2010/10/29 - 2010/11/01
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kazuuzooさん
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10月29日:ブリュッセル‐ローマ
10月30日:ローマ‐バチカン‐ローマ
10月31日:ローマ
11月1日:ローマ‐ブリュッセル
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- バイク 飛行機
-
今回のローマ旅行も早くも最終日。最終日はフォロ・ロマーノをメインにローマ市内をブラブラします。スタートはコロッセオ。
実はコロッセオは前回ローマに来た時に内部を見学しました。
今回は時間も無いのでコロッセオはパス。
ちなみにコロッセオは、楕円形の円形競技場でウェスパシアヌス帝が建造したそうです。5世紀にに剣闘士の戦いが廃止された後は18世紀中ごろまで建築資材の倉庫だったとか。 -
コロッセオのすぐ隣にあるコンスタンティヌスの凱旋門です。4世紀、ハドリアヌス帝の時代の建物だそうです。
この門の北側には元々円錐形のメタ・スダンスという噴水があったそうですが、1936年、ファシズムの行進が通れるように遺跡の一部埋められてしまい、最近再発掘されているそうです。 -
凱旋門から数百メートル先、フォロロマーのの入口に到着!
時間がまだ早いからか、結構簡単に入れました。
オーディオガイドを借りて早速内部を散策です。
まずは、通称スタディウムと呼ばれる場所。ここは元々競馬場だったのではないかと考えられているそうです。トラックの周りには2階建ての建物が建ち、皇帝の観覧席もあったそうです。 -
ドームス・アウグスターナです。ここはドミティアヌス帝の邸宅で、写真は中庭で真ん中にある遺構はそこにあった噴水??(池??)だそうです。
この建物の高台に面したエクセドラは高台の下に見えるチルコ・マッシモが一望でき、昔はチルコ・マッシモに集まった民衆にエクセドラから皇帝が顔をしていたようです。 -
ドームス・アウグスターナから見たチルコ・マッシモです。全体が写らない位広いこのチルコ・マッシモはタルウィニウス・プリスクス王により紀元前6世紀頃に作られた長さ600m、幅200mの競技場で、元々は150000人、その後、拡張工事で300000人以上が収容できたそうです。
当時は2頭立てや4頭立ての馬車のレースがチーム対抗で行われ、勝つためには何を使っても良かったのだそうです。
この日は、何か軍事関連の催しがあったようでヘリが止まっていたり戦車が止まっていたり…なんでも使って良い時代にもしこの風景が広がっていたら…この競技場だけでは終わらないですよね。 -
ドームス・フラーヴィアの遺構にやってきました。ここは81年〜96年に即位したドミティアヌス帝が建築家ラビリウスに命じて建てさせた迎賓館だそうです。写真に写っている小さな木が生えているところが8角形の噴水の中心部で、複数の迎賓の間はその噴水に面していたそうです。
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記憶が正しければ、アポロ神殿の跡です。ここはアウグストゥス帝の邸宅とつながって建設された神殿だったそうです。アウグストゥスの帝の邸宅、そしてリビアの家はこの隣、ここには当時の家の壁画が残っています。必見なのですが、写真が残ってない!!
