2010/10/29 - 2010/11/01
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kazuuzooさん
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10月29日:ブリュッセル‐ローマ
10月30日:ローマ‐バチカン‐ローマ
10月31日:ローマ
11月1日:ローマ‐ブリュッセル
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
バチカンの散策を終えてローマにもどってきました。続いてローマの散策開始です!
まずはバチカンにほど近いサンタンジェロ城、そのお城に向かうサンタンジェロ橋からブラブラスタートです。 -
サンタンジェロ橋からテヴェレ川そしてサン・ピエトロ大聖堂方面をパチリ。
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サンタンジェロ城にやってきました。このお城、2世紀にハドリアヌス帝が建てたお城で、ハドリアヌス帝からカラカラ帝までの歴代のローマ皇帝がここに埋葬されたそうです。その後、要塞として使用されたり、法王の住居として使用されたりして今に至ります。
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ポポロ門にやってきました。ここはローマ北側の入り口となる門。
ここにもたくさんの人が…どうやらサン・ピエトロ広場からこの門の方へみんな移動してきているようです。 -
ポポロ門を越えてやってきたこの広場、その名もポポロ広場です。
この広場は昔関所の様な役割を果たしていた広場で、巡礼者はここでローマに入るための調査を受け、税金を支払ってようやくローマに入ることがで着たそうです。中央に見えるオベリスクは紀元前1200年にエジプトで作成されたもの。そのオベリスクを挟んで両側に同じような建物がありますがこれは双子教会。同じように見えますが錯覚を使って同じように見せているそうで実際には敷地の広さなども違うそうです。 -
続いてアウグストゥス帝の廟です。エジプトのアレクサンドリアにあったアレクサンダー大王の墓を真似て29年に作られたものだそうです。
元々はオベリスクがあったりと豪華だったようですが今は遺跡が残っているのみです。しかも工事中のようで中には入れませんでした。 -
この後訪れたのがスペイン広場。もともとここにスペイン大使館があったからスペイン広場なのだそうです。
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スペイン広場というとこの船の噴水とスペイン階段。
スペイン階段はスペイン広場と丘の上のトリニタ・デイ・モンディ広場をつなぐ階段。昔断崖絶壁だったこの場所に階段ができたのは実は結構新しく1723年着工だそうです。
いつも観光客であふれている印象ですが、こんなに人がいたら階段使えないですよね!? -
そんな階段を上ってトリニタ・デイ・モンディ広場にやってきました。
この広場には似顔絵を描く人、絵を売ってる人など芸術家の集まる場所っていう印象です。昔はスペイン広場もこんな感じだったみたいですが。
広場から眼下にはスペイン広場、遠くには先ほど訪れたサン・ピエトロ大聖堂もちらっと見えます。
今日はさすがに昨日からの疲れもあってこの後食事してゆっくり。
翌日に備えることにしました。 -
翌朝、ローマ散策2日目はアッピア街道をブラブラ。
アッピア街道に行く前にまずはローマへの地下鉄A線でチネチッタ駅へ向かいました。スバウグスタ駅からも行けるようですが、ローマへと向かう水道橋があるという公園へ。途中で途切れてますがその先にも断片的に水道橋が続いてます。
この水道橋、クラウディア水道橋と言うそうです。
1km進むごとにわずかに30cm程度の勾配をつけて水をローマに流していたそうです。その技術、ものすごいですよね。 -
クラウディア水道橋の下までやってきました。
水道橋の横にはあぜ道が。そしてそこでジョギングする人、散歩する人もたくさん見かけました。 -
この水道橋のある公園にはもう1本水道橋が貫いてます。
フェリーチェ水道橋というそうでこちらは16世紀に作られたそうです。
今も現役なのか水道橋から泉??(まぁ水たまりの様なものですが…)へと水が流れていました。 -
水道橋に別れを告げて今日のメインイベント、アッピア街道を散策します。
アッピア街道はBC312年に着工したローマ街道の1つで当時の財務官、アッピウスによって建設がすすめられたためアッピア街道と名前がついたそうです。元々は当時ローマが支配していた領土の南端、カプアまで街道は続いていましたが、その後、アドリア海に面したブリンディジまで延長されました。当時、石畳は路面がぬかるむことなく馬車などが移動できる画期的なシステムだったそうです。
アッピア街道敷設の目的の1つが軍事目的だったため、極力直線で道が作られています。 -
アッピア街道をローマ方面に進みます。
途中、アッピア街道沿いに建物が見られるようになってきました。 -
アッピア街道の両脇にはポツンと石やこんな大きな石もいたるところにあります。これら墓石や記念碑がず〜っと並んでいます。
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建物が両側に見られるようになってちょっとローマ方面に向かったところにあった遺跡です。詳細はわかりませんでしたが、どうも建てられたのはAD2世紀で少なくとも4世紀まで使われたお風呂があったみたいな説明がありました。
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チェチーリア・メテッラの墓です。
チェチーリア・メテッラは三頭政治時代の執政官クラッススの妻。
左の丸い建物が印象的ですが、この丸い建物の上には像や植物が飾られたいたようです。 -
チェチーリア・メテッラの墓の内部は博物館。でも入場料6ユーロはちょっと高い!!
