました。
台風で壊れたのかとガイドさんに尋ねたところ、
第2次世界大戦の際、金属が必要となり、石塔を壊して金属を取り外してもっていったとのこと。
その後修復がされていません。 -
播州竜野の脇坂家の墓地です。
後ろには奥之院御廟橋近くの休憩所、護摩堂が見えてきました。 -
奥之院御廟橋手前左手に織田信長と筒井順慶の墓が並んであります。
行ってみましょう! -
中央が織田信長で左が筒井順慶ですね。
順慶は信長に可愛がられていたみたいです。 -
信長(右)と順慶の石塔をアップしました
-
やっと墓地から抜けました。
御廟橋前の広場です。
ここで手を清め御廟橋を渡り弘法大師御廟へ向かいます。 -
この橋が御廟橋です。
ここから先は撮影禁止です。 -
弘法大師御廟を一周し、地下にも入り、再度御廟橋を渡り戻ってきました。
御廟橋左手の休憩所でお茶を頂き、ここでガイドさんと別れました。
2時間の約束でしたが、時計を見るとちょうど12時。
2時間半案内してもらった事になります。
よく歩きました。
ガイドさん、有り難うございました! -
ガイドさんと別れ、奥之院休憩所からバス停奥之院前まで歩いて行きます。
この道筋には新しい企業の供養塔がたくさん有ります。 -
この当たりはあまり興味ないので急いでバス停に向かいました。
-
バス停奥之院前、中の橋案内所当たりにきました。
奥之院休憩所から歩いて15分位でした。 -
臨時バスも有るためそんなに待たなくても高野山駅前行きのバスが来ました。
バスから見ると道路沿いに車がずら〜と駐車しています。
秋の一大観光地ですね。 -
千手院前で一度バスを下車し、大混雑してる南海食堂で昼食を済ませ、預けていた荷物を福智院に取りに行き、少し早いが高野山駅へ向かいました。
帰りのロープウエイは早めに乗車したため、一番前の席を取る事が出来ました。 -
ケーブルカーからの景色を楽しんでいると
-
ケーブルカーは5分で極楽橋に滑り込みました。
-
極楽橋に着くと特別列車「天空」と特急「高野」と快速特急の3つが並んでいました。
鉄道フアンが喜びそうです。 -
私達は「天空」の指定席を高野駅で買っていました。
「天空」は橋本駅と極楽橋の間を1日2往復するだけです。 -
早々と「天空」に乗り込みます
-
「天空」の車内です。
いすはすべて片側のみ向いてます。
窓際の席の方が良いです。 -
天空」からの景色はほとんどこんな感じです。
私の田舎の景色とほぼ同じなので感激はありませんでしたがね。 -
極楽橋を出て約45分が経ちます。
「天空」は紀ノ川を渡りました。
そろそろ「天空」終着の橋本駅です。
橋本駅で特急高野に乗り換え、難波、新大阪、岡山へと乗り継ぎながら帰って行きます。
いや〜、1泊2日の高野山でしたが、よく歩きました。
歴史とお寺を満喫しました。
思ったより何倍も楽しい良い旅になりました。
お疲れさまでした。
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