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アウグストゥス帝の邸宅から見たサン・ピエトロ大聖堂方面です。
ちょっと、遠くの空が暗〜いのが気になります… -
アウグストゥス帝の邸宅から一段丘を下ったところにあったロムルスの小屋です。(ちょっと定かではありませんが…)
ロムルスは紀元前753年にローマを建国した言われる人物。
ローマの南東にあったアルバロンガという王国の13代王プロガの息子アムリウスの妻レアは森で寝ていたところ軍神マルスに襲われてしまい双子を産みます。その双子がロムルスとレムス。
アムリウスはマルスとレアを殺してしまいロムルスとレムスをテヴェレ川に捨ててしまいます。ローマの地に流れ着いたロムルスとレムス。そこで、アムリウスが雌オオカミを使いとして送ります。このオオカミがカンピドーリオのオオカミ。カンピドーリのオオカミに育てられたロムルスとレムスはその後それぞれロムルスがパラティーノの丘、レムスはアヴェンティーノの丘が都市建設にふさわしいと主張して最後にはレムスがパラティーノの城壁を越えて侮辱したことから殺されてしまいました。
残ったロムルスは都市を建設しローマと名付けたのだそうです。 -
パラティーノの丘をあとにしてフォロロマーノに向かいます。
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パラティーノの丘の展望台からフォロロマーナを眺めます。
まずは、展望台から左側眼下にはフォロロマーの、そして奥の茶色い建物が市庁舎、その向こうの白い建物がヴェネツィア広場の前にあるヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂です。
手前の凱旋門はセヴェルスの凱旋門、そして凱旋門の左にある白い柱はサトゥルヌスの神殿です。 -
前の写真から続いて撮りました。
左の白い柱はヴェスタの神殿、右側の建物はアントニヌス帝とファウスティーナの神殿、その奥がエミリアのバジリカです。 -
続いて眼下のヴェスタの巫女の家です。その名の通りこの家にはヴェスタの神殿の巫女が住む住居だったそうです。
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今度は展望台から右側。左に見える3つの半円が印象的な建物はマクセンティウスのバジリカです。
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一番右奥、ティトゥスの凱旋門が右側に、左側にはサン・フランチェスコ・ロマーナ教会。
その奥に見えるのがコロッセオです。
いざ、丘の下に降りて間近で各遺跡を見物します。 -
丘から下りてきました。
早速見学開始です。 -
まずは聖なる道の一番奥にあるティトゥスの凱旋門です。
70年のエルサレムでのユダヤ人との戦いでの勝利を記念して戦争を率いたティトゥス帝を讃えて81年にドミティアヌス帝が建てた門だそうです。 -
続いてマクセンティウス帝のバジリカです。
上からもとても目立つ建物でしたが、306年に着工312年に完成するまで6年の歳月が掛っているのだそうです。 -
ロムロスの神殿です。
マクセンティウス帝が幼い息子ロムルスの死を偲んで建てた神殿。
建築中にマクセンティウス帝が戦死してしまい、未完成のままとなってしまっているそうです。 -
ロムロスの神殿の隣にあるアントニヌス帝とファウスティーナの神殿です。
もともとは141年、アントニヌス帝が妻のファウスティーナの死後にファウスティーナのために建てた神殿で、アント二ヌス帝が亡くなった後、自身も祀られたそうです。
その後、8世紀にサン・ロレンツォ・イン・ミランダ教会とし神殿が使われるようになり、1902年には建物の隣から共同墓地ネクロポリスがみつかりました。この墓地は紀元前6世紀ころまで使われていたものだそうです。 -
ヴェスタの神殿付近から見たカストルとボルックスの神殿です。
奥の3本の柱のある遺構がカストルとボルックスの神殿。
ヴェスタの神殿は女神ヴェスタを祀った神殿で聖火がともされ、394年に閉鎖されるまでこの聖火は巫女によって守り続けられたそうです。 -
カストルとボルックスの神殿はカストル、とボルックスという双子の神が戦争の際に騎手としてローマ軍に協力、そのおかげもあって勝利を収めたことから建てられた神殿なのだそうです。
建物はその後、秘密会議が行われたり、宝物庫として使われたりもしたそうです。 -