というわけで内部の見学はパス。 -
チェチーリア・メテッラの墓とアッピア街道を挟んで反対側にあるS.ニコラ教会の残骸です。
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チェチーリア・メッテラの遺跡からさらにローマ方面に向かうとマクセンティウス宮殿跡が見えてきます。ここは今も発掘作業が行われているところ。4世紀初めに在位したマクセンティウスの宮殿、競技場、そして、息子ロムルスの霊廟があった場所です。
写真は競技場跡。長さ520m、幅92m、約10000人の観客を収容できたそうです。 -
引き続きローマに向けて歩きます。
続いてサン・セバスティアーノ聖堂に到着です。
ここは4世紀に建てられた使徒ペテロ、パウロを祀った聖堂。地下にはカタコンベがあり、ペテロとパウロの遺体はこのカタコンベに安置されていたのだそうです。
残念ながら日曜日はカタコンベは休み。ということでちょっと休憩していざローマへ向け出発です!! -
サン・セバスティアーノ聖堂からローマ方面に向かうと途中、写真のように道幅が狭くなります。しかもこのあたりは車が結構はスピードで飛ばしていきます。歩くには全く適しませんが、車に気をつけながら恐る恐る進みます。
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道幅が広くなってドミネクオヴァディス教会に到着です。
9世紀に元々建てられた教会で現在の建物は1637年に再建されたもの。
伝説では、この場所は使徒ペテロがローマの迫害から逃れてきた際にイエス・キリストに会った場所。ここでペテロがキリストに『ドミネクオヴァディス??』ラテン語でご主人様、どこへ行かれるのですか?と聞いたところ、キリストは再び十字架に架かりにゆくと答えたのだそうです。 -
ドミネクオヴァディス教会の内部です。小さな教会ですがこの教会にはキリストの足跡があります。
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サン・セバスティアーノ門のそばにあるアッピア街道の起点を示す指標です。アッピア街道には1ローママイル(約1500m)ごとにマイルを示す指標があるそうです。
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ようやくアッピア街道のローマの入り口、サン・セバスティアーノ門に到着です!!
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サン・セバスティアーノ門の裏側にあるドゥルーゾの門です。
この門の上には水道橋がありカラカラ浴場へと続いていたそうです。 -
ローマに入り、足を中心へと進めると見えてくるのがカラカラ帝浴場です。
この浴場はアントニウヌス帝(カラカラ帝)がAD212年から217年に建設したものです。
建物の中心から左右対称で両端にはパレストラ(ジム)なども併設されていたそうです。
早速中を見学と思って入場料を払ったらなんとここのチケット、先ほど訪れたチェチーリア・メッテラの墓と共通入場券でした。 -
早速建物の中(と言っても屋根が無いですが…)へ。
地面はモザイク画で飾られ、壁面ににもきっと多くの装飾品があったのであろう痕跡を見ることができます。 -
写真真ん中に見えるのが噴水の跡だそうです。建物の中に噴水もあったなんてすごいですね。よっぽど水事情が良かったんでしょう。
実際、カラカラ帝浴場には8万m3のタンクがあって、そのタンクまでは水道橋で水が運ばれてきていたそうで、その当時の技術の高さには驚かされます。 -
最初の部屋と対称に位置する部屋です。ここも床はモザイクで飾られ、壁面に装飾が施されていたのが分かります。
そして奥にある少し小さめの部屋がパレストラと呼ばれるジムです。(ちなみに最初の部屋の隣にも本当はあります。)
そしてパレストラの左側に更衣室があったそうです。 -
この部屋の壁にへばりつくように残っていた装飾です。
1800年近くここに残っていたんでしょうか!?
だとするととてつもなくすごいことですよね!!
カラカラ浴場はこのくらいにして、もう少しローマを散策することにしました。 -
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂にやってきました。
この大聖堂はローマ教会にとって非常に大きな意味を持つ教会です。
元々救世主大聖堂と呼ばれたこの教会は324年に献堂式が行われ、歴代の教皇はここに住んでました。
14世紀に教皇がフランスのアビニョンに移るとその後荒れ果てたそうですが、16世紀以降何度かの工事で今の様な威厳を取り戻したそうです。
この教会は1929年のラテラノ条約でバチカンとは異なる場所にありながらローマ教皇の特別な権利が認められているそうです。 -
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂にあるクーリア聖堂の扉です。この扉はフォロ・ロマーノから運ばれてきたそうです。
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クーリア聖堂の扉の右側にあるこの扉。名前は分かりませんがみんな扉を触りながら写真を撮ってました。
ちょうど扉の真ん中辺り、みんなが触っているんでこの部分だけ色が変わっています。 -
大聖堂の内部に入ってきました。
奥に見えるのが法王専用の祭壇。仕切りの中の箱には聖ペトロ、聖パウロの頭部がおさめられているそうです。
ちょうど、この日は何かあるようで、仕切りで区切られた中には許可が無いと入れません。警備も結構厳重…ということでひょっとするとバチカンの関係者の何かがあるのかもしれません。
まぁ最後まで何があるのかは分かりませんでしたが。
内部の見学を終えると外はもう暗くなってきていました。
あれっ、昨日とちょっと違う!?
そうです。この日から冬時間スタートで日の入りが1時間早くなっています。
ということで、夜景を少し撮って宿に戻ることにしました。 -
夜景1発目はピンチョの丘にあるナポレオン1世広場から見たポポロ広場です。昨日はあれだけ人がいたのに今日は落ち着いてます。
ちなみに遠くに見えるのがサン・ピエトロ大聖堂です。 -
続いてスペイン広場の上、トリニタ・デイ・モンティ広場にやってきました。右側にオベリスク、そして左側にはトリニタ・デイ・モンティ教会が見えます。
この教会はフランスのルイ12世によって着工した教会。下はスペイン広場、
上はフランスの教会、そしてここはローマ。
やっぱり昔から色々な文化の交わる街だったんですね。 -
トリニタ・デイ・モンティ広場からみたローマの街です。
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続いてテヴェレ川の向こうに見えるハドリアヌス帝の廟です。
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最後はテヴェレ川から見たサンピエトロ大聖堂です。
お腹もすいてきて、足も疲れてきたので今日はここまで。
ご飯食べて宿でのんびりしました。
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