続いてカエサルの神殿です。
現在残っているのは土台の部分、この上に大きな神殿があったそうです。
カエサルの神殿は紀元前44年カエサルが亡くなった際に、アントニウスが追悼の演説を行った場所に紀元前29年にアウグストゥスによって建設されたそうです。 -
バジリカ・エミーリアです。
この遺構はフォロ・ロマーノにある4つのバジリカで現存するたった1つのバジリカだそうです。紀元前179年に着工。
バジリカとは東方へレニズム文化で形成されたもので屋根の下で雨天時でも裁判、政治などの活動ができるように建てられていたもの。
このバジリカには会堂以外に店舗も入っていたそうです。 -
ユリウスのバジリカです。
ここは、裁判所ならびに、立法の場所で、ローマ法もここで作られたそうです。
紀元前54年にカエサルの時代に建築が始められ、アウグストゥス帝時代に完成したそうです。 -
ユリウスのバジリカの前を通る聖なる道を進みサトゥルヌスの神殿にやってきました。
サトゥルヌスの神殿は農耕神サトゥルヌスを祀った神殿。
サトゥルヌスの祝祭は12月にローソクをたいたり、プレゼントを交換したりと後のクリスマスの風習につながっているそうです。
また、この神殿はカンピドーリオの丘へと続く道沿いにあり、政治的にも重要な文章が保存された書庫として位置づけられていたそうです。 -
サトゥルヌスの神殿の隣にあるセプティミウス・セウェルス帝の凱旋門です。シリアへ侵攻した第6次パルティア戦争での勝利を記念して203年にできた門で、高さ21m、幅11m、奥行き11m。
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フォロロマーノから出てカンピドーリオに向かおうとしたら問題が…オーディオガイドを返そうとしたら、なんと借りたところでないとダメだということが判明!フォロロマーノを半周して返却する羽目に。しかも行列がすごくて中になかなか入れません。なんとまぁ、こんなに混むんですね。しかも雨が激しくなってきたし…
ちょっと寄り道しましたが、ようやくカンピドーリオ広場に到着。
正面は市庁舎、両側は美術館です。
カンピドーリオは実は伝説のローマ建国の紀元前753年より早い紀元前1300年頃には人が定住していたそうです。この広場はミケランジェロによって設計された広場。ただすべての完成は1940年とつい最近のことだそうです。
ここで雨がホントに強くなってきたのと歩き疲れたのでちょっと休憩することに。 -
休憩してもなかなか雨も止まず、ちょっと早めに空港にとも考えたのですが、最後にまたローマに来れるようにどうしてもトレビの泉に行きたくて大雨の中いざ泉を目指します。
その途中、トラヤヌス帝のフォロです。
ここは特にフォロロマーノのように有料で仕切られた場所ではありません。
でもさすがローマ、特に仕切られてなくても街中のいたるところに遺跡が点在しているんですね。 -
ヴェネツィア広場に到着です。
この頃雨もどしゃ降り、真昼間だって言うのに建物はライトアップしてました(笑)
ヴェネツィア広場に接して建っているヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。1870年イタリア統一を果たしたヴィットリオ・エマヌエーレ2世を記念して建設された建物で、公募にて建物の設計が決められ1911年に完成。
天気がよければ建物の上からローマを一望!!なんてこともできたんですが残念ながら今回はライトアップを外から見て一路トレビの泉へ向かいます。 -
今回のローマの旅、最後の訪問地トレビの泉に到着です。
大雨のせいでしょうか人があまりいません…
トレビの泉は元々は水道の終点。もともとローマまで引いてきた水道の終点には噴水を作っていたのだそうです。
豊かに噴き出す水は富、と豊かさを表すもので名誉だったのだとか。
ただ、ローマが異民族からの攻撃を受けた際に破壊されてしまったのだそうです。このトレビの泉も破壊された後、1730年に建築家を決めるためコンクールを行って、ニコラ・サルヴィのデザインで作られたのだそうです。
もちろん、後ろ向いてコイン投げてきました。またローマ来れますように!! -
ちなみにトレビの泉の外もこんな水の流れが出来てました…
この後、暖かいミネストローネ飲んで空港に向かいました。
最終日はちょっと残念でしたが、さすがローマ、まだ見れてないところもたくさんあるし、3回目、ぜひ訪問したいです。